チェルベン



紹介 

 当時の名称もチェルベン。ルセの南方60キロ地点、蛇行するビット川(チェルニロム)に削られた三角大地の山城であ る。 バスで一見平原としか思えない大地を1時間半ほどゆくと、突然川で削り取られた渓谷が出現する様は圧巻。
 三方を断崖と川に囲まれた天然の要害である。この形式はタルノボやローベッチュと同じである。
 遺跡は四角の塔がもっともよく残っており、他にも
建築物土台、城壁などが残る。

 写真右の中央下、断崖の麓では、木の下で羊の放牧が行われているのがおわかりいただけるだろうか。

・写真右は遺跡の北側の渓谷の対岸である。
・写真下は遺跡の南側の渓谷を西方向に向かって撮影したもの。

遺跡見取り図

 
 教会と楼閣がよく残り、当時の北東ブルガリアの中心地だったらしい。 1388年オスマンに征服され破壊される。
 写真左上は南西側の谷の対岸からの写真。丁度左の写真の、対岸の緑の崖の上付近から撮影したもの。
 写真左上左に見えている遺構は以下の塔。


 近隣のイワノヴォ村には世界文化遺産である第2王国時代の洞窟教会があり、壁画が有名。

ブ ルガリアの地図はここを参照してください。
 チェルベン村まではルセからバスが出ているが、1日数本しかないので7時のバスに乗って1時間半、9時頃遺跡に着き、 12時のバスで戻り1時半頃ルセに戻った。あまり交通の便がよいとも言えなそうで、チェルベン村には売店も1件しかな かった。ルセはルーマニアとブルガリアを結ぶ唯一の橋がある町でブルガリア第3の都市である。ルセまではソフィアから鉄 道で6時間。 遺跡は出入り自由。

旅行日記