爾雅と東周時代の中国の言語について

 

 

  「爾雅」とは、戦国末に成立した最初の字典。全19編、2219項目、5239個の言葉が掲載されている。

内 容は、古語の解説、標準語の解説、土地により意味の異なる言葉の3種類にわけられる。

古 語の解説とは、例えば、「年」という言葉は、唐虞の時代には「戴」、夏時代は「歳」、商代「祀」、周代「年」、といように、過去にどのような 言葉であったかについて記載している。

 

  今回参照した「周秦漢晋方言研究史」では、中国語の来歴について、炎帝族と黄帝族が融合して華夏族ができ、原始的漢語である、華夏語ができ た、と記載されている。華夏語は、春秋戦国時代には、雅言(夏言)と称するようになったとのこと。周は羌族の一支族で、殷は、東夷の一支族 で、元々の部族語を持っていたが、金文、甲骨文に残る言葉は、標準語しか残っていない。

 

  爾雅全19篇の構成は下記の通り。

 

釈 詁、釈言、釈訓、釈親、釈宮、釈器、釈楽、釈天、釈地、釈丘、釈山、釈水、釈草、釈木、釈蟲、釈魚、釈鳥、釈獣、釈畜

 

日 常用語は、 詁、言、訓にて扱われている。

社 会生活用語は、 親、宮、器。

自 然物は、 天、地、丘、山、水、草、木、蟲、魚、鳥、獣、畜にて扱われている。

 

 

 

周代の関連官職

 

  周代には、地方の習俗に関連する官職があった可能性が高い。「周礼」は戦国時代以降の成立とされるが、「周礼」に、周代の官職が記載されてい おり、地方の習俗に関する記載は下記の通り。

 

 

誦 訓 - 地官(教育農業商業促進担当)に属す。四方の歴史、風俗、禁忌などを王に告げる役。言語と禁忌の言葉を含む。

大 師 - 春官(祭祀典礼を管轄)に属す。音楽文学の官吏。民間の歌謡も入っていた筈なので、方言異語の知識も蓄積されていた可能性が高い。

象 胥 - 秋官(訴訟刑罰を管轄)に属す。周辺民族(蛮夷閩貉戎狄)の翻訳官。外国君主やその使者の接待と翻訳・通訳。象、舌人 とも。

小 行人 - 輶軒の人(軒者使者、遒人使者ともいう)。三代と周秦において、毎年8月に、専門の官吏である、輶軒の人(軒者使者、遒人使者、小行人ともいった)が地方 を巡り、方言、童謡、歌戯を集めて回り、収集した情報を王室で秘蔵していた(この情報の出典は揚雄と劉歆の往復書簡、及び応卲の風俗通儀に出 てくるとのこと)。周秦崩壊時散失したが、蜀の人、林閭翁孺と厳平君が、粗略とはいえ整理をして残した為、秦以前の地方の言葉の情報が残され たとされる。

 

  当時まだ方言という言葉は無く、方言という言葉は西漢で概念が芽生え、東漢で成立したと考えられる。西漢では、「代語」「異国殊語」「殊語」 「殊言」「異語」「異俗之語」などの言葉が揚雄と劉歆の書簡に登場しており、後漢中期の「説文解字」では「方言」と「方語」を同じ意味で使っ ているとのこと。

 

   

爾雅に登場する方言の材料

 

  揚雄の「方言」同様、標準羅話法が使われている。下記のような記載方法が取られている。爾雅単体では、どの地域かの情報が無いものが多い為、 それらは主として「方言」「説文解字」「郭璞注釈版爾雅」から補っている。

 

① 釈詁:融、長也。郭注:”宋衛荊呉之間曰融”   (融は長とも言う。晋代の郭璞の注に”宋、衛、荊、呉の間では、融が使われている”)

② 釈親:晜、兄也。郭注:”今江東人通言晜” 《説文・弟部》”周人謂兄曰晜” (晜は兄とも言う。晋代の郭璞の注に”今の江東の人は、標準語 として晜を使っている。”とあり、更に許慎の「説文解字」の「弟部」に、「周の人は、兄を晜と言う」とある)

