大秦とセレスの時代とは
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大秦とは漢時代の中国人が地中海世界とローマ帝国を指して用いた言葉。セレスとシナエとは逆にローマ人が中国を指して用いた言葉です。ともになかば伝説 なかば事実としておぼろげに洋の東西文明がお互いに意識しはじめた時代です。それはシルクロードやインド航路による東西の交流が活発になったことで実現されました。交流の活発化は 各文明世界の統一、平和の持続によりもたらされました。また平和になったことで、 人々が (宗教的にではなく 実際に)世界が 或いは世界の果てがどうなっているかに 多少なりとも思いを馳せることが出来る生活的余裕が持て、彼方の世界について知りたい、また知りたいと思えば情報を入手することは不可能ではない、そんな時代のことを「大秦とセレスの時代」という言葉に込めています。以下もう少しこの時代像について見てみたいと思います。 |
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比較的平和な時代が一つの世界全体ともいべき規模で長期にわたって続いたことで、 人々が世界の果てがどうなっているかに 多少なりとも思いを馳せることが出来る生活的余裕が持てた 社会的成熟が達成された時代であったこと。 為政者達によって 権力や軍事ばかりでなく、寧ろ経済政策や公共政策に注意が払われることが可能であった時代であったこと。 要するに現代社会に近い社会だったと言えるのではないでしょうか。 |
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地中海世界、イラン、中国それぞれが一つの世界というべき存在であり、その「世界全体」ともいうべき領域が
単一の政治的・社会的統合下にあった時代。 そうして地中海世界、イラン、中国それぞれが おおむね同時期に同じ様な状況下にあったこと。これは、単なる圧倒的な軍事力による征服の結果誕生した世界帝国ではなく(大体こうした世界帝国は社会的同質性をもたらすことが出来ないので、短期間で崩壊する)何らかの必然があって「オイクメネー(人間の住む領域)」が統合されて成立した、
国境なきユニヴァーサルな「世界帝国」であったこと。
この必然が何かはわかりませんが、 一定のテクノロジーと社会組織の成熟、 住民の意識の成熟、気候的な条件等が揃った時に、 その世界に住む住民がある程度 同じ世界・社会に棲んでいるとの認識を持つ社会的に同質性のある世界が 統合され、強力な政治的・社会的・地形的な 障壁にぶつかるまで膨張し続けるものなのかもしれません。 それゆえに持続力があり、未来へ向かっても影響力を持ちつづけるのかも知れません(インドも、遅くとも前3世紀には、少なくとも北インドをひとつの世界として認識するようになり、「バーラタ・ヴァルシャ、またはジャンブドヴィーバ(閻浮提)と呼び、ヒマラヤから大洋までを「転輪聖王の国土」とと呼ぶようになったとのことです。 |
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この時代の世界が現代世界の「枠」の出来た、文字通り現代世界の「古典」時代であると思えます。 私は「文明論」というものには否定的なのですが、
現代社会とこの時代を比較すると、 北米はイタリア、ヨーロッパはギリシャ、イスラーム諸国はイラン、中国は漢、 インドはインド、という対応があり、
太平洋を西地中海、 大西洋を東地中海、 南米をイベリア半島とすると、 現代世界は丁度紀元前2世紀にローマが勃興しつつある情勢に非常に似ていると思えてならず、
そのことが不思議でならないのです。
しかも合衆国自体、自身をローマと意識しています。それは政府の機構名称や建築物、彼らの作る多数「アメリカ的」ローマ映画に如実に表れています。 |
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世界の東西に現代社会の雛型と言える程度には、複雑に発達した社会が出現し、
そうして、果てにある二つの世界が朧気ながらその存在を意識しはじめた時代であったこと。。。
世界の中心と自認する高度な文明社会が、 世界の果てだと考えていたその先に
自らに匹敵する程の高度で巨大な世界に遭遇することが出来た、 少なくとも漢とローマの関係ほどの規模と期間でこの現象を見出すことが出来る唯一の時代であること。これに匹敵する現象は、あえて他に求めるとすればエジプトとメソポタミアが遭遇した時かも知れません。
なぜ 漢とローマは同じ時期に出現したのか、という偶然 にしては出来すぎのような現象への問いがあります。 同時期に勃興し、「世界」を統一した唐とイスラムにも 同じことが言えるかもしれませんが、 エーゲ文明と商・周までに遡る地中海世界と中華世界の同時的発展の極限の帰結である漢とローマに対する問いの前には、唐とイスラムは 前作を凌駕しえな かった続編に過ぎないとさえ思えるのです(最近では、インドとイランも似たような経過を辿っているように思えるようになりました。ともに、最初にあまり長続きしない大統一(アケメネス朝とマウリヤ朝)があり、その後パルティアとクシャーナ朝、アーンドラ朝という中規模の統一期があり、古代の最後にサーサーン朝とグプタ朝という強力な勢力が生まれたという点で。洋の東西で似たような現象が持続的に起こるのは、いくら考えてみても不思議なことです。 |