8月1日

  正味45分くらいのフライトだったと思う。今度はえこのみークラス。
 この短い時間のなかで、チュニジア航空は、 食前の軽食、 機内食、 機内販売すべてを強引 に行ってしまった。
 機内販売などは着陸態勢に入って、 「シートベルト着用」 になってから、 スチュワーデス がパンフをもって客席を回っていた。 その根性には恐れ入った。
 時差は1時間あった。

 アフリカ大陸が窓の外にちらちら見え出してから、 着陸までなおも30分ほどか かる。
13時10分頃チュニス空港。 新築の空港。 しかし、新築でありながらどことなくぼろい。  ミリタリールックの警備員が数人ロビーにいる。
奇妙なくらい人気が無い。 ちょっとSFチックな感覚。 整備中のトイレを利用する。
 機内に手帳を忘れてきてしまったようだ。 これだから、移動している時は大事なものをだすべ きではなかったのだ。
あわてて機内に戻る。 手帳は座席の下に 落ちていた。
 到着ロビーには一応人々沢山がいた。 まずこれでちょっと安心。 チュニジアに関する情報が まったくなかったので、
少しほっとする。 200ドル両替(1USD=1128ディナール)して外に出ると、むっとい う熱風が顔に、全身に拭きかかってきた。
 「こりゃすごい。とんでもないところに来てしまったのかも。これで旅行なんてしていけるの か」 とすこし不安になる。

 バスがとまっている。 空港バスという表示。 一体どうやって町中に行くかどうかの確認を とったのか思い出せないが、
とにかく市街中心部へゆくことがわかったのでバスに乗り込む。 言葉は全然。 地図すらない。  道中の景色、 曲がり角などを覚える様にする。
 広い。 ちょっと見にはどこまでも アリの巣のような小さな住宅地の密集地帯が なだらかな 丘に広がっているだけ。
 ハイウェイは結構広く、車も多い。 こりゃアフリカのイメージそのままに田舎だが、 まあ大 丈夫だろうとハイウェイを見ながら思う。
 そのうちビルの群れが見え出し、 通りの両側に店が立ち並び出す。 程なく停車。  EXCELホテルの前で終点。
 下車。 14時。 何とか市街にたどり着く。

  ホテルEXCELのフロントレディーは英語が出来たので、 安ホテルの相場などを聞く。
それによると、30ドルくらいは安いほうらしい。 ついでに 「ものの値段って定価が決まって いるの?」 などと失礼なことも尋ねてしまう。 まぁ、しらないんだから仕方がないし、
モロッコなどの旅行情報を聞いてるとそう考えてしまっても仕方がなかろう。 

 ガイドブックと地図を探してメイン通りを少し歩く。 2、3件売店をみてみて、最初の店が 一番安いことがわかり、 そこでガイドブックと地図を購入する。
地図は良質だったが、 ガイドブックは厚紙で製本が甘く、 使い古すとページがバラバラになる ようなやつ。
 しかしこれ以上ましなガイドブックが見つからなかったのでそれにする。 ホテルも見当たらな さそうなので、 EXCELホテルで教えてもらったホテルへゆくが、
36000ディナール。 高い。 しかし結局ここにする。 2泊。 どうやらこのあたりがチュ ニス新市街の中心部らしい。札幌の大通り公園のあたりに似ている。
 実はこのときまで通貨名を知らなかったので、 「ディナール」 が 「ディナー」と 聞こえ てしまって、 
「ディナーはいらないよ」 というのが、 「ディナールはないよ」 ととられてしまい、 「そ れなら泊まってくれなくて結構」 とフロントマンと言い争いになってしまった。
誤解がわかってお互い苦笑してしまったけど。 

 朝食込みで部屋は広くて、しかもなにより凄く涼しくてよかった。 しかし部屋へ入るとなに かかび臭い。
すぐに慣れるのだが、 入った直後は毎回ちょっと臭うのだ。 
 機内食についてきた ノンアルコールビールを取り出す。 夜のもうっと。
 休憩後カルタゴ遺跡のの下見に行くことにする。 17時。 地図のお陰でカルタゴ方面の郊外 電車駅はすぐにわかる。
この時間になると 多少暑さはしのぎやすくなっている。 電車はチュニス湾を横断し、対岸へわ たる。
 各駅名にはハンニバル一族の名称がついている。ハミルカル、ハンニバルなど。
(といいながら忘れている)○○駅で下車。 海の方向へ向かうが、地図上から推測したよりも 思ったより距離がある。

