秩序の東アジアと日本辺境論

 

 

 中国駐在まとめその2です。

中国駐在中、各地を旅行してまわり、また、さまざまな資料を読みました。そこでわかって来たことは、中国はEUのような多様な地域から構成される、帝国・連邦 というような国であることです。漢民族が95%を占めるということで、EUなどとは大きく異なる、とも言えそうですが、その漢民族の各地域的相違、例えば言語による上海語、広東語、福建語、北京語などの相違*1は、イタリア語、フランス語、スペイン語の相違に相当すると考えればイメージし易いのではないでしょうか。極端ではありますが、EUを構成する主要言語民族は、ロマンス語、ゲルマン語、スラブ語*2及びマジャール人、バスク人、エトルリア人などの少数民族ということになり、上海語、広東語、福建語、北京語を用いる「漢民族」と、壮族、苗族、チベット族などの少数民族から構成される中国は、本質的には欧州に匹敵する多様性を有した地域であるのだと思えるのです。EUは連邦という形式でまとまることになりましたが、中国の場合は「帝国」という伝統があるため、現在のような強権的な(連邦ではなく帝国的な)中央政府となっている、ということなのだと思います。

 

*1 以前北京と上海出身の中国人2人が、廊下で、「日本語を使って」立ち話をしているところに遭遇したことがあります。上海人がいうには「北京語は理解できるが、うまく話すことができない」。北京人が言うには、「上海語は理解できない」。そこで、2人にとっては、日本語で会話する方が楽なので、日本語で会話している、とのことでした。もっとも、彼らは文革時代に教育を受けている為、上海人が普通話に通じていなかったのは、そのあたりの原因があるようです。現在の通常の大卒者は、ほぼ北京語が理解できるはずです。ただし、駐在時代の私の部下が言うには、湖北・湖南省の辺りの人にとっては、普通話で発音できない音がある(その音は日本人と同じ、Zh、Chなど)、とのことでした。

 

*2 ブルガリア在住当時、ブルガリア人から、「ロシア語やポーランド語、セルビア語のテレビニュースは半分くらい理解できる」と聞いたことがありますし、私自身、マケドニアとセルビアを旅行した当時、「セルビア語(マケドニア語)が何故できるんだ」と言われたことがあります。また、単語レベルとはいえ、グルジアやアルメニア、ウズベキスタン、トゥルクメニスタンを旅行した時、ロシア語話者と少しですが、意思疎通ができましたし、トゥルクメニスタン旅行時一緒になったチェコ人とは、チェコ語-ブルガリア語で単語レベルの意思疎通ができました。

 また、出典を忘れてしまいましたが、フランス人がイタリアに旅行して、お互い母国語でそのまましゃべって意思疎通ができた、という話を読んだことがあります。

 

 フランク帝国解体以後の欧州の歴史は、傭兵主力とはいえ、分裂と戦争の歴史です。「世界大戦」と呼ばれる大戦争を二度引き起こし、更に「欧州大戦」と言える大戦争は三度起こしています。

 

1.17世紀の30年戦争

2.18世紀の7年戦争

3.19世紀初頭のナポレオン戦争

 

 その他欧州の覇権を巡って争われた戦争は、16世紀のオスマン、ハプスブルク、ヴァロア家の抗争、17世紀の英蘭戦争、18世紀の北方戦争、スペイン継承戦争、オーストリア継承戦争、19世紀の普仏戦争、クリミア戦争など多数に登ります。これに比べると、中国、朝鮮、日本の歴史は、多数の小競り合い(倭寇など)はあっても、大戦争に発展したものは遥かに少なく、平和で安定していたものと言えるのではないでしょうか。正確な氏名と出典を忘れてしまったのでここに記せないのが残念ですが、米国の学者の、モンゴル以後の3国の歴史について、「500年の平和を保ったことは積極的に評価すべきだ」との記載が印象に残っています。モンゴル帝国は、日本、中国、朝鮮にとって外部勢力として例外と見れば、この3国がほぼ成立してからの戦争は、古代朝鮮半島への倭国の干渉と白村江の戦い、秀吉の朝鮮出兵、日清戦争・朝鮮併合以降日中戦争に至る3回しか無いわけで、それ以外の時期は、よく言えば平和、不干渉、悪く言えば、お互い無関心(鎖国)にあったわけで、いづれにしても平和な棲み分けができていたわけです。また、朝鮮と日本は、内乱も非常に少ないように思えます。例えば日本は、古代統一国家成立以来、大きな内乱となったのは、武士が社会権力を握る社会変動が根底にある源平合戦と南北朝、及び室町中期の経済的離陸による社会変動が根底にある戦国時代、及び欧米勢力干渉による幕末、と4回だけ。朝鮮に至っては、新羅統一後の大きな内乱は、事実上後三国の騒乱だけ(高麗-朝鮮間は、家臣の政権簒奪であって、基本的に国家としては継続していたと言える)。

