ブレンヌス〜ローマの敵〜(1963年)

 1963年イタリア製作。原題「Brenno il nemico di Roma」英題「Enemy of Rome」或いは「Battle of the Valiant」。古代都市ローマは、前387年にガリア人の襲撃を受けて占領されて以降、後410年ゴート人に占領されるまでの797年間、外敵に占領 され ることはありませんでした。これは、その前387年におきた占領事件を題材とした作品です。

 主要登場人物は以下の4名。左から独裁官としてローマ総司令官にあったカ ミルス(前446-前365)、ガリア人首領ブ レンヌス、神殿の女官ニスィア、元老院の息子でありローマ軍将校クイントゥス・ファビウス。



〜あらすじ〜

 木造の砦が襲撃され燃やされている。逃げ惑う住民たち。ローマ元老院で独裁者への野心を疑われたカミルスは、軍指 揮権票を叩き付け、直ぐにもローマを去ると置いて立ち去る。特に若手のタルディニアスは攻撃的で、元老院はカミルス の追放を可決する。ローマ近郊の町では農民住民が城壁内に避難してくる。(以下右画像。画像奥の丘がその町)。そこ ではローマの守備隊は50名しかいないため、増援の使者がローマに送られる。



 騎馬民族(これがガリア人)が付近の住民を略奪しながら侵攻してくる。元老院議 員の息子クイントゥス・ファビウスは郊外で若者と訓練に励んでいたが、父親が元老院の様子と、カミルスの出奔、ブレ ンヌスの侵攻、ガリア人の軍営へ交渉の使者を出すことを告げにくる。ローマ近郊の町では、城壁の周囲の堀の中に住民 を突き落とし、大量の弓で射掛け虐殺が行なわれる(上左画像)。牢獄に捉えられていたミネルヴァ神殿の巫女ニスィア は父親を救うためブレンヌスの元に留まることになる。

 ファビウスら3名は交渉の使者に出向くが、ブレンヌスは全て破壊するまでだと撥ねつけられる。ニスィアは略奪の続 く町で人々を介抱してまわる。そこにファビウスが逃げよう、とやってくるが、今は行けない、と断る。どうやらこの二 人は恋人のようである。

 夜、略奪の祝宴が続く中、ブレンヌスはお抱えの女性占い師アーメンにローマ人の女性(ニスィア)との結婚を占わせ る占わせるブレンヌス。占いは凶とでるが、ブレンヌスは一笑に付し、明日挙式すると告げる。それを立ち聞きしたロー マ人女性は、夜のうちに脱走するが見張りの兵士に捕まってしまう。あわやというところでファビウス一行に助けられ る。三人は見張りの兵士の衣服をはぎとり変装し、陣地に近づくが、夜明け、ガリア人の陣地では結婚式の開始を知らせ るホルンがなり響き、太鼓が叩かれ、丘の上に幾つもの狼煙があがる。洞窟の中の儀式の場でブレンヌスとニスィアの手 首をナイフで斬り、傷口をすり合わせる儀式が行なわれる寸前、ファビウスら三人が天井から飛び降りて乱入、ニスィア を奪還する(右下がその誓いの場面、左はブレンヌスの天幕の様子。中央がブレンヌス、その左が占い師アーメン)。

 
 
 元老院では再度ブレヌンスとの開戦が議論され、今回は可決される(どうやら前387年のアッ リアの戦いのようである)。ガリア人側は騎兵隊と弓兵であり、ローマ側は歩兵と騎兵から構成されていた (このあたりは大分時代錯誤なようである)。後4-5世紀のゲルマン人とローマ人の戦いの映像でも良さそうなありが ちな映像。画面ショット撮る気にもならず。

 戦場跡、ファビウスの遺体を探し回るニスィア(下左)だが、ファビウスは大きな怪我もなく生きていた。再会する二 人。一方ローマへ向けて進撃を続けるガリア騎馬軍団。市民は家財道具を持ち次々に市外へと脱出してゆく(何故か徒歩 のファビウスの方が、ガリア人騎馬隊より先にローマに戻っていたりする)。



 元老院はファビウスの父親に最高軍事指揮権(といってもたったの200名程度)とカピトリーノの丘を守備する権限 を与える。もぬけの空となったローマ市街にガリア軍が侵入してくる(数名残っていた元老院議員だけこの時殺害され る)。これがローマ市内の様子。前4世紀末のローマが本当にこんな感じだったのか、そのうち調べてみたいと思うので すが、少なくとも最盛期ローマよりはみすぼらしい様子はよく出ていました)。