 15分ほど歩いてやっと海へ到達する。 イスラムの海水浴場やー、と興味津々で浜へでてみ たが、思ったより普通だった。
ま、ビキニはないけどおばちゃんとかも来ているし(子供はビキニしていた)。
 但し海辺は海草で覆われていてサンダルにからみつく。 砂浜ではなく、土の浜であった。
 海岸沿いにカルタゴ遺跡に向かってあるきだすと、だんだん人気がなくなってくる。 しかし林 の影に突然カップルがいたりする。
 結構自由ジャーん。

  しばらく行くとそれ以上いけなくなる。 こんなところにどうしてか警官がい て、戻って迂回しろという。
 政府要人の別荘とかかもしれない。 迂回して、古代カルタゴ港をまわってアントニウス浴場の ある遺跡まで行く。
 もう閉まっていたが、取り敢えず場所は確認できた。 最初に下りた駅からとなりの駅まで歩い たことになる。 この隣の駅からチュニス市街へ戻る。

 18時頃市内に到着。 その後メインストリートを散歩。 デパートなど見学。 大きな露店 の花屋があった。
 スパゲティー屋で夕飯。 ビールはどこか臭かった。 パンにかびが生えていた。

 ホテルに戻る途中声をかけられる。今度は体格のいい、レスラーみたいな青年。
 「どこから来たんだ?東京?俺のおばが日本に住んでいるんだ。板橋区とかいうところさ。
              手紙を書きたいのだがちょっと相談したいこともある。お茶でもの みながら話そう」
だって。誘いかたが強引で気に入らない。疲れている、と言ってことわると 「ありがとう」 と 日本語で 強く 握手をして去っていった。
チュニジアではこいつが一番紳士(このての連中としては)だった。 
 22時頃戻る。 疲れていてすぐ寝てしまう。
 

8月2日

 7時起床。ホテルで朝食。 まあまあ。 ウェイトレスではなく、おじさんのサービスという のがちょっとあれだけど。 シトロンジュースがおいしい。
 実はこのジュース、旅行中ずっとチュニジアの果物のジュースかと思っていたのだが、どうもレ モンジュースだった様な気もする。
シトロンという果実の実態はなんなのか? 調べなくては。

 7時20分出発。 カルタゴへゆ く。 アントニウス浴場の入り口に 古代新旧カルタゴの復元図が掲示されていた。
 ほかにもこの近辺のカルタゴ遺跡の写真。
 アントニウス浴場は、遺跡の規模としては大規模だったし、アントニウス浴場の復元図もあっ て、なかなか見られない遺跡であったが、
なぜかそれほど感動したわけでもなかった。4から5メートルに達する柱の遺構が床下加熱室の遺 跡であったためかもしれない。
 アントニウス浴場は海に面しているが、 海岸とはコンクリートで区切られていて海岸と行き来 できないようになっている。
 北側は大統領住居となっていて、遺跡の敷地内に警備の兵士が何人もいて、2、3度チェックさ れた。 

  次にヴィラを見にゆく。 ヴィラは丘の斜面にあり、 ヴィラとその周辺の道路等が残っていて、遺跡伝いに丘の反対側へゆくと「百柱教会」の」跡に達する。
 この百柱教会側から侵入すれば、チケットなしでも入れちゃう。 
 チケットは共通でカルタゴ関連の12(くらいだったと思う) の施設で利用できる共通券。
 ヴィラから海を隔てて南の半島とその山が見える。
 この景色は最高。 暑さに水蒸気が立ち込め 対面の山と 青い空と 海がかすんで見える。

  次は円形劇場。 オペラかコンサートの準備中で、 巨大スピーカ等がセットさ れていた。
  続いて水道方面にある神殿跡、 円形闘技場跡、 貯水場跡を見る。水道の遺構そ のものは見つからなかった。
 とにかく暑くってたまらなくなってくる。 円形闘技場跡でおっさんに話しかけられる。 
 「チュニジアサバー?」 という言葉を覚える(サバーはGood。フランス語?)。 