 

 これら3国の根底には、「社会秩序の安定」という指向が共通の体質としてあったように思うのです。その根源が、儒教にあるのか、中国中心の冊封体制にあるのか、官僚による強力な国家と民衆指導体制にあるのかまではわかりませんが、貴族ではなく、役人が社会階層を成している点が、欧州の歴史と比べると、際立った相違点であるように思えます。韓国のことは詳しくはありませんので、中国・日本について言えば、報道姿勢、隠蔽体質、警察権力のあり方など秩序維持の意識が、事実の暴露よりも優先しているように思えます。例えば天皇に対するテレビ局や大新聞の報道姿勢と、中国政府批判の抑圧には共通点があるように思えます。日本の検察や警察機構の目的は治安の維持と秩序の維持が第一にあり、この点は中国警察も変わりはありません。最近の日本は大分変わってきましたが、不祥事の隠蔽体質も共通項に見えます。もっとも、これは程度問題であって、だから日本が中国と同じだというわけではありません。日本は、その独自の社会体質や、開国後の欧米の影響の吸収、特に戦後のGHQ改革により、中国とは比較にならない程の報道の自由や警察批判の自由を得ることができています。反対に、中国は、定期的な王朝興亡の歴史が示すように、異民族の外部からの侵入や、内乱による王朝崩壊、異民族の統治、巨大過ぎる人口、多様な地域・民族の統合など、日本に比べて、秩序を脅かす要素が多いものと思います。このような背景があるため、日本や欧米から見ると、過剰なまでに見える独裁権力志向文化となってしまっているのだと思います。中国社会における反日愛国教育は、ソ連と東欧共産圏崩壊を受けて、中国もドミノ倒しになることを防ぐ為に日本が仮想敵国として利用された側面が強く、この点愛国教育も、秩序維持の道具だったと言えるものと思います。

 

 ところで、日本の秩序保持の思想について、映画ではありますが、遠藤周作原作の映画「沈黙」でも描かれていて参考になります。「沈黙」では、江戸時代初期の九州でのキリシタン弾圧を扱っているのですが、この作品のテーマは、キリスト教に代表される、明確で合理的な絶対的な価値観と、、何もかも曖昧なままに留め、曖昧なまま全て を飲み込む相対的な日本的価値観との対決となっていました。愛情や信頼を裏切らせ、誇りや信念を打ち砕くことで、「絶対的なもの への信仰」を確信を以ってたたき潰す役人は、ポルトガル人の布教者に、「日本は曖昧で相対的な価値観で成り立っている。お前たちが持ち込む絶対的な価値観は、日本社会を破壊する」という意味のことを告げる場面があります。キリシタン信仰が、日本の秩序を破壊するものだから弾圧する、という理屈です。

 

 

 

 まとめますと、

 

1.日本・中国・朝鮮には、役人が、権力を握るひとつの社会階層を成し、秩序維持指向が強い社会文化。報道や人権、民主主義などへの認識には共通している部分がある。

2.日本や朝鮮は、ほぼ単一民族と言える国家だが、中国は多様な地域・民族を含み、統合に無理がある為、過剰な独裁権力が必要となる

3.日本や韓国は、中国と比べると、強く欧米の影響が浸透している為、中国に比べると、秩序維持の為の報道制限や人権制限が薄い。

 

ということのように思います。こういう話をすると、自動的に、日本は中華圏(東アジア圏)ではなく、欧米圏、というような議論につながってしまうので、後半は日本のアイデンティティ論について記載したいと思います。

 

