地中海世界 |
イラン世界 |
中華世界 |
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首都 |
ローマ市の鳥瞰図、模型が共和制、
帝政時代
ごとに作成できる程知られている。 遺跡も豊富に残っている。 |
ササン朝時代のクティフォンの宮殿
遺構、
フィルザバードの宮殿遺構のみ。中心となる建築物が単独で残っているだけであり、しかも復元図もない可能性がある。街全体の状
況、城壁、城門、神殿、市
場、市街地、道路などの遺跡は無さそう。首都を具体的にイメージすることは難しい状況。 パルティアについては、初期の首都、ニ サの遺跡が残っている。宮殿、神殿、倉庫、城門などの遺構が残っているため、規模と配置についてはイメージできる。 しかし、建築物の概観までは不 明。市街地遺構も残るが、これも建築物の概観までは不明。 ニサに続く時期の首都、ヘカロンピュロスの遺構が残っているらしいが、規模等は不明。本格的な調査はこれかららしい。 |
平面遺構は残っているため、宮殿、
城壁、街
路などの規模・配置については、だいたい把握可能。 また、瓦、水道管、配水管などが出土しており(写真、講談社新版中国の歴史3巻「ファーストエンペラーの遺産」p79に阿房宮 の瓦の写真)、当時の宮殿 の設備については、一部は明確にイメージできる。 長安と洛陽については、城壁も一部残っているが、城門と城壁の概観を明確にイメージするところまではいかない。 各宮殿の目的、城壁の配置、サイズ、道路の配置については、「漢書」などの歴史書や「両都賦」などの当時の文学作品から詳細な 情報を入手可能。 しかし、首都の鳥瞰図はまだ作成されていない。 |
大都市 |
事例に事欠かない。遺跡は豊富。 |
メルブ、スーサが残る。しかし、平
面プラン
が多少判別できる程度。 |
臨シなど、一部の都市で遺構が残る
のみ。平
面プランが判別できる程度。 |
地方小都市 |
事例に事欠かない。遺跡は豊富。 |
パルティアについてはハトラが残
る。中央の
神殿はほぼ全体概観がわかる程度に残っている。その他の場所については平面プランが残る程度には残存している。 ササン朝については、グンデシャープール、エイワーン・ケルカ、ビシャプールなど平面プランがわかる程度の遺跡は残っている。 しかし、町並についてイ メージすることは困難。復元図も無い模様。 シーズの 遺構からは、城門、城 壁、宮殿、神殿などの遺構が残り、ある程度の参考にはなるが、シーズは特殊な宗教都市であるため、一般都市の概観に適用できない と思われる。 |
地方都市については、各地に遺構が
残ってお
り、平面プランはだいたい判明している。画像石に描かれた都市図から、多少は概観がイメージできる程度。しかし復元図はなし。都
市郊外を含めた風景壁画な
ども残存している。 |
宮殿 |
ローマの皇帝宮殿、各地の皇帝別荘な
どっ豊富
に残存。 |
クテシフォン、フィルザバード、サル
ヴィス
ターンなどに残り、大よその規模とイメージは把握可能。 |
平面プランのみ。 |
神殿・教会 |
各地に豊富に残存。 |
パルティアについては、ハトラ、ササ
ン朝につ
いては、ビシャプールや、シーズなどに遺構が残る。ハトラ以外は概観は把握しづらいが、一応復元図などがある。 |
天文台遺構が長安に残存。一応復元図
もある。 |
城壁 |
各地に豊富に残存。 |
シーズ、サッ
ケ・イスカンダール、
デルベンドに遺跡が残る。シーズとデルベンドについては概観も把握できる。しかし、シーズは宗教都市、デルベンドは、長城の一部
であり、特殊といえば特殊
である。しかしササン朝当時の城壁のイメージは得ることができる。 |
長安、洛陽、長城に遺構残存。いづれ
も版築方
法で構築されており、技術的にはだいたいどれも同じ。概観の復元までは難しそう。 |
水道 |
各地に豊富に残存。 |
不明 |
県城遺跡に井戸、水道、舗装歩道の遺
構あり。 |
下水道 |
各地に豊富に残存。 |
不明 |
長安以外は不明 |
橋 |
各地に豊富に残存。 | ササン朝時代の橋が各地に幾つか残存。 |
不明 |
その他遺構 |
独特の遺構として以下のものがある。
いづれも
豊富に残存。 ・円形闘技場 ・劇場 ・浴場 ・水道橋 ・競馬場 ・フォルム ・公衆トイレ ・道路 ・長城 |
・カナートという、都市へ水を供給す
る地下水
路がある。これらは遺構というよりも、現在も利用されていて、明確にどれがパルティア・ササン朝時代のものか指摘することは難し
