漢代の共通語と方言

 周代の後半に、洛陽周辺で話されている言葉を「雅言」といい、これが、周国の共通語だったという。戦国期、周人 と鄭人の間で、既に意味の異なる言葉があり、例えば、鄭人は、加工していない玉を「璞」といい、周人は、加工していない鼠の肉を朴といい、同 じ発音だったらしく、鄭人が璞を注文すると、周人が差し出してきたものは鼠の肉だった、という話が「戦国策・秦策」に出てくるそうです。当時 既に、「詩経」に代表される言葉は、殷方言・洛邑方言とされ、「論語」に代表される言葉は、魯方言に分類されるとのこと。秦漢にいたり、秦晋 地方の方言が標準語として、雅言に取って代わったとのこと。標準語のことを当時は、「通語」と言ったらしいが、現在でも中国の標準語は「普通 語」というので、この点は今も2000年前も変わっていない、ということのようです。漢代に方言とされていた言葉のいくつかは、晋代に入り、 通語となっていったとのこと。

 

揚雄「方言」に見る漢代の方言区分

 揚雄(前53-後18年)は、漢代四 川出身の学者で、当時の方言を、「方言」13巻を纏めたとされています。当時の「方言」という言葉は、通例、中国語以外の言葉も含んでいるよ うですが、揚雄の書籍に登場する言葉は、基本的に中国語のようです。彼の分類方法は、ひとつの言葉が、他の地域で、どのように使われているか を示す、という記述方式である為、方言の総合的体系的な分類をしたわけではないとのこと。よって、「方言」を分析した後世・現代の学者が、地 域別の分類を様々に提示しています。学者によって分類は様々に異なるのですが、下記にそのひとつを掲載します。この分類では、全部で12の地 域に分類されています。

 

1.秦晋   - 標 準語

2.周韓鄭  

3.趙魏

4.衛宋

5.齊魯

6.東齋海岱

7.燕代

8.北燕朝鮮

9.楚

10.南楚

11.南越

12.呉

 

「秦漢歴史地理と文化分区研究」と いう書籍には、5人の学者の分類一覧を掲載していて、各学者がほぼ一致している分類境界は、下記分類となっています。

 

西部  - 秦晋、西 秦(関西)、西南(梁州・益州(四川))

中部  - 周韓鄭趙 魏衛宋齊魯

東部  - 東齋海 岱、徐州、青州、淮河地方

北部北東部 - 燕 代、北燕朝鮮

南部 - 陳楚、南 楚、淮河、長江地方

東南部 - 呉越、南 越

 

 

秦楚、呉越、燕という分類は比較的ポ ピュラーかと思うのですが、興味深いのは、

 

・晋と趙魏韓が分かれている

・東齋と齋が分かれている

・秦晋方言が、山西省西部、オルドス地 方から四川地方まで広域に広がっている

・楚(現湖北省)と南楚(現湖南省)で 分かれている

 

という点です。秦の方言地域が広いの は、恵文王(前338‐311年)の時代に四川省にあった蜀王国を滅ぼし征服したため(前316年)ですが、周の北、現在の山西省南部の晋が 秦と同分類になっている点が意外です。早くから秦に征服されたからでしょうか。また、齋についても、周代後半から春秋時代、萊族の居住してい た東方は、漢代となっても、言語的に異なった地方とされ続けていたことがわかります。

 

「方言」の成り立ち

 「方言」に収集された情報は、揚雄だ けが集めたものではなく、親類である林閭翁孺や師である厳平君(荘遵)が収集したものも含んでいるとのこと。これらの情報が何故蜀の地で集め ることができたのか、という疑問に対しては、劉邦が長安を占領した時、宰相である蕭何が、秦の文書を接収したものが、劉邦の漢王受封に伴い、 蜀の地にもたらされた、後代民間に流出したもの、との説があるようです。もともと周代には、毎年8月に、各地の詩文や言葉を収集する制度があ り、それが秦に引き継がれていた可能性がある。これを蕭何が接収した、ということのようです。

 

 揚雄は、長安に状況して、各地から集 まってきた兵士や孝廉(当時の民間から役人を選抜する制度。選抜された者も孝廉と呼んだ)にインタビューして情報を集めたようです。

 

 一方で、「方言」は揚雄の作品ではな い、という偽作説もあるとのこと。この理由として、漢書の芸文志に掲載されていないことや、厳平君とは、本来「荘平君」という氏名であり、荘 に変えて、厳の文字が利用されているのは、後漢明帝の名前である「荘」を避けるためであったことから、「方言」の成立は、後漢に入ってから で、作者は揚雄ではありえない、という点や、後漢許慎「説文解字」でも、揚雄の方言から引かれたと推測される語句があるが、ここでも作者名に 言及がない、王充の「論衡」でも揚雄著作に言及しながら、「方言」への言及がない(しかも王充は100年頃死去していて、許慎より時代が近 い)、などのことが疑念点として挙げられているとのこと。

 

 これに対しては、今回参考にした書籍 では、下記の説が記載されていました。

 