 水道の終点たる貯水場跡は事実上ごみ捨て場。 しかし規模は大きかった。 
 戦車競技場跡はとりあえず行ってみたけど場所がよくはわからなかった。 それらしき跡地には 出たが遺構は確認できなかった。
 そのうち方向が分からなくなりだす。 地図の通りに歩いてきたつもりだが、どうも方向が違う のだ。
 途中でアイスクリーム買って、 道を何度か聞いて、 やっと駅に到着する。 どうやら90度 方向を間違えていた。 暑さで感覚が狂ってきているのかも。

 駅前でコーラを買う。 13時市街に戻る。 もう死にそう。 14時〜18時 ホテルで寝 る。
 夕方。 旧市街へ散歩に行く途中 「どこから来たんだ?東京?俺の弟が東京に住んでいるん だ....」 とはげのプロレスラーみたいな奴につかまる。
 香水万国博をやっているんだ、案内してやろう、ということでついていったら案の定、 香水を 買わされそうになるし、
ガイド料5千ディナールよこせ、 金が無ければカードを使えとしつこい。 で言い合いになる。  ふざけるな 千ディナールで十分だ。
 だれがガイドしてくれと頼んだのだと食い下がった。 千ディナール渡して引き上げてもらおう と思ったら、 330ディナールしかなかった。
そいつをやってひきとってもらう。 

 しかし今でもあんな奴に金をたとえ小額でもやったことが悔しくてならない。 奴は 「おま えは東京に住んでいるのではない」と捨てぜりふを残して去っていった。
これ以降、あぶなそうな奴には必ずブルガリアにすんでる、 ということにする。 すると金はな いと思ってくれるらしく、あっさり引き下がってくれるのだった。

 夕方でも気温は38度あった。  そのまま旧市街を反対側に抜けて、左に折れ、旧市街の城壁沿いにぐるっと半周して戻ることにする。
 途中100ディナールのシトロン発見。 思わず飲む。 ここが見た限りではチュニスでは一番 安いシトロンだった。 中央駅に出る。

 19時半頃スパゲティー屋へ夕飯に。 昨日とは違う店。 ここは当たり。 しかし粉チーズ の入れ物の底のほうのチーズはかびていた。
 20時20分店を出て映画を見ることにしたが、開演でまだだいぶ時間がある。 クレープを店 先で焼いていて、 大勢客に取り囲まれて大人気。
 つい買ってしまったが それほどうまいとは・・・

 映画はエジプト映画。 しかしなかなか時間になっても入れてもらえない。
 9時15分開場のはずが 9時30分ころの入場で 映画が始まったのは10時近く、 しかも 40分くらい他の映画の予告編をやっていた。
 女性が愛するあまり恋人を殺してばらばらにしうてしまう、という映画の予告編。 シリアスな 内容らしいのだが、切られた首がいかにもつくりものめいていて、
コメディにしか見えない。

 10時30すぎ、予告が終わりやっと本編始まる。 
 映画館に貼り付けてある他の映画の上映紹介ビラや予告編もエジプト映画。 三波春夫か美空ひ ばりか?といった様な、歌手の安っぽいビラも貼ってあったが、
彼らもエジプト人かも知れない。
 私がみたエジプト映画は 日本で言えば「水戸黄門」といった様な 勧善懲悪のラブコメディで あった。
 アクションあり、ミュージカルありの 昔のマンガみたいな単純なストーリー、 舞台劇のよう なオーバーパフォーマンス。
 くだらないの一言に尽きるのだが なぜか僕の脳髄はやられてしまった。 この映画のミュージ カルの独特のアラブ風メロディが耳に焼き付いてしまった。
 ところで主役が泥酔して 殴り合いをするシーンがあるが、 いいのだろうか。 そもそも主役 は 「酒場」の歌姫 だったような・・・
 11時50分上映終了。 こんな時間だから野郎ばかりかと思っていたら、 ちらほら女性客も いた。 自由じゃ-ン。
 すぐ宿に戻って 12時半頃寝る。 
 

