9月20日

 

 5時半起床。6時25分頃家を出て6時48分頃空港行きバスに乗る。5元。

7時55分頃空港着。8時にチェックインし、8時40分乗機。

オリンピック前と異なり、荷物チェックは元の状況に戻っていて、特に問題なく直ぐに入れる。天候薄曇。9時 10分離陸。

チェックイン時、特に指定しなくても、窓側の席になった。

おもうに、チェックインカウンターの担当者が男性の場合は、通路側、窓側どちらの席が良いか質問してくる か、今回のように、何もいわない場合、窓側の席となっている。

記憶によればこちらに来て、深圳空港の利用時毎回そうなっていて、女性の場合は座席について質問されたこと はなく常に通路側である。

なんとなく男性の方が愛想がよく親切な感じ。

 国内移動で搭乗時間も短いので窓側でもよいので、今回窓から雲海が良く見えた。

 

 

 重慶が盆地に入ったと思われるところで、雲海が途切れ、紫色の平らなドームのような大気に変わった。

白い、丘陵のような雲が途切れ、薄紫色の、海面のような平板な大気に没入している様は、月面の海のようだ。

 

                

                 写真でも判別しにくいが、画面右半分は白い雲海。

                 下記一面薄紫の大気と比べると、白さは見て取れるのではないだろうか。

 

 1990年頃に羽田で仕事をしていた時、毎朝窓から東京の中心地を眺めたものだが、晴天の日は常に薄紫色 のドームが、中心地を覆っていた。

紫のドームがなくなり、青空一色となるのは、春一番と木枯らしのときだけだったので、紫のドームはスモッグ 層なのではないかと推測していた。

数年前に早朝羽田に行ったときは、既に見られなくなっていたので、既に東京の大気は改善されたのかも知れな い。

今回それと同じものが、重慶盆地の上空に見られた。重慶の大気汚染の一面なのかも知れない。

 

                 

 

 10時45分頃、重慶着。空港ロビーで地図を購入し、インフォメーションで、重慶市の観光案内のチラシな どを入手。

このインフォメーションは、喫茶ルノアールのようなセンスの椅子とテーブルがあり、

周囲に検索用PCやチラシが置かれているだけの、サービス員のいない観光案内所だった。

空港をでて息を吸ってみるが、直ぐに気分が悪くなるような汚染ぶりではなさそうである。

11時04分、バスに乗車し、地図に空港を探す。

バス代は15元で、上清寺といところにいくらしく、空港と上清寺を探す。

ざっと観光案内を読み、上清寺近くに三峡博物館があることがわかり、上清寺で下車しようと考えていたら、そ こが終点だった。

空港バスの終点は、バスターミナルではなく、ただの停留所で、旅行社の前にあった。

三峡川くだりの看板と広告が貼られていて、三峡川くだりがメジャーな観光資源であることは一目瞭然である。

1日周遊、3日周遊、4日周遊などのメニューが並んでいる。

 

 11時55分下車し、声をかけてくるおっさんたちを振り切って市バスのバス停に向かう。

市バスのバス停も「上清寺」なのだが、博物館近くのバス停行きのバス、829番バスは、2,3度きたもの の、まったく止まってくれない。

421番は一台も来ず、結局20分程まってもバスがつかならなかったので、歩くことにする。

500mくらいなので最初から歩いてもよかったのだが、今回少し日程に余裕がなさそうな見積もりなので、で きるだけ効率的に回りたかった。

 

 とはいえ三峡博物館には15分程で到着。観光案内チラシに記載のあった人民広場の巨大な円蓋状の建築物 (人民大礼堂)が見えてくる。

 

        

 

 地図で見ると、三峡博物館はこの近くなのだが。。。

と思ってよく見ると、博物館は人民広場を挟んで人民大礼堂と対称的に配置されていた。

広場を底に、博物館前は、円形劇場の観覧席のような、すり鉢上の階段となって、広場を半円に囲み、

最初にバス通りから向かうと、博物館入り口脇に出てしまうので、わざわざすり鉢の底まで下って、チケット売 り場で券を貰わなくてはならなかった。

チケット売り場は立派な博物館の割りには、プレハブ状のセコイ建物。

この日は土曜日なので、無料だった。

三峡博物館は2006年に開館したとのことで、まだ新しく、デザイン的にもなんとか現代的な感じできれいな のだが、微妙に古びて垢抜けない感じ。

 

 

