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 ビザンツ史学史関連PDF

 
ビザンツ世界については今まで遺跡旅行をしたり、日常生活文物を調べたりしてきたものの、学術書はあまり読ん だことがなかったのですが、『アレクシアス』『コンスタンティノープル使節記』『生まれくる文明と対峙すること』が 続けて出版されたことがきっかけで、現段階の学術界についても若干興味が出ましたので、まずはおおまかな研究史を調 べてみました。

20世紀中盤までのヨーロッパにおけるビザンツ史学史

 オストロゴルスキー『ビザンツ帝国史』(1963年第三版)p9-38にあります。17世紀から20世紀中 盤までのヨーロッパにおける史学史。本書の全八章の各章冒頭に史料解題があり、ビザンツ研究の基本史料を知るのにも 役立ちます。本書の研究史と史料解題はコピーを持っていて、これまでも再々参照してはいたのですが、今回再読したと ころ、読んでいるうちに、分厚い『アレクシアス』を完読できたことで、今なら本書も読めそうな感触があるのに気が付 いたので、図書館に通って通読しようと思います。GW中での読了を目標としています。

オストロゴルスキーの研究史と一部重複しますが、近世の史学史については以下にも含まれています。
「ビザンティン研究発達史 : ルネッサンスから啓蒙まで」尚樹, 啓太郎, 1962.03.30. -- (東海大学紀要. 文学部. 第3輯, 1961)PDF

オストロゴルスキー自身の研究史については、渡辺金一氏の以下の論説に記載があります。
「なぜまたビザンツなのか--ゲオルグ・オストロゴルスキー著、 和田廣訳『ビザンツ帝国史』恒文社、2001、の刊行によせて」『一橋論叢』 127(3), 2002-03  日本評論社PDF)

 オストロゴルスキーの「一ビザンツニストのはじまり」(1962年)という、博士論文のテーマをビザンツ に決めて研究に着手したハイデルベルク大学時代以降の自伝的エッセイの要約と、その後の活動が紹介されてい ます。

日本における20世紀ビザンツ研究史

@業績史

日本の歴史学界に、最初に本格的な近代歴史学のビザンツ学の紹介をしたのは第二次大戦中の増田四郎で、オストロ ゴルスキー 『ビザンツ帝国史』初版(1940年)の刊行を受け、翌年1941年に社会経済史学1942 年 12 巻 5 号 に「オストロゴルスキー 『ビザンツ史の諸期』」という紹介論説を書いているそうです(PDF)。 一橋にビザンツ史の種をまいたのは増田氏だったのですね、、、、1948年には亀井孝高の『東ローマ帝国史』が 刊行されているそうですが、この書籍とオストロゴルスキー著作との関係は不明だそうです(上記「なぜまたビザンツなのか」p14の注2。同注にてオストロゴル スキーの『ビザンツ帝国史』が日本に入ったのは、一般に第二版(1952年)とされているとのことです)。

和田廣『BYZANTINE STUDIES』(2001年)PDF 

 6頁しかないので非常に簡単です。過去の日本での業績録や論文誌、論文、発掘活動等の簡介。西欧中心主義とは距離 を置いての西欧業績の紹介(1950年代後半〜)や封建論争の研究(渡辺、米田)から始まり、分野も拡張(辻、井 上、相野、杉村等)し、80年代に飛躍(井上、小田、中谷、相野等)、遺跡発掘領域にも進出(80年代東海大のトラ キア、90年代共同調査団のゲミレル島の発掘調査)、90年代により広い各分野に進出(発音論争(尚樹)、足立、 橘、竹部、根津、都甲、小林、大月、倉橋、和田)したものの断片的となってしまったことと、今後は日本学者の業績の 国際的アピールが課題である、とされています。

 これを書いている和田氏自身と尚樹氏の業績がよくわからいのですが、Reseachmap(こ ちら)によると和田氏はケルン大学哲学科の出で、主にヨーロッパの学術誌に論文を発表されている方だっ たのですね、、、、1981年の啓蒙書『ビザンツ帝国』が入門書のわりには神学や文学に詳しすぎる理由がわかりまし た。封建主義や文明論のような方法論争にあまり関わることなく実証研究を行い、退官後に史料翻訳に務めるという、実 証主義歴史学の王道みたいな印象を受けました。これに対して尚樹啓太郎氏の場合、著作目録さえネットで公開されてい ないのが残念です。ビザンツ史に関する膨大な文献を収集し、東海大学を一橋大学と匹敵するビザンツ資料拠点とした点 以外の業績がわかりにくいのが残念です。

A学説史
 「啓蒙主義的ビザンツ観の行方―近代ビザンツ研究の歩みについてのメモワール―橋川 裕之(京都大学大学院博士後期課程)PDF  p144-171(2002年) 

 学説史の概要です。たんなる研究史/業績史ではなく、西洋中心主義や唯物史観、民族主義等、ビザンツ史を規定して きた背後の思想論争についての論争史となっている点で非常に有用です。和田廣『BYZANTINE STUDIES』に例えば一文で「封建論争があった」と書かれている内容について、かなり具体的な内容が書かれています。論争史の詳細は次々回記載する予 定です。

B日本の学界活動史

3-1 「日本ビザンツ学会」設立に寄せて」『オリエント』46-1号(2003年)和田廣(PDF)

 前半に19世紀末からの欧州の研究史の簡介、中盤は1978年のベック来日をきっかけとした「ビザンツ研 究者の集い」の活動簡介、終盤が「日本ビザンツ学会」発足の経緯、となっています。

3-2「21世紀を迎えた日本のビザンツ研究」『オリエント』42-2号(2001年)中谷功治 (PDF)

 日本における研究会「ビザンツ研究者の集い」の歴史(1984-)、「リキア地方ビザンティン遺跡調査 団」1990- 、日本におけるビザンツ本出版史の簡介など

C尚樹啓太郎氏の研究

日本の第一世代の研究者のうち、業績一覧がネットで参照でき、ビザンツ著書も多数出している渡辺氏和田氏と異な り、尚樹氏の業績がわかりやすい文献は直ぐに見つかるところにはなさそうです(和田氏を第一世代と見るかどうか は異論がありそうですが、著作履歴を見る限り、活動開始順番は渡辺→和田→尚樹氏という感じです)。
ビザンツ学における尚樹氏の専門書は詳細通史『ビザンツ帝国史』(『政治制度』は本書の抜粋版との認識で す)しかなく、尚樹氏の業績一覧がネットにないため、尚樹氏にとってのビザンツ学での研究対象やスタンスがわか らず、私の場合、NDL検索等からわかる論文名やネットで公開されている論文や書評から推測するしかないのです が、公開されているものも周辺研究的なものばかりであまり役に立ちませんでした。とりあえず以下の三点を読んで みました。
「ビザンス世界の形成」『オリエント』 10(1-2)1967年(PDF)(誤 植ではなく、フランス発音のビザンスとなっている)

 本論ではビザンツ世界の形成をヘラクレイオス朝とイサウリア朝に置いていて、ユスティニアヌス朝までは過渡期 とし、その後研究界の「古代末期」の定義とほぼ同じ見解をとっている。

