古代ユダヤ歴史映画「エレミヤ」

    本作は、ローマにある「Lux Vide」社 が製作した聖書シリーズの一つです。メインページの右上の「Search by Category(Cerca per Categoria)」で、「Bible」または「Bibbla」を選択すると、過去に製作された聖書シリーズドラマ一覧を見ることができます。本日現在 では、以下のものがリストされます。10年間で12本製作されています。

Abraham(1993年製作)
Jacob(1994年製作)
Moses(1995年製作)
Joseph(1995年製作)
Samson and Dalilah(1996年製作)
Genesis (1996年製作)
Salomon(1997年製作)
David(1997年製作)
Jeremiah(1998年製作)
Jesus(1999年製作)
Esther(1999年製作)
Saint Paul(2000年製作)
Saint John (2002年製作)

本シリーズの「十戒」は、ユル・ブリンナーとチャールトン・ヘストンが主演したものとは別です。「サムソンとデリラ」も、ヴィクター・マチュアが主演した作品とは別の物、「エス テル」はもちろん、「プリンセス・オブ・ペルシア エステル勇戦記」とは別、「Genesis」は、 ジョンヒューストンが監督した高名な「天地創造」とは別ものですし、「Saint John」は、最近出ている「新約聖書 ~ヨハネの福音書~」とは別。「Saint Paul」だけが、最近レンタルビデオ屋でもみかける、「ローマ帝国に挑んだ男 -パウロ- 」です。

  過去、日本で販売・上映された娯楽大作でもある聖書映画と比べ、知名度はまったく低く、恐らく、本シリーズをユダヤ・キリスト・ イスラム教関係者以外の方 がご覧になることは少ないのではないでしょうか。観る以前に、信者ではない方は、存在もあまり知られていないのではないでしょう か。ましてや、歴史愛好家 で、このシリーズを、「歴史もの」として鑑賞されている方は、かなり少ないのではないかと思います。

 本シリーズは、「歴史作品」とし て、もっと知名度が上がっても良い程、しっかり製作されているところが見所です。宗教関連の映画では、聖典の神話を製作したもの が多く、史実とはあまり関 係が無いとの先入観がもたれがちだと思うのですが、本シリーズは、制作費もそれなりにかけているようで、一見の価値があります。 そこで、今回宣伝したいと 思います。英語版は、Dvdも発売されていますが、日本では、過去にVHSが発売されたきり、版元でも在庫切れとなっており、更 にネットでも殆ど日本語情 報がありません。まあ、DVDが出ているとなれば、英語字幕がついている筈なので、無理に日本語版を求めなくても良いかも知れま せんが、本作については強 く宣伝したいと思います。特に本作、「エレミヤ」は、かなり歴史映画としての鑑賞に耐える作品となっているように思え、お奨めで す。

 〜あらすじ〜

 冒頭、壁を掘り、何かを探している男たち。やがて写本を発見し、ソロモン神殿に届ける。
  翌朝、今日はエルサレムへいく日だ、早くおきろ、とエレミヤを起こす父親。今日はソロモン神殿再興の日なのだ。ユダ王 Josiah(ヨシュア王)がモーセ の律法を見つけた日でお祭りなのである(どうやら冒頭で壁の中から発見された写本はモーセの書のようである)。下記はエルサレ ム。

 エルサレムの門を見上げながら、父は、エレミヤに、「エルサレムは、人々の栄光なのだ」と告げる。

  市内の広場では祭りが行われている。様々な催しに多くの人でにぎわう。下記はエルサレム市内の建築物。祭りの様子は少しわかりず らいが、まあ一般的な古 代・中世装束の人々が広場に出店し、踊っている、と映像が流れます(特に大きな山車とかがあるわけではありません。素朴な祭りの イメージです)。

  神殿前では、ヨサイア王が神官たちと犠牲をささげるのをみて目を背けるエレミア少年。エレミアはひとり神殿に入るが、そこで幻想 を見る。神殿の奥のカーテ ンの後ろに入ると、いつのまにか後ろに少女がいて、「あなたは予言者よ。民族の指導者となるのよ」と告げるのだった。下記はソロ モン神殿。


 翌日、夢にうなされて起きる少年。あれは夢だったのだろうか?

