1981年・ブルガリア・米国共同制作。第一次ブルガリア王国初代国王アスパルフ汗の半生を描い
た大作。ブルガリア建国1300年記念作品。本作は、ブル
ガリア滞在時にその存在を知り、ずっと見たかったものです。2時間の短縮版は、当時見れるチャンスもあったのですが、ビデオの所
有者は再生機を持っておら
ず、、ビデオデッキをもっている知人のところにうかがって見ようとしたところ、別の知人が持ってきたテープはベータ方式だったの
で、見れなかったもので
す。当時のブルガリアではビデオデッキはあまり普及しておらず、ベータとVHSの違いさえ知らない方が多かったのですよね。でも
まあ、短縮版より、完全版
を見たかったので、特に失望はしなかったのでした。今回、完全版が見れて嬉しい限りです。今回の一連の「日本語情報が無い歴史映
画紹介」の中で、もっとも
紹介したかった作品の一つです。短縮版は、「681_AD:_The_Glory_of_Khan」という題名で、2009年の
GWに「汗の栄光」という
邦題で東京で上映されたようです。米国資本の入った作品なので、95分版は米国版と見てよさそうです。「汗の栄光」も70分地点
までネットに上がっていた
ので一応見てみました。音声英語・字幕ブルガリア語なので、米国版なのでしょう。短縮版は、最初の数分間が奇妙な映像に仕上がっ
ていました。タルコフス
キーの「惑星ソラリス」(161分)を日本の深夜テレビで放映した時に90分に短縮した版が、元の版とは異なった味わいが出てい
たのに似ている気がしまし た。 完全版は、三部作構成となっています。合計323分。 第一部 Фанагория ファナゴリア 92分 (英語版は26分に短縮) 第二部 преселението 移住 109分 (英語版は36分) 第三部 Земя завинаги 安住の地 122分 (英語版は33分) 第一部のファナゴリアとは、大ブルガリア時代の首都。現在の黒海の北、アゾフ海の南岸東の タマン半島の先端の北岸に位置する古代ギリシア以来の都市で、大ブルガリア(クブラット汗の在632-665年)時代の首都(下 記の地図は、Wikiの大ブルガリアの項目から持ってきました)。 ブルガール族は、それまで西はハンガリー平原を拠点とするアヴァール、東は西突厥という二大勢力に支配されていましたが、クブ ラット汗の時代、急速に独立 性を強め、南ロシア平原に巨大な国家を築きました。下記はその大ブルガリアの地図(濃いピンクの部分)。Wikiのブルガシア語 に掲載されている地図より も、ブルガリア人の認識がよく伝わる地図だと思いますので、「Атлас по история на България за 10 и 11 клас Ферма КАРТОГРАФИЯ СОФИЯ (ブルガリアの歴史アトラス。10-11学年(中学)用 地図帳出版社 1992年ソフィア発行)」のp4から持ってきました。多少、ブルガリア民族主義 視点で誇張されているかも知れない地図の方が、ブルガリア人にとってのこの映画の第一部を理解するには、より相応しいと思ったか らです。 (オレンジは西スラヴ、黄緑は東スラヴ、薄いピンクは南スラヴ諸族。ドイツ人がオーストリアに、マジャール人がハンガリーに進出 していないので、西スラブと南スラブがつながっていることがわかります) 今回は、第一部をご紹介いたします。ネットに上がっているのはブルガリア語版で、英語版のdvdやvhsは出ていないようです が、あまり込み入った話では 無い為、2点留意すれば、映像だけ見ていても十分楽しめます。一点目は、題名は「アスパルフ汗」ですが、実質的な主人公は、ベリ ザリエ(ベリサリウス)と いうギリシア人です。