8月3日

 6時起床。6時半から50分で朝食。 7時には駅に到着。 
 8時5分発のスファックス行きで エルジェム11時55分着。 
 社内は冷房が効いていて、 快適な特急。 窓から見える景色は 荒地の平原が地平線まで続 く。 時々海が見える。 
しかしエルジェムはやはり、 またも熱波。 遺跡見物したあと昼食。 
 遺跡はまさに フリューゲル「バベルの 塔」。 
 コロセウムより感動。 遺構内を自由に見て歩けるので、アリーナの地下とか見れてお徳なかん じ。
 周囲に2階以上の建物がほとんどない(か 或いは全然無い)ので 列車が駅に近づいたところ で遺跡も見えてくる。 
 駅はこじんまりした4LDKの家より小さいちっちゃな駅。 駅前から遺跡までの400m程が メインストリート。 町は闘技場中心に四方へ広まっている。 
 この遺跡で英国人一家に会う。 フランス人かと思って話し始めたら、英国人。
「英国人と会話するのって 初めてなんです、つうじるかどうか不安なんですけど」 といった ら、 「あら大丈夫よ私たち会話してるじゃなーい」
 しかし。またも話し掛けてきたのはおばさんだった。
 首相が小渕に変わったばかりで、旦那には小渕について、 子供にはセガのゲームについて聞か れる。

 駅とは反対方向に5分、モザイク博物館があった。 ここでチュニジアにあるローマ遺跡のパ ンフレットを購入した。
 モザイク博物館向かいにも円形劇場跡があるが これは 「跡」 だけ。 造成中の住宅地の様 な、広大なでこぼこが、かろうじて円形建築物の名残を留めている、といった感じ。

 あんまり暑いので 列車は15時50分だったけど 14時半には駅舎の中のベンチで座って 待つことにする。
 17時5分スファックス着。 ホテルはすぐ見つかる。 ホテルに入ってすぐ寝る。今日も熱波 に体力消耗する。 19時半頃おきて夕飯にでる。
 しかしあまり食欲は出ず、 パンとかですませ、 旧市街(ちょっと怖かったけど)、 新市街 を散歩する。 新市街の港湾部分まで歩く。 波止場のあたりは散策スポットらしい。
 夕涼みにけっこう多くの人が集まっていた。
 この夜も英語を話す変な奴にであう。 22時頃寝る。
 
 

8月4日

 7時30分起床。朝食付き。 8時頃から1時間ほど城壁沿いに散歩して旧市街を一周し、 11時まで駅でガベス行を待つ。
 鉄道の時刻表を手に入れる。 13時50分ガベス着。
 海が見たくて市内を適当に散歩する。 しかしどこが中心部なのか全然分からない。 一応中心 部らしき賑わいを見せる
部分を通過したが、バスターミナルは見つからないし(帰国後、「地球の歩き方 チュニジア」で 確認したら、どうも主要部分は
歩いたことになるみたい。 海はわからなかったが、町の中心部を見つける感覚は正常に稼動して いたみたい。)

 そのうち英語を話せる青年に会う。 彼に聞いた所、 海は2キロ程離れているとのことで  海はであきらめ、 
バスについて聞いたところ、ガフサ行バスがあるのだそう。 2キロほど歩くことになったが(ど うもそこは西の外れだったらしい)、 バスステーション発見。
 ここでガキの物売りからシトロンを一杯 千ディナールで買ってしまった。 100と間違えて 渡してしまい、しまったと思ったときはもう遅かった。
 ガキがもう一杯どうだ、 というので2杯目もいただいた。 当然金は払わなかったが、 ガキ のほうでは2杯目の分を要求してきた。
 ガキはぼれる客だと思ったのだろう、しつこい。 
 そのうち友達の物売りを連れてきて押し売りにくる。
 私はスイカをナイフで食べていたのだが、 それを貸してくれ、 というので貸したら、 持っ て行こうとしやがった。
子供に手荒な真似はしたくなかったが、 ちょっと手首を締め上げてみたところ おとなしく返し た。 使いなれているナイフは大事なので、
簡単にはやれない。 しかもこのあたりの価格の5倍でシトロン飲んでやったんだし。

 16時半に乗車したものの出発は17時15分。 こりゃ日がくれてしまう。
19時ガフサ着。 しかし途中で日没を見ることが出来た。 社内はめちゃ苦茶な混みようだっ た。
少し英語を話す少年に会う。 あまりの混み具合に、 揺れた拍子に眼鏡をはじき飛ばされる。
親切な眼鏡のやせたおじさん(おにいさん?予備校の先生の様な風情)が、 目がねはポケットに しまっておくように、と身振りでアドバイスしてくれた。