 12時30分頃から14時15分まで博物館見学。

 4階から見る。最初は、地元の党創世記から建国期共産党の重鎮だったらしい、李初梨とう人物の 展示。

文人だったようで、晩年は政争から逃れたのか敗れたのか、重慶に住んで文芸に貢献したらしく、書や、文具な どが展示されていた。

続いてその隣には、歴代貨幣コーナー。

一応商周代、戦国時代からの展示となっていたが、南北朝くらいまでは少なく、省級博物館としては少ない感 じ。

寧ろ民国時代以降から現在にいたる意外に多種類の紙幣や、記念貨幣の方が分量も多く、めぼしい展示という印 象がある。

4階最後の一室は17世紀以降の書道。16世紀以前のものは殆どなかったと思う。

あまり興味の対象でもないので、4階は比較的さっさとまわり、3階の漢代遺物の展示に。

 

 広東省の漢代遺物は、住居の模型が大量に出土するなど、遺物には地方ごとに特徴があるようだが、重慶近辺 では、人物の俑と

画像石が多いらしい。

 

        

 

 その隣は西南民族室。壮族、苗族、布衣、蔵族など、諸民族の衣装や生活用具などが展示されてい た。

トンパ文字の経典をはじめてみる。織物のデザインが、現在アート風(中学高校の美術の教科書に載ってるよう な感じ)なものもあり驚かされた。

 

 

                    

                             トンパ経典                                                  何族か忘れてしまった。。。

 

 西南民族文化展示コーナーの最後に、民族分布地図が壁いっぱいに掲示されていた。

すべてではないが、概ねチベット系=オレンジ、タイ系=緑、ミャオ系=ピンクの配色となっている(一部他の 民族も含まれている)。

 

         

 

 

 3階の南側は、抗日戦争の展示。1941年6月5日の爆撃と、地下退避壕でガス窒息した人々を再現した銅 像、地下壕そのものが再現されていた。

南京大虐殺記念館のような感じ(撮影したような記憶があったが、してなかったようです)

 

 2階北側は、19世紀末から20世紀の重慶。

20世紀初頭の重慶市街が、ショッピングモールのように、実物大で再現されていた。

このコーナーの入り口には、19世紀末の重慶市街のパノラマ模型が展示されているのだが、これが、コンスタ ンティノープルに非常に似ていた。

リアルな地勢を再現した模型も、デフォルメされた地図も、いづれもコンスタンティノープルに酷く似ていて驚 いた。

嘉陵江の北側の街区は、規模もロケーションもガラタ区に非常に似ている。

 

                                

 

 

 物理的な景観だけに限れば、中国のコンスタンティノープルという形容が相応しい印象がある。

 

2階の南側は、戦国時代以前の重慶市域。主に古代巴国を扱っている。

華陽国志にも登場している曼子の自殺場面の銅像があった。

 

1階北側は三国時代以後の重慶市域の歴史。

展示によると、三国時代、宋元戦争が、この地域に焦点のあたった時代ということになるらしい。

最後は三峡ダムの展示。様々なデータが掲げられていた。

ダム建設の為の移住者は、過去世界各国のダムの中で最大で、110万人になるとのこと。

長江水系の分水嶺マップが展示されていた。

 

    

 

 これを見ると、分水嶺は、秦や漢の発展領域と適合し、領域拡大が川沿いになされ、山脈がそのま ま障壁となっていた様子がよくわかる。

 

 博物館1階の書籍コーナーでは、めぼしい地元書籍は見つけられなかった。

書籍コーナ横に、炭花木(陽沈木)という、炭化した巨木が展示されていた。

これは、樹齢2000年の古木で、炭化して川底に沈んでいたもので、この地域では多く見られるものらしい。

 

下記

http://www.cnla.cn/bbs/redirect.php?tid=24294&goto=lastpost

http://www.gjgfthm.com/images/flash/0-3.swf

 

の説明によれば、「炭化木」というのは俗称で、学名は「超高温熱処理木」といい、

160-230度の高温の水蒸気で一定時間熱せられ、殺菌されることで腐らずに残ったものとのこと。

耐久性があるので、家具や建物、内装などに利用されているとのこと。

 

 

 博物館を出てバス停まで歩いて市内バスに乗車。

人民路を、解放路の終端近くの臨江門駅のあたりで下車。

一般バスは1.2元だが、クーラー付の「中級バス」は運賃1.5元。水を買い(1.5元)、適当な快餐店で 昼食。14時半から45分。8元。

解放路を、民族路との交差点まで歩く。どうやらこのあたりは重慶市の中心的繁華街のひとつらしい。

解放路と民族路は歩行者天国となっていて、交差点では、演台が作られ、少数民族の演奏会が行われていた。

少数民族週間のような、イベント開催期間のようで、街のあちこちで関連イベントが行われているらしい。

 

