西ゴート王国歴史映画『アマーヤ』(1952年)

 1952年スペイン製作。ナバラ州のビアナ出身の作家、フランシス コ・ナバーロ・ヴィロスラーダ(1818-1895年)が1877年に書いた小説『ア マーヤ、或いは8世紀のバスク人』を原作とした映画。ビアナは、ナバラ州の西端に位置していて、言語的には、現 在は非バスク圏です(19世紀はバスク圏だったのかも知れない)。ヴィロスラーダはカルリスト(自 称カルロス五世の支持者とその末裔の伝統主義者)だったそうで、小説を執筆したころは伝統主義者党の秘書や代議員を努めてい たそうです。ナバラ州の西隣のバスク州はカルリストの中心地のひとつで、カルリスタ戦争が始まった場所でした。共和国時代に はナバラ県がバスク州への併合を拒否(1933年)し、フランコ反乱時には、バスク州北部のビスカヤ県とギプスコア県は共和 国側に、バスク州南部のアラバ県とナバラ州(=バスク県)はフランコ軍側に立ち、フランコ統治時代には、バスク県はバ スク民族主義党の拠点でした。ナバラ州のバスク民族主義者は弾圧された結果、カルリストに鞍替えするなど してフランコ側に立ったそうです。この映画が1952年に製作された背景には、推測ですが、フランコ政権の、伝統主義でありかつ反バスク 分離主義というバスク・ナバラ地方のカルリスタを取り込もうという思惑がありそうです。

 原作も映画も非常に高いイデオロギーをもった作品ということを一応踏まえておけば、登場人物や事件はともかく、全体的な背 景や統治のあり方などは概ね史実の話なので、この時代のイベリア半島を扱った映画も少ないことですし、「歴史映画」と入れま した。時代は8世紀、西ゴート王国末期を描いています。

〜あらすじ〜

 冒頭にデロップが出て、バスク地方に伝わる伝説が語られる。

 〜スペインの山岳地方に最初に生まれたバスク人は、東方の土地を割り当てられ、族長Aitorに治められていた。数世代が 経過し、Aitorは熱狂的な尊敬を受け、キリスト教が到来し、人々が改宗するまで迷信が支配した。Aitorは莫大な財宝 を持っていたが、それが憎しみや内輪もめのたねになることを恐れ、財宝を隠して男系の子孫には伝えなかった。秘密は女系の両 親から子供へと、Aitorが命じた遺訓を破ることなく伝えられた。族長権は、この財宝を最初に手にした子孫の女性ものとな り、その夫が、最初のバスクの王となって家臣のために財宝を用いるであろう〜

 作品は、前半と後半に分かれていて、前半は西ゴート王国末期のロデリック(ロドリーゴ)王時代(710-11年)と思われ る時代、ロデリック王がパンプ ローナ伯である叔父のラニミーロをバスク地方平定に派遣し、逆にバスク人軍に囚われてしまう話。後半は、ロデリック王の重臣 が、アマーヤの持つバスクの財宝 を手に入れようと、バスク地方の都パンプローナでクーデターを起こす、という話です。

 下画像左上が主役のアヤマ。その右が西ゴート王ロドリーゴの叔父パンプローナ伯ラニミーロ(パンプローナは現ナバラ州 都)。妻はAitorの子孫。その右 はインニゴ・ガルシアで、キリスト教化したバスク人のリーダーの一人。その右バスク人の族長ミゲール・デ・ゴーニ。



 下段左端は、ロドリーゴ王の重臣カンタブリア公エウドン。実は隠れユダヤ人。そ の右、エウドンの部下のムーニョ。その右バスク人の族長ミゲールの息子で異教徒のテオドシオ。右端は、本作唯一の実 在の人物と思われるペ ラーヨ(西ゴート王国の貴族で、西ゴート王国滅亡後にアストゥリアス王国を組織してレコンキス タを開始)。
 
 前半。西ゴート王ロドリーゴ王の叔父でありパンプローナ伯ラニミーロは、娘アマーヤ(母親がバスク人)とともに、国王ロド リーゴからバスク地方 平定に派遣されるが、バスク人のゲリラ民兵軍に敗北し、捕らえられてしまう。バスク人は、キリスト教徒と、異教徒に分かれて いて、キリスト教徒のリーダーは、インニゴ・ガルシア、異教徒のリーダーはテオドシオで、キリスト教徒である西ゴート王族の 処遇を巡り対立するが、族長達の会議で釈放が決まる。テオドシオの妻アマゴーヤはAltorの子孫であることを主張していた が、中年女性のペトロニーラが、アマーヤの顔を見て、彼女こそ正統な後継者だと主張し、証拠にアマーヤの腕輪を示すのだっ た。