③ 釈言・増、益也。郭注:”今江東人通言増” (増は、益とも言う。晋代の郭璞の注に”今の江東の人は、標準語として増という)

 

  このような記載方法で、各篇で方言が登場する回数を整理すると、下記のような状況となる。なお、釈訓、釈楽、釈丘、釈水、釈畜には、方言は登 場していない。

 

 

篇名

項目数

方言の登場する項目数

登場する単語

方言が記載されている言葉

釈詁

191

30

1132

63

釈言

308

19

679

26

釈訓

124

0

320

0

釈親

93

2

194

2

釈宮

87

4

176

6

釈器

135

5

271

8

釈楽

36

0

72

0

釈天

150

3

303

3

釈地

69

1

132

1

釈丘

51

0

98

0

釈山

50

2

100

2

釈水

70

0

120

0

釈草

252

19

484

25

釈木

120

4

244

5

釈蟲

89

11

171

19

釈魚

79

8

138

14

釈鳥

117

16

230

28

釈獣

102

7

192

9

釈蓄

96

0

183

0

 

と なっており、方言掲載数は、それ程多いわけではない。方言が登場する割合を纏めると下記の通り。

 

 

項目数

方言登場項目数

割合

単語の数

方言登場単語

割合

19篇全体

2219

131

5.9%

5239

211

4.02%

方言の登場する14篇

1482

131

7.11%

4446

211

4.75%

 

 

 

方 言の分野別割合は、日常会話用語42.18%、社会生活が、7.58% 自然物 50.23%とっている。

 

 

 

周代の方言

 

 

 

  「爾雅」に登場している方言単語211のうち21個は、どこの方言にも位置づけることができず、残り190個のうちの48個は、2つ以上の地 域で利用されている。残る142個を地域別に割り振った表は下記の通り。

 

地方

単語数

備考

秦晋

31

 

周韓鄭(漢代趙魏含む)

18

 

衛宋

10

 

齊魯(漢代東齋海岱含む)

28

 

燕朝(漢代北燕朝鮮含む) 

8 

 

荊楚(漢代南楚含む)

24

 

呉越(漢代南越含む)

27

ただし南越は 0

複数地域に跨る語

 

 

     関東

24

 

  楚と中部(衛宋齋魯)

10

 

  東南呉越

5

 

    中部と北方

4

 

 

 

 

 

「孟 子」に、「南蛮人は鳥の舌を持つ人」「楚語と華夏語は同属だが、違いは大きい」などの文章が登場しているとのこと。「左伝」には、「楚人は、 「乳」を「穀」と言い、「虎」を「於菟」という。「穀於菟」と言うことはできるが、「於菟穀」と言うことはできない」とあり、楚語と雅言の違 いは認識されていたと考えられる。更に、「荀子」には、「楚は楚、越は越、夏は夏」との記載がある為、「呉越」と「楚」は別の言語習俗だと認 識されていたと推測される。「孟子」の学生「咸蒙丘」が「齊東野人の語」を理解できたとあり、東齊と齊で差があったことが認められ、「呂氏春 秋」では、呉と齊では理解が難しいとあることから、呉と齊の間にも大きな言語上の差異があったことがわかる。更には、「戦国策・秦策」に登場 している話では、中原諸国間でも、既に意味の異なる言葉があったとみなすことができる挿話がある。曰く、鄭人は、加工していない玉を「璞」と いい、周人は、加工していない鼠の肉を朴といい、同じ発音だったらしく、鄭人が璞を注文すると、周人が差し出してきたものは鼠の肉だった、と いう内容とのこと。

 

  このように各文献に散らばっている言語の疎通に関する証言と、爾雅に記載のある情報を組み合わせることで、東周代の方言区域を概ね描くことが できるとのことである。

 

 

参 考

- 「周秦漢晋方言研究史」 華学誠 著 復旦大学出版社 2007年

- 「揚雄≪方言≫輿方言地理学研究」 李恕豪著 巴蜀書社(四川師範大学文学院学術叢書) 2003年
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