                    

                                                                                 現代的なビルの立ち並ぶ重慶中心部

 

 

 続いて、観光名所らしい洪崖洞へいく。

 

 重慶市の中心は、嘉陵江と長江に挟まれて半島のようになっている地区で、ここを諭中区(YuZhong 区)というとのこと。

この半島部分は、高台となっていて、嘉陵江と長江に向けて断崖に近い地形となっている。

洪崖洞とは、この嘉陵江に面した斜面を利用して、ホテルや飲食店が多数ひしめきあっている雑居ビルのよう な、ひとつの繁華街となっている。

    

                 

        1階 から撮影した洪崖洞。ほぼ同じ地点から、正面と左方向を撮影。

 

 

 この斜面の建物内にエレベータがあり、洪崖洞の上は11階相当となり、5階以下は飲食店など、6階から上 はホテルとなっていた。

11階は、そのまま道路に面していて、下記はそこから見下ろした風景。

洪崖洞の建物の構造とが見て取れる。階段状になっている屋上は、ホテル専用の公園やオープンカフェになって いた。

 

                

 

 1階の正面には、観光バスが止まっており、欧米人らしき観光客の団体が見られた。

下記は、洪崖洞の上から見た嘉陵江の風景。500m先は霞んで見える。

これはスモッグなのだと思うが、翌日三峡の山岳地帯の方も町でも、500m程度で霞んで見えることがあった ので、

三峡の方の町にまで大気汚染が及んでいるのか、あるいは三峡の方は靄なのか、にわかには判断し難いが、

おそらく重慶市街のもやはスモッグなのだろうと思われる。

 

        

 

 15時から30分程洪崖洞を見た後、”半島”の突端部にあたる朝天門へ行く。

洪崖洞の先も斜面も、ホテルや住居が密集している下町となっていた。

 

        

        左下 の屋上では少年達がバスケットボールをしていた。中央は、えんえんと続く階段。

 

 

 朝天門の公園から見下ろすと、20m程したの、川岸は、階段状となっていて、そのまま水面まで降りてゆけ るようになっていた。

(行ったことないけど)インドのベナレスの沐浴所が思い浮かぶ。

 

        

 

 16時10分、朝天門バスターミナルへ。このバスターミナルは、遠距離と近距離用のターミナルがほぼ隣接 しているが、若干離れていた。

チケット売り場で、「ここじゃない」をだけいわれ困っていると青年が案内してくれたので助かった。

16時15分頃、忠県行きチケット購入(68元)。スプライト購入し(4元)待合所で休憩。服が汗でぐしょ ぐしょになっている。

 

 行き先表示板を見ると、これから行く三峡方面の町へは、各々下記の距離となっていた。

 

谷川 80㎞、涪陵 131㎞、豊都(高速190㎞、老路252㎞)、武隆 209㎞、万州 289㎞、

成都 360㎞、雲陽 326㎞、奉節 488㎞、巫山 569㎞、宣昌 841㎞、荊州 959㎞。

 

 荊州から武漢までが220㎞くらいだから、重慶から武漢までは、概ね1161㎞となる。

2日目と3日目はそれぞれ400㎞程度稼がないといけない。まぁ、問題ないと思うが油断は禁物。

 

 17:00発。豊県行き。途中まで高速道路。東京山梨間の中央高速のような景色が続いている。

短いトンネルが続くところも似た感じ。19時頃、ほぼ日が暮れたあたりで涪陵市街を通過。

 涪陵市街は、東西に流れる長江に、南から流れてきた支流の鳥江が長江に注ぐ地点の、南西沿いにある。

支流といっても、長江並みに広く、日本の湖くらいある。

 最初市街に入ったところでは、長江支流の鳥江沿いに延々と1階建ての、ネオンも鮮やかなつながった店が1 ㎞程連なり、

連なる店の上が遊歩道となっていて、夕涼みの人々が、川沿いを散歩している、

湘南かカリフォルニア(というと百万倍くらい言い過ぎだけど)という風情があった。

 市街に入ると、20階建てくらいの団地やホテルと思わしきビルが夕闇に中に見えてきたのだが、

建築半ばで放棄されたような廃墟としか思えない地帯が延々と続き、その背後に、2,30階建てのビルが、窓 から光りをもらして林立している様は、

まるで映画「バットマン」やブレードランナー出てくる未来都市のように見えた。

完全に没しきらない薄闇の中、たまたまそのように見えただけだったのかも知れないが、涪陵という町はいづれ ゆっくり見てみたい。

 

