神聖ローマ再現ドラマ・ ドイツ教育番組「DIE DEUTSCHEN(ドイツ史)」(1)カール,オットー,ハインリヒ4世

  前回、「次回はイランの歴史ドラマ」と記載しましたが、前回ドイツの歴史再現ドラマを発見し てしまい、神聖ローマの部分をいくつか見てしまいましたの で、イランは次々回に延期にして、今回と次回は、神聖ローマの最後の回として、本再現ドラマの内容と映像をご紹介したいと思いま す。

 ド イツでは、中世以前の歴史映画が少ないような気がしているのですが、その代わりになりそうな、再現ドラマがありました。2008 年と2010年の二回のシ リーズが出ていて、どちらも10話(一話45分程)、中世から20世紀まで10人の人物を扱っています。 再現ドラマといっても 台詞は殆ど無く、演技映像 に沿って解説者が歴史語るというものなので、英国BBCの再現ドラマとはかなり異なりますが、完全な教育ドキュメンタリーのよう に、再現映像が一部だけ、 というものではありません。少なくとも私が見た6話については、9割方再現映像でした(ただし台詞があるのはそのうちの二割程度 で、あとはナレーショ ン)。こちらに全20回のタイトルが掲載されていますので、詳細はこちらをご覧ください。

 今回見たのは、下記6回分です。

第一シリーズ第一回 オットーと帝国
第一シリーズ第二回 ハインリヒと教皇(ハインリヒ四世とグレゴリウス七世)
第一シリーズ第三回 バルバロッサと獅子王公(フリードリッヒ一世とバイエルン獅子公)

第二シリーズ第一回 カール大帝とザクセン
第二シリーズ第三回 ビンゲンのヒルデガルドと女性達の力
第二シリーズ第四回 カレル四世と黒死病

 英語字幕版が出ているかどうかはまだ調べていないのですが、存在していれば、価格によってはいくつか購入したいと思っていま す。ドイツ語版は、個別に買うより、シリーズBOXで買うと半額以下。こちらが第一シリーズで69.99ユーロこちらが第二シリーズで49.69ユーロ。 日本語版も是非出て欲しいところです。それにしても、ドイツの歴史の人物を扱う筈なのに、ナポレオンが入っているのがなんと も。。。。私としてはカール五 世を入れて欲しかったところです。あんまり興味は無いのですが、カール五世が登場する映画が見つからないので映像を見てみたいと ころです。ハプスブルクで はマリア・テレジアだけ。ひょっとしたら第三シリーズも計画中だったりして、ハプスブルクが大きく扱われたりして。。。

 なお、本作はZDFのHPで視聴できます。
(2012/05 URLが変更となっていたので修正)

  かなり解像度も良いです。テレビ局のHPで無料で見れるのに、dvdが出ているのは、大画面で観たい方や、ネットに縁の無い方向 けだと思うのですが、 dvdも、シリーズ全部のboxと、各話個別のものが出ています。各話個別のものを買うのは割高になるので、なぜ出ているのか疑 問です。割高なのであれ ば、各話別のdvdに英語字幕をつけてくれればいいのに。英語字幕があれば絶対買います!

 今回は、カール、オットー、ハインリヒ四世の回をご紹介します。ドイツ語で見たので、殆ど画面ショットを並べただけですが、詳 細にご興味のある方は「More」をクリックしてください。



 第二シリーズの第一回は「カール大帝とザクセン」。
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 主役のカールと、筋立て・映像のイメージは、1993年製作のテレビ ドラマ「カール大帝」とあまり変わりません。なので見所は、ドラマ版では出てこなかった、アーヘンの宮殿の全景が CGで再現されて出てくるところでしょうか。下記はアーヘンの宮廷のカール。本棚の前を通過するところ。結構本があります。

 アーヘンに向かう騎士一行。殆ど野原にある修道院と変わらない感じ。

 CGで再現されたアーヘン宮殿の全景。

  ローマのサンピエトロ聖堂での戴冠式。テレビ版同様ここでおしまい。カールもあまり老けた感じはありません。そういえば、本作 は、題名が「カール大帝とザ クセン」なのだからあたりまえなのだろうけど、ザクセン征服を大きく扱っていて、イベリア半島遠征はまったく出てきませんでし た。でもランゴバルド王の王 冠とか(現在まで残っているとは思わなかった)とか、ローマは出てくるんですよね。