 16年後バビロン。結構しっかりしたセットです。1998年に製作されていることから、門の部分はCGでも特撮でもなく、実物 大セットだと思われます。

 新王ネブカドネザルが誕生していた。「エジプトを破った我々に敵はない。次はエルサレムだ!四海は私のものだ。神を手にするた めにエルサレエムヘ!」と、軍隊の前で宣言し、王冠を兜に替える王。


 sabbath(サバト(シェバト)の祭り。青年となったエレミヤの前に、成人となったあの少女が現れる。女性はジュディスと いった。ジュディスと結婚したい、と父に告げるエレミア。しかし、ジュディスの家に借金取りが。娘をよこせば借金帳消しだ!とい きまく。
  エルサレムでの裁判場面。木造で三階ある傍聴席が両側にあり、王が裁判を行う。敗訴するジュディス一家。この場面、商人の間の言 葉の部分で、「アラム語」 と表示される。会話は英語ではなかったので、ひょっとしたら本当にアラム語を(吹き替えかも知れないが)使ったのかも知れない (映画「パッション」では本 当に古代アラム語を俳優に話させたそうですが。。)。

 敗訴したことに怒り、店で売っている神の人形を壊すエレミヤ。父とソロモン神殿に行き、神殿の前で犠牲を捧げるエレミヤ。そこ に子供時代のジュディスが登場し告げる。「何故不正をほおっておくの?」

  そして、老いた爺さんのまぼろしを見るエレミア。彼は何者なのか、エレミヤに、「I put my words in your mouth」と何度も告げる。神なのか、預言者なのか。。。。犠牲をやめるエレミヤ。そして広場で演説をはじめる。王もそれを聞 いている。聞き終わると、 王は、父Hilkayhaに、感銘したが、息子を2度とここに連れてくるな、と告げる。そして夜、寝ている最中に暴行をうけるエ レミヤ。部屋を出て行く と、向かいの寝室から父が見ている。父は暴行を見逃していたのだ。

 翌朝、家をでていくエレミヤ。エルサレムを後にする。
 そし て、砂漠でまたも預言者?に会う。彼は、戻れという。結婚も子供を作っても駄目だ。なぜなら彼らは将来死ぬ運命にあるからだ、と 次げる。それを聞いたエレ ミヤは、ジュディスの家まで行き、彼女を見て引き返す。砂漠でエレミヤがエルサレムで主張した内容に賛同する医者(?)の青年に 会う。エレミヤは、彼に、 エルサレムで演説してもらう内容を伝言として託す。その内容は、「バビロン王が来て、王国を滅ぼす」というもの。エルサレムで、 エレミヤの声明を読む青 年。すると、賛同者が現れ、王に知らせる、という。だが、我々も、君もエレミヤも殺されるかも、という。とにかく王に会いに行 く。
 王は、王座に愛人をはべらせ、しかも背後の壁は黄金で覆われている。いかにも堕落した様子が描かれる。

 エレミヤの建白書を焼いてしまう王。夜、砂漠に隠れるエレミヤのもとに戻る青年。エレミヤは、もう一度やる、と主張し、青年 は、「しかし、どうすれば皆預言者の言葉と信じる?」などと会話している時、近くを静かに行進するバビロン軍を目撃する。

  一方、それまで、Meggidoのエジプト王の側に立っていたJosaiah王は病気になり、弟mattaniah.と Shaphan将軍が相談してい る。弟はバビロン軍と密かに講和していた。王は死し、バビロン軍はエルサレムに無血入場し、新王である前王の息子は、王座に座る ネブカドネザルの前にひざ まづき、王冠を取られ、ネブカドネザルは、それを王弟mattaniah.にかぶらせ、ゼデカヤと名乗らせる。