 涪陵市街を抜けた19時20分頃には完全に真っ暗となり、陸地と川(川といっても日本でいうところの湖く らい広さがある)の見分けがつかない。

19時45分、ガソリンスタンドで一度休憩。20時半、豊県着。

バスターミナルはどうやら長江沿いにある様子。

 

 到着後地図を探したが売っておらず、少し近くを歩いて宿を探すも、よさげなところが見つからず、結局バス ターミナルの横にある賓館にする。80元。

こうした地方としては、値段の割りに若干ボロく、ゴキブリもでたが、お湯もでるしまぁまぁ。

 21時半、賓館1階で夕飯。もう店じまいだったのに、椅子とテーブルを再度持ち出してきて食べさせてくれ た。

 従業員が、しきりに明日の予定を聞いてくる。1日観光を売ろうということなのだろうが、時間が無いとお断 り。

ビールと食事で16元。22時部屋に戻る。

地方のテレビを見るのも旅行日課のうちなので、テレビつけてしばし休憩。

22時半頃寝る。昨夜は寝不足だったので、明日は6時起きでも十分眠れそう。

 

 

 

9月21日(日)

 

 5時を過ぎたあたりから、外が騒々しくなる。しかし空は白んでいる気配がない。

バスターミナルだからそろそろ人が活動をはじめているらしい。

そのまま寝付けなくなってしまったので、6時前におきる。6時間以上は熟睡できた。

1階に行くと、丁度ほかにもでかける客がいたので、従業員を起こす面倒が省けてよかった。

6時10分頃、チケットを購入後、長江を見に行く。

朝のジョギングや散歩をする人が既にちらほら見られ、靄に霞む長江を見る。

 

        

 

 ターミナルに戻り、パン(2個3.5元)を買って食べながら発車時間を待つ。

 

 万州直行は、7:20、10、13、15時とあったが、チケット売り場では、10時を告げられた。

既に売り切れか、無いということなのだろう。

 忠県行きは 7:20、9:30、12:20、14:30となっていて、近郊中心地を結ぶ路線の割りには 本数が少ない。

 少し嫌な予感がした。

 涪陵行きは本数も多く、6-18時の間に30分ごとに1本、合計34本あり、重慶行きは6-17時の間、 1時間に1本、合計19本あるのと比べるとまったく少ない。

 

 7時20分忠県行き発車。25元。9時10分、忠県到着。

昨夜チラリとみた涪陵や、町の中心部は見れなかったものの、豊県と比べると、かなり貧相な規模で、

バスターミナルの前にダンプカーが何台も停車し、道の舗装もままならない規模の町だった。

チケットはあっさり購入できたが、よくよく見ると、なんと12時発。

えー。先週覚えたばかりの「退票」というコトバを使ってキャンセルする。

どうも、こちらは単にキャンセル料を払って現金を取り戻したかっただけなのだが、服務員が気を利かせてく れ、

券に書き込みを行い、他のバスにそのまま乗れるようにしてくれたようなのだが、行き違いなどから乗車する時 にトラブルになっても困るので少々もたついたが、現金に

換えてもらった。32元支払い、20%の6元とられ、26元戻ってきた。

 

 万州への1/3程の地点にある汝渓行きに乗る。チケット売り場で買うのではなく、バスのそばにいる車掌さ んから直接購入。10元。

 9時50分頃出発。10時56分、汝渓着。

汝渓は、主要道路が1本だけの街道沿いに商店街が連なる町で、下車する時に、

車掌のおばさんや他の乗客に「ここで待ってろ」と言われた場所で20分程まってみたが、バスが来ないので、 すこしうろうろしてみたら、

50m程先にバス停の看板を掲げた店があり、その前に遠距離バスの立看板が置いてあった。

しばらく待っても来ないので、更にうろうろ、最近深圳で見られなくなった海賊版とかを見ていたところ、

「香港歴史ポルノ」というDVDを何枚も見かける。どうやら歴史モノのAVというジャンルがあるらしい。

まさにそれを眺めていた時、先程のバスの車掌のおばさんが通りかかり、

「あんたどこにいきたいの。万州でしょ。万州はここで待ちなさい」と強引にバス停まで連れ戻される。

更に30分程まっていると、11時50分、万州行きが来る。20元。

豊県で10時発の万州行きに乗るよりは、1時間早く移動できている計算。

 