彼は、655年頃コンスタンティノープルからブルガリアに来て、ブルガリア人とともに過ごし、黒海沿岸から 現在のブルガリアの地への 苦しい移住をともにし、680年、ブルガリアのビザンツとの戦争への勝利とともに、(恐らく和約の条件として)、コンスタンティ ノープルへ戻った人物で す。コンスタンティノープル帰還後、ブルガリアの歴史書を記載しながら、彼が25年間に体験したことを回想する内容となっていま す。物語の語り手であり、 最初から最後まで登場する人物はベリサリエなのです。アスパルフ汗は、登場比率は一番高いものの、最初はあまり登場せず、第一部 の主役は父親のクブラット 汗と言えます。 留意点の二点目は、本作は、移住場面と戦闘場面に非常にコストをかけている為、これらの場面は非常にリアルで迫力があります が、 コンスタンティノープルは、実質ベリサエエの部屋しか登場せず、酷く安っぽい印象を与えます。田舎の粗末な宮殿であるファナゴリ アと混同しやすく、このあ たりは、ブルガリア語がわからないと、混乱してしまう可能性もあります。以上2点さえ留意すれば、本作は映像を見ているだけでも 十分楽しめると思います。 本作、できれば、英語版字幕のdvdができて欲しいところです。もし英語字幕版dvdが出れば、私はブルガリアが好きなので、1 万円以上出しても構いませ んが、一般的にも、5000円程度はつけても良いくらいの大作です。これほどの歴史大作が、恐らくはブルガリア人とブルガリア関 係者以外には殆ど知られて いないのは大変残念です。今回は、第一部のあらすじを、画面ショットを交えながら記載いたします。ご興味のある方は、 「More」をクリックしてくださ い。 完全版(323分)のIMDb映画情報はこちら 短縮版(95分)のIMDb映画情報はこちら。短縮版の英語題名「681 AD: The Glory of Khan」 中世ブルガリア歴史映画一覧表はこちら。 冒頭、馬群が走る。夕方。戦場の跡。これはラストの戦闘後の場面である。一面のビザンツ軍の死体。烏と犬が群がる。 皇帝と重臣の会議。コンスタンティノープルである。下記右側の赤いマントの人物皇帝コンスタンティノス4世(「インペラトー ル・コンスタンス」と呼ばれていた)。 宮廷に集まっている人々の中ベリサリエもいる。中年のベリサリエ。 壁にイコン画が書かれている。様々な人物が発言を求める。皇帝はティブラテに発言を許すが、彼が皇帝の気にそぐわないことを言う と、連れ去られてしまう。 その後は誰も発言しない。会議終了後、皇帝の部屋で皇帝と話すベリサリエ。ベリサリエが書いている史書のことで皇帝は色々言って いるようである。 下記は部屋を出るときに、皇帝に呼び止められ、振り返ったベリサリエの目に映った皇帝の部屋。 そ してベリザリエが部屋に戻ると、部屋は荒らされていた。奥さん(と思える)人物が入ってきて、ベリサリエに泣き付く。ベリサリエ が何かに思い当たり、柱の 後ろの隠し場所を確認すると、彼が書いてきた史書の原稿がなくなっていた。皇帝の部屋にいるうちに、皇帝の指示で役人が奪って いったものと思われる。その ベリサリエの部屋は、レンガがむき出しの粗末な部屋。壁に大きなモザイクのイコンがある。それに見入る2人。 そして回想がはじまる。舞台は25年前、ベリサリウスがファナゴニアに向かう船の上に移る。 海。ヴァイキングイ船。クブラット汗を訪問するビザンツ使節が乗っている。その中には若き日のベリサリエもいた。やがて貧相な港 と丘の上に城門のある町ら しきものが見えてくる。大ブルガリア国の都、ファナゴリアである。写真中央から左に走っている線が城壁。その中ほどに城門が見え ている。 下記がその城門。 城門の中には天幕があり、一般の人々は天幕に住んでいる。木造の建築物は殆ど無く、石造建築は城壁・城門・港と王宮・神殿くら いである。