米田治泰『ビザンツ帝国』書評(PDF)  社会経済史学 43(5) 1978  
 渡辺氏の書評と異なり、著者の立ち位置はあまりわからない。た だ用語にこだわる方だということはこの論評でもわかります。

「ビザンティン研究発達史 : ルネッサンスから啓蒙まで」(東海大学紀要. 文学部. 第3輯, 1961)PDF

 中期ビザンツ以降を独自のビザンツ世界と見る立場&西洋中心主義の相対化、という視点を感じます。
全体的な印象ですが、切り込んでく対象を決めた研究を行った渡辺氏(社会経済史→国制史)や和田氏(6世 紀研究)と異なり、ビザンツ史の全時代とビザンツ学全体のインフラ的なものに関心を持っている人のように思えま すが、キャリアの中ほどにある1968年の著書が西欧教会堂の成立研究のようなので、もともとフランス中心の初 期中世を研究していて途中でビザンツ学に移行したのかもしれません。移行の背景にビザンツ学への立ち位置が見つ かるのかもしれません。参入が遅かったわりには、東海大学図書館のビザンツ資料コレクションは一橋大学図書館に 匹敵するものらしいので、「ビザンツ学」というもの全体への関心が尚樹氏の立ち位置であり、学究テーマだったの ではないか、という気がしなくもありません(今のところ)。

日本における初期のビザンツ研究者は、尚樹啓太郎氏はフランス系ビザンツ学(仏語翻訳が多く、1966年にフラ ンスへ短期留学している、恐らくビザンツ学に深入りする前)、渡辺氏は当初ソ連系(封建論争にどっぷりつか る)、その後ドイツのベック、和田廣氏はドイツ系(ケルン大学に留学)実証主義研究という感じで棲み分けていた のかも、という感触があります。


E日本のビザンツ本出版史

「21世紀を迎えた日本のビザンツ研究」『オリエント』42-2号(2001年)中谷功治 (PDF)に よると、1980年代に一つのビザンツ紹介本出版ラッシュがあり、これが21世紀冒頭における若手研究 者輩出に作用した可能性を指摘しています。以下の書籍が挙げられています(p165)。

渡辺金一『中世ローマ帝国』岩波新書,1980年
杉村貞臣『ヘラクレイオス王朝の研究』山川出版社,1981年
和田廣『ビザンッ帝国』教育社歴史新書,1981年
井上浩一『ビザンツ帝国』岩波世界史叢書,1982年
橋口倫介『中世のコンスタンティノープル』三省堂,1982年(後講談社学術文庫)
F・ティンネフェルト『初期ビザンツ社会』弓削達訳,岩波書店,1984年
渡辺金一『コンスタンティノープル千年』岩波新書,1985年

私も和田廣『ビザンッ帝国』橋口倫介『中世のコンスタンティノープル』を出版直後に読み、渡辺金 一『中世ローマ帝国』『コンスタンティノープル千年』を大学時代に読んでいるのでこの世代に該当するわ けですが、当時その先に行こうとすると、日本語で読める専門書は

渡辺金一『ビザンツ社会経済史研究』(1968年)岩波書店、杉村貞臣『ヘラクレイオス王朝の研 究』山川出版社、米田治泰『ビザンツ帝国』(1977年)『ビザンツの都市と農村』創文社(1968 年)

くらいしかなく、理論先行の空中戦の部分の大きい封建制論争とか資本主義論争を敬遠していたため 『ビザンツの都市と農村』と米田本は×、『ビザンツ社会経済史研究』は内容以前に難しすぎて手が出なく て×(卒論を書くのでもない限り学部生が読む本じゃないわけですが)、『ヘラクレイオス王朝の研究』は 価格が高いため(4000円。学生にとっては高い)杉村氏の雑誌掲載論文を読んで満足することにして、 結局学生時代ビザンツの専門書は読まずに終わりました。井上浩一『ビザンツ帝国』は存在を知らず、読ん だのはビザンツ遺跡三昧のブルガリア駐在から帰国してサイト『古代世界の午後』を立ち上げるため多くの ビザンツ本を読んだ2000年頃になってから、『ビザンツの都市と農村』も同じく2000年頃のことで す。

※『中世ローマ帝国』は、2016年に読み、その時アマゾンレビューを書いているのですが、その 後学生時代の読書リストを見たところ、学生時代に読んでいたことが判明しました。ずっと積読だったと誤 解していましたが、学生時代当時は遺跡に興味がなかったため(大学の考古学概論が日本の土器の分類と古 墳とか稲の種とかの話ばかりだったことなどが原因)、この本の有用さが認識できず記憶に残らなかったの だと思われます。これと比べると『コンスタンティノープル千年』の方はよく消化されていて、ぱらぱらと 見返してみても、今でもほとんどの内容を覚えている程印象に残っており、名著だと思います。一方、『中 世のコンスタンティノープル』は読書リストになく、読んだ記憶もなかったので最近取り寄せて読んだとこ ろ、多くの部分で読んだ記憶がありましたので、完読していなかったため読書リストに載せていなかったの だと思われます。今回、高校時代初めて読んだビザンツ本である和田廣『ビザンツ帝国』も取り寄せて内容 を確認してみたところ『秘史』は登場しておらず、一方「緋衣は最高の死に装束である」との文言は登場し ていました。恐らく和田本でテオドラについて知り、テオドラについてのまとまった記載のある『中世のコ ンスタンティノープル』に進んだ、ということのようです。ちなみに『中世のコンスタンティノープル』に は料理の記載も比較的まとまった分量で扱われていることを見つけたわけですが(ただし史料出典はな し)、この部分を読んだ記憶がまったくないことから、当時はまだ料理の歴史にはあまり興味がなかったの ではないかと思われます(メガネとか水道やトイレとかガラス窓とかの歴史には子供の頃から興味があった のですが、、、、)

※※『初期ビザンツ社会』が論説のリストに上がっていますが、これは後期ローマ帝国の本です。学 生時代7200円と高額だったので図書館で一部を参照しただけですが、この本は「何度も発布される法律 は、それが守られていなかったからで、法律そのものよりも、守られていない方が社会の実態である」とい う方針でローマ史に、法制史からの社会史的転換をもたらした傾向を明白に指摘している書籍のひとつで す。個人的には、弓削氏にはこっちより、ジョーンズの『後期ローマ帝国』の方を訳して欲しかった(と、 5年程前母校の図書館で『後期ローマ帝国』の実物をはじめて見た時に思いました)。