 13時51分万州着。14時半のチケットが買える。ここまでかなり順調。

しかし、窓口で、「宝坪站行きとなるけどいいですか」と言われ、「宝坪站」とは、「奉節のバスターミナルの ひとつなのだろう。

奉節にはきっと複数バスターミナルがあるのだろう」などと都合よく解釈し、ちゃんと確認しなかったため、

このあと旅行の後半は大きく崩れることになるのだった。

 

 この日最終の14時半発の奉節行きチケット(65元)も買え、気分よくお昼。

5元の米ラーメン。まぁまぁ。水1元。

 豊県10時発や、忠県12時発に乗っていたら、これに乗れないところだった。汝渓行きに乗っておいてよ かった。

まぁ、乗り過ごしたとしても、雲陽行きなど小刻みに移動することはできたのかも知れないが。。。。

 

 バスターミナルの壁の表記によると、万州-雲陽間は88㎞、万州-忠県は111㎞、

忠県-豊県は66㎞(地図で見ると、万州-忠県間とほとんど同じなので、これは表記が間違っているのではな いかと思う)となっていて、

万州-巫山は、8時と14時半の2便、万州-忠県は8、10、13時、15時半の4便と、やはりこれも少な い。

 万州-重慶間は、259㎞と、豊県経由の約400㎞とは大幅に距離が異なり本数も多いが、これは、万州付 近まで高速道路が開通しており、

長江沿いのルートをとる豊県経由よりも、より直線的なルートとなっている為。

将来的には、宣昌まで開通するようなので、そうなれば、将来もう一度きて、ゆっくり白帝城などを見ることが できるかも知れない(その頃には白帝城は水没している可能性が高いが)。地図を見ていると、近くに長安という町が二つほどある。シンセン の近くにも長安があり、結構一般的な地名なのかも知れない。

或いは、戦乱で、長安から各地に逃げてきた人が作った町なのかも知れない。

 

 14時半、ほぼ満席で出発。

一度長江沿いの遊覧船の港で1人ピックアップしてから市街を離れる。

万州は豊県よりも大きく、おそらく涪陵よりも大きな街だと思われる。

 

                

        ほぼ 同じ地点から川方向と、川岸方面を撮影。

 

 市街を出るところで、ブルガリアの中部でよく目にした地形が見える。

あまりに似ているので思わず撮影。

 

        

 

 ところで、汝渓で乗ったバスと、この万州で乗ったバスの車内時計は、正確な時刻を表示してい た。

中国にきて、広州の白雲空港から乗った空港リムジンバス以外では、時計の合っているバスは、はじめてだと思 う。驚き。

 

 17時45分1度休憩し、19時31分、ほぼ完全に闇になった頃、白帝のあたりを通過。

このあたりの地図を正確に把握していなかったため、白帝の先に奉節があるものとばかり思っていて、

あと30分から1時間くらいで着くだろうと、ずるずると乗っているうちに、21時21分、巫山に到着してし まった。

車掌に確認すべきだったのだ。お陰で翌日酷い目にあうことになってしまったのだった。

 

 白帝を過ぎて、闇の中、バスはどんどん高度を上げてゆき、はるか眼下にちらほら工事現場や何かの施設の明 かりが見えている。

白帝-巫山間は、険しい山の尾根を越えているようで、時折前方からやってくる対向車のライトに山の端のシル エットが浮かび上がるのだが、どうも殆ど断崖沿いを走っている様子。

しかも結構なスピード。最後の方はかなり怖くなった。

というのも、もう6時間以上も運転していて、乗客がこれだけ疲れているのだから、運転手の疲労も相当なはず である。

数十回、或いは数百回ハンドルを切っているうち、ただの一度でもハンドルを切りそこなえば、遥か下まで転が り落ち、命はあるまい。

即死なら構わないが、落ちている最中は怖い。

もう無理はしないでいいから、もっとゆっくり走ってくれ、と引き攣りながらの最後の1時間だった。

最後の尾根を越えて、道路の崖側に建築物などが出てきたときには、ひどくほっとした。

 

 巫山市街は、急な斜面にあり、市街に入っても、メイン道路は、つづら折となり、市街の東から真ん中あたり までを行ったり来たりしながら下ってゆく。

こんな斜面に、この規模の都市があるのははじめてだ。

 

