オスマン朝歴史映画「Cenneti Beklerken」

   2006年のトルコ製作。トルコ語Wikiに紹介があります。17世紀初頭のイスタンブールとアナトリアが 舞台。ミニアチュール画師が主人公の、西洋画との相克を扱った作品のようなの で、当初は、オルハン・パムク「わたしの名は紅」の映画化かと思いましたが、違いました。しかし、17世紀前後のオスマン朝に あっ て、西洋画がどのような影響を与えつつあったかが、「わたしの名は紅」のお陰で理解できていたので、比較的楽に筋の展開が掴めま した。トルコのMTVなどから期待される程の洗練された映像ではありませんでしたが、少なくとも5、60年代のハリウッド製ロー マ映画よりは、最近の歴史映画に近い、透き通って落 ち着いた映像となっていました。

-ストーリ-

 死んだ妻子の追憶のために、西洋画風の方法で妻子の肖像を描いていたミニ アチュールの画師エフタトゥンは、オスマン政庁に呼び出される。権力者の眼差しひとつで庶民の人生などどうにでもてきる、という 重苦しい雰囲気の中、アナ トリアで叛乱を起こし、捉えられているダニヤル王子の肖像を、現地へ赴いて書いて来いと高官から命令される。斬首した首は、イス タンブールへ運ぶうちに腐 敗し、判別がつかなくなってしまう為、首実験に使える写実的な西洋画の方法で描いた肖像が必要なのだ、と高官は語った。ダニヤル 王子とは、先の大上皇ムラ ト三世の子と自称していて、先の皇帝ムハメト3世と同い年で(つまり老人)、ムラトの十人の妊娠した妃が海に放り込まれた時に、 その中の一人が助かってス ペインで産み落とした一子らしい。成長して皇位をとることを考えるようになり、帰国して衆を率いて叛乱を起こしたのだという。
 こうして、画師は役人とともにアナトリアに赴く事になり、弟子カザーリは人質としてイスタンブールに残されることになった。

  


  一行は、道中カッパドキアにて、画師を襲った匪賊を殺し、賊の連れていた奴隷女レイラを一行に加える。ダニヤル王子が拘束されて いるとされるキャラバンサ ライを、隊商宿の絵を元に探し廻る(恐らく当時のアナトリアにはまともな地図はなかったのであろう)。漸く見つけた隊商宿にいた のは、実はヤクプという、 ダニヤル王子の息子だった。役人は画師に肖像を書かせ、彼を殺して首を切った。そうして画師を殺すために、部下に別のルートから 帰国させる。画師は、記憶 をもとに、ヤクプの肖像画を描き、ヤクプの手紙をこっそり持ち出す。



  画師は隙を見て逃走するが、別のルートから奴隷女を連れて旅立った役人ともども、本物のダニヤル王子の叛乱軍につかまり、ヤクプ が監禁されていた隊商宿へ と連れ戻される。役人ともども全員処刑されそうになるが、ヤクプの手紙と肖像のお陰で画家と奴隷女は助かり、王子に、スペイン人 の描いた絵を完成させるよ うに言われる。画の中の鏡の中に、救世主であるマフディーを描くようにと。民衆に夢と希望を与える為に。画家はとても描けやしな いと悩むが、奴隷女の機転 で画は完成し、王子は民衆兵達に完成した救世主の画を見せ、民衆たちを奮い立たせた。そうして王子の軍は東に向かった。

 


 王子は人民の為の正義の人であった。画家は、危険であるにも関わらず、レイラを連れてイスタンブールに戻る決心をする。人質と なっているガザールを見殺しにはできない。
  しかし、彼がイスタンブールの政庁に出頭すると、そこには既に、オスマン政府の策謀で裏切った部下の為に殺されたダニヤル王子の 首が届いていたのだった。 画家は褒美をもらい放免されるが、ガザーリについては政庁の人間は誰もふれない。暗澹とした思いで家に戻ると、そこには元気なガ ザールの姿があった。



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 全体的に、「真昼の暗黒」という語感の漂う、権力の下での限定された自由の中で生きていかなくてはならないやりきれない世界が 良く描かれていたように思えます。

 当時のアナトリアは反政府勢力の巣窟で、オスマン朝を、「オスマンリ」と、外国のように呼んでいたのが印象的。レイラも、「オ スマンリに戻るの?」と口 にしている。当時のキャラバンサライは、一種の要塞で、入り口は武装した兵士に守られていたことがよくわかる。当時のアナトリア が叛乱の巣窟だったという こともあるのだろうけど。キャラバンサライの字幕は、「商隊旅館」となっていた。確かにその通りなのだろうけど、ロマンチックな イメージが少し崩れまし た。

 


  鏡が重要な小道具として使われていて、上写真のように、場面転換で何度か使われていました。鏡の中に別の場所の風景が映り、その ままその場面に移動する、 という手法です。神の姿を直接描くことは偶像崇拝となることから編み出された手法なのか、王子が画家に描かせたマフディー像も鏡 の中の像として描かれてい ました。冒頭、政庁に呼び出された画家が、「オスマン政府は西洋画の手法で肖像を描くことについては、禁止も許可もしていない」 と述べていましたが、この 点も興味が沸きます。

 題名の「Cenneti Beklerken」は、「天国で待っていて」というような意味のようです。本作は、こちらの映画の紹介によると、トルコ語版・ハンガリー語版があるようで、何故当時 敵国だったハンガリーが?と思ったのですが、内容的にはオスマン政府は悪玉として描かれていることがその理由なのかも知れません (他にもアラビア語のサイトで中国語版ビデオ販売を見かけました)。

 下記は、主人公と奴隷女レイラの物悲しいラブシーン。トルコではここまで映画で描いてもいいんですねぇ。

 


 最後。引率の役人。最近の渡辺健に似ていて笑えた。



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