全て城壁に囲まれている。 クブラットの王宮。 こちらがクブラット汗。辮髪である。SFコミックヒーロー映画「フラッシュ・ゴードン」に登場したマクシミリアン・シェル演じ るミン大王に似ている。 辮髪がわかり易い別のショットを撮ってみた。ブルガール族が完全なアジア系であることが良くわかる(にも関わらずアスパルフは欧 州人の顔をしている。 ひょっとしたらアスパルフの母はスラブ系かギリシア人かも知れない)。クブラットは、一族からは通常は、「ハーン」ではなく、 「ユビギ」と呼ばれている (次回紹介予定の、クルム汗映画でも、クルム汗がユビキと呼ばれていた(古代ブルガル語で、キリスト教改宗前のブルガリア君主の 称号は、カナス・ユビキ (大汗)といい、ボリス以降ベリキ・クニャージ(大王)となったとのこと。カナスはギリシア語でΚΑΝΑΣ、キリル文字で КНЗЗЪといい、語源はカーン (汗)。ユビギはギリシア語でΑΡΧΟΗ ΥΒΗΓΗと表現されている史料があり、ギリシア語のアルコン(執政官)とのこと。カナス・ユビキは、ギリシア語でΚΑΝΑΣΥΒΗΓΥ、キリル文字で канасубигиと書いたとのこと(出典)。正しいかどうかは不明だが、Кан сюбигиと、カナスの「ス」をユビギの前につける書き方もネット上に見られる。コメント欄も参照)。 。 王宮でビザンツ使節一行は、多数の贈り物をクブラット(使節にはベリキ・ハーネと呼ばれていた(大ハーンの意味)に差し出す。と いうよりも、絹織物、金 貨、黄金の杯、箱に入った宝石を贈り物として床にぶちまける。急速に勢力を拡大しているクブラットのご機嫌を撮りたがっているよ うにも見えるが、クブラッ トは、皇帝は何を望んでいるのか?と使者に聞く。アヴァールか?と尋ねるが、使者は、アヴァールではない、今はハザールだと答え る使節。クブラットは、 ちょっと考えてから答える、と回答する。下記真ん中がクブラット。その左右に家臣が並ぶ。窓の無い、地下室のようなクブラットの 宮廷。 若き日のベリサリエ しかしその後の宴会は、全然盛り上がらない。通夜のようである。音楽もなし。王以外は床すわり。静かに黙々と飲食する面々。手前 の4人が使節。口に合わず 殆ど食べれないベリザリエ。粛々と、重臣達が、トラック、クベルと紹介。バヤン今は不在、などと自己紹介してゆく。施設は、ア ヴァールやスラブ人もなんと かして欲しいようだったが、クブラットの回答は「そのままにしておく」ばかり。大して成果があったように思えないまま、使節を乗 せた船は、ベリサリエを残 して去ってしまうのだった。 どういう経緯かわからなかったが、一人ブルガリア国に残ることになったベリサリエは城内を観て回る(短縮版では、使節長がベリサ リエの父親で、父親がビザ ンツ側の言質の遵守の人質として息子を残す、とクブラットに申し出ることになっている)。女性達も皆騎馬が巧みである。パルティ アンショットをこなす女性 達。 乗馬もできないベリサリエは、相手にされないのだった。良くある展開では、異邦人に、部族一番の美人が興味を持つ展開があったり するが、文人ベリサリエ は、女達にはからかいの対象くらいでしかなかったのだった。ベリサリエの目の前の木(弓のターゲット用に用意されたもの)に矢が ささって驚くベリザリエに 笑う女たち。騎馬高速で近づいて、木にくくりつけたかぼちゃを切って遊ぶ人々。そのうち女が落馬し、ベリサリエは思わず助けよう とするが、それを押し留め たのがアスパルフだった。これがベリザリエとアスパルフのはじめての出会いだった。 ベリサリエに天幕を与えられる。ここで暮らせと言われる。周囲を見回せば、刺繍を織る人。車のおもちゃで遊ぶ子供。ここで、一 瞬回想している今の(コンスタンティノープルに戻った中年のベリザリエがうつる)。 