 バスは、ターミナルと呼べるような場所ではなく、市街の東端のカーブの先の、車庫と呼べるような広場だっ た。

宣昌行きは、13、15、17時という看板を見る。少しいやな予感がしたが、ここは中心のターミナルではな く、

長距離専用かなにかなのだろう、ととりあえず思うことにし、宿を探しに中心部へ向かう。

見つけた賓館は、100元と、地方にしては少し高めだったが、中身はまぁまぁ。ここにする。

 22時半、食事に出る。

 スーパーがまだやっていたので、地図を探しに入るが、置いてなかった。

 更に中心部の方面に、安宿があつまっている地帯があった。ついでに風俗店も多数あった。

 このあたりの店で夕食。13元。

食事しながら観光ガイドなどの資料を読み、情報を整理する。

 22時45分戻る。

 フロントで、バスターミナルの場所を聞くと、午前中は、巴東に出るバスはないとのこと。

船しかないとのことで、波止場の場所を教えてもらう。

フロントの親子(と思われる)は、最初は表情が硬い感じで無愛想だったが、片言の中国語で質問したら、愛想 が良くなった。

テレビで「心花放 - Love bond」という番組をやっていたので、途中まで見て寝る。

 

 

9月22日(月)

 

 

 6時15分起床。フロントにいくと、中学生(と思われる)娘がいた。

髪を洗ったばかりでいかにも起きぬけという風情。登校前に親の代わりにフロントの番をしているという感じ。

実際どうだかわからないけど。

 中心部まで1㎞程歩き、更に河口に向かって150m程で、河岸に下る階段に出る。

行ったことないけど、オデッサの階段を思わせるような、急な階段が河岸へと下っていて、はるか下にチケット 売り場があった。

 

        

 

    遥か左下方に船のチケット売り場が。。。。景色はかなり 良い。

 

        

 

 7時頃チケット売り場についたのだけど、巴東や宣昌行きは20時半までないとのこと。

階段の上のところにマイクロバス数台とまっていたので、そこへいって、東に移動できるバスがあるかどうか聞 くことにする。

やれやれ。息も切れ切れに、汗だくになりながら、約500段の階段を上がる。こちらは荷物を持っていたとは いえ、朝の運動に来

ていた30代くらいのおばさんに負けた。2段づつ、一定のペースで、一度も休まずに上まで上がっていった。

 

 因みに下から見上げる市街はこんな感じ。チケット売り場の前から撮影。左が階段、右が市街の様子。

急な斜面に高層建築が林立している風情がわかる。

 

            

 

        

 

階段を上っている途中で陽が上った。なかなかの景色。

 

        

 

 やっとの思いで上まで上がってバスの運転手や客集めをしている車掌に聞くと、巴東行きは、階段の下とのこ と。

もう一度下まで行って、もしバスが無かったら、とても戻ってくる気力も出そうも無いので、昨夜のバスターミ ナルへ戻ることにする。

ひょっとしたらあるかも知れない。そうおもってバスターミナルに戻ったのだが、東へ向かうバスはまったくな し。

結局13時の宣昌以前は無かった。

 8時半発奉節行きがあったので、奉節にゆくことに決める。

昨夜の時間では、片道2時間くらいだし、うまくいけば、13時前、遅くても15時には戻ってこれるだろうと 予想。

また、巫山と奉節間の断崖は絶景かも知れず、できれば見ておきたい、という思いもあり、8時半の奉節行きに 乗車。30元。

 

 

 

