広州市博物館

 南越またはそれ以前の時代の有力者墓復元模型

田畑と船

牛と馬の引く荷車

家の模型

普通の家

普通の家

大きめの家

 

 

井戸

井戸

高床式倉庫

右手階段を上る豚

南方特有の形式

家畜が家の中の飼育小屋に

戻ってゆくところ。

右手板を上る家畜

右の豪邸内部

豪邸

規格化され名文の入った煉瓦

 家畜が家の中の飼育小屋に 戻ってゆくところ。

南越または戦国期貴族の墓。広州市博物館前庭に移築されている。逝江 省紹興市にある春 秋戦国越王墓と同形式。こ ちらも参照

 広州市駅前から南東1q程の越秀公園内にある。公園入場5元。博物館 20元(2008年)

公園内に、明代城壁が ある。
越秀公園内には、「古 之楚庭」(Memorial Archway of CHU dynasty)と呼ばれる場所があり、これが、広州でもっとも古い地名との伝承があるとのこと。清代の詩人屈大均によれば、楚庭に宮殿がおかれたのが、この土地のはじまりで、一説には前887年 (西周夷王8年に、楚の熊繹(楚子)が越を討伐し、南海を楚国 に服属させたときより楚庭がはじまったとのこと。また別の説では、前600、周惠王の時代に、楚の成王熊ツが南方の 夷越の乱の鎮圧を命ぜられ、このとき、南海に楚庭が作られたとされる。楚庭は、“楚亭”とも書くことができ、古代に おいては、“亭”は“市”という意味を持っていた。このため、楚庭は楚の市との意味もある。この説を採れば、楚庭と は、もっとも早い時期に作られた宮殿かもしれないし、市の集りだったのかも知れない。ただし、都城ではなかったこと は確かなようである。

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