私が80年代のビザンツ入門書出版ブームに影響を受けた世代だということがわかりましたが、ビザ ンツに関心を持った最初のきっかけのひとつは、アシモフの『銀河帝国の興亡』でベリサリオスとユスティ ニアヌスをモデルとしたベルリオーズ将軍とクレオン帝の話を読んだことが一因です(他にも要因はありま すが略)。和田廣『ビザンッ帝国』を読んだ理由も、恐らく当時の興味の対象がユスティニアヌス朝であ り、この本は他の本(渡辺本『中世ローマ帝国』)と比べてユスティニアヌスの扱いが多いから購入したの だと思われます。ちょうど出版された直後くらいであり、この点タイムリーでした。この本は、『ビザンツ 帝国』という題名ながら後期はまったく登場せず、マケドニア朝の途中で終わっているという、ちょっと珍 しい本です。ビュザンティオン時代のセウェルス帝の破壊と復興から始まりユスティニアヌス朝の終わりの ところで前半が終り、ヘラクレイオスの終わりで2/3、というくらいのペースで進み、最後はマケドニア 朝が尻切れトンボで終わっているという、初心者からしても驚きの構成でした。今見返してみると、ヨハネ ス・クリマコスという聖者とかロマノス・メロドスという作曲家とか、ローマ法大全の前身のヘルモデニア ヌス法典やグレゴリアヌス法典への言及があったり、駅逓局長と主計局長がそれぞれ半頁ずつ解説があった りと、ヘラクレイオス朝時代までは新書とは思えないくらい詳細です。古い新書であるのにも関わらず古本 の価格があまり下落しないのは、初期ビザンツ帝国の解説書としては専門書に近い内容だからかもしれませ ん。

最盛期に向かって突き進むような書き方をしているマケドニア朝が途中で終わるという展開にフラス トレーションがたまってその後のビザンツ史にも興味が出てしまい、講談社世界の歴史シリーズ19巻『ビ ザンツと東欧世界』(この本の後半はオスマン通史も含んでいる)でビザンツの全通史へ進むことになり、 この本は東欧やオスマン帝国も扱っていることからこれらにも興味を持つようになってしまう、ということ になりました。もし和田本が普通のビザンツ通史だったら、そこで満足してしまってその先に進むことはな かったかもしれません。逆に和田本が初期ビザンツ(後期ローマ帝国)だけで終わっていたら、当初の目的 がユスティニアヌス朝だったため、その先を読もうと思わなかったかも知れないし、和田本が初期ビザンツ を割と深く扱っていたため、同じ深度でビザンツの他の時代についても知りたい、ということになったので はないか、という気がします(和田本は、p130でヘラクレイオス朝が終わるわけですから、このペース で全時代の通史を書くと、新書で500頁くらい必要となる筈です。つまり、後年和田氏が訳すことになる オストロゴルスキー本の本文の量とたいして変わらなくなってきてしまうわけで、もしかしたらそのあたり がオストロゴルスキーの翻訳をした動機の一つなのかもしれません)。

「21世紀を迎えた日本のビザンツ研究」(p170)では、2000年前後にもビザンツ本出版が 活況を呈しているとして以下の書籍が挙げられ、「大学などにおいてビザンツ研究を志す者は,邦語文献に おいて必要最小限の情報を入手できる段階に達したといえる」と記載しています。

尚樹啓太郎『ビザンツ帝国史』(東海大学出版会,1999年)
G・オストロゴルスキー『ビザンツ帝国史』(和田廣訳,恒文社,2001年)
小学館「世界美術大全集」第6巻『ビザンティン美術』(高橋榮一編),1997年
ラウデン著『初期キリスト教・ビザンティン美術』益田朋幸訳、岩波書店,2000年

論説に記載はありませんが、90年代には以下の書籍が出版されており、私がビザンツ日本語文献の 情報収集に励んでいた1999-2001年頃は、かなり日本語書籍が充実してきていました。

井上浩一講談社現代新書『生き残った帝国ビザンティン』、1990年
ミシェル・カプラン『黄金のビザンティン帝国』、創元社、1993年
ロバート・ブラウニング 『ビザンツ帝国とブルガリア』東海大学出版会1995年 
田朋幸文・赤松章写真『ビザンティン美術への旅』(平凡社,1995年),
益田朋幸『地中海紀行―ビザンティンでいこう』(東京書籍,1996年),
井上浩一『ビザンツ皇妃列伝』筑摩書房、1996年
『ビザンツとスラブ』世界の歴史11,中央公論社,1997年
根津由喜夫『ビザンツ幻影の世界帝国』(講談社選書メチエ,1999年)
シリル・マンゴー『ビザンティン建築』(飯田喜四郎訳,本の友社,1999年)

その後に出版された書籍も挙げてみると以下の通りです。

『ビザンツ帝国史』ポール・ルメルル、2003年,白水社
『世界歴史の旅 ビザンティン』、益田 朋幸、山川出版社、2004年
『皇帝ユスティニアヌス』ピエール・マラヴァル、大月康弘訳、白水社、2005年
『帝国と慈善ビザンツ』 大月康弘 、創文社 2005年
『史料が語るビザンツ世界 和田廣 山川出版社 2006年
『夢想の中のビザンティウム』、根津由喜夫、昭和堂、2009年
『ビザンツ文明』ベルナール・フリューザン、大月康弘訳、2009年
『ビザンツ 文明の継承と変容』井上浩一、2009年
『ビザンツ-驚くべき中世帝国』ジュディス・ヘリン、白水社 2010年
『ビザンティンの聖堂美術』 益田 朋幸 中央公論新社 2011年
『図説-ビザンツ帝国-刻印された千年の記憶』 根津 由喜夫 河出書房新社 2011年
『ビザンツ貴族と皇帝政権』 根津由喜夫 世界思想社 2012年
『ビザンツ帝国の最期』ジョナサン・ハリス、白水社、2013年
『ビザンツ世界論』H.G.ベック 知泉書館 2014年
『秘史』和田廣訳、京都大学学術出版会、2015年
『テマ反乱とビザンツ帝国―コンスタンティノープル政府と地方軍団― 』中谷功治、 関西学院大学研究叢書 2016年
『ビザンツ帝国-生存戦略の一千年』、ジョナサン・ハリス、白水社 2018年
『アレクシアス』相野洋三訳、2019年、悠書館
『コンスタンティノープル使節記』大月康弘訳、知泉書館、2019年
『生まれくる文明と対峙するとき』 小林功 ミネルヴァ書房 2020年
『聖デメトリオスは我らとともにあり 中世バルカンにおける「聖性」をめぐる戦い』根津 由喜夫、山川出版社、2020年
『ビザンツ帝国』中谷功治、2020年
『歴史学の慰め』井上浩一、2020年

改めて見てみると、結構コンスタントに出版されるようになっていることがわかりました。80年代と は隔世の感があります。同じく80年代では本が少ないというよりほぼなかった後期ローマ帝国時代本 が、80年代より少しはましになったにしても、ビザンツ本の盛況ぶりと比べると未だに閑散と思える くらいビザンツ本は充実してきています(後漢の本なんか『後漢書』全訳が出た以外(手が出る価格で はないので入手できていません。それでも日本語訳が出てくれただけでも嬉しいです)は(三国志とか ぶる部分を除けば)ほとんどまったくですし)。
・・・・・なんだか書いていて、ビザンツ本の販促に力を入れなくてもいいような気がしてきま した。後漢とパルティア/ササン朝の低調ぶりに比べれば、ぜんぜんマシではありますね。。。。

とはいえ、ここまできても、日本語の学術書があるのはヘラクレイオス朝、イサウリア朝とコムネノス 朝だけで、あってもよさそうなユスティニアヌス朝とマケドニア朝はなく、5世紀やパレオロゴス朝 (滅亡時の概説書はあるが)は全然なくて、この二つの時代にもっとも詳しいのは二冊の概説通史であ る高額過ぎ大著『ビザンツ帝国史』であるにも関わらず絶版という、、、、