天幕を組み立てている場面が出てくるが、これを観ていると、非常に頑丈で、天井も分厚い布を何枚も重ねてかけていることがわか る。テントというより、木造の家に近い頑丈さのようである。 この時通りがかったアスパルフがベリサリエに声をかけきて天幕作りを手伝う。最初から仲良しになったわけではなく、このよう に、次第に仲が深まっていったようである。 その後、周囲を色々見聞するベリサリエ。城壁内の住民は、下記のような天幕に住んでいる。、アラブ人も多い。城内では、馬競技 をしている人々が多い。ア ラブの使節も着ているのに驚くベリサリエ。つまり、クブラットの「考えておく」とはこういうことであった。恐らくビザンツ、アラ ブ以外も多くの国々、民族 から情報を集めているのだろう。ここに、クブラット時代の急速な勢力拡大の要因の一つがありそうである。ちなみにクブラットは、 610年から632年まで コンスタンティノープルで人質として過ごしている為、ビザンツの外交術には熟知していたと推測される。これも、ブルガール族の急 速な拡大に寄与した筈であ り、そんな風に宮廷に預かって教育までしたビザンツ側としては、ブルガリア国にはビザンツ側について欲しいと考えるもの当然とい える。 下記は城壁外の住民達の住居。 ベリザリエは騎馬の練習にチャレンジするが、誰も教えてくれないので全然上達しない(良くある映画では、ここでも部族一番の美女 が助けてくれることになっ ているが、とことんブルガリア人女性に相手にされないのであった。そして結局アスパルフが助けてくれるのである。だんだん遊牧生 活に慣れてゆくベリサリ エ。乳搾り。飲めないベリザリエ。ふたこぶらくだにも乗ってみるベリザリエ。アスパルフが、その辺の子供に、友人だと紹介し、子 供のらくだに乗ってみるベ リアリエ。 ところで、アスパルフの彼女はハガネという巫女である。正直あまり美人ではない。ブルガール族は性生活もおおらかで、天幕の中 ではじめてしまったアスパルフとハガネを見て帰るベリサリエに、どうして返るんだ?と聞くアスパルフ。 アスパルフはそんな彼の天幕を度々訪ね、最初は書き物ばかりしているベリサリエを見ても、書物にあまり関心を示さなかったが(下 記ベリサリエの筆記用 具)、やがて文字に興味を持ち、ベリサリエに教わるようになる。ベリサリエは、蠟版にアルファベッチを書いているが、アスパルフ は砂を皿につめたものを開 発してきて、それに文字を書く。 興味深かったのが、ブルガール族にも、象形文字のような記号があり、その利点をアスパルフがベリサリエに説明するくだりが出てく る場面である。表音文字し か知らないベリサリエに対し、象形文字の便利さを説くアスパルフ。ドゥロ族の紋章、テングリ、太陽、水、土(地球)、など様々な 象形文字を書いてみせるア スパルフ。下記はアスパルフが書いた、ブルガール族の崇拝する神、「タングラ」を意味する記号。アスパルフは何にでも興味を示す わけではないが、ベリサリ エ十字をきると、それは何だ?と尋ねる場面が出てくる。何にでも興味を持つというタイプではないが、重要なことには注意を払うア スパルフの性格が見て取れ る。一方で、アスパルフはギリシア文字もちゃんと学んでいた。 夜。神殿の場面。丘の下では群集が見守る。神殿はクブラットの宮殿のある丘の右側の丘、北の丘の上にある。神殿の前には聖なる火 がともされている。ゾロア スター教徒のようであるが、彼らの信仰は古代トルコ・モンゴル族のテングリ崇拝である。その聖なる日から次々と火を松明にわけ、 その松明から別の松明へ と、やがて松明は民衆全部に分けられる。皆に囲まれ、シャーマンのような、トランス状態になる娘。これはアスパルフの恋人ハガネ である。