Feb/21/2017

古代中華世界(主に漢代)の生活



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言葉-  どんな言葉を話していたのか -

書物 -  書物をめぐるあれこれ -

教育 
建築
古代ローマと漢王朝の窓ガラス

広東省博物館にある漢代墓から発掘され た、当時の住居の模型の展示品

広州市博物館にある漢代墓から発掘さ れた、当時の住居の模型の展示品

漢代墓か ら発見されたトイレの模型各種

漢 代墓から発見された、台所や倉庫の模型各種

漢代墓から 発見された、楼閣の模型各種

2m 近い楼閣模型

漢代 墓から発見された豪族の住居模型

CCTVの地理歴史紀行番組 「中国走遍」の「王城の地」に登場した古代洛陽城再現映像
衣服
漢代の壁画一覧表と、ネット上 に掲載されている壁画画像へのリンク

洛陽古墓博物館で展示されている漢 代壁画

洛陽市博物館に展示されている 官女の彫像
地図
宋代の地図に見る 古代中国の地図の技術と精度、及び漢代の「駐軍図」と「地形図」
日常生活関連


漢代生活史料壁画写真集「中 国墓室壁画全集1:汉魏晋南北朝」と日常文物史料集漢代文物資料書籍「漢代物質文化資料図説」の紹介
娯楽
古代ローマと漢王朝のサイコロ

中 国公案小説(中国推理小説)の起源かも知れない古代の犯罪事件事例文書張家山漢簡《奏讞書》案例二十二』
経済
貨幣の話



知識人の世界

都市と農村 


  

 


  

参考 度 量衡換算表  -  -

                                        
食事
- どんなものを食べていたの? -
食器 ななもの、煮物(焼き物は少ない)

1.重慶出版社「秦漢帝国」に掲載されている内容
 
http://www.cqph.com/BookDetail-4423.aspx
著者は西南大学歴史文化学院教授となっていますが、鶴間和幸氏「ファーストエンペラーの遺産」と
歴史ムック本の間のような書籍です。啓蒙書に分類されると思うのですが、
これに、漢代の食事について簡単な記載がありました。出典の記載もないのですが、とりあえずご紹介します。

・百姓の食事は1日2食。朝食は7-9時の間(現代の時間で記載しているものと推測される)これを朝食という。
・午後は3-5時の間。これを哺食という。
・士大夫は日に3食。朝食、夕食がメインで、正午は間食で、朝食の残りを食べた。
・天子は4食(四方を治める、という象徴的意味がある)。
・主食に、菰米、□麦、青稞、高梁などの新商品が出てきた。(□の字、ピンインがわからないのでSkip)
・副食として大豆や小麦の地位が上昇、面食も主食に
・白菜、黄瓜、蕹菜、などの新商品が出てきた。
・少数の富裕階層は、季節の影響を受けない食事ができた。温室栽培が行われていた。
・戦国期は、肉食は貴族官僚層に限られていて、一般民衆の肉食はごくわずかだったが、 秦漢代は普通の百姓も、日常的に肉食するようになった。羊、猪、狗、鶏を食べた。
・豆腐もあった。
・豆油、菜籽油、麻籽油など植物油が利用されていた。
・調理法は、炒める、湯がく、揚げる、焼くなど。
・塩菜、醤菜などの添え物も出てきた。
・茶と飲酒も流行。飲茶は、漢代の重要な接客方法のひとつ。
・酒の種類も多く、「西京雑記」によると、菊花酒の記載があり、 この種の酒は薬用効果があるので、長寿酒といった。

2.漢代の飲食(京都大學人文科學研究所『東方學報』、1975年12月、48号)
出土した飲食物遺物を分析・検討した論説(PDF はこちら

住居
- どんなところに住んでいたの? -
 
家族 核家族 床に座る
夜光杯、夜光壁(ガラスのこと)
青磁は後漢からあった。灰陶とは、酸素がないゆえに土中の鉄が還元して灰色となる。温度が低いと酸化するので赤 くなる。漢代、色付き陶器は、葬祭用。着色をすると、すぐ落ちてしまい、実用に耐えられない。漆で着色。
木は湿気がありすぎても、保存される。泥炭中でも保存はよい。馬王堆のミイラの保存のよさ。内臓、脳等が残って いる。
 秦代の写実主義。テン書と隷書の歴史。隷書は秦代からあった。テン書=>隷書→草書→楷 書  これは漢代が文書行政であり、早く記述する必要があったため、簡略字が発達した。木簡と竹簡(証明書や割符、パスなどは木、文書は竹、日本では文書は紙で 割符は木で共存)現在残されている簡は保存用のコピーの文書の方なので、字体は雑であろう。
 墓が住居となる思想は漢代後半から。墓石傳と石□□。
 青銅は鈴が入るほど硬くなるがおれ易くなる。漢代のガラスについて。
後漢の墓は煉瓦となり、浅くなり、保存にはかえって良くなくなり、漆器などはあまり残っていない。ソウル博物 館、漢金細工。
トイレ 皇帝が転落して死ぬ

漢代の漆器が南部では、六朝時代以降、陶器(この時代のものは瓷器という)にとってかわり、陶器の種類 も、壷や瓶から鉢、碗が主流となった。これは、座る生活から、椅子とテーブルの生活に変わった為と考えられ ている。この変化が北朝の影響によるものかどうかは不明

仕事
- どんな仕事をしていたの? -
(1) 役人の仕事 

官吏の数の例

東海郡 人口139万 官吏 2200人

大県 県令給与 1000石 官吏100人以上(1万戸以上)
中県 県令給与 600石 
小県 県令給与 400石 
極小県県令給与 300石

    人を増やすのが仕事 徹底した文書行政。服の色。 
 任安-293、班昭「出世競争」 
(2) 農民の仕事 
    牛をつかいだした 。しかし前漢代の代田法は牛2頭に3名という 実際には無理なものだったので、これは豪族に適用されたものであろう。
   一般の家は 牛1頭で人一人がやっと。V字鍬の普及。鉄製農具の普及。
(3) 医者 
(4) 床屋 

 

地券と呼ばれる、所有権証明書が出土している。石、磚、木、鉛、銅で作成され現在も遺物が残る。当時の取引や土地所有制度 などを読み取ることができる。1畝4千から1万銭程度、漢代から劉宋代まであまり変化しなかったらしい。値段の差は土地の良 し悪し(「古代江南の考古学」p188)

旅行
- 役人と商人以外の人が旅行できたのか? -
地図
名前
- 

祭り
-  -
5人以上で飲めなかった?
郷の祭りを共同で行った。
結婚と葬式
- 冠婚葬祭 -
70歳になると政府から杖が送られたとか。
娯楽
-  -
 
後漢時代釣りのリール
すごろく

(河南省博物館)

交通
-  -
 
馬車 =役人階級によって色々制限やきまりがある。春秋時代後期(前6世紀末)か ら駅伝制ができた。駅は馬だけ、伝は馬車と、別々の施設だった。漢代には30里ごとに駅が置かれ、伝は県の役所 のあるところに置かれたと考えられる。駅は緊急通信用。前漢代は、駅よりも伝が主に使われた。高官に任地赴任に は伝が使われた。4頭立ての馬車だった。後漢代には、伝よりも駅の利用が盛んになった。(出典「情報の東西交通 史」p46)

 

治安
-  -

「亭」は全国におかれた治安システム。10里ごとに置かれた。
音楽
-  -

 

子供の世界

社会の中の女性

 

男と女
- いい男といい女って -

 


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