ところで、論説の最期に2001年当時の状況として、研究者が育ってきたのは嬉しいが、少々 増えすぎてきていてポスト数が対応しきれない、との懸念が記載されていました。もしかして二冊の詳 細概説『ビザンツ帝国史』が絶版or高額となっている理由の一端は、安易な研究者候補者を増やさな いように、という部分もあるような気がしてしまいました(尚樹本は、出典註をつけて1600頁くら いにして上下二巻各巻1万円くらいで出してくれれば買います。尚樹本は出典註がなく、オストロゴル スキー本はやはり古いという(しかも英語版は10ドル以下)、どちらも不足点があるため大枚をはた く気にはならないのです)。

F主要学者リスト

※以下のリストは主に最近読んだ本で言及されていて、活躍年代を整理するためメモとして作成したもので す。一部古代末期の学者が含まれていますし、必須の学者にも多数漏れがあります。活躍年代に興味を持っ た方が出る都度追加してゆきたいと思います。研究者の活躍年代を知ることは、どの段階の業績なのかを端 的に把握するために有用です。

デュ・カンジュ(1610-1688年)仏、ビザンツ学の祖
ヴァシリエフスキー(1838-1899年)露
ウスペンスキー(1845-1928年)露
ヴァ シリエフ(1867-1953 年)露、
ゼー ク(1850-1921年)リガ出身/ベルリン大 Notitia研究
クルムバッハー(1854-1909年)独
ディール(1859-1944年)仏、
バリー(1861-1927年)英
ル イ・ブレイユ(1868-1951年)仏
フ ランツ・デルガー(1891-1968年)独、行政史、文書目録、
オストロゴルスキー(1903-1976年)露/ユーゴ
ラ ンシマン(1902-2000年)英、十字軍
Paul Lemerle(1903-1989 年)仏
ゲ オルグ・ベック(1909-1999)独、神学、国家イデオロギー、国制史
ロ バート・ブラウニング(1914-1997年)英、(『ビザンツ帝国とブルガリア』書 評PDF)
カ ジュダン(1922-97年)露/米
Donald MacGillivray Nicol (1923–2003年) 英
Cyril Mango(1928- )イスタンブル出身/KCL 建築史、『テオファネス年代記』等 の英訳
ピー ター・ブラウン(1935- )米、変容論
バ ウアーソック(1935- )米、変容論
エ イヴリル・キャメロン(1940-  )英/Ox パラスタセイスの訳者、変容論
Angeliki Laiou(ライウ)(1941-2008年)ギリシア−米、後期ビザンツ
ジュ ディス・ヘリン(1942- )英/CB パラスタセイスの訳者
Bryan Ward-Perkins(    )英、
リー リエ(1947-   )独
Waren Treadgold(1949- )米
Jonathan Harris(    )英、後期ビザンツ
ベルナール・フリューザン/Flusin, Bernard(1949- )仏
Christopher Kelly(1964- )オーストラリア/CB 『ローマ帝国 (〈1冊でわかる〉シリーズ) 』(2010年)
John Haldon(    )米


渡辺金一(1924-2011年)一橋(ミュンヘン留学) -栗生沢猛夫(1944- )一橋、大 月康弘(1962-)一橋
尚樹啓太郎(1927-2010年)東大(1966年パリ留 学) -金原保夫(  )東海大
杉村貞臣(1935- )関西学院大、60-3ベオグラード 大留学(オストロゴルスキー門下?)
米田治泰(1938-74年)京都大
和田廣(1941- )上智大 ケルン大
相野洋三(1941- )関西学院大 
井上浩一(1947-)京大、1989年米ダンバートン・ オークス・ビザンティン研留学
足立 広明(1958- )同志社
中谷功治(1960- )阪大
根津由喜夫(1961-)金沢大→京大院
小林功(1969- )京大

関東は初期ビザンツ中心(w/Latin)、関西は中期中心 (w/Slavic)という印象、1204年以降の後期ビザンツ中心の著名な日本人研究者はまだい なさそうに思えます。後期はギリシア語ラテン語に加えスラブ系諸語やペルシア語アラビア語などが必 須となることから一人で研究するのは難しいということなのかもしれません。

美術史
辻 佐保子(1930-2011年)東大。仏系
辻 成史(1933- )芸大
浅 野和生(1956‐ )阪大
益 田朋幸(1960- )早大

今回日本で出ているビザンツをおさらいしましたので、本サイ トのビ ザンツ書籍一覧も追記修正しました。

F論争史

日本における論争史の各論者の言動は、書評と論文で概要を知ることができます。かつての マルクス主義VSウェーバー陣営論争とかを鑑みれば、予想されたこととはいえ、漠然と予想して いた以上に攻撃的な論争が行われていたことに驚きました(攻撃的なのは主に渡辺氏です が、、、)。

7-1 封建論争

1951年のオストロゴルスキーによる封建制論文の提出から1966年の国際学会まで行われた 論争です。

 渡辺金一『ビザンツ社会経済史研究』1968年 第一部「ビザンツ封建制史論」 p1-98(50年代雑誌論文に発表したもの(こ ちら)をリバイスして掲載したもの)でウェーバー的立場にあった渡辺氏が封建論争 を整理しています(後続の書評から渡辺氏の立場はよくわかります。渡辺氏の論説はその後「プロ ノイア問題の現況-整理と展望-」1977 年 20 巻 1 号にもあります(PDF))。 この段階では穏健だったのですが、その後 没後1977年に唯物史観的立場から論じられた米田 治泰氏『ビザンツ帝国』第二章「封建制の諸問題」に対しての渡辺氏の書評(こ ちら(1978年)では幾分シニカルになりますが(しかしこの書評は後述の書評か らするとだいぶ好意的)、米田氏の不備ややり残したことを継承してより緻密な研究に深化するこ とを望んているような印象を受けます。一方井上浩一氏『ビザンツ帝国』1982年 の書評(こ ちら/1983 年 92 巻 2 号発行日: 1983/02/20)ではかなり攻撃的でけちょんけちょんです。

これについては前掲橋川裕之氏が学説史p163の注13で端的にまとめています。

「わが国においては、渡邊氏のベックへの傾倒が、ベック的ビザンツ理解と非ベック的ビザ ンツ理解のイデオロギー的対立という局面を導いた。契機となったのは、唯物論的立場から書かれ た井上浩一氏の『ビザンツ帝国』の出版である。これに、ベック対オストロゴルスキー、ベック対 カジュダンという代理戦争的な構図を見て取ることも可能である」
確かにその通りだと思いますが、(後年の)渡辺氏、井上氏双方、文明論の影響を受けてい るところが、単純な(元)ウェーバー徒VSマルクス論争と若干異なる点だと思われます。渡辺氏 は、例えば『コンスタンティノープル千年』p14で、カール・ポランニーの互酬/再分配/市場 交換という図式に言及していて※1、井上氏はトインビー文明論から歴史学に入った(『ビザンツ 文明の継承と変容』あとがき及び序章)とあり、両者とも文明論の影響を受けているのですよ ね、、、

