歴史史料が殆ど残されていないインド史において、グプタ朝の領土はどのように復元されたのか調
べてみました。マウリヤ朝の場
合、アショカ王の勅令碑文が各地で発見され、入門書籍でも発見された勅令碑文地図が出てくるくらいなので、ほぼインド全土に広ま
る碑文出土地を囲めば、よくある最盛期のマウリヤ朝地図が完成します。これに対して、サンスクリット文芸が栄えたインドの古典時
代とされるグプタ朝では、当時或いは後世の歴史書的なものから復元された部分もあるのではないのか、と少し文献史料を調べてみた
ところが見つからず、碑文出土地地図も見つからないので、どのように領土が推定されているのかが、よくわからないところがありま
す。そこで碑文集成から自分で碑文地図を作成してみました。碑文集成は、オンラインで公開されている、[WhatisIndia.com]
の[North
Indian Inscriptions]を利用しました。ここに掲載されている碑文集成は、書籍「Corpus
inscriptionum Indicarum ; v. 3 : Inscriptions of the early
Gupta kings / revised by Devadatta Ramakrishna Bhandarkar
; edited by Bahadurchand Chhabra & Govind Swamirao Gai,1981
年(全339頁)」と同一のものだと思われます。この書籍は国会図書館にあり、縦32.5cm、横24.5cmの大型本で、見開
きサイズの碑文の写真が48碑文全て挿入され、サンスクリットのローマ字文と、英訳が掲載されています。アマゾンにも出品されて
いないようなので、オンライン版は貴重です。なお、「Geography
in ancient Indian inscriptions, up to 650 A.D.」という書籍もあ
るようですが、内容は未確認です。
1.碑文集成から作成したグプタ朝地図
2.各種グプタ朝地図
3.グプタ朝碑文一覧
4.国王毎の碑文数一覧表
1.碑文集成から作成したグプタ朝地図
以下の地図は Google
Mapを利用しています。赤い点が、サムドラグプタからチャンドラグプタ二世時代、ピンクの点がクマーラグプタ時代、紫の点がスカンダグプタ、青い点がそ
れ以降の時代です。点の上でカーソルをクリックすると、第3節の碑文集成一覧表の当該碑文の行に飛びます。
上地図では、同じ点で異なる時代の碑文が複数発見されているところもありますが、点の色とリンク先は、最も古い碑文のものとし
ています。紫の点は3つしかありませんが、実際には20程あり、残り17は、より古い時代の赤やピンクと同じ場所となっていま
す。これらのことから、グプタ朝は、赤い点の範囲→ピンクの点の範囲→紫の点の範囲へと領土を拡大していったことが読み取れま
す。これらの碑文は19世紀のうちに集められており、1907年には下の左上の地図が作成されています。
2.各種グプタ朝地図
(碑
文英訳)
アラーハーバード 座標25.445135,81.848145。33行。1834年に「発見」された
2)
(碑
文英訳)
エラン、Madhya Pradesh, India 24.090977,78.162575
発見者 Alexander Cunningham 1874-75 or 1876-77。8行
(碑
文英訳)
座標 25.12446,85.455437 カルカッタのインド美術館が1927-28年に発見。12行
4
(碑
文英訳)
座標 25.045792,84.979248 1883年に
カニンガムの元にもたらされた。15行。
5)
(碑
文英訳)
ビディシャ 座標 23.599228,77.810669 1968年発見。4行
チャンドラグプタ二世
6)
(碑
文英訳)
マトゥラー 座標 27.519233,77.670593 1928年に考古学業者により発見された。17行
7)
(碑
文英訳)
マディーヤ・プラデーシュ州のビディシャの Bhēlsāの北
西2マイルの東側。座標特定でき
ず。8行
1854 年にカニンガムの元にもたらされた
8)
(碑
文英訳)
ガッドファ ,Madhya Pradesh, India 座標24.489882,80.685825。 1871-72年にカニングの元にもたらされた。17行
9)
(碑
文英訳)
Madhya Pradesh, India 座標23.488517,77.74209 1834年にもたらされた。11行