・「漢書」芸文志は劉歆の「七略」に基 づいていて、劉歆の「七略」編集中は、まだ「方言」は完成していなかった。

・厳平君の記載の直ぐ下の箇所で、「蜀 に楊荘という人がいる」との記載があり、荘の字が使われている。

・最初の題名は、実は、芸文志で、揚雄 作と記載されている「揚雄倉頡訓纂」という書籍だった可能性もある。

 

 現在の題名は、南宋代の書籍「輶軒使 者絕代語釋別國方言」となっていて、これが揚雄の作品とされた理由は、揚雄と劉歆の往復書簡である、

「答劉歆書」(前7年)「輿揚雄書」 (前6年)に因んでいるとのこと。はじめて揚雄の業績として方言研究に言及している後漢末の応卲や、「方言」の注釈者である晋の郭璞は、とも に明確に題名に言及しておらず、書簡の方で方言に関するやりとり掲載されていることから、「輶軒使者絕代語釋別國方言」は揚雄の作品とされる ことになったようです。書簡中で2人が言及している書籍は、15巻となっていて、「殊言」という一時的な題名とも解釈する語句が登場している とのこと。揚雄の方言に関する研究ではこの書簡も含めて「方言」史料となっているようです。

 

「方言」の内容

 各巻は下記の構成となっています。 675項目、11900字(揚雄自らの言及は9000字)。

 

普通の言葉  1,2,3,6,7,10,12,13巻

物の名称 服飾関係(4巻)、器物(小 物)関係(5巻)、動物(8巻)、モノの名称(9巻)、虫(11巻)

 

 本文は、基本的に、下記の形式となっ ています。このような記載方法を「標準羅話法」というそうです。

 

庸、恣、比、侹、更、佚,代也。齋曰佚、江淮陳楚之間曰侹。余四方之通語也。

 

 

 最初に、同じ意味の単語を 全部並べ、その中で、特定の地域だけで利用されている単語と地域を記載しています。

ここでは、最後の「代」という言葉が標 準語で、斉の地だけが、「佚」という言葉を使い、長江、淮河、陳楚のあたりでは、「侹」という言葉が利用され、その他の地域では、庸、恣、 比、更の4つの言葉が、共通語として通用する、と記載されています。ここで重要なことは、「秦晋の方言」、「楚の方言」「斉の方言」というよ うな、特定の国名や地域の方言の特徴を分析する、というスタイルではない、ということです。あくまでその言葉が、どこの地域で利用されていた のか、を列挙してゆくだけであり、総合的な結論として、「地域」の分類までは揚雄は行っていない、ということです。方言の言語学的分析ではな く、方言字典に近いと言えるのではないかと思います。

 

次の例は、もう少し地域性のある言葉で す。

 

嫁、逝、徂、適,往也。自家而出謂之嫁、由女而出為嫁也。逝、秦晋語也。徂、齋語也。 適、宋魯語也。往、凡語也。

 

- 「嫁ぐ」という言葉は、実家を出て 嫁に行く、という意味で、秦晋では「逝」、斉では「徂」、宋と魯では、「適」、往は全ての地域で使われる。

 

1巻ら11巻まで81%(410項目中 333)が標準羅話法で記載されていて、12,13巻だけ、4.5%(265項目中12)と非羅話法が多い構成となっていて、全体では、羅話 法が52%、非羅話法が48%となっています。

 

 羅話法の記載に登場する地理分類(江 淮陳楚之間、などの言い方)は、全部で328通り登場し、10回以上登場する地名を、多い順番に並べたものが下記となります。

 

楚(43回/8つの巻 に跨って登場(以下同じ)

自関而西(35回/8 巻)

自関而西秦晋之間 (30回/8巻)

南楚(28回/11 巻)

東斉(28回/8巻)

自関而東(24回/6 巻)

秦晋(24回/6巻)

秦晋之間(24回/6 巻)

東斉海岱之間(19回 /6巻)

斉(11回/8巻)

秦(10回/6巻)

 

自関而東は、函谷関の東(関東)、自関 而西は函谷関の西(関西)で、日本の関東関西の語源もこれかも知れません。

さて、上記地域名ランキングを見ます と、ベスト11までで、328の地名中、276回(84.1%)を占めています。つまり、大体は地域に寄ってきていることを意味し、方言の地 域分類には、明白な傾向があると言えることになります。

 

最後に

 

 揚雄の「方言」は、後世、この時代の 文献の辞書としての利用価値があるとのこと。何度も写本を書き写したり、写本担当者が、方言話者で、うっかり文字を変えて書き写してしまった 字句などを、「方言」を参照して復元したり、ある文献で意味のわからない単語が、別の文献の、既知の単語と同じ意味であると知ることで、翻訳 に役立つなどの利用価値があるそうです。漢代以前の方言に関する参考資料としては、「爾雅」という戦国末に成立した書籍があり、こちらで内容を紹介しています。揚雄「方言」の原典はこちらに掲載されて います

 

参考文献

-「揚雄≪方 言≫輿方言地理学研究」 李恕豪著 巴蜀書社(四川師範大学文学院学術叢書) 2003年

-「周秦漢晋方言研究史」 華学誠 著  復旦大学出版社 2007年

-「秦漢歴史地理与文化分区研究(以≪ 史記≫≪漢書≫≪方言≫為中心」 中央民族大学出版社 2006年


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