 ガフサはコンパクトな街でホテルはすぐに見つかる。 しかも6000と安い。 ベッドだけ の部屋だがまあまあ。 値段からして十分。
 フランス人の若者が泊まり客には多かったようである。 
 ここではシャワーは別料金らしく、 洗面所でかみを洗って戻ってきたら、 フロントでシャ ワーを利用したのかと誤解されて代金について尋ねられたが、
シャワーは使ってないよ、 というとあっさりそれですんだ。
 夕飯はチキン。 ビンのコーラが凍っていた。 大丈夫なのだろうか。 ビンで凍らせて。 食 事後ちょっと中心部を散歩する。 ローマ時代のプールか
何かの遺構があるらしかったが、 場所がわからず、 特にこだわっていなかったので、 敢えて 探さなかった。  
 帰国後「地球の歩き方 チュニジア」を見て愕然とする。 しまった。 見逃すべきではなかっ た!!!!!!!!!!!
 しかも遺跡はカフェになってるんだってー? あぁ。。。
 ま、良いガイドブックが見つからなかったのでしかたがない(チュニジア旅行のこの時点ではロ ンリープラネットの存在を知らなかったのである。
知っていれば、ローマで購入しておいただろう。この翌々日、カイロワンで会った日本人にロン リープラネットの存在を教えてもらうことになる)。
 22時寝る。
 

8月5日

 6時起床、7時30分のバスでトゼウールへ移動。
 9時20分トゼウール着。 しかしあまり見るとこ無く、 先を急ぎたかったので、 両替して ちょっと市街を見てあるいた。
 大量に積み上げられた砂の薔薇には驚いた、 ちょっと買って帰ろうかと思ったくらい。  500mくらい歩いただけでオアシス地帯に出る。

 10時にはバスステーションに戻る。 10時半発で12時20分着 ガフサ。 
 昼飯は昨日の店。 飯悔いながらリュックの修理。 13時半のバスで15時半頃カッセリーン に到着。 カセリーンまでの景色はもう
沙漠といっていい様に思う。
ここから先はバスがないそうで、乗合タクシー(ルアージュ)を利用しろといわれる。
 疲れてうとうとしているうちに30分後にスベットラ遺跡到着。 
 運転手が停止してくれたので寝過ごさずにすんだ。

 遺跡は乗合タクシー道路沿い。 高いのは承知していたが遺跡入り口で 缶コーラをかってし まう。 とてもこの広い遺跡を見終わるまで我慢できない。 
 古代スフェトゥレの都市遺跡。 16時15分から18時まで見てまわる。

 雲が出てきて、日が陰ってきて、神殿の背後にだけに日が 帯状に天空から 神々しく 射し 込んでいる。
 遠足に来ている学生グループのような団体にあう。
 きちんと挨拶してきて好感がもてた。 敷地の東の門のところで寝転がって一休み。
 
 円形劇場はちょっと修復されされすぎていて若干興ざめ。 遺跡北側が谷となっており、そこに 水道橋がかかっていた。
 住宅地の区画が良く残っていて、道路に上水道施設がけっこうきれいに修復され保存状態がよ い。

 スベットラ村まで1キロ程度。 道を聞いた青年2人が親切にルアージュ(乗合タクシーのこ と。ボディに赤いラインが入っているのでルアージュというらしい))の
乗り場まで案内してくれた。 お礼にシトロンを無理矢理おごってしまった。 飲みたくもないの に無理矢理のませた感じになってしまったけど。
 彼らはタクシードライバーがぼってきたのを 「何いってんだ、高い。正しい価格はこれだ。  これを払えばいい」と 電卓に打ち込んで私にわかる様に
価格交渉までしてくれた。
 6千ディナールを提示されたのだが4250でいいとのこと。と話はまとまった。 
しかしカイロワンまで100キロ以上。6千ディナールでも決して高いわけではないし、乗客は私 一人だったので、カイロワンで下車するとき6千ディナール渡した。
 18時半にスベットラをでて19時30分カイロワン着。 すでに日没後。 真っ青に暮れてゆ く西の空の色がとても美しく、思わずカメラ。

 見当で歩き出し、町の中心部へ近づいているようなのであるが、一向に到達しない。だんだん じれてきて気分が悪くなる。
ホテルは見つからないし、すぐに道がわからないこんな町嫌いだ、 とヒステリーを起こす。
 しかし色々尋ねた結果 ホテルはわかり、 しかも値段も安く 快適なホテル、 主人も愛想が いいしで 気分回復。 20時20分時やっとホテルで一休み。
21時飯にでるも、近所の店で法外な料金を提示され、別の店へ。