 そこに、西ゴート貴族ペラーヨが軍を率いてやってくる。以下、一部筋がわからない部分があるので、推測部分を【 】で記載 し ます。

 【ペラーヨが何の目的でやってきたのか不明。前の方でロドリーゴ王は、ラニミールに手紙を送り、パンプローナで合流する よう書き送って来ていたので、ここでペラーヨが来たのは、ロドリーゴ王が来れなくなったということを意味していると思われ る。ペラーヨとラニミールの交渉の結果、ラニミールはパンプローナ伯としてバスク地方を統治する許可をもらい、ラニミールと アマーヤは、パンプローナの宮殿に移る。一方バスク地方は自治を承認される。】

 ロドリーゴ王の重臣でカンタブリア公のエウドン(実はユダヤ人)の父ヘルマノ・パコニオは、間諜としてバスクの村に潜入し ていて、今回の手打ちに不満なテオドシオをそそのかし、インニゴ・ガルシア暗殺を画策する。アマーヤとインニゴが結婚の誓い (?)に森の十字架に詣でた嵐の夜、様子を見に来たミゲール・デ・ゴーニにインニゴが雨よけにマントを差し出す。森の中でマ ントをみつけたテオドシオは、マントの人物を射殺するが、テオドシオが家に戻ってみると、父親の遺体が担ぎこまれるのだっ た。父を殺めてしまったことに愕然とするテオドシオ。

 【この後、バスク地方の司教とインニゴ・ガルシアが会話する場面で、インニゴは、”キリスト教の人々、キリスト教の土地、 キリスト教の皇帝”と叫ぶ場面があり、会話中に、戦いの終わった戦場で、インニゴ、司教、ペラーヨが会話する場面の回想が登 場する。回想の中で、”アストゥリアス、バスク、マルチャヤ”という言葉が登場しているので、ウマイヤ朝に西ゴート王国が攻 めめ滅ぼされた後、イベリア半島北部に追い詰められたキリスト教徒の抵抗場面を示しているものと思われるが、イスラムやアラ ブに関連する単語が登場していないようなので、映画の後半が、西ゴート王国が滅んだ後、旧西ゴート貴族が引き続きウマイヤ朝 の家臣としてイベリア半島の地方を支配している状況を表しているのか、西ゴート王国崩壊直後、イスラム勢力が半島北部に到達 する直前の時期を示しているのかは不明。イスラム教徒によるイベリア半島征服は4年ほどかかっており、地方都市の占領におい ては、殆どが条約(スルフ)を結んでイスラム支配下に入った。以下は、安達かおり著『イスラム・スペインとモ サラベ』p7に引用されたP.Chalmera,Invasión e islamización(Madrid,1994),pp.212ffのイベリア半島図。図中網掛け部分が協定によってイスラム支配下に入ったと考えら れる地域。西ゴート王国崩壊後、直ぐに全土にイスラムの直接支配が及んだわけではなく、協定を締結した部分は貢納と引き換え に自治が認められた間接支配であった様子が図面化されています。




 後半パンプローナの町のイスラム教徒が登場するが、これも、西ゴート王国時代に、商 人などとしてイスラム教徒が西ゴートの町で生活していた可能性もゼロではないかも知れないので、時期が特定し難い】

 後半は、ロドリーゴ王の重臣でカンタブリア公のエウドンが(実はユダヤ人であることを隠している)が、パンプローナでユダ ヤ人とムスリムを使った蜂起を企て、パンプローナ伯としてパンプローナを統治していたラニミーロとアマーヤの暮らす宮殿を襲 撃 し、アマーヤとキリスト教徒を牢獄に幽閉する。エウドンの父であるユダヤ人ヘルマノ・パコニオは、スパイ組織を使いアマーヤ周辺 の情報を集めていて、パンプローナの町にインニゴがやってきてアマーヤと密会していることを突き止め、インニゴも拉致し、ア マ ヤの前で拷問してアマーヤから財宝のありかを白状させようとする。