ウェーバーVSマルクスみたいな対立を越えるものとして70-80年代は文明論に期待するよう なところが当時の時代思潮としてひとつあったわけで、お二人ともその影響と無縁ではない、とい うことのように見えました。まあでもポランニーの交換経済三段階コード論も、結局ヘーゲル主義 のフレームの中にあるわけで、実は西洋中心主義の相対化も道半ばであった、ということなのだと 思うわけですが、、、、(ベックとウェーバーの関係も調べてみたいと思います)。
一方1983年10月にイタリア史研究者山辺規子氏も書評を書いていて(こ ちら)、渡辺氏のように研究の背後にあるナラティブ(イデオロギー)批判をしてい るわけではないものの、渡辺氏と比べると口当たりは相当穏当なものの、実は渡辺氏とあまり違わ ない批判をしています。大きな物語の問題は、結局のところ、ある概念なり、著者が典型的と見な す時代像が先にあり、一部の現象の一般化全体化が行われ、それは必然的に定規に合わない事項の 捨象を伴うわけで、捨象される部分の研究者にとっては大いに問題となるわけです。山辺氏も末尾 に

「ビザソツ帝国という大きな存在を一禰の本にまとめあげるためには、それぞれの問題意識に沿っ てある程度捨象されなければならないところがあるのは当然である。また、しばしばわれわれがぶ つかる史料上の制約によってやむを得ず触れられないところもあろう。それにもかかわらず、本書 評においては贅雷を弄してきたように感じられる」
とまとめています。渡辺氏の場合は、大きな物語の激突という観点から、山辺氏の場合は、 捨象される細部の立場からの書評となっていて、なかなかナイスな書評者人選のように思えまし た。

井上氏の渡辺書評に対する反論(というよりも弁明と課題の整理)はこ ちら。ちなみにオストロゴルスキー系列の杉村貞臣『ヘラクレイオス王朝時代の研 究』についての渡辺氏の書評もけちょんけちょんであり(こ ちら)、井上氏もそれに同意して「筆者の説はオストロゴルスキー批判をふまえて展 開したものであって、杉村説とはまったくといってよいほど見解を異にしており、渡辺氏の批判は 意外」と書いているので、杉村氏がその後あまりぱっと(一般読者の印象です)しなくなってたの もこれが一因かも、、、と思ってしまいました。

しかしこの論争を踏まえると、近年日本で登場している三冊の学術書『テマ反乱とビザンツ帝国』 『ビザンツ貴族と皇帝政権』『生まれくる文明と対峙すること』の位置づけが明白になった気がし ます。これらは井上氏が渡辺氏の批判を整理した4つの論点のうちの3つ(テマ成立、市民闘争、 封建制成立)をテーマとしているからです(あと今更ながらベックの大著『ビザンツ世界論』が翻 訳されたことなど)。『テマ反乱とビザンツ帝国』『ビザンツ貴族と皇帝政権』にはあまり興味は なかったのですが、位置づけが明白になったことで、両者も読んでみようという気になってます。 特に後者では、目次を見る限り「封建制」という用語が登場していない点に興味をひかれています (根津氏の博士論文要旨の審査要旨(PDF)p8 には、「西欧モデルにならって「ビザンツ封建制」といった図式で理解する先行研究を批判しつ つ」とあり、『ビザンツ貴族と皇帝政権』への井上氏の書評(PDF)p7 では、「政治過程の緻密な分析・考察が、社会構造論・国家論といった抽象的な議論に吸収される ことを拒否しているかのようである」(p7)とあります)。

ここで少し渡辺氏井上氏著作についての個人的な所感を記載したいと思います。

私は井上氏著作については、1990年の『生き残った帝国ビザンティン』1996年『ビザンツ 皇妃列伝』から入ったため、あまりイデオロギー色について意識しないうちに好意的なイメージを 持つようになっていましたので、2000年頃に『ビザンツ帝国』を読んだ時には、既に20年前 の著作ですし、その後冷戦が終了するという大きな時代の区切りがあり、90年代にはハンティン トンを巡る論争において、安易な文明論というものの問題もだいぶ可視化されていたため、渡辺氏 が気にした箇所についてもあまり気になりませんでした(まったく気にならなかったわけではな い)。2009年に出た『ビザンツ文明の継承と変容』で井上氏は、トインビーから入ったもの の、文明論には、大御所が大所高所から語る、というイメージがあり(あとがきp361)、「歴 史はやはり個別具体的でなければならない、対象を絞って勉強すべきである」(p4)、として研 究者道を歩んできた、しかし文明論のようなものを出せる年齢(当時氏は62歳頃)となった、と いうようなことを書いていましたので、思想的な立場と学術研究はきちんと分けられる人であり、 それをちゃんと自覚している人だ、加えて『ビザンツ帝国』以降は封印していたものを還暦を越え て史論的書籍で吐露したという潔癖さも(キャリアの途中から言論人みたいになってしまい、史観 垂れ流しのメディア受けする金太郎あめのようなエッセイ本を量産する方々との間には大きな断絶 がある)、氏に好意的な印象を持っていた一因です(そうして、氏の史観は多くの人の心をつかむ ものがあるから、恐らく氏の本が日本でもっとも売れているであろうビザンツ本となっている所以 であろうかと考える次第です)。

一方の渡辺氏は、学生時代に読んだ『中世ローマ帝国』『コンスタンティノープル千年』、及び ウェーバー関連が基底にある諸論文から入り、井上氏より先に読んでいたこともあり、私のビザン ツ観では大きな影響を受けています(今でも)。私も大学受験前後の時期はトインビーに興味が あったのでこの点井上氏にも親近感を感じるわけですが、入学後、マルクス理論/ウェーバー/文 明論/生態史観等と接し、文化人類学/社会学の影響(ポストモダン史学)等から歴史理論方面、 最終的にはナラティブ現象の分析と解明みたいな方向にいってしまったので、ウェーバー(渡辺) マルクス/トインビー(井上)のどちらにも加担するところはなく、井上氏の『ビザンツ文明の継 承と変容』は、井上氏の史論を展開した歴史エッセイ風ビザンツ概説書として読みました。歴史 エッセイと学術見解を分けて扱うことは重要なことです(歴史エッセイは有用ですし、学者が思想 を持っていけないわけではなく、ただ歴史エッセイの問題は、歴史エッセイ部分と学術部分の見分 けがつかず、歴史エッセイの方に書いてある個人的な史観や思想の方に共鳴した読者の一部に、そ ちらが「真実の歴史」であり、その読者の考える「真実の歴史」なるものを大学で教えるべきだ、 というようなことを言い出してしまう人がいることが問題なのです)。