 山川出版社の世界史リブレットシリーズに、「日本人のアジア認識」という、明治時代の知識人達が、日本のアイデンティティをどのように捉えらえていたかについて論じている冊子があります。しかし、本書の内容は、当時の知識人の認識は、日本は「アジアか欧米か」という前向きな議論であるよりも、中華圏か欧米圏か、という論議となっていて、「中国は酷い。こんなやつらと一緒であってたまるものか」という後ろ向きな観点で「日本はアジアでは無い」、という方向に行ってしまっていた、ということのみが強く印象に残る書籍となってしまっているように思えました(ちゃんと欧米と日本の共通点を評価している部分もあるのですが)。更に印象的だったのは、現在の反中国派の方々が持つ中国人蔑視の諸観点と、明治時代の清朝人蔑視の諸観点が、ほとんどと言っていいほど共通している点です。これはつまり、

 

1.現在の日本の反中派の中国人蔑視の諸観点は、明治時代に形成されたものがそのまま引き継がれ、再生産され続けている

2.明治時代も今も、中国社会の本質に変わりは無い

 

のいづれかか、或いは両方であるということを意味しているのではないかと思います。

このように、現在でも盛んに行われている、日本は東アジア圏か、欧米圏か、という論議は明治時代からあり、特に中国蔑視の筆頭とも言える論客が福沢諭吉であったことに驚きました。ところで、同じ世界史リブレットシリーズの「朝鮮からみた華夷思想 」でも、明朝時代の中国を訪れた朝鮮人の役人が、賄賂の横行や、北京最高学府の荒廃ぶりの指摘が引用されています。この朝鮮の件と明治日本の共通点は、中国文化の最も優れた部分のみに注目し、それが全てだと思い込んでいるために勝手に幻滅している、という点にあるように思えます。これは、19世紀初頭、ギリシア独立運動に参加した西欧人が、古代ギリシア人のような崇高な人々を想定して乗り込んだところ、まったくそうではないどうしようも無い人々に感じた幻滅にも共通するものであるように思えます(そういえば、漢代中国人は、五胡やトルコ系民族の侵入により、現在の中国人とまったく違った人種に入れ替わってしまっている、という議論と、古代ギリシア人は、スラブ人に入れ替わってしまっている、という議論は共通していますね)。つまり、本書を読んでの結論は、「幻滅するものと一緒にされたくない」という心理がアイデンティティ問題には必ずつきまとい、日本人の歴史的な心性として、都合の良いところを上手く吸収するのが古来から共通する日本の特徴であり、このスタンスを上手く維持できるかどうかが、実は日本人にとってもっとも重要なものなのではないかと思うようになりました。13億人の中国が経済成長を遂げたら、日本は飲み込まれてしまう、という恐怖が根底にあり、欧米か中国圏か、という議論は表面的なもので、実のところは、自分たちに都合の良いスタンスを維持でき無くなることが困る、ということなのではないかと思います。この意味で、最近(2009年12月)売れている「日本辺境論」という書籍は、まだ読んではおりませんが、非常に興味があります。

 

 歴史上、文明の中心が成熟し、或いは内輪もめしているうちに、周辺の野蛮な、しかも少数民族に征服されてしまう、または支配的影響を受ける、という歴史は、歴史法則のひとつであるかのように繰り返されてきました。幾つか例を挙げてみますと、

 

1.シュメール都市国家がなかなか統一できずにいるところで、最終的に辺境人であったアッカド人が統一

2.エジプト、リディア、メディア、バビロニアを、蛮族たるペルシア人が統一

3.都市国家の抗争続きだったギリシアの諸ポリスを、辺境のマケドニアが統一

4.戦国中国を統一したのは、辺境の秦

5.中世イタリア都市国家群に干渉したのは、神聖ローマ、アンジュー家、ハプスブルク家など文化的な後進地帯

6.ビザンツ衰退後のバルカン半島と小アジアを統一したのは辺境地帯出身のオスマン家

7.近代欧州のパワーバランスにもっとも影響したのは、欧州から見れば辺境だった米国とロシア

 

などが出てきます。他にも、野蛮な少数民族が、人口の多い先進地帯を征服した事例は多数見られます。これらの歴史をかんがみますと、近代日本が、中国の征服が可能だと考えて大陸に進出した心理も理解できないことではありませんし(そもそも清朝自体が、少数民族の満州人による明朝の征服)、現在でも、このような考えを持つ日本人もいるものと思えます。

 