 エウドンの部下ムーニョはエウドンの意図が国王の意思ではなく、エウドン個人の野望だと知り、剣を抜いてエウドンと戦う が、刺殺されてしまう。

 一方、ペトロニーラ(前半でアマーヤがバスク王の正統な後継者だと指摘した人)が獄中のアマーヤから腕輪を委ねられ、バス ク地方の洞窟に鎖で監禁されているテオドシオ を訪ね力を貸してくれるよう依頼するが、洞窟に鎖がしっかりとつけられていて、どうにもならない。侍女とテオドシオは(そし て同じ頃パンプローナの洞窟でアマーヤも)、キリストの神に祈ると、洞窟に落雷が落ちてテオドシオの鎖が断ち切られる。解放 さ れたテオドシオは、バスク軍を率いてパンプローナを襲撃し、牢獄に囚われているキリスト教徒を解放するが、エウドンとの対決 中に刺され重傷を負う。続いてインニゴがエウドンと対決し、エウドンを城壁から突き落として勝利する。

 テオドシオは臨終の床でアマーヤに腕輪を返し腕輪についている蓋を外して刻まれている文言を読み、アマーヤにそれを読めと い い、絶命する。アマーヤは、伝説の族長Aitorがバスク人にキリスト教徒になるようにと説いている文言が刻まれていることを知 るのだった。
〜Fin〜

以下、取得した画面ショットの紹介です。

 以下左側は、ラニミーロの軍。西ゴート王国の兵士の装備です。盾にキリスト教の紋章が入っています。兵士たちに囲まれて守 られているのはアマーヤ。映画冒頭、バスク人ゲリラに襲撃された時の映像。右側は、バスクの村。ローマ時代の荘園の城館風の 建築物(多分族長の城館)の左手に、城砦が増築されている様子がわかります。これは西ゴート時代の景観として結構説得力があ る気がし ます。



 左は族長ミゲール・デ・ゴーニの家の回廊部分。馬蹄形アーチは西ゴート時代の遺 跡のものと同じ。これも説得力がありそう。右下はパンプローナの町の様子。道路は砂利で舗装されています。



 これはパンプローナの町の中心部。ローマ時代の建築物が中世的に変化しつつある ような印象を受ける映像です。結構時代考証はしっかりしているように見えます。



 下左は、アマーヤの暮らす宮殿。馬蹄形アーチがいかにもそれっぽい感じ。右側 は、場所は不明ですが、武官ムーニョが勤務している宮殿。中央柱の奥に城の塔が見えています。こちらはイスラーム時 代の建築様式で、この時代にはそぐわないように見えます。



 アマーヤの邸宅の内装。下左画像の左側奥に古典ギリシア・ローマ様式の彫像が見 えています。柱もローマ風。画像中央右手にある水鳥の彫像のある水盤の様子から、ローマのアトリウムであることがわ かります。つまり、この映画では、西ゴート時代末期まで、都市建築はローマ風である、という描きぶりとなっていま す。下右も同じ広間。左側の人物はアマーヤの父ラニミーロ。彼の右手奥に水鳥の彫像の水盆が見えていて、テーブルの 上には金属製の水差しやコップが置いてあります。



 これは、エウドンにそそのかされてパンプローナの町で蜂起するイスラーム教徒。左側はもしかしたらユダヤ人かも知 れませんが、どちらも時代錯誤な感じです。



 これは、バスク地方の森の中にある石造の十字架。物語り中盤でアマーヤとインニ ゴが結婚の誓い(?)をしたところ。ケルト十字架に見えますが、十字架が円の外側に出ていない形式は、少し調べた限 りでは見つけられませんでした。スペインには、ローマ時代のマイルストーンに馬蹄形をしたものがあるようで、丹下敏明『スペ イン建築史』(相模選書)p45によると、60以上発見されているようですが、写真は確認できませんで した。もしかしたら、ケルト十字架ではなく、ローマの馬蹄形マイルストーンから発展したものかも知れませんし、本作 品のまったくの創作かも知れません。



 下両側はラニミーロ伯。特徴的な衣装ですが、実際はどうだったのか、そのうち西 ゴート美術書などで確認してみたいと思います。中央は軍装のペラーヨで、右はラニミーロの軍装。彼らの兜の上の羽飾 り についても、そのうち史料を確認したいと思います。なんか違うような気がします。




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参考資料 EL FRANQUISMO EN EL CINE: AMAYA

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