まず、大通り(199下、253中)があり、その大通りには東西南北の門(233上)あり、
市街は四区画に分かれていると推測でき、商方の住む地区(197下)や色街(211下)や裁判所(第九幕)がどこかの地区にある
ようです。恐らく職業によって集まって住んでいたのでしょう。大通りにどん百姓の車がいっぱい(231下)で、車は牛が引いてい
ます。町中には市場(186上)があり、四辻(188上)が登場し、夕方の今頃は女、大通りに延吏たちが多い、という描写が出て
きます。百姓の車といい、遊女や役人達といい、いかにもある程度の町の雑踏という感じです。夜ともなると各屋灯明が燈り、夜景
(196下)が見られる町だったようです。
町中では、ほろをたらした車(212上、216上)が走り(牛に引かせたもの)、車のたれ(238中)を上げて、後ろから乗る
(233中)ことになっていて、車は内部が見えない構造になっていたようです。
ウジャインの町の郊外にはカーマの神殿のある遊園((190下)や遊園(230上)(神殿のある遊園と同じ遊園かも知れない)
があり、町の南には墓地(262上)があり、本劇最期の処刑場の場面は、この墓地が舞台となっています。
主人公チャールダッタの家は商家なので、散在して貧乏とはいえ土地家屋の資産は富裕である。家の外には私有の果樹園があり、垣
根(223上)で囲まれていて果樹園の戸(222下)があり、園亭(223上)があり、マンゴー(223)が植えられている。家
に入ると、庭に入って灯明を灯し(192上)、椅子(205下)に腰掛け、露台(204中)からはヴィンドヤ山(204中)を見
ることができ、家の壁は煉瓦(207上)で作られている。竹笛(208上)や書物(208上)がある。
大娼家を経営する主人公ヴァサンタセーナーの娼館は広大で、全部で八区画に分かれていて、それぞれの区画がパビリオンのよう
に多数の動物がいるという構成。第一の区画では、露台が並び、真珠の環を垂らした水晶窓はウジャイニーの町を見詰めているかのよ
う(水晶の窓から外が見えるのかどうかは不明(217中)、(他にも装飾の描写はあるが、省略。以下も同様一部略)、第二の区画
では牛、水牛、闘技用の牡羊、馬、猿、象がいる(この象は、203頁下で町中に逃げ出し騒ぎとなる)、第三の区画では、賭博台、
紳士用の椅子が並べられてあり、読みかけの本が置かれている(217下)。遊女や粋人たちが、絵を手にして歩き回っている
(218上)。第四の区画では楽士たちが音楽を奏で、遊女たちが芝居を読んでいる。窓には水瓶がつるされて、滴り落ちる水が微風
をおこしている(218上)。第五の区画は厨房で、料理人が甘菓子や焼菓子を作り肉屋は動物を加工している。ここには遊女や小姓
の群れがいる。第六の区画では、黄金と宝石、高級香料により贅を尽くした部屋。酒を飲みながら女房子供と財布を忘れて遊女と戯れ
る場所(217下)、第七の区画には鸚鵡、郭公、九官鳥が歌い、鶉、鷓鴣、鳩、孔雀、白鳥、鶴を集めている花魁の部屋(219
上)、第八の区画は、ヴァサンタセーナーの私邸で、母親、兄などの家族が住んでいる。
料理も登場していて、
「酸乳と米飯に満ちた婆羅門さながら(218下)」というような形容詞や、「酸乳を入れた米の乳飯に誘惑され、甘露と区別つかな
い(217中)」鳥というような人間の食事を動物がついばむ描写、「油と肉汁を混ぜた米の団子を象に食べ指させている(217
下)」。などとして登場しています。これらは、動物が食べている描写ですが、食事は人間のメニューだと考えられます。他にも料理
の記載は登場しています。
「辛くて酸っぱい肉料理、魚のはいった野菜のスープ、俺は家では米の飯、砂糖を入れた乳飯食った(264下)」
「魚も肉も食い放題、魚と肉を鱈腹食えば、犬も腐肉を漁ることなし(189中)」
「牛乳と肉団子(252中)」、肉屋(218中)、焼菓子(218中)
「いつでもこ奴に肉食わせ、乳酪与えて、養うてきた(245中)」
などと、肉料理も結構登場していることがわかります。古代においては、現在ほど菜食主義ではなかったのかも知れません。
その他、文化的尺度として絵(211下)、肖像画(212下)、本(215上)が登場し、遊女達が(声に出して)芝居を読んでい
る((218上)風情が語られ、「闘技を終えた力士(217下)さながら」という形容から力士による闘技が行なわれていたことが