学術書にイデオロギー的な捨象や一般化、歪曲がまったくなかったわけでもないわけですが、そう いうことはやはり明らかになってしまうもので、これについては、渡辺氏が強烈な指摘で批判する 杉村貞臣氏『ヘラクレイオス王朝時代の研究』書評に端的に特徴が現れています。研究者本人(こ の場合は杉村氏)にイデオロギー色がないとしても、利用する校訂本や先行研究の根底に特定のナ ラティブによる問題がある場合の、それらの文献を利用した研究や、十分な校訂本批判の蓄積の無 い研究の危うさがよくわかる書評となっています。個別具体的で緻密な研究は、それが蛸壺といわ れようと、前提としてまず必要である、ということがよくわかります(ただし杉村氏の時代は、ま だ欧米のアウトプットベースで研究せざるを得ない段階にあったので、致し方ないと思いますし、 こうした段階を踏みつつ切り開いてくれた先人の努力の積み重ねの上に現在の研究レベルがあるわ けですから、そこは理解する必要があります)。また、渡辺氏は、米田氏『ビザンツ帝国』の書評 において、ビザンツについて地域史を包括的に語る段階にはまだない、と指摘している点も研究史 全体の流れを位置づける点で重要です。ビザンツ地域史は、現在継承国が多数にわかれてしまって いるため簡単ではなく、たぶん各地域レベルでの文書研究が可能な13-4世紀の各地域研究が一 段落してから遡って史料の少ない時代の出土遺物の研究が出揃ってから、先行する時代の地域研究 に向かえるようになるのではないかと思います(『ビザンツ交流と共生の千年帝国』(昭和堂、 2013年)は、ビザンツ地域史の現段階での指標のひとつであると思われます)。

少し話がそれましたが、恐らく渡辺氏の指摘はインパクトがあり重視され、その上で実証研究を深 めた『テマ反乱とビザンツ帝国』『ビザンツ貴族と皇帝政権』『生まれくる文明と対峙すること』 が出てきたことのような印象を受けています。この観点では、前二者を読むのが楽しみです(一 方、井上氏がなぜ今になって『ビザンツ帝国』の復刻版を出したのかは疑問ではあります。リバイ スしているのならわかりますが、、、ちなみに『生まれくる文明と対峙すること』でも「文明」関 連についてはちょっと気にならないわけではなかったのですが、そこが本質ではないため、私は流 して読みました)。また、今月出る予定の『論 点・西洋史学』で、「ビザンツ帝国史の時代区分」や「ビザンツ皇帝とは何か」とい う項目がある背景も少しわかった気がします。

それにしても、後半の渡辺氏はベック論の紹介者一辺倒となってしまった印象を受けてしまったわ けですが、渡辺氏は、後半の研究内容を結集した大著を出しておくべきではなかったのか、と思っ たりした次第です(ベックと一体化してしまったのでベック『ビザンツ世界論』を読めばいい、と いうことなのかもしれませんが)。ベック『ビザンツ世界論』の日本語訳が出た時は、今更ベック か、という印象がありましたが、以上のような流れを知ることで意義がわかりましたので、興味が でてきた次第です(でも高いし読んでる時間もなさそうだから当分は買わないかも(そしてそのう ち絶版となり入手困難となる、、、、という展開が予想される)。
『コンスタンティノープル使節記』の翻訳では、大月氏がオイクメネーに興味を持っている ことがわかりましたが、このあたりも、ベック・渡辺氏の系譜をひいているように感じられます。 もしそうだとすると、大月氏の位置づけもだいぶ明白になりそうな気がします。

※1 渡辺氏は、「なぜまたビザンツなのか--ゲオル グ・オストロゴルスキー著、和田廣訳『ビザンツ帝国史』恒文社、2001、の刊行によせ て」『一 橋論叢』 127(3), 2002-03 日本評論社PDF)  の末尾の注20で、「かくも物議をかもす封建制概念のバベルの塔からぬけ出て、ビザンツ 研究では一層のことポランニーの再分配社会というもうひとつのモデルを使ったら、という試 みがつぎの三点の拙稿である。K.Watanabe "Redistributions"-Gesellschaft. <Studies in the Mediterranean World, Past and Present> x (1986)S.1-9,;Id,,Modell <Redistribution>in der Geschichte.Der Fall Byzantz. <New Eastern Studies> Bulletin of the Middle Eastern Culture Center in Japan V(1991) S.461-468.;Id,,  Peut-on parler encore de feodalisme byzantin? -Essai d'un autre modele,<redistribution> <Mediterranean World> XIII(1992)pp,1-8. 」と記載しています。これらも面白そうです。
 更に、ポランニーを論じた日本語論文、「ビザ ンツ モデル《再分配社会》再論」『地中海論集』12号(1989年)(PDF) もありました。


7-2発音論争

1999年に出版された1227頁の大部の概説通史尚樹啓太郎『ビザンツ帝国史
』 にて、ギリシア語がビザンツ時代の中世発音で記載されたことに対する反応を巡って論争と なったもの。

和田廣「尚樹啓太郎 『ビザンツ帝国史』」書評 『オリエント』42-2、1999年 (PDF) 及び
根津由喜夫「エレーヌ=アルヴェレール著 尚樹啓太郎訳『ビザンツ帝国の政治的イデオロギー』 東海大学出版会, 1989年」書評、『史学雑誌』1989 年 98 巻 7 号 (PDF)

に対する反論と意図の詳細解説が、

「わが国におけるビザンツ史研究について--ビザンツ時代のギリシャ語の発音表記をめぐっ て」尚樹啓太郎、『史学雑誌』110(4) 2001年(PDF

で、1975年になって近代ギリシア語の学習を始めて問題を知ったとのこと、日本での 表記が古典ギリシア語準拠が標準となっているとの認識は誤認である、「一定の規則に よってラテン文字に置き換えられた言葉をローマ字読みにしているにすぎない」とのこ と。表記の事例解説が有用。等々が書かれている。

続いて「<書評> 尚樹啓太郎著 『ビザンツ帝国史』 小田 謙爾」『地中海学研究』地中海学会年報 XXIII (2000)及び 2000年8月10日に京都大学で開催された「ビザンッ研究者の集い」での中谷功治氏の「大学におけるビザンティン史講義の実践と課 題」という発表で取り上げられた発音問題での議論を受けて

「ビザンツ時代ギリシャ語の発音表記再論」尚樹啓太郎、『オリエント』44(1) 2001年(PDF)  が書かれた。

個人的に思うのは、この問題は、中近世ギリシア語の発音の学術的解明が行われたのが 20世紀中盤(再論PDFp2に、「アンドレ=ミランベルAndre Miramberの1929年から1969年にいたる一連の著作や論文によって果たされた」とある)に行われたことに起因するもので、それ以前に研究を開 始していた世代の研究者の場合は致し方ないものがあったのではないかと思えます。学者 の不便云々とは別に、とりあえず古典ギリシア語中世ギリシア語発音変遷対訳解説辞典み たいな本を出せば当面足りる話のように思えました。俗ラテン語の発音ですと似たような 問題はありますが、古典ラテン語の場合は、ラテン語の教科書には大抵、日本語で一般化 している発音表記との相違の解説がありますから(長母音短母音とか表記法等)、大抵の 読者はそちらを見れば良い、ということを知ることは容易です。学者が一律に表記を替え るのは難しいでしょうから、とりあえずの手当として対訳解説辞典みたいなものを出す方 向に議論が進めばよかったのではないか、と思った次第です(そもそも大学受験で使う山 川出版社の世界史小辞典の巻末に西欧各国語主要人名対照表が掲載されている通り、この 手の問題は世界史学習者には自明のことであるはずですから、山川小辞典にまずはビザン ツ部門を設けましょう、そのうち対応表書籍を出しましょう、というような種類の話だと 思うわけです)。