 しかし、昭和初期の日本は特別であって、明治期の日本人が清朝を征服しようと考えていたとは思えませんし、日本は、近世欧州において英国が、外部から欧州情勢をコントロールしたような地位を占める心性はあっても、米国やロシア、中国のように、自らが支配者の地位につこう、という心性は低いのではないかと思えます。外部から良いものを取り入れる時には進出し、満足すると国を閉ざしても構わない、と考える心性は、日本史上2度も見られることですし、これが日本の本質なのではないかと、このところ考えるようになっています。

 

1.中国南朝時代から唐代までの中国文物の吸収

2.南蛮文化、明朝後期の文化を大体取り入れたが、江戸時代になると必要無くなったので鎖国

 

で、最近の日本ですが、前項でも記載しましたが、日本は既に先進国となってしまっていて、海外への興味が低下してきているように思えます。満足してしまった、ということなのかも知れません。それならそれでも良いのかも知れませんが、ジャック・アタリが「21世紀の歴史――未来の人類から見た世界」で、日本の今後を予測して、「中国、韓国など、周辺諸国との間にある歴史認識などを解決し、(EUのように)連携できなかった」「孤立した日本は軍事的拡張に走る可能性がある」「日本は、人口減少を解決できず、近い将来GDPは世界第5位になる」というようなことを記載していました(手元に書籍が無いので、引用ではなく、私の記憶から書いています)。冒頭で言及した、「東アジア500年の平和」をもたらした、中国・朝鮮・日本の不干渉(孤立)指向からすれば、日本が孤立した挙句に軍事進出する傾向は、稀な現象であって、アタリ氏の予想する孤立路線を選ぶことはあっても、軍事進出に手を出すようには思えないのですが、どうなのでしょうか。。。。ただ、「EUのような連携ができない」点は、当たっているように思えます。そもそも東アジアでは、中国が世界の中心を自認していて冊封体制を敷いている割には、実態は周辺諸国の内政には干渉せず、周辺諸国は勝手に「天下」や「皇帝」を名乗ったり、独自年号を設定したりと、裏表のある体制が、東アジアの伝統だったわけです。この点、「500年の戦争」を経て、仲の悪い隣国同士で条約・国際協調を結ぶに至った欧州とは異なった社会思想があるからです。そうしてこの、裏表のある冊封体制は、今の日米同盟の感覚ともうまうフィットするので、日本人にとっては、日米同盟は、居心地の良いポジションであると言えるのかも知れません。米国も、中国も、覇権主義という点では似ていることから、 「米国衰退」の認識を示すアタリ氏にとっては、日本が東アジアで協調路線を取れず、EUのように成れない、ということは、新たな覇権国家である中国の傘下に収まる、という結論になる、ということなのかも知れません。

 

 長々と記載してきましたが、過去の歴史における東アジアの本質は、表向き中国を立てた冊封体制を結んで国際的な秩序を重視し、更に国内についてはお互い無関心に不干渉として、それぞれに国内秩序を重視する、という指向にあると思っています。この限りでは、今後の東アジアに、EUのような組織が生まれることは無く、また日本の場合は、中国か、欧米か、という選択を選ぶことも無く、鎖国的になるか、外交的になるか、いづれにしても、「辺境」としてのポジション維持に腐心することになるのではないかと思うのです。とはいえ、「この限り」では無い未来もあるわけです。その場合は、中国とは無理としても、東南アジアや韓国などとのEU的な連携の実現を目指し、欧米と中国との間でうまく立ち回る、ということになるのではないかと思います。いづれにしても、日本が東アジアの秩序維持文化を持っていても、だから中華圏か欧米圏か、などとアイデンティティについて論ずることはあまり意味は無く、「辺境的・内向的に立ち回るのは日本のアイデンティティ」だと思うわけです。

 

 最後に2点。

 

 タイなんかは、長年ビルマやベトナムと抗争してきた歴史がある割には、近隣諸国とつきあい上手と言われているようですね。しかもタイは、クーデタが何度もおこる割りには、秩序維持の範囲を逸脱しない範囲に収められていて、この点、タイは、秩序維持指向があると同時に、近隣諸国とも上手くやることができる、という、実は日本・韓国・中国にとって参考にすべき国なのではないかと、最近興味が出てきています。

 