わかります。水晶の小窓(219中)、というように明り取りのガラスの役割をする窓があり、靴に入った小石(222中)という描
写から、サンダルではなく、靴を履いていたことがわかり、賭博台(217下)、豪奢な着物(224中)、馬の玩具(230下)、
「ちびた砥石を片手にもって伸びた頸髯剃りながら(235中)」ではかみそりとして砥石が利用されていたことがわかります。
また、家の「露台は鳩箱への通り道(264下)」であったとの記載も出てきます。
外国の名が登場している箇所があります。カシャ、カッティ、カダ、カダットチービラ、カルナータ、カルナ・プラーヴァラナ、ド
ラーヴィダ、チョーラ、チ-ナ、カーナ、ムカ、マドゥガータというように、ウッジャイニーは国際的な交流の都市(235)である
ことがわかる記述といえそうです(ドラーヴィダは今の南インドのドラヴィダ民族の居住地地域、チョーラやカルナータカは南インド
南端の王朝、チーナは中国)。
② 「蓮華の贈り物」に登場する市街の描写
まず、「大通りの路々で会う友人達」(12)とあり、大通りがあり、にぎわっていた様子
がわかります。続いてp13で以下の詩が詠まれます。
-徳高きヴェーダの聖典の頌誦、象の群れ、
馬の音、馬のいななき、弓弦の響き、
詩文、演劇に、高論卓説の場、
歌舞、音曲、賭博に、哄笑の渦
ヴィタの戯言、なべての技芸、
家々に飼鳥はさえずり、腕飾り、腰帯の
触れ合う妙音が満ちてり。-
と、町の様子が詠まれ、色街(16)、寺院の鐘(20)、遊女の館(30)という言葉が登場しています。これらが町中にあっ
たのでしょう。p23には、「辻角のシヴァ像の台座に身を寄せて立っている」という表現があり、街角に神の彫像が立っている
箇所があったこともわかります。p26には「花市場の混みあった店々のあいだを吹き抜けてゆく快い風」と、花市場が描写され
ています。p28では、「賭博場のテラスのかげの石柱」という表現があることから、木造ではない建築物があり、高殿の窓
(38)という表現から高い建築物の上の方に窓があったことがわかります。p30では「太鼓の合図もないままに、芝居の幕が
さっと開いた」という表現が見られます。この話は、主人公が、大通りを歩きながら見たもの、出会った人々について描写し、感
想をいろいろ吐露する、という一人劇なので、p39に登場している「小庭の門」は、大通りに面した家の庭の門かも知れませ
ん。
③ 「足蹴にされた男」に登場する市街の描写
「街の大通り」で、主人公が町を称える、
【 この帝都のなんと素晴らしいこと!閻浮提の額の飾りとしてこの街は、さまざまな宝石類でその富を誇示している。ここでは、
管弦の調べ、女の装身具の響き、
愛玩の鳥たちのさえずり、ヴェーダ声明や、
弓弦の音、あるいは肉切り包丁の高鳴り、
さらには、屋敷内で飼いならされし鳥の羽音と、
食卓の什器の触れ合う音が重なり合いて、
白亜の館の環は、互いにさざめき合うがごときなり。-
そしてまた、
山地、森林、海辺の地、はたまた、砂漠の地域から、
百指に余る諸王侯は上洛し来たりて、それぞれの邸を構えおり。
壮麗にして、前代未聞、完全無欠の、
創造者の創造せし[美の]諸相の一か所への結集が、
この都に見らるるなり。
シャカ人、ギリシア人、トカラ、ペルシャの人々、
マガダ、キターラ、カリンガ、ヴァンガ、カーシーからの人々、
さては、マヒシャカ、チョーラ、パーンディヤ、ケーララのもろもろの人々、
集い来たりて、街のすみずみにまで、賑わいて華やかなり。】
と、国際的な賑わいであった様子が描写されます。シャカ人、ギリシア人、トカラ、ペルシャとは、現在のアフガニスタン方面の当時
の居住民族だと思われます。マガダ、キターラ、カリンガ、ヴァンガ、カーシーは東インド、マヒシャカ、チョーラ、パーンディヤ、
ケーララは南インドの諸民族です。国際都市ウッジャイニーに相応しい多民族ぶり。p182にはバクトリア人、p190には匈奴
(フーナ)も登場しています。
p180-181も、街の様子を描いた部分です。
【 さあ、帝都の市場通りに来たぞ。市場の中は、ほうぼうから海産物やら、農産の品々など、高い品、安い品を売ったり買ったりし
に、大勢の男女がやって来て、たいそうな賑わいだ。
おお、ご覧!