10)Mathurā Stone Inscription of Chandragupta II (碑
文英訳)
(6)と同じ場所 1853年カニンガムにより発見。12行
11)Udayagiri Cave Inscription of Chandragupta II (碑
文英訳)
(7)と同じ場所 1880年カニンガムにより発見。5行
12)
(碑
文英訳)
メローリー 座標 28.57005,77.167969 1834年に「発見」された。6行
13)
(碑
文英訳)
ビハール州ムハザルプル 座標 26.101188,85.369263。1903-04.年に発見された。4
行
14)
(碑
文英訳)
マンドソー,Madhya Pradesh, Índia 座標
24.072171,75.06958(ヴィクラマ紀元:461年=西暦403-5年頃) 1912年に発見された。19行
15)
(碑
文英訳)
(碑
文英訳)
エーラ、ウッタラプラデーシュ、座標 27.508271,78.755493 1877-8年カニンガムにより発見。13行
17)Gaḍhwa Stone Inscription of Kumāragupta I:The year 98 (碑
文英訳)
(8)と同じ。 ガッドファ、マディヤ・プラデーシュ 1871-72
年に発見。9行
18)Mathurā Image Inscription of Kumāragupta I:The year 107 (碑
文英訳)
(6)、(10)と同じ、マトゥラー 1894年に「発見」。2行
19)
(碑
文英訳)
বাংলাদেশ 座標 24.47715,89.121094 1906年に発見。17行
20)Tumain Inscription of Kumāragupta
I:The year 116 (碑
文英訳)
アショックナガー、
(碑
文英訳)
Faizabad District, Uttar
Pradeshで1908年に「発見」 座標 26.755421,82.144775。11行
(碑
文英訳)
Uttar Pradesh,
25.406066,83.023682 マトゥラーの考古学博物館に保管されていたものが1965-66年に気付かれた。11
行
(碑
文英訳)
(6)、(10)、(18)と同じ場所。マトゥラーの収集家のコレクションの中から発見。3行
24)Dāmodārpur Copper-plate Inscription of Kumāragupta I:The
year 128 (碑
文英訳)
(22)と同じ発掘場所で同じ発掘で発見された。13行
25)Mankuwār Stone Image Inscription
of Kumāragupta I:The year 129 (碑
文英訳)
アラーハーバード南Arail東方9マイルのヤムナ河右岸 座標
25.324167,82.032166 1870年に発見。 2行
26)Gaḍhwa Stone Inscription of Kumāragupta I (碑
文英訳)
(8)、(17)と同じ場所 1871-72年に発見。
9行
27) Basāṛh Clay Seal Inscription of Ghaṭōkachagupta (碑
文英訳)
(2)、(13)と同じ場所。 (13)と同じ発掘時に1903-04
年に発見。1行
スカンダグプタ
28)
(碑
文英訳)
(碑
文英訳)
(碑
文英訳)
マディヤ・プラデーシュ州のインドール、
(碑
文英訳)
(碑
文英訳)
マディ
ヤ・プラデーシュ州のリーワー州(Rewa State)、座標 24.525261,81.302261。17行
(碑文英訳なし。原
文テキスト)
1927-28年の発見。5行
(碑
文英訳)
1914-15年の発見。3行
(碑
文英訳)
(14)のMandasorと本Mandasōrではoとō
1885年の「発見」。24行
(碑
文英訳)
(碑
文英訳)
(36)と同じ場所。1940-41年に発見。
4行
(碑
文英訳)
(碑
文英訳)
(碑
文英訳)
(碑
文英訳)
(碑文英訳なし。原
文テキスト)
(碑
文英訳)
1874-75 or 1876-77年の発見。7行
(碑文英訳なし。原
文テキスト)
(碑
文英訳)
発見年代の記載なし。16行
(碑文英訳なし。原
文テキスト)
(碑
文英訳)
(碑文英訳なし。原
文テキスト)
1927-28
4.国王毎の碑文数一覧表
上の碑文一覧表から、各国王の時代毎の数を集計したものが以下の表です。
|