他にも『ビザンツ帝国史』の書評に対する尚樹氏の反応として「ビザンツ史の諸問 題--拙著『ビザンツ帝国史』の批評に応えて」東 海史学 (36) 2001年というものや、書評として「新 刊紹介 尚樹啓太郎著『ビザンツ帝国史』」益田朋幸『西洋史学』日本西洋史学会編 (通号 200) 2000年というものがあ るそうです(未読)

7-3 時代区分論争

今月出る予定の『論点・西洋史学』で「31 ビザンツ帝国史の時代区分」として取り上げられている項目ですが、これに関してズバリ論じている日本語PDFは見つかりませんでした。たぶん、初期ビザン ツ≒後期帝政ローマ≒古代末期、或いは11世紀の分岐点がより後の時代にずら されてきた、とかの話だと思うのですがどうなのでしょうか。
後者は封建論争の話です。渡辺金一 氏は、「なぜまたビザンツなのか--ゲオルグ・オストロゴルスキー著、和田廣 訳『ビザンツ帝国史』恒文社、2001、の刊行によせて」『一橋論叢』 127(3), 2002-03 日本評論社PDF)p229にて、「ビザンツにも中世は あったのである!」との形容を用いて、マルクス史観陣営が狂喜してオストロゴ ルスキーのビザンツ封建論を受容したかのように皮肉っています。ビザンツに封 建制を見いだすことは、ビザンツに「中世」というものがあることになり、この ことは、マルクス主義の発展段階論が、世界全体に適用可能な普遍理論であるこ とを証明する材料であることを意味するため、発展段階論のような演繹的(実在 論的)理論の適用を好まず、ウェーバー流の、あくまで実用上で有意な社会学的 分析理論や概念の適用にとどめ(そう思っていない人が多いことが問題なわけだ が)、ローマ帝国の継続としてビザンツを「中世ローマ帝国」と形容したことも ある渡辺氏としては、反発する、という構図なのだと思われます。
なお、渡辺氏は、1982年の「な ぜまたビザンツなのか:ビザンツ研究の提起するもの」(一橋論叢88-5、 p572、PDF) でも
封建論陣営を揶揄して、

「こんなひといデカダンスを何とか抜け出さなければならない、そうでなけれ ば、我々にとっても、歴史研究の対象として、ビザンツをとりあげることの積極 的な意味がなくなってしまう、というわけです。そこで、是が非でも、奴隷制は 一掃されなければならないし、国家強制経済はなくならなければならないし、ス ラヴ人は到来しなければならないし、自由農民層の展開がなければならないし、 テマ制が発足しなければならないし、ギリシア文化圏は成立しなければならな い」

と書いており、これは渡辺氏の場合直接にはソヴェト・ビザンツ学が念頭にある 発言の筈なのですが、マルクス主義歴史学以外でもセオリー優先の歴史研究では 該当する研究がありえるため、その観点では、この批判は一般的な意味を持つも のです(個人的には、どんな地域/時代にも、そこに生きる人の人生には意味が ある、というだけの話だと思うのですが、「世界史の目的」や「世界史の構造」 みたいなものを想定し、その方向に沿った人生や歴史以外に意味はない、と考え る思想が世の中には一定量あるわけで、これは歴史哲学や思想の分野の問題だと 思うわけです。歴史哲学と歴史学を混同している人にはまずここから解説しなく てはならないわけですが、、、大きな史観を備えた歴史小説を読んで歴史学に興 味を持つ人の場合、このパターンが多いような気がします(個人的印象で す))。

渡辺氏の議論或いは彼の世代におけるビザンツ時代区分の問題は、渡辺氏が研究 を開始した1950年代のソヴィエトのビザンツ学界が主導していた封建論争、 ひいては世界史における普遍理論論争(当時は唯物史観)に結び付くものとして 認識されていたようですが、今月出る予定の『論点・西洋史学』ではどのような 観点から問題とされるのかは不明です。出版が楽しみです。恐らく20世紀後半 から認知度が急上昇し、現在では固有の学問分野として学界の制度や資金配分の 問題にも関わる「古代末期」の枠組みの話の方がメインのように思うのですが、 古代末期と封建論争両者含めた初期/中期/後期という区分の話かもしれませ ん。

7-4 ビザンツ皇帝論

今月出る予定の『論点・西洋史学』では「
32 ビザンツ皇帝とは何か」という項目も建てられています。どういう内容なのか現時点では不明ですが、ビザンツ皇帝は専制君主なのか立憲君主制なのか、という 話かもしれません。立憲君主論/制限君主制論は、日本では古代ローマとの連続 性を重視する(従って時代区分論とも関連する)渡辺氏(『コンスタンティノー プル千年』でこの主張が全面に出ている)、専制君主制論はその他大勢、という 感じでしょうか(よく知りませんが)。しかし専制君主といいながら、一つの王 家の王朝が長期間続くアジアの専制国家と異なり、農民出の人が軍隊や行政官で 出世して皇帝に成り上がる事例が非常に多く、しかも市民革命みたいなものも起 こったり、実質的に元老院の推戴が決めてで決まったりと、単純な専制君主とは かなり異なっているため、ビザンツ皇帝論が論点となるのはよくわかります。
とりあえず、以上の論点のうち三つまで渡辺氏が関係していることがわか りました。

7-5その他

個人的に、ビザンツ史の潜在的論点として、地域的枠組みと方法論の問題がある のではないかと思っています。最初にオストロゴルスキーを日本に紹介した増田 四郎氏の「オストロゴルスキー 『ビザンツ史の諸期』」(PDF) でも主要論点となっているように、近代ビザンツ研究には西洋中心主義の相対化 という「枠」がそもそも胚胎していて、封建論争も時代区分論争も根底にはこれ があるわけです。「正教圏」を軸にした場合は、「ロシア・東欧」という地域的 枠組みとなり、西方含めたキリスト教圏全体を軸にして論ずると文明論に接近 し、ギリシア人系研究者であれば現代ギリシアナショナリズムが軸となりするわ けです。これら軸の置き所により地域と時代区分の枠組みそのものが変動してし まうため、こうしたブレを最小限に抑えるために最大公約数だけに絞るとする と、オストロゴルスキーのように「ビザンツ国家」だけに限定することになる か、現在の南欧諸国家それぞれでナショナルヒストリーの一環として分立して研 究されることになるわけです。

封建制をビザンツに適用する議論は、立場と解釈/文脈によって「西洋の方法論 を普遍として適用する」という意味での西洋中心主義と、「封建制は西欧だけに あったわけではなく、西欧だけが特別なわけではない」という西洋相対化の両方 の意味を持ちうる点で一見両義的ですが、実のところ、「西欧の封建制」をしか 尺度にしていないという点では、どちらも西洋中心主義の枠組みに捉らわれてい ます。世界各地で見られる類似する現象に普遍的ななにか探るのであれば、ア ター/イクター/ティマール/ザミンダール/マンサブダール/日本の封建制等 類似する現象すべてから、共通や因果関係点を抽出した(絶対的普遍ではない) 「より普遍的な」社会学的概念をまずは構築するべきであるにも関わらず、殆ど そうした議論や研究が行われていないようなのが残念です(私が知らないだけか もしれませんが。渡辺氏がポランニーの再分配社会を提案しているのは、この議 論に近いかも知れない)。