巣の中で騒ぐ鳥たちのように、
牧場にいる雄牛たちのように、
商いの人々のざわめきの声よ!
そして、
唸り響く物音は、鍛冶屋の軒並みに飛び交い、
砥石に載せられた白銅は、みさごの鳴き声に似て音を立てる。
法螺貝の器の置かれた剣は、馬の鼻息のごとく、響きを発する。
人々は辺邑より来たりて集いて、売り買いに忙しげなり。
そして、今また、
その華やぎに、微笑みをたたえしごとき花々は売られおり、
酒亭にては杯が飛び交い、飲み干され、
草束を手にしている肉商人の横目で見るままに、
街の鳥たちは、包丁の輪でいっぱいの肉屋の内へと舞い降りる。
それから、
肩を触れ合わせ、商談の駆け引きにあれこれ口論をたたかわせる人々の群れ、
そは畑の黍の穂むらのごとくに揺れさざめくなり。
博奕でせしめた泡銭を手にした男たちは、いそいそと娼家へ足を運び行く、
花、菓子、肉やら酒などを携えた僕たちを伴って。
私も、この人混みで賑わって歩きづらい市場通りから抜け出ましょう。あの花の小路へ入り込んで、酒場の並びを右に見て進むこと
にしよう。プールナバドラの辻に入り、マカラ小路を抜けて、花柳の街に入りましょう。】
p184-5にも比較的長い描写があります。
【 さ、花街に来ましたぞ。なんてまあ、素敵なところでしょう!ここでは、主だった遊女たちの素晴らしい家々という飾り物が、地
面から天空にそびえ立つかのようです。
それらは、おのおの思いおもいに配置され、美しい外壁、ベランダ、壁、高楼、尖塔、張り出し、獅子耳(窓飾り?)、曲線の垂
木、別棟の窓庇、小塔、望楼、楼門、庇、露台などに満ちています。
それらは、広々とした間取りをもち、釣り合いよく設計されています。そして、見事に作られた美しい種々の形の何百という[彫刻
や絵画に]被われている。それらは、彫られ、一面に塗られ、吹き付けられ、風穴が通り、また突起があり、塗られ、描かれ、繊細で
あり、また雄大です。
壁、扉、窓、テラス、中庭、バルオニーを備えています。家の[樹園と中庭の]中間の場所は、一本または二本または三本の樹木で
飾られ、それらの家はまた特別の目的のために植えられた、樹や草や果実や花の群れで彩られています。
家々の澄んだ池の水は、白蓮の花でまだらになっている。水辺に作られた木組みの築山や、地下室や、東屋、そして画亭が趣を添え
るように並んでいます。また、高価な真珠、珊瑚、金鈴のついた網など、燦然と輝く装飾がつけられ、吉祥の旗や幟が空高くひるがえ
り、まことに華やいだ眺めと申せましょう。
今、ここらを見ると、
車の輻に背をもたせかけ、
目をつぶり座しおるアヴァンティの男たちに担がるべき駕篭車。
その長柄に登りしキターラ人、
さらにまた、カンボージャ馬や牝象の敷布は二つに畳まれて、
象使いも居眠りに耽る。
これみな殿御の青楼の内へと入り行きしことを告ぐるなり。 】
p233-4
【 花街の大通りは、最高に素晴らしいではありませんか!ここには、
跪坐せられたる牝象は、ゆっくりと、
背に人を乗せられて、いななきの声をたてる。
戸口に待てる被布牛車に女人が乗り込む。
ちゃらちゃらと足飾り、腰帯飾りを鳴らし、
耳飾りを揺らせる遊女を乗せ、
その豊かな腰の重みにたえかねるごとく、
かしこの馬は並み足で進み行く。
そしてまた、このあたりでは、
灯火の光は蔓草のようにくねりあって窓から映え出て、
孔雀の頸の黒地のごときぬばたまの闇が、いずこともなく忍び寄りて、
処々新しき白亜も鮮やかな舘の壁は、
タマーラと雌黄の泥で縁取りされたかのごとし。 】
p235には 「若者立ちは、馬を、象を、駕篭を、幌牛車を駆って」女性を連れて乗り回す、との描写がります。
その他、モザイクの床(189)、高楼(231)、「花街に面した切妻窓」(238)、p183にはマカラの旗柱(愛の神カー
マの紋章で、鮫のような怪魚をマカラといい、その紋章をつけた柱がカーマ神殿の前に立てられていた)が登場しています。