 もっと暴虐な人物に描かれるのかと思っていたら、意外に風格があり、しかも四海の王の権勢と冷静な冷酷さを持つ人物として描か れていた。「王はエルサレムに留まってよい。しかし、家臣や市民はバビロンに連れてゆく」と冷たく言い放つナブー王。

 王座など、めぼしいものを略奪するバビロン軍。人々も連れ去られる。
 同志の青年に、エルサレムに戻る、と告げるエレミヤ。
  一方王宮では、臣下達による会議が開かれ、エジプトへ使者を、と告げるShaphan将軍。しかし王は、バビロンへの貢納を発表 する。ただし、同時にエジ プトにも使者を送り、どっちがリスキーで信用できるか検討することにする。そこに罪人の手と首を固定する木枠のくびきをつけられ たエレミヤが入ってくる。

 エレミヤ 「信じるのはバビロンでもエジプトでもなく、神だ!これは神の言葉なのだ!」
 王     「エジプト軍が来ても、やがて去る。そしてその後、バビロン軍がまた来るだけだ」
 護衛兵と思われる男が、エレミヤのくびきを剣で打ち壊し、「このくびきがバビロンのくびきだ!」と言う。
 しかしエレミヤは、なおも王に向かって 「あなたはバビロンで死ぬ!」 と叫ぶ。

 そして後日。斥候がエルサレムの方向へと進軍するバビロン軍を発見する。やがてエルサレムを包囲する(下記はエルサレムへ戻る 斥候。エルサレムの門)。

  下記はエルサレムを長期にわたって包囲するバビロン軍。テントなど、当時の軍装の参考になり、非常にリアルな感じのする映像です が、残念なのが、エキスト ラが少なすぎ、軍隊の迫力がいまひとつな点。観客の大量動員観客が望めそうもない小品としては、セットも衣装も見事だけど、やは り予算は多くは無かったの だろう、と思わされる場面。でもいい感じです。

 包囲が続く町中では、市民の間に、エレミヤが正しかった、という認識が広まる。やがてバビロン軍は去る。
 解放され、ジュディスのもとにゆくエレミヤ。無事だったのね!と抱き合って涙を流す二人。しかし喜ぶジュディスにエレミハは、 一緒にいけないんだ、と次げる。「どうして?あなたはすでに(神の言葉を伝えるという)任務を果たしたでしょ?」
  そこに、突然Shaphan将軍が差し向けた兵士が来て、二人は引き離されてしまう。また奴隷に戻され、エルサレムに連衡され、 牢獄に入れられるエレミ ヤ。そこに、どうやって入ったのか、牢屋にジュディスがやってくる。一緒に逃げようとしたところ、Shaphan将軍と兵士が やってきて、彼女を王のもと につれてゆき、結婚させようとする。将軍と兵士に抵抗し、エレミヤを兵士が刺そうとしたところ、とっさにジュディスエレミヤをか ばい、刺されてしまう。連 れ去られるジュディス。そのまま牢屋に閉じ込められるエレミヤ。

 2ヶ月後、再びバビロン軍が襲来。宮廷では、「エジプト軍はどうなっているのだ?」「さあ。1年くらいお願いすればくるかも」 というような会話が交わされる。包囲は長期にわたり、籠城で城内には飢餓が広まる。
  ある日、兵士がエレミヤを牢から出してくれる。王の前に出されるが、王の聞きたいような内容を回答することができないエレミヤ。 王は自分にとって都合の良 い予言を聞きたかったのだ。出て行け!と宮廷を追い出されるエレミヤ。宮廷を出ると、広場では同志の青年が、エレミヤが彼にかつ て語った、

 「堕落したエルサレムは一度バビロンに滅ぼされなければならない」

  という話をしていた。宮廷では、Shaphan将軍と王の意見が食い違い、宮廷を出てしまう将軍。広場では、エレミヤと青年が 人々に語っている。将軍は、 神の意思に従え!と叫ぶエレミヤを打ちすえ、「(バビロン軍に)降参するやつは殺す!」と周囲の人に告げる。処罰として井戸に落 とされるエレミヤ。