  印象に残ったのは、カールの番組なのに、第一シリーズのオットー大帝の映像が何度も登場し、特に最後の5分くらいは、オットーの 番組の宣伝と思える程、 カールとオットーの帝冠の関係を強調していた点。ローマ帝国の映像は一度も出てこないのだから、オットーの帝冠は、ローマとの連 続性よりも、カールとの連 続性を強調していたようにも思えます。1993年といえば、EU統合の機運が盛り上がっていた時期で、フランス製作のドラマ 「カール大帝」で問題なかった のかも知れませんが、2010年製作の本再現ドラマは、明らかにカールの後継者オットーを強調してる印象です。実際そうなんだろ うけどフランスは面白くな いかも知れない内容な感じもしますが、そうなることを防ぐ為に、題名を「カール大帝とザクセン」として、ザクセン繋がりでオッ トー(ザクセン公)との関連 を強調しているという言い訳を用意したのかも。


第一シリーズ第一回「オットーその帝国」
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 936年にオットーが東フランク王戴冠の為にアーヘンに向かう場面から始まります。アーヘンの概観と周辺は、「カール大帝」に 出てきたものと同じ。角度が反対側から見たところになっているだけ。
 カールの玉座の横で戴冠するオットー。

 その後、カールの玉座に座るオットー。

 戴冠式の後、アーヘン宮殿の屋外で、貴族からひとりひとり祝福の挨拶を受けるオットー。

 こちらは、あんまりネット上では見かけないので、成立当初の神聖ローマ帝国の公国領域図の画面ショットを取ってみました。

  神聖ローマ帝国の初期三王朝は、北から順に、ザクセン、ザリエル(フランコニア)、シュヴァーベン、と王位が持ち回りとなってい たことがわかります。そし てシュヴァーベン朝が終わってバイエルンに来るかと思ったら、事実上神聖ローマ帝国は解体(その後2度だけバイエルン公に帝位が 来た(1314-47年と 1742-45年)。地図の左上のロータリンギアなんて、皇帝候補も出さないうちに諸侯国に分かれてしまうという、扱いの低い地 域。

 下記は、治世の途中、ルドルフという諸侯に激怒したオットーが、ルドルフの挨拶を無視する場面。身をよじってまで無視する変な 座り方が印象的でした。

 こちらは955年夏にアウグスブルク近郊のレッヒフェルトで行われたマジャール人との戦い。下記は、族長かも知れない司令官。 もし族長だとすると、ファイス(在947年頃-955年頃)の映像となるので、貴重な映像。かなりなハ ンサムさん。とてもアジア系遊牧民族とは思えません。

  この司令官は、レッヒフェルトの前にも登場していて、先のルドルフが裏切りの資金を持って天幕に出向く場面が出てきます。ここで はルドルフと司令官の間に は通訳が入っていました(なのに、後述の、オットーの息子に嫁いできたビザンツ皇室のテオファノ最初からドイツ語を理解してまし た。。。)
 こちらは、ドイツ軍。中央がオットー。

 962年のローマでの戴冠式。夫婦そろって教皇から王冠を授けられていました。

 この王冠ですが、現在ウィーン美術史博物館で保管されている王冠と若干異なっています(こちらのLessing Photo Archiveというサイトに写真あり)。 前面の十字架とそれを支える湾曲した支えがありません。十字架は後からついたものだったのですね。オットーは結構老けてきてま す。この辺が、ドラマと本再 現番組の「カール大帝」と違うところ。「カール大帝」は、ドラマも本番組も、あまり老けて見えなかったので、少し違和感がありま した。

  こちらは、ビザンツ皇室のテオファノをイタリアで迎えるオットー一家。オットーは白髪になり大分老けてます。オットーの左側に息 子のオットー二世が座って いて、皇帝一家を前にしても、首を少し曲げただけの挨拶しかしないテオファノ。気位が高そう。オットー夫人は明らかに嫌そう。