い。しかし機能としては、
当時も今も変わらないため、現在のカナートをもって、当時のカナートをイメージすることは可能。 ・長城 |
・長城遺跡 遺跡が残っている ・楼閣 楼閣については平面プランが判別できる遺構はある。またミニチュアの模型が残っているので、外観の把握は可能。しかし復元図は まだみたことが無い。 |
貴族の住居 |
豊富に残る。 |
メルブに
遺構が残るが、これが一般的
な形式なのかどうかは不明。 |
画像石に比較的豊富に当時の貴族(豪族)の住居図があり、概ね
概観のイ
メージ可能。 また当時の門の遺構は、2,3残っている。 |
一般人の住居 |
インスラなどのアパート遺構がある。 |
不明。 |
遺構およびミニチュアの住居が比較的多く残る。トイレ、井戸の
ミニチュ
アなど。 |
墓 |
皇帝、庶民まで遺跡豊富 |
パルティア王については墓はまだ発見されていない。ササン朝に
ついては
墓は知られているが、盗掘されているため遺物が無い。 |
皇帝、豪族、庶民まで遺構豊富。副葬品は重要な情報源となって
いる。 |
各地の情報 |
ほぼ全土で、都市遺構が発見されており、ポインティンガーの地
図などか
ら、各地の都市名も判明している。 また、各地方の産物についての情報、遺構(大理石石切り場など)も残存。 |
パルティアの駅呈(www.parthia.comに掲載)
に、各地の
町の名称と距離の情報。 ササン朝時代については、「エーラーン・シャヒル州都のカタログ」という本があるらしい。 |
正史に記載あり。詳細な当時の地図が作成されている(地図出版
社から出
ている「中国史稿」のこと)。 |
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官僚機構 |
中央地方とも大体残っている。出世
コースの情
報などあり。 |
中央地方とも概略のみ情報あり。出世
コースな
どの情報あまりなし。 |
中央地方とも正史にほぼ全体情報あ り。出世 コースの情報などあり。 |
政府財政状態・国家収入 |
様様な情報から、大枠は復元可能。 |
殆ど情報なし。税収情報がホスロー1
世時代に
ついて存在するくらい。 |
正史から情報を復元可能。 |
軍事機構 |
出世モデル含めてほぼ判明している。 |
貴族、地主などが騎馬兵として勤務。 |
情報は少ないが、竹簡などの出土資料
から多少
判明している。 |
軍事遺構・器具 |
攻城兵器。復元モデルあり。 |
不明 |
未調査 |
宗教機構 |
キリスト教については豊富に情報あ
り。帝国内
各地の様様な宗教についてもそれなりに情報あり。 |
中央地方とも概略のみ情報あり。 | 未調査 |
宗教内容 |
情報あり |
情報あり |
情報あり |
経済政策 |
地方自治が強かったため、あまり中央
政府の政
策としては行われなかった。ディオクレティアヌス以降、官僚国家となってからは情報あり。 |
不明だが、恐らく細かい政策はなく、
大雑把な
免税措置、課税などを行っただけでは。 |
経済政策は国家の重要課題。比較的豊
富に情報
あり。 |
法律 |
ローマは法治国家。豊富に資料あり。 |
ササン朝末期の法律書「Matigan i Hazar Datastan」があるがあまり研究は進んでいないらしい。パルティアについてはまったく不明。 | 正史には記載が無く、出土した竹簡か
ら復元
中。 |
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給与・収入 |
貴族、役人、奴隷、農民、工人、軍人
などだい
たい判明 |
不明 |
官吏、軍人の給与、農民、への税金な
ど大体判
明している。 |
家族 |
未調査 |
一夫多妻制。また兄妹婚が奨励された。 |
平均5人の核家族 |
貨幣 |
遺物あり。 |
遺物あり。 |
遺物あり。 |
物価 |
ポンペイにて家計簿情報残存。 |
不明 |
出土した竹簡などから情報残存。 |
教育 |
学校についての遺構不明。文献資料
に、学校に
ついての記載あり。だいたい判明しているといえる。 |
学校があったとの情報あり。 |
学校についての遺構不明。文献資料 に、学校に ついての記載あり。だいたい判明しているといえる。 |
書籍 |
本屋、出版業者が存在。羊皮紙、パピ
ルスに記
載。筆記用具も出土している。 |
書籍が存在した形跡はなし。公文書に
は羊皮紙
が利用されていたらしい。 |
専門業者としての本屋はまだ無かっ