 宦官が王に、エレミヤの恩赦を願い出る。そして宦官たちの手で井戸から助け出されるエレミヤ。またしても王の前に引き出され、 「なぜ神は俺に直接言わない」とエレミヤに問う王。

 エレミヤ 「あなたが神を信じてないからだ。これを見ろ!(偶像を示して)こんなものが神が望むと思うのか?)
 王 「民衆が求めるからだ」
 エレミヤ 「「違う、権力と富を求めているのだ。だから神はお前を滅ぼすのだ」
 そして石像を壊すエレミヤ。突然エレミヤの前に跪く王。「助けてくれ、エレミヤ」
 エレミヤ 「それはできない。バビロンへ行くのです」
 王 「一度いったら戻って凝れなくなる」
 エレミヤ 「そんなことは無い。でも奴隷としてです」
 王 「それはいやだ」
 エレミヤ 「でも戻って凝れます」
 王 「こいつを連れて行け!」

 というわけで、また牢獄に戻るエレミヤ。なんか、出たり入ったりが多いなぁ。。。。
 下記は王宮の会議の間の様子。背後の会談席が、現代の議場に似ていて面白い。中央はゼデキヤ王。


  でも、バビロン捕囚ってこういう話だったのですねぇ。。。。エレミヤって、バビロン捕囚時にユダヤ民衆のリーダーとなった人くら いな認識しかなかった。し かし、この映画で描かれているエレミヤは、現代でいえば、米国内で、「アル・カイーダが米国を滅ぼすのは神の意思だ」と叫ぶよう なもの。普通に考えれば狂 人としか思われないのではないでしょうか。そもそも敵軍に通じているとしか思われないだろうし。事実を無視した嫌中嫌韓嫌日言論が多い中で、いい加減な報 道や 著作物を批判して事実を主張すると抵抗されるのも似たようなものかも。多くの人は、エレミヤ記や本作から、「真実を言うのは勇気 のいることで、理解できな 人々はおろかな最期を迎える」という印象を描くのでしょうが、そういう感想をもつ我々自身が、その「おろかな人々である」、とい うことが、どの程度理解さ れているのでしょうか。ひょっとして、政治家やマスコミとか、どっかの国とか、そこの国民とか、とにかく意見の合わない人を「お ろかな人々」と考え、自分 はエレミヤの気持ちが良くわかる、などと考えてはいないでしょうか?エレミヤ記の伝えんとするところは、「我々こそ、エレミヤの 言葉を理解しなかった民衆 なのだ」ということなのではないかと思うのですがいかがでしょうか。

 話がそれましたが、再びエレミヤは解放されます。バビロン軍の包囲 は続き、市内は人心・物ともに荒廃してゆく。しかしエレミヤは広場でいつもと同様、説教し、人々の相談に乗り、仕事を続けてい る。そこに、従兄弟の hanamal(ハナマルとは面白い名前)がやってきて仕事の相談をする。「どうして、こんな非常時に、普通のことができるん だ」と問う友人たち。

 ついにバビロン軍が城門を破り、城壁にはしごをかけて侵入してくる。

 侵入後、石像を引き倒し、城壁を破り、そこからも兵士が侵入してくる。写真ではわかりにくいのですが、下記王宮の左端に、白 い、トラの石像が見えています。こうした石像が市内あちこちにあり、それらが次々と引き倒されてゆく。手前はバビロン軍の兵士。

 王と将軍と兵士はエルサレムを脱出する。しかし郊外でバビロン軍に囲まれ、バビロンに連行される。バビロン市内の様子。アケメ ネス朝的なグリフォン像がある。


 ネブカドネザル王(以下ナブー王)は、連行されてきたユダ王(ゼデキヤ)に問う。
 「私に跪くか?」
 ゼデキヤ 「我々の神だけに」

 そのように答えると、王の背後にいた臣下たちが突然一斉に殺される。

 ナブー王  「預言者がいるそうだな。彼はなんといっている」
 ゼデキヤ  「私(ゼデキヤ)は死なないと」
 ナブー王   「そうか。そのハンサムは男は?」と、ゼデキヤの後ろの少年を指す。
 ゼデキヤ  「息子だ」