  で、よくあるパターンだけど、オットーの方からテオファノに近づき、「名前は?」と(たぶん)質問し、「テオファノ」と答えられ ると、オットー自ら、妻と 息子を振り返り「テオファノだそうだ」と言う場面。気位が高いけど人生経験の少ない若い娘を経験豊富なおじさんがうまくあしらう のと同じパターンと言えそ う。

  ドイツへ向かうテオファノと皇帝一家。輿に乗って、優雅に寝そべって本を読むテオファノに、馬上からオットー皇帝様がいろいろ話 しかける。きっとドイツで は読書の習慣はまだ無いので、いろいろ質問したのだろう。済ましていたテオファノも最後には笑顔を見せるのだった。めでたしめで たし。


第一シリーズ第二回「ハインリヒと教皇」
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1053年11月。PFALZ TRIBURにて、王ハインリヒ三世と貴族達の会議が行われ、ハインリヒ四世が後継者に選定された。下記は、貴族達が幼児のハインリヒ三世に跪くのを見守 るハインリヒ三世と妻のアグネス。

  ハインリヒが1077年にカノッサに向かうハインリヒ四世が集会を開いた町シュパイアー。典型的な中世ドイツの町として紹介され ていた模様だが、この町は ザリエル朝の中心都市であり、シュパイアー大聖堂はロマケスク建築としては最大規模を誇るドイツ屈指の大聖堂である。ここにはコ ンラート2世以下ハインリ ヒ5世までのザリエル朝君主の墓がある。

 ハインリヒと対立する教皇グレゴリウス七世。冒頭の方では、幼児時代のハインリヒとグレゴリウス(ヒルデブランド)が会う場面 も出てくる。

 ローマのサンピエトロ寺院。この会議で、ハインリヒの破門決定。

 
 1076年10月23日、ハインリヒが父王の後継者と決められたPFALZ TRIBURでの貴族達の会議。教皇の側につくことを決定。いかにも中世城館という雰囲気がよく出ています。

 1076年12月。ライン川畔のOPPENHEIMに陣営を張るハインリヒのもとに、貴族達の決定の報告がもたらされる。この 時のリーダーはシュヴァーベン公ルドルフ。この俳優さんは、第二シリーズ第一回でカール大帝を演 じた俳優さんのような気がします。このシリーズでは同じ俳優さんが何度も登場するようで、主君と家臣が逆になっていたりして一瞬 驚いたりするのでした(似ているだけで別人かも知れませんが)。
 貴族の支援が得られないことになったハインリヒは教皇の謝罪を求めるべく、雪のアルプスを家族と少数の供とともに越えるのだっ た。一歩間違えば全滅しててもおかしくないような行軍。

 着いたカノッサ。1077年1月25日。映画「薔薇の名前」に登場する修道院みたい。この城は遺跡が残っているようで、この後 CGから現在の風景に移り変わる場面も出てきていた。

 城の城門で教皇に謝罪するハインリヒ。教皇はあったかい暖炉の傍で贅沢ではないが、そこそこの食事をしている。

扉にすがりつき何度もノック。城門橋の上で教皇のいる部屋を仰いで願うハインリヒ。


 窓を開けて冷ややかに見下ろす教皇。この頃の窓はまだ、ステンドグラスの組み合わせだったんですね。

1080年10月15日、An der Weißen Elsterにてシュヴァーベン公率いるルドルフとハインリヒ四世軍の決戦(Battle on the Elster)が行われ、ハインリヒが勝利するの だった。ルドルフは右手そ斬られて翌日死亡。その右手のミイラがどうやら残っているらしく、コンピューターで解析している場面が 出てきました。

 反対派を一掃したハインリヒは、対立教皇を立て、ローマのサンピエトロ寺院にて、1084年に戴冠式を挙げるのだった。オッ トーの時代には無かった十字架が王冠の前部についているのがわかります。


 次回は、バルバロッサ、ビンゲンのヒルデガルド、カレル四世の回をご紹介します。

中世欧州の歴史映画一覧表はこちら
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