 予想通り、断崖コースは崖っぷちを走りスリルがあった。しかし、眼下遥か下に長江が見えるのだろうとの予 想は外れ、唯の谷が見えるばかり。

 更に予想を裏切ったのはバスの速度。

昨夜の運転手と異なり、このバスの運転手はあまり速度を上げず、舗装が壊れている路面があると、殆ど停止す るまでに速度を落とす為、

奉節には2時間がかりとなった。しかも奉節の町は、新市街(新城)と旧市街(老城)に分かれていて、しかも 新市街は東西10㎞くらいもある。

バスターミナルは新市街の中ほどにあり、白帝を過ぎてから30分近くも走ることに。

結局出発してから2時間半もかかって11時に奉節バスターミナルに到着した。

実は、白帝付近で下車し、そこで巫山に戻るバスに乗って戻る、という考えもあったのだが、せっかくここまで 来たのだから、

奉節市街を見てから、と思ったのが誤りで、奉節市街に入ったところで、巫山行きとすれ違う。

まぁ、巫山行きは無くても、宣昌など、長距離バスはあるだろうとの希望的観測に基づき(巫山へも86㎞あ り、決して短距離なわけでは無いのだが)、

幾重にも判断ミスを重ねた結果、ますます追い込まれることになってしまった。

 到着後、バスターミナルの窓口で聞いてみたところ、巫山行きは14時とのこと。。

これだと、15時はもちろん、17時の巫山発宣昌行きにすら間に合うかどうか。

窓口の女性は範口車站とメモに書いてくれたが、それを消して、船の波止場と書き換えた。

船はチケットが無いと嫌なので、結局白帝市街へ行き、そこで、奉節を通らずに、万州などから巫山へゆく直行 便を捕まえられないものかと、

市内バスで、白帝市街へ向かうことにする。

 バス通りを少し歩いたところで9番の市内バスがつかまり、途中下車して、5番バスに乗り換えて旧市街へま でゆく。

車掌が親切に、「ここで降りればよい」と降ろしてくれる。

 このあたりの地形と路線状況が複雑なので、参考までに、下記にGoogleの地図をもとに、説 明図を描いてみた。(Google Mapから引用して加工)。

 

        

 

 朱色の線が、昨夜抜けたバスのルート。下記は、橋①から、奉節旧市街方面を撮影した映像。①の手前に

中国石油のガソリンスタンドがあり、新市街方面へゆく乗客は、ここで下車していた。

 

        

 

 地図中の橋②のあたりで下車し、ここでバイタクを拾って「白帝汽車站」といったつもりだったのだが、白帝 城へつれていかれる。

観光客なら白帝城に行くものと思い込んでいたらしい。

そこで白帝站に戻ってもらったのだが、白帝站は、白帝城と橋②の中ほどにあり、しかしこの站はまったく機能 していなかった。

観光用バスが数台とまっているだけで、運営している様子は一切なし。

まぁ、ここが白帝汽車站なのは確かなので(看板がそうでている)、バイタクの運転手が悪いわけではないが、 大した距離でもなく、

行き先を間違えたくせに15元払っても少ないと抜かしてきたので、ひともめ。

とはいえ、白帝城がどこだかわかったし、10元札の絵柄が、このあたりの長江の景色であることも教えても らったりと(わざわざ教えてもらわなくても、少し調べればわかる有名な話らしいが)、少し色をつけてやったつもりだったのだが、20元払 えといつまでもしつこいので、遂に一喝。

でも全然聞かず、しつこく周囲の観光を進め続ける。この時点で12時20分。

 

 というわけで、困ったことに白帝市街と思い込んでいた場所がどこだかわからず、地名もわからない状況で、 しかも地図もないのではどうにもならない。

諦めて奉節バスターミナルに引き返し、14時のバスに乗ることにする。5番と9番バスを乗り継いで13時 15分頃汽車站着。

 

 白帝城に行く場合は、白帝鎮の地名がわかっていれば問題なかったわけで、奉節などにいこうとせず、白帝鎮 を中心に、

白帝城だけ見て移動すれば、効率的に見て回れると言える。

ところで、奉節は、三峡ダムができた為、いづれは水没するとのことだが、本当だろうか。

現在の河面から50m以上の高所にあるようなので、沈むようには思えないのだが。。。。

と、この時は思ったものだが、どうやら本当の旧市街は、既に水没しているらしい。となると、

現在旧市街とは、本当の旧市街の中でも新しい方、ということになる。

 

 

 そんなわけで、白帝城は、中に入りはしなかったもの の、一応島へ渡る橋の門の前までいけたし、まぁ収穫はあったということで自分を納得させる。

 

        

 

 本来なら、昨日宝坪站の場所をきちんと確認し(恐らく奉節旧市街のことであろう)、下車してい れば、今朝ゆっくり白帝城を見学でき、

10時半頃のバスで巫山に移動でき、13時の宣昌行きに乗れた筈なのだが、結局巫山に戻ったのは、16時 20分頃。

何故か帰りのバスは、30.5元と、行きに比べ0.5元高い。17時のバスにはなんとか間に合った。

往復とも、同じ運転手さんのバスだったが、あの険しく危険なルートを悪天候の日も毎日運行しているのかと思 うと、たまには事故が起こらない方が不思議に思えてくる。

たった一度のハンドルミスが転落事故に発展する可能性が高いことを思えば、ストレスと危険度の高い仕事と言 えないだろうか。

たまに耳にする中国のバスの事故は、起こるべくして起こっているのではないかと思う。

奉節と巫山の間のルートは、下記写真のような感じ。

 