 すると、一瞬のうちに、息子達が殺される。
 ナブ王はいう、「予言とおり、お前は生きるが、これがお前が見た最後となるのだ」

 なかなか凄い場面である。そして目を火で潰されるゼデキヤ王。


 エルサレムの城門の中に夕陽が迫り、ナブー王の護衛隊長の部隊が牢獄を破り、救われるエレミヤ。
 エレミヤ 「私のことを知っているのか」
 隊長 「王からおまえを解放するように言われている。バビロン軍の中でお前のことを知らん者はおらんよ」と告げて去る。

 なんとなく、次代、アケメネス朝の軍装に似ているバビロン軍である。

 最後の方で、ワンカット「バビロニア語で話している」とキャプションが出る(前半の、ジュディス家の裁判の場面アラム語の場面 もあった)

 ラスト。炎の発するエルサレムを郊外からみるエレミヤと宦官や友人たち。


 〜 おしまい 〜

  個人的には非常に面白く、よくできた映画だと思います。史実性はともかく、かなり説得力のあるセット・衣装でした。話の流れは じゃっかん、エレミヤの行動 様式にわかりにくいところがありましたが、きっとそのあたりは、ユダヤ・キリスト・イスラム教徒であれば、問題なく理解できる部 分なのかもしれません。少 なくとも、聖書の登場人物の映画化としては、ソード・サンダル映画よりも、迫真性のある歴史作品に仕上がっていると思います。是 非是非歴史愛好家の間でも 広まって欲しい作品ですし、日本語版dvdも出して欲しいところです。ただ、仮にdvdが出るとしても、お願いしたいのが価格。 VHSについては、Lux Videの聖書シリーズは、日本では別々の会社から日本語版が作られ、販売されていました。何作かは、「いのちのことば社」のビデオ製作部門(ライフ・エンターテイメント)から販売さ れました。ライフ・エンターテイメントから販売されたのは「アブラハム」「ヨセフ」「サムソンとデリラ」「十戒」「エレミヤ」 「エステル」「ヤコブ」などがあり、こちらに日本で販売されたシリーズの一覧があります。この中で、日本でdvdが発売された のは「ヤコブ」だけですが、それも今は発売元でも在庫切れとなっており、他はdvdが出ていません。しかも、本作「エレミヤ」は、100分程しか無いのに上下2巻にわけられ、合わせて6000円もし ましたアブラハムに至っては14490円でした。私はこれらのうち、10年前に「エステル」を購入しましたが、これも90分程度で上下2巻に別れ、合わせて6000円も しました。購買層が限られるとはいえ、いくらなんでも高すぎるのではないでしょうか。もっと安かったら、「エレミ ヤ」も購入していたかも知れません。購入していたら、もっと早い段階で、本作のすばらしさに気づくことができたでしょう。

 さて、現在では本聖書シリーズは、全て英語版はDVDが出ています。「エレミヤ」は中古が6.64ドル。 ネットで見たとは言え、気に入ったので早速中古を注文しました。送料含めて1636円。できれば日本語字幕版も2000円程度で 出して欲しいところです。 信者関係者だけではなく、一般の歴史映画愛好家の需要は必ずある筈です。宗教や神話に興味が無くても、バビロンやエルサレムの当 時の街並みや兵士の軍装、 風俗に興味のある方はいるでしょう。小品な割りに、こんなに見ごたえのある歴史映画は、もっと広まって欲しいと強く思う次第で す。

 とこ ろで、聖書の歴史叙述がどこまで史実かは、永遠の研究課題だと思うのですが、聖書の話は基本的には史実と伝説に基づいたフィク ションだと思います。なの で、本作が、原作である聖書の内容を、一部はしょったり、変更していたりしていても、フィクションであることは変わらないと思う のですが、私がネットで見 つけた唯一の日本語の感想では(こちら)、キリスト教徒の方が書いた感想で「この作品には多少 のフィクションが入っています」との記載があります。信者の方からすると、「聖書はノンフィクション」なのだと改めて認識した次 第です。

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