「ダングラよ、 語っておくれ!」と祈りを続け、やがて気絶してしまう。結果を診断するクブラット(短縮版では、「北から攻めてくる」と予言す る。その後、クブラットの元 にハザールが北から攻め手きたとの報告が入り、出撃となる)。 続いて武装してでてゆく騎馬隊が映る。ハザールとの戦争らしい。この経過 から見ると、前場面の儀式では、戦争について占っていたのではないかと推測される。担架で運ばれる負傷者多数。重臣バヤン(クブ ラットの長男)が矢で射ら れて戻ってくる。呪術師の女(ハガネ)が矢尻を抜く。火であぶったナイフで傷口を焼いて治療する。戦死者には、矢を折って墓にい れる。この矢を折る、とい う動作は、重要な意味を持っているようで、開戦などの意思決定の時にも利用される。後の時代を扱った映画、ブルガリア第二王国時 代の映画でも登場している ので、相当根深いブルガリアの象徴行為のようである。どうしてタングラは聞き入れてくれないんだと泣きが入るクブラット。 665年の 冬。ベリサリオが来てからもう10年が経った。冬、クブラットも晩年になり、体調が悪化していて、寝台から起き上がることも億劫 になってきていた。そこ で、今後のことを占う儀式を行うことにした。儀式は、野外の丘の上の神殿で行われるが、民衆は皆、丘の下に集まるのである。最初 に、クブラットの宮殿下 で、篝火の前で弓を撃って踊る儀式が行われ、その後、山の上の神殿へ移る。クブラットは輿に担がれて移動している。もう一人で歩 くことはできない感じであ る。下記はその丘の上の神殿。 その後、ハーンは担架で丘の上の神殿へ運ばれる。儀式が開始され、最初に犬が殺され、タングラに犠牲として捧げられる。司祭が生 贄の内蔵を見て占うが、ク ブラットは動物占いに満足せず、「死ぬときがきた」「わたしは死ぬ」と告げ、呪術師ハガネを呼ぶ。そして、タングラに聞いてみて くれ。と頼まれるハガネ。 「北と西と南の三つの方角にブルガリアは新し土地を探さなければならない、と答えるパガネ。ハガネの占い結果を聞いて、クブラッ トは、「新しい土地を探さ ねばならない。肥えた土地を探してに移動しなくてはならない」と言う。そして家臣の質問さえ打ち切り、「決定だ」と下す。続いて 宮殿の中。儀式の結果を受 け、クブラットは4人の息子に次のような指示を出す。 1.バヤネ・ハン(長男)は最後までファナゴリアに残ること。 2.(次の二人の息子を同時に呼び寄せ)、各々の種族を連れて、大ブルガリアからどこか遠くに別の場所を探すこと(この内容から すると、次男以降の3人が、三つの方向に向かったことになる)。 3.アスパルフ・ハンは国民を守ること。「アスパルフ汗」を名乗り、(クブラットの)弟、カク・ハーン・ベトコを連れて行くこ と。 アスパルフは、パガネを妻としたいんですけど、と申し出る(しかしどうなったかは聞き取れませんでした。英語版も確認してみまし たが、英語版のブルガリア 語字幕を直訳すると、「おまえは既にハーンなのだ。世界だけしか決めることはできない、Aвитохолは決して支援しない。弟 は賢い、などと続いて意味 がわかない箇所でした。英語音声は、「済まない、宰相が決めなくてなならない、彼は賢い男だ」となっているので、宰相の名前が Aвитохолで、彼もク ブラットの弟で、彼は許可しないだろう、と言っているのだと思われます。この次に、隣に立っている男に、「彼は良いハーンになる だろう、 Aвитохол、だがまだ若い、と呼びかけていたので、クブラットの隣の男が弟のAвитохолなのだと思われます)。 数日後、晴れた日、クブラット汗死す。荼毘にふされた(下記真ん中の台が荼毘の台) クブラットの塚の土を少し箱につめるアスパルフ。その後彼の部隊は旅立つのだった。 〜第一部完〜 |