本作は、2016
年のフィンランド映画祭(六本木)で上映されています。フィンランド・ドイツ・カナダ・スウェーデン・フランス
合作。17世紀のスウェーデンの女王ク
リスティーナ(1626-1689年/在1632-54年7月6日)の在位時代を描いた作品。駄作ではありませ
んが、正直あまり主観的にはあまり面白い作品ではなかく、「何が語りたいのかがちょっとはっきりしなかった」と書いておられ
るブログもあり、IMDbの評点も、本日現在5.9と高くはなく、評点別でも5-7点に寄っていて、10点が飛びぬけて多い
という、一部の、ツボにはまった熱狂的視聴者を獲得するような作品でもないため、特に記事を書く必要性はなさそうに思えたの
ですが、映画ラストの「ヴァティカンに埋葬されている三人の女性のひとりである」という解説を読み、残りの二人は誰なのか調
べたので、ついでに映画紹介の記事を書いた、というものです。 映画の雰囲気はトレイラー(こちら) を見ればだいたいわかります。取得した画面ショットもトレイラーに出ているため、わざわざ画面ショットをとらなくても良かっ たかも。 〜あらすじ〜 世界史の教科書にも出てくるスウェーデン史上傑出した国王グスタフ二世(1594-1632/在1611-32年)が早世 し、6歳のクリスチーナが王位につき、男性のように育てられた。1644年親政を開始した女王は、理想に燃え、戦争をやめさ せ、ヨーロッパ中の先進文化を吸収する文芸事業に財政を注ぐよう議会でも街中でも主張する。当時ヨーロッパは三十年戦争の最 中であり、女王の施政方針は、国政に大きな波紋をもたらした。女性はフランス出身の思想家・研究者デカルトと文通し、デカル トを招いて人体解剖を行ない、異教徒として狙撃されたりする。さらに伯爵家の娘で宮廷侍女となっていたベル( Countess Ebba Sparre 1626-62年)と同性愛の関係に落ちる。プロテスタント国スウェーデンでカトリッ ク教徒であるデカルトの影響を受け、更に三十年戦争はプロテスタントとカトリックとの戦争であったことから、女王は宮廷で孤 立してゆく。しかし三十年戦争の終結条約であるウェストファリア・オスナブリュック会議には、適任者(次王従兄のカール10 世)を送り込み、スウェーデンの要求を達成することに成功した。一方、同性相手のベルは反対勢力により拉致され、強制的にガ ルデ伯爵(Count Jacob kazimir de la Gardie (Jacob De la Gardieの8人目の子供/1629–1658年)と結婚させられる。ベルの結婚式に取り乱したままあらわれたクリスティーナは、真冬の川に飛び込む。 デカルトは病気で死去し、幼年時からのトラウマとなっている、階段からの落下事故が母親のものと知るなど、宮廷での居場所を 失ったと判断したクリスチーナは退位し、カール・グスタフに譲位するのだった 〜Loppu〜 これは、宮廷のメインサロン。奥に玉座があり、クリスティーナがいます。有力貴族や大臣は手前のテーブルに着席します。 あらすじには登場しませんでしたが、主要登場人物であるクリスティーナ在位時代を支えた名宰相と、その馬鹿息子(いいすぎ) のリンクをはっておきます。 名宰相ア クセル・オクセンシェルナ(1585-1654年8月28日) 息子ヨ ハン・オクセンシェルナ(1611−57年) 以下右がストックホルムの王宮。左下は街中でクリスチーナが演説するところ。規模からして小国であることがわかる。クリス チーナは、理想論を語るが、民衆には理解できず、傍らにいた宰相オクセンシェルナは、「ビールを与える、といえ」と助言す る。残念な思いに沈む女王。 映画の最後に、ヴァティカンに葬られている三人の女性の一人、とテロップがでていました。こちらのサイトによると、どうやら 現在埋葬されているのは三名で、これまで埋葬された人物は五人のようです。つまり二人は少し違う場所に改葬されているようで す。 St Petronilla (1-3世紀) 初期キリスト教の聖人。遺骸は757年にカタコンベから旧聖ピエトロ教会に移され、1606年に祭壇とされた。 カ ノッサのマティルダ伯 (1115年死去) 教皇グレゴリウス七世とともに神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世と抗争した女伯。1634年3月10日に遺骸はバシリカに移動し、墓碑が置かれた。 シャ ルロット・ド・リュジニャン (1487年死去) キプロス女王。 旧ピエトロ教会に葬られ、1610年に地下墓地に移された。 Agnesina Colonna Caetani (1578年死去) ローマの貴族コロンナ家の人の模様。詳細不明。バシリカに埋葬され、, ヴァティカンにあるヨー ロッパの諸聖人のチャペルに移された。 クリスチーナ女王 (1689年死去) 遺体は地下墓地にあり、バシリカに墓碑がある。 マリア・クレメンティナ・ソビエスカ (1735年死去) 英王国ジェームズ3世夫人。1745年に埋葬され、墓碑の上に移された。 最後。左下は、デカルトの遺体解剖を見学する貴族たち。遺体の左手にクリスチーナ、右手にデカルトがいる。右は、現在の画像 が発見できないので、現存していないのかも知れませんが、たしか2度登場していた筈なので、ストックホルムの主教教会だと思 われます。 □関連書籍 『スウェーデン女 王クリスチナ―バロック精神史の一肖像』(中公文庫・下村寅太郎著、1992年) Filmarksの映画紹介は こちら IMDb の映画紹介はこちら |