        

 

 宣昌行き100元。17時15分発。

19時過ぎに騾坪鎮のあたりを通過。

こんな山中ということを思えば、一応繁華街もあり、宿泊できそうな雰囲気の町だった。

19時45分頃、急に停車し、乗客全員荷物も降ろされる。

エンジントラブルなのか、小型のワゴンとワンボックスの2台がやってきて押し込められる。

11人乗りのところを、赤ん坊含めて18人くらいが乗せられてかなりきゅうくつ。

走り出してしばらくして、落石でもあったのか、まだ工事中なのか、道の半分に石が転がっていて、半分しか通 れなくなっていることが判明。

そもそも両方開通していたとしても、大型バスが通過するような道路ではなく、舗装してある村道というに近 い。

おそらく落石というわけではなく、このルートは、最初からこういうルートなのではないだろうか。

大体1時間くらい走ったところで比較的大きな町に出た。

バスが大量に停車している車庫のような駐車場で再び大型バスに乗り換え。

このバスは、シートを倒すことができて楽だった。この町の名前はわからなかったのだが、規模と地形からする と、高陽鎮という可能性がある。

 この後は、半分睡眠をとりながら、たまに外の景色を伺うだけだったので、はっきりどのルートを通ったのか は不明だが、

最後の方は、右手に川を見ながら走ったこともあり、おそらく長江を渡ることなく、北周りに宣昌に入ったと思 われる。

最後の方は岩が連なる奇岩群地帯を走っていた。

 

 宣昌に着いたのは3時47分。夕飯休憩もなしに、10時間半ほぼ走り通しだったようである。

トイレ休憩さえ記憶にない。

車掌が皆に、「このまままで車内で仮眠とりたい人ー」と質問していた様子。で、そのまま6時まで車内で仮 眠。

 

 

 

9月23日(火)

 

 5時55分にバスを出てチケット売り場へ。7時発漢口行き。

寝ぼけていたのか、窓口の人が、「武昌 or 漢口」と言っているのを、「武昌と漢口行きバスターミナルはここではなくて別のところ」などと解釈してしまい、

途中から英語ができる人がでてくるなど混乱したものの、武漢空港行きたいと告げると、漢口行きチケットを出 してくれる。100元。

 宣昌、湖北省の地図、新聞、パンなどを買う(14元)。

新聞は、軍事新聞が殆ど。一般紙の多い深圳とまったく違う。

このバスターミナルのショップだけなのだろうか。それとも宣昌市全体、または湖北省全体がこうなのだろう か。

 

 予定通り7時発。一箇所波止場前の汽車站で客を拾った後、高速に乗る。

時間通り320㎞を4時間、11時頃武漢の新花路客運站に到着。

14時頃に空港行きバスに乗れればいいので、スムーズにいけば湖北省博物館の見学にいけると期待していた が、

地図によると新花路客運站のそばを通っている地下鉄駅が見つからず、博物館に直行するバスもなさそうだった ので、

先に空港行きリムジン乗り場を探しながら、昼食を取ったり中山公園を覗いてみたりする。

 

        

       中山公園近くで見つけた「味の美」という日本語名称の中華ファストフード店。

   味の美=Wei Zi Meiと韻を踏んでいるみたい。

 

 こんなことをしているうちに12時近くなり、更に地球の歩き方に乗っている場所に空港リムジン発着所は無 く、

その辺の旅行社に場所を聞いて発着所を探し当てたときは、既に12時20分頃となっていた。

博物館は諦め、このまま空港に行くことに。12時40分のバスに乗る。

 

 空港リムジンバスの発着所と時間は以下の通り。

 

武昌傅家坡車站 6ー20時 23本

青羊路汽車站 6:30-18時40分 20本

金家墩汽車墩 6時40分-18時 14本

漢口民新村(漢口民族酒店) 6時40分-21時 36本

航空路1号

6:20 7:00 7:40 8:40 9:40 10:40 11:40 12:40 13:40 14:40 15:40 16:40 17:40 

 

私が乗ったのは、航空路出発のものだったが、漢口駅前にある、武漢総客運站にも停車し、

そこにも「空港バス」の看板が出ていたので、武漢総客運站からも乗車できるはずである。

13時15分頃空港着。かなり最近できたと思われるきれいな空港。予定通り16時35分離陸。

18時半頃深圳着。355番で帰宅。雨になる。

 

 

走行距離、1160㎞、航空券 深圳-重慶 -840元、武漢-深圳 690元。

 

BACK