アンティオキア

オリエントの麗しい冠



紹介

現在名アンタクヤには遺跡もある筈だが見に行くだけの時間がなく、オロンテス川とアンティオキアの地形がわかっただけで 大体満足。アンティオキアというと「地中海都市の興亡-アンティオキア1000年」という本に詳しい。 個人的には辻邦生 「背教者ユリアヌス」でユリアヌスが熱烈な(青臭い)演説を行い、しらけた感じで受け止めていたアンティオキア市民という場 面を思い出す。けっこうあこがれていた地だったのだが、オロンテス川がたんなるどぶ川と化していたのには、なんとなく予想は していたものの、ちょっと気が抜けた。
 しかしモザイク博物館は予想以上の充実ぶり。チュニジアのバルドー美術館でも圧倒されたが、もう慣れているのでそれほど感 動もしないだろうと思っていたら、またまた驚かされた。モザイクのくせにフレスコ画の様に写実的。というか遠目から見るとモ ザイクであるとは思えない。
 多分モザイクとは知らずに5M離れたところから見たら、直ぐにはモザイクだとわからないと思う。題材も多様でまるで図 鑑の様に海の生物の画が描かれたものなど、ローマ世界生活度の層の厚さに圧倒される。
 写真右はモザイク博物館前から東方向を撮影。背後の山はシルピウス山。橋はオロンテス川にかかっている。ここいらが現市街 の中心地。当時は市の西城壁。ここから山頂までをぐるりと城壁が市を取り巻いていたらしい。
 モザイク博物館では写真右下の様に床と壁ところせましとモザイクが置かれている(床のモザイクが有名なメガロプシュキア (霊魂の偉大)と題されているもの。。
 写真上は北側から見たアンティオキアへと続く平原(アンタクヤまで30KM)付近。
 写真右下はアンタクヤ北方10Kmイスケンデルン市付近から見た地中海。
 写真下はアンティオキアのあるアムック平原地帯。
しており、中でも526年5月29日の地震は最大級で25万人死んだとも。 これに加えて540年のペルシャ軍による破 壊は壊滅的で、復興されはしたが、最早昔日のアンティオキアではなかった。 637-8年アラブに占領され、  969-1084 一時ビザンツ領となり、1084-98セルジューク、1098十字軍、1268年マムルーク、1517年 最終的にオスマン朝に占領された。

 アレキサンドリアと並ぶ東方の中心都市であった為、平均すれば10年単位でおおよその情勢が把握できる程記録が残っ ている。
 特徴的なことはグノーシス運動の一つの拠点であり、
アウグストゥス時代最初のオリンピックが開催されてからクラウディウス時代から定期開催されたこと、5世紀後半から円形 闘技場の党派争いが、現地派とローマ・ギリシャの相克とキリスト教単性派、正統派の争いの場となっていったことなどであ る。これはアラブ占領期まで続いたら

  紀元300年頃アンティゴニアのアテネからの移住民のアンティオキアへ再移住やアルゴス、キプロス、シリア人、ユダ ヤ人等により成立。アンティオコス4世エピファネス時代(前175-163)新市街が建設され街の形態がほぼ完成した。
 ポンペイウス、カエサル、アウグストゥス、ペテロ、パウロ、マルクス・アウレリウス等が訪れ、ヴェスパシアヌス、ティトゥ ス、小プリニウス、トラヤヌス、ハドリアヌス、ルキウス・ヴェルス、セプティミウス・セウェルス等が赴任した。
 市は東部国境に近かったこともあり、ローマ時代以降何度も占領されている。(前83-69アルメニア王ティグラネス、前 40-39 パルティア王子パコルスの占領、253、60、540、606、607、611-28ペルシャ占領) 。
 また幾度も災害に見舞われている。
 主な地震だけで、 前148、130、紀元40年代、115、 458、 525、526、528、551、557、 577年、588年に発生
しい。 アンテシオキア出身で市で活躍した著名人に4世紀の文人リバニウスがいる。彼のアンティオキア市顕彰文 「アン ティオキコス第11講話」のお陰で当時の様子を良く知ることができる。 また歴史家のアンミアヌス・マルケリヌスもここの出 身で「オリエントの麗しい冠」とは彼の言。
 また、柱頭聖人 聖シメオン・スティリテス、シメオン2世の二人も市の近郊で活動した。

 芸術遺品としては、記述の神話・文学作品、狩猟、観光案内・食卓、概念の擬人化等のモザイクが残り、後期ローマ帝国 の生活状況に関する第1級の資料であるらしい。 他の芸術作品としては、「アンティオキアの高盃」、「エメサのヘルメッ ト」が有名。

 
 旅行情報

 バスターミナルから中心部までずっと繁華街が続いている1キロもない。シリアへゆく旅行客の拠点になっているらしく、 「シリアではトイレットペーパーが手にはいりずらいよ」と雑貨屋の前で売り子が旅行者に声をかけている。町のイメージは近代 都市。ヴァンはクルドっぽいというかアジアっぽいというかアラブというか、雑然とした雰囲気があったが、アンタクヤは結構普 通。モスバーガーみたいな店があったり。もっと中近東っぽい感じかと思っていたらやっぱりトルコだった(もちろん郊外は別だ ろうけど)。
 靴(リーガル)のかかとがとれてしまったので修理してもらう。バスが3時に出るから1時間で直して、といってサンダルはい て博物館へいって帰ってきたらちゃんと直ってた。
 ガズィアンテプから3時間。カイセリまで10時間。アダナから4時間。ウルファから6時間。アンカラまで 14時間。(ト ルコの地図はこちらを参照してください

旅行日 記