 市民が脱出し、もぬけの殻となったローマ市街と城門(右)。ローマの街路は、聖書映画に登場する中東の町とさほど 変わらない感じでしたが、中央広場含め、一切路地・広場が舗装されていないところは、なんとなく前4世紀風に見せよ うという努力が感じられました。



 以下左がローマ市民の立てこもったカ ピトリーノの丘。丘というより急峻な岩山です。ガリア軍はこの断崖を登って攻 撃をしかけます。右はガリア人の軍営。白いテントに黒い毛皮が干してあり、木柵の門が見えています。


 ファビウスらはカミルスと連絡を取ろうとし、カピトリーノの丘の立てこもっていたカミルスの息子に案内させる。一 方それを苦々しい思いで見ていたタルディ ニアスに大工のトール・トラスキンが黄金2000の代償金をガリアに支払うことを提案する。ローマ最後の王タルクィ ニアスがつくらせた井戸と水道跡を通り 市外にでたファビウスと少年だが、件の大工に後をつけられていた。ティベレ川を渡るところで、少年とファビウスは射 られ、ファビウスは射られた勢いで川に 水没する。商人はファビウス死亡の証拠として彼が落とした剣を持ち帰る。しかしファビウスは生きていた。しかし、少 年は亡くなった。カピトリーノの丘で は、タルディニアスが剣をファビウスの父(マルクス・ファビウス)に示し、交渉を提案するが、ニスィアは強硬に反対 し、マルクス・ファビウスの提案で、祭司と検討して最終的な決定を行なうことになる。しかしその夜、ブレンヌスの陣 営では、翌早朝の襲撃を決定していたのだった。

  見張りのローマ兵が休憩してお茶などしている間にガリア兵は易々と断崖を上りきりカピトリーノ城砦内に侵入する が、家畜のガチョウの群れが騒ぎ始め、侵入に気づいたローマ側に撃退されてしまう。しかし、この騒ぎの間にタルディ ニアスは一服もって眠り込んだニスィアをさらい、ブレンヌスの天幕へと連れ込み、商人でもある彼は和睦の代償金を提 案し、金1000ポンドで交渉を成立させるのだった。カピトリーノの丘では婦人達の装身具の黄金を集めて資金を調達 する。

 一方郊外のヴィラで農園を経営していたカミルスのもとへ、クイントゥス・ファビウスが息子の遺体を届ける。怒りに 燃えたカミルスは、剣を取り出征する。

 カピトリーノ丘中心広場でローマ側が供出する黄金を秤にかけて測量する(以下左画像奥の二本の柱の間に天秤があり ます)。以下右下画像は、黄金1000ポンドの重量に達した秤の反対側(鉄か何か)を、ガリア人が故意に手で押し下 げて、不足を主張する有名な場面。王は剣を秤に投げ、"woe to the vanquished(征服されたものに災いあれ(この台詞には古英語が用いられている)"と叫ぶ。その瞬間、神殿の奥からカミルス率いるローマ軍が姿を 現す。カミルスは、"黄金ではなく、剣が決める"と宣告し、戦闘となる。



  その頃、ファビウス率いる別働隊は、ガリア人の陣営を襲撃し、捕虜のローマ市民とニスィアを救い出す。ガリア陣 地を襲撃したローマ騎兵軍はカピトリーノにとって返し、ガリア人部隊を殲滅する。ブレンヌスは、タルディニアスに秘 密の通路を案内させ、彼を殺して単身脱出する。後を追ってきたファビウスは、今わの際のタルディアスから、ブレンヌ スが古井戸から逃亡したと告げる。地下水路の中で鉢合わせした二人は激しく剣を交えながら川岸に達し、川中の死闘で 遂にファビウスはブレンヌスを倒すのだった。

〜The end〜

 ローマ市街はなんとなく、前4世紀初頭という感じもしなくはなかったのですが、軍装については(詳しくないのです が)、共和制末期から帝政盛期の軍装に見えました(左は歩兵、中央は司令官カミルス、右は中央左(歩兵)以外は将校 (右端がクイントゥス・ファビウス)。




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