たが、市
場で本が売られていた。絹、帛、竹簡に記載。行政文書は竹簡に記載。後、紙に記載。 書籍・筆記用具も出土している。 |
知識人 |
文学・哲学・小説・書簡・詩の読み書
き |
パルティア時代については、吟遊詩人
による英
雄・恋愛詩、演劇などを楽しむ。ササン朝時代は不明。書籍として文学を楽しんだ形跡はなし。 |
賦・詩などの読み書き。小説は、魏晋
南北朝時
代以降登場。 |
娯楽 |
演劇、戦車競技、剣闘士闘技など。 |
貴族の娯楽はポロ、狩猟。猟場の遺構
(ベヒス
トゥーン)があるらしい。チェスはホスロー1世時代に伝来 |
庶民は双六など。 |
市場 |
(おそらく情報あり) |
不明 |
何が売られていたかの情報はだいたい
あり。 |
商店など |
本屋、居酒屋、売春宿などあり |
不明 |
基本的に市場で商売 |
食事 |
ポンペイの当時の料理屋から料理が出土 |
情報希少 |
当時の料理が出土している。 |
家具・食器・楽器。 |
家具、食器など日常生活用具は全て出土。 |
不明 |
食器・楽器など墳墓から出土。 |
衣服 |
皇帝、貴族、庶民、奴隷まで情報あり |
高位高官がレリーフに残っているが、色彩は不明。庶民の衣服は
不明。 |
豪族、官吏、庶民まで壁画、画像石などの情報あり。皇帝につい
てのみ文
献情報 |
暦 |
情報あり |
情報あり |
情報あり |
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中華世界 |
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舟(一般) |
当時の沈没船が残る。 |
不明 |
模型が残る |
軍舟 |
当時の沈没船が残る。 |
不明 |
不明 |
港 |
オスティア、カルタゴなど、遺構が残る。 |
www.parthia.comにパルティア時代の舟が発見さ
れたとの
記事。またペルシャ湾からアラビア海あたりを運行していた舟は、草をつなぎ合わせて作った舟との記述が「エリュトラー海案内記」
に出てくる。 |
広東に秦〜南越時代とされる遺構が残る。 |
馬車 |
ドイツで実物モデルの復元あり。 |
ササン朝とパルティア時代は、馬車、
戦車はつ
かわれなかった。(アケメネス朝時代にはつかわれていた) |
秦始皇帝兵馬俑に実物大の青銅馬車が 残る。漢 代遺跡には模型が残る。カラーの壁画も残っている。 |
戦車 |
不明 |
同上 |
秦始皇帝兵馬俑に遺物が残る。 |
軍装 |
等身大の像が出土している。騎馬像も
残ってい
る。 |
騎馬像については、ター
ク・ボスタンはじめ各
地にレリーフが残る。復元図もあり。 歩兵については情報不明。 パルティア時代の騎兵の防具が出土している(「パルティア見聞録」や「Rome's Enemies: Parthians and Sassanid Persians」 に写真あり。) |
秦始皇帝兵馬俑に等身大像が残る。 また、鎧のパーツが出土しており、復元されている。 騎馬像については不明。 |
職業 |
医師、建築家、商人、床屋、競売人、
交易商、葬儀屋、運搬人、弁護士、宿経営者、役者、石工、石碑職人、衣服商、香水業者、ラバ追い、弁論家、料理人、パン屋、剣闘
士、芸術家、靴職人、鍛冶屋、料理人、代書人、占い師、占星術師 |
医者、政府 行政文書担当官、会計官、契約書、登記、判決の記録官、史官、科学者、詩人、占星術師、工人、商人、 | 医者、 |
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建築書 |
ウィトルウィウス「建築書」邦訳あ
り。 |
なし |
なし |
水道書 |
フロンティアヌス。邦訳あり。 |
*最古のものでも11世紀 |
なし |
農業書 |
カトーの農業書は残っているのか、未調査 |
なし |
「氾勝之書」邦訳あり |
医学書 |
ガレノスの医学書など |
なし |
「傷寒論」 |
料理書 |
アピキウスの料理書。邦訳あり。 |
なし |
「斉民要術」邦訳あり |
祭事 |
多分ある。 |
*デールカントなどか? |
「四民月令」邦訳あり |
法律書 |
ウルピアヌス、キケロなど |
ハザール・イ・ダーデスタン |
民間書籍なし。律令記載の遺物あり。 |
歴史書 |
民間記録多数 |
王の書記が毎日王の言動を記録、それを1月毎に編集したコピー
を作成。
王が捺印し、宝物庫に格納した。 |
正史の概念が発達。 |