このように、すっきりしたわかりやすい分類軸を見出しにくい地域は、世界史上 ではあちこちで見られるわけですが、南東ヨーロッパと西アジアにまたがるビザ ンツ帝国は、枠組み設定が難しい地域のひとつなのではないかと思います。
個人的には他にも、11世紀頃から18世紀の東地中海と黒海は交易中心 に物資や人の移動という点で一つの歴史的世界を形成しているように思えたりし ますし(『黒 海の歴史』はこの点では一つの指針を示した書籍であるように思え ます)、ビザンツ帝国は、イスラム世界システム(この用語は好きではないが) の周縁として組み込まれていると考えた方が全体像を把握するのにはわかりやす いのではないか、とか、環境史的枠組みや(農村と農民関連法制史ではない)産 業史としての農業と(都市民や商人/職業者の法制史ではない)諸産業史でビザ ンツ-西アジアを包括的に描く軸を見出すことができるのではないか、とか、い ろいろと思うわけですが、西欧史でアナール派やグローバルヒストリーで行われ てきたような政治/外交/軍事/行政史の枠組みを超える取り組みが、ビザンツ で見られないような(あくまで個人的印象)感じなのが残念です。特にビザンツ 帝国の場合、領土の振幅が激しく、領土の拡縮ともに人が(移住があったとはい え)全面的に入れ替わったわけではないため、侵略されたらその地域のひとびと の歴史は扱われなくなってしまう、再度領有するとまた「国民として復帰する」 というような扱われ方となってしまい、そういう地域含めた包括的な歴史的世界 が描かれるべきではないのか、と思うわけです。

このことは、井上浩一『ビザンツ 文明の継承と変容』のあとがきp361 で「政治・経済・社会・文化といった分野に分け入り、階級闘争史・世界シ ステム論・ジェンダー・儀礼と、さまざまの視角や方法論に手を染めたが」 と書いてあるくだりを読んでも思ったことです。確かに井上氏は階級闘争 史・世界システム論・ジェンダー・儀礼等新しい方法論を試みてきているの ですが、世代的にあってもよさそうな
アナール派についての言及はない(ただしト レッドゴールド経由で計量史には手を出している)ことに象徴されているよ うに思えます。『ビザンツ貴族と皇帝政権』への井上氏の書評(PDF)p7-8 で「「社会のなかの人間を明らかにしようとする」新しい歴史学ー「社会 史」と総称されてきた一の意義がよくわかった」とある一文は示唆的に見え ました(米国に留学したからか、井上氏にはフランスの香がせずアメリカの 香がする方のわけですが、アメリカの学界との親近性があるのであれば、グ ローバルヒストリーの影響を受けていてもおかしくない気がするのですが、 あまりグローバルヒストリーの香もしません)。
 産業史や交易史、人口移動史や移民史、環境 史など、ビザンツ国家そのものの研究の枠を取り外したところでの枠組 み設定とその取り組みには、まだまだ未開拓であるように思えますの で、今後のビザンツ研究(東南ヨーロッパ−西アジア研究)が非常に楽 しみです。

※中谷功治『テマ反乱とビザンツ帝国』「はじめに」p-iiiに以下の記載が ありました。

「中期ビザンツ国家の発展のプロセスの解明を目指す本書では、ビザンツ一国史 の視点での発展段階論的な枠組みを採用しており、最新のビザンツ史研究という 観点から見ると問題関心はかなり遅れたものであることは否めない」「最近では 古代末期研究や中世史研究の進展を受けて、研究者たちの視点はビザンツという 国家の国境線を軽々と越えて地中海世界や西ユーラシアという領域規模で問題設 定がなされることも多い」

この部分や『ビザンツ貴族と皇帝政権』の序文を読むと、渡辺氏の批判を受けて 井上氏が整理した課題に決着をつけることが、『テマ反乱とビザンツ帝国』や 『ビザンツ貴族と皇帝政権』の世代的役割である、という印象を受けました。あ まり深く考えませんでしたが、出版された当時序文を読んで、当時あまり読もう と思わなかったのも、もしかしたらこれが原因かもしれません。私は学生時代に アナール派や新しい文化史(当時そういう用語は使わなかったが)の洗礼を受け た世代ですので、こういうスタンスとなってしまっているわけですが(渡辺 1968に興味がなく、ベック系渡辺本が好きな理由もこれだと今回判明)、し かし年末年始読んだ『生まれくる文明と対峙すること』『アレクシアス』『コン スタンティノープル使節記』からは、どこか新時代を感じるものがありました。 たぶん、今年に入りビザンツ学の(趣味の)学習熱が持続しているのも、単にビ ザンツ本刊行ラッシュによるものではなく、これまであまり興味の無かった『テ マ反乱とビザンツ帝国』や『ビザンツ貴族と皇帝政権』を読む気になっているの は、一国史を越える社会史/文化史的なものがビザンツ学にも浸透してきたこと で、ようやくバランスよく読めるころ合いになってきた、という点が大きいので はないかと思います。一国史が悪いというわけではなく、「一国史だけ」なのが 問題なわけで、一国史だけしかない頃にそれらを読むと、まるで一国史だけが総 てであるかのように思い込んでしまいかねない、これを避けるために読まない、 一国史を越える本がある程度出るまで待つ、という選択肢がひとつあるわけで、 たぶん潜在的にそのように考えて、ブルガリアとかグルジアとかアルメニアとか の周辺世界の学習の方に偏ってきた、ということのような気がしています。

Gまとめ

昨年、日本におけるマックス・ウェーバー研究史を研究した『マッ クス・ウェーバーの日本――-受容史の研究-1905-1995』 を読み、たんなる研究史概説ではなく、人物伝の列挙でもなく、研究の 発展史かつ近代日本史そのものの歴史として描けていることに感心&感 動しましたが、日本のビザンツ研究史も、今回おさらいしてみるとひと つの発展史となっていて、感動してしまいました。特に、PDF公開さ れているお陰で、渡辺氏、井上氏の諸PDFや業績一覧を読むことがで き、長いキャリアの中で新しい研究手法を試し、必要な部分は導入し、 新分野に挑戦し、長期にわたって第一線で活躍され続けているお二人は 印象深いものがありました。和田氏の場合は、わりと実証主義研究者に よくある業績展開なので分かりやすいのですが、渡辺氏井上氏の場合研 究理論と縁が深いため、悪くすると理論の流行に翻弄されかねず、特定 の
理論に拘 る場合、その理論が廃れるとキャリアの途中で過去の人になりかねない わけですが、渡辺氏井上氏には、若い頃速球派だった投手が、球速の衰 えとともに時間をかけて変化球をマスターして技巧派となり、晩年は バッター個人の性格思考や試合の流れを読む駆引きで勝負するようにな り、生涯先発陣の一角を占め続けた、というような名投手にも通ずる感 覚がありました。
今回研究史をおさらいしてみて、いままであま りビザンツについて学術的見地から学術文献を読んだことはなく、それ でも長年にわたりビザンツ世界の景観に関する材料の収集につとめてき たわけですが、それが何を意味していたのか、自分の立ち位置もまたわ かった気がしました。



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