 あと、アタリ氏はじめ、「米国の衰退」を口にする人は結構いますが、私はまったくそうは思わないのですが。。。。。確かに1990年代、唯一の超大国だった頃と比べれば、明らかに影響力は後退していますが、90年代というのは、アレクサンドロスの時代にマケドニアが、ギリシアとオリエントを統合してしまったような特別な時代なのだったと思うのです。その後、ギリシア勢力は西アジアから後退し、代わりに地中海世界はローマに統合されることになる。。。紀元前後の世界は、ローマ、パルティア、中国、インドの4つの勢力圏にわかれたのと同様に、米国の地位も古代ローマのごとく、今後も永らえるように思うのですが、どうなのでしょうか。。。。

 

 

補記:中華皇帝の日常の秩序維持業務について

 

 

 中華皇帝のもっとも重要な日常職務のひとつは秩序の維持でした。

明清代の皇帝の中の、職務にまじめな皇帝(明考宗、清雍正帝など)は過剰な儀礼・儀式・祭祀に過労になったりしていますが、その儀礼・祭祀は、中華世界という秩序の維持を目的としていました。皇帝が社会秩序の源泉だったわけです。 秩序に拘った理由は主に3つあるものと思います。

 

1.歴代王朝末期に社会崩壊し、大量の死傷者を出してきた歴史的経緯

 2.言語も民族も風俗も異なる多様な社会なので、統合に向かえば中央アジアまで征服してしまうエネルギーを出すが、分裂に向かうと混乱に陥る傾向がある

3.中国に限らず、どこの世界も秩序を維持する機能がある(キリスト教はイスラームなとの宗教やローマ法王、日本の天皇などの象徴、近代西欧で生まれた「合理性思考」、インドのカースト制度など)が、中国の場合、漢民族だけでも道教・儒教・仏教いづれも拮抗し、更に漢族以外の他民族を抱え込んでいたことで、皇帝が、多様な地域の「世界の秩序の中心」である必要性があった。逆に言えば、皇帝以外に世界の中心を見出すことができなかった

 

  一言で言えば、中国は広すぎる、ということなのだと思います。本来なら、欧州や、中南米と北米を合わせた ような社会が一つの政権に統合されていることに起因しています。これは負の面だけではなく、プラス面も あります。既述のごとく、中世近世欧州が大戦争を繰り返してきたことに比べれば、中国は長期間の平和を維持してきた点などです。

 

現在の政府の秩序維持の政策は下記点となるかと思います。

 

1.国家指導者の神聖化(特に毛沢東、鄧小平)

2.共産党組織を社会のすみずみにまで張り巡らさせ、社会体制そのものとする

3.言論・情報統制・弾圧などの強健(ムチ)とアメ(豊かになること)の使い分け

4.対外政策(愛国教育、抗日思想の敷衍や、G8での存在感の上昇など、世界政治の中でのレゼンス向上)

 

 ところで、現在の中国では内陸部を沿海部が搾取している、ウイグル・チベットを弾圧している、と批判されていますが、 実体は、米国内の不法就労メキシカンや、米国の中近東・中南米の軍事的介入と変わらないと言えます。 欧米でさえ、何度も大戦争を起こし、現在の米国でさえ、勢力圏を安定させられないことを考えると、 中国共産党政権が短期間ですべてを実現することは難しいと言えますが、中国は、統合欧州や、米国勢力圏が一つの政権下に統合されていることに近く、それだけの領域を単一の政権でマネージすることは、かなり無理があると言えます。

    欧州でさえ、EUの誕生に数十年かかり、現在も旧植民地問題は未解決・ 米国も勢力圏と問題を抱えており、中国はこの同等のものを1政権でやろうとしている為、多様な要素を抱え込み過ぎ、秩序の維持が難しくなってしまっているものと思うのです。 チベットやウイグルを手放し、内陸部と沿海部を別国家にして、EUのような形の連邦にすれば、やっていることは米国とあまり変わらなくなるのですが、歴史的な背景による統合志向が強過ぎることが中国の特徴だと言えるのではないかと思います。 日本が中国を批判する諸ポイントは、欧州が旧植民地でやっていること、インドが国内でやっていること、米国が中南米や中東でやっていることやロシアが旧ソ連圏でやっていることとあまり変わらないように思え、単純に中国だけを見て非難する意見には納得できない点が多々あります。紀元前後の世界に対する学習は、私の中ではだいたい終わってきたようですので、今後は、現在の各世界に等しく目を向けてゆきたいと考えています。

 

 

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