2018/Jan/06 created
古代スリランカ歴史映画『マハーラージャ・ガーマニー』(2015年)

 2015年スリランカ製作。153分。古代スリランカの伝説の王ドゥッタガーマ ニー王(在前161-137年)の前半生を描く。 扉画像は、戦場に立つ主役の若きドゥッタガーマニー王。3-4世紀に成立した史書『ディー パワンサ(島史)』や5世紀に成立した史書『マ ハーワンサ(大史)』で事跡が伝えられている、南インドのタミル人による侵略を撃退してスリランカを最初に統一 した王とされる。ガーマニー・アバヤー(恐れなきガーマニー)と呼ばれた。



〜背景〜
 前2世紀末、南インドのタミル人の王エーラーラがスリランカ島へ侵攻し、島の北部と、在来のシンjハラ人王朝の都 ア ヌラーダプラ(国王一覧もこちら)を征服した。エーラーラ王は44年間統治したとされる。このラージャ ラータ王国と在来シンハラ人のル フナ王国(島の 東南部)はマハーガンガー川を国境として対峙することとなった。

〜登場人物〜
左端がエー ラーラ王(在前205-161年)。マハーラージャワンサと呼ばれている。その右は宰相バッタラ。 しょっちゅう癇癪を起こしている。その右はドゥッタガーマニー王の父カ ワン・ティッサ(在前205-161年)。仏教を受容したデー ヴァーナンピヤティッサ王(在前307-267年)の末弟の孫。この画面ショットは王子ドゥッタガーマ ニーが誕生した時の若い頃で、以降はずっと灰色の髪と髭の老けメイクで登場している。その右はティッサ王の筆頭大臣 ナンディミットラ(十 勇士の一人)。左下が主役のドゥッタガーマニー。その右は弟のサッダ・ティッサ。その右は将軍の一人。 その右は ドゥッタガーマニーの母后ヴィフラマハーデーヴィ。デーヴィーワンサと呼ばれている。右端はエーラーラの部下。



 左上はエーラーラの后。その右はティッサ王の将軍の一人。右上は、ルフナ王国の 王宮に潜入したスパイ。途中で発覚する(多分殺された)。左下は、恐らくドゥッタガーマニーの弟王子(もしかしたら 間違っているかも知れない。彼は、エーラーラ王と内通し、ティッサ王死後兄と対立、エーラーラの軍を率いて兄と内戦 を引き起こす。しかし戦闘前後の頃と、さらにその前後の登場時とで顔つきが違いすぎるから、別々の人物を混同してい る可能性もあります)。下下段中央は、ドゥッタガーマニーの妻。下段右端は、エーラーラ王の娘。一度もあったことが ない(はず)なのに、ドゥッタガーマニーに恋をしている。星野真理さんを連想する方でした。



〜あらすじ〜
 前205年から開始。冒頭で、下のような仏教寺院にティッサ王の王妃が馬車でやってくる。インドで牛車ではなく、 馬車であるところが目を引く。寺院の左には石像のストゥーパがあり、現在のアヌラーダプラに残るストゥーパだと思わ れる。王妃は王子誕生のための祈願に来たのだった。王妃は、寺院の前で少年が自分に向かって走ってくる幻影を見て、 懐妊した、と考える。9ヶ月後、王子が誕生する。



 (話は前後するが、王子誕生以前の場面で)ティッサ王の王宮(アヌラーダプラ王 宮だと思われる)では、宴会が行なわれていて、下左のように、漢人だと思われる人物や、下右のように、ギリシア人だ と思われる装束の人物が登場していて国際的。前3世紀初頭に漢人やギリシア人がスリランカ島に到達していたのかどう か、史実はともかく、可能性はありそうです。



 下左はエーラーラ王、下右はティッサ王の王宮。エーラーラ王は、この時点ではま だスリランカ侵攻する前で、南インドにいる筈なので、これは南インドにある王宮の筈なのですが、終盤に登場するスリ ランカにある王宮として登場していました。両方ともCG画像です。石像とレンガでできています。これは遺跡的に確か なのか、興味があります。土台部はレンガと石像はあっても、ほかは木造だったのではないのかと疑っています。



 ティッサ王の宮廷はこんな感じ。現代の高級ホテルのような感じです。時代考証的 に無理があるとまではいいませんが、少し立派過ぎにも見えます。しかし、サータヴァーハナ朝映画『ガウタミープトラ・シャータカルニ』などのインド映画に 比べれば、ファンタジー色はなくリアルです。



 24年後(前180年頃になるはず)。南インドのチョーラ国出身の王 エーラーラは、ある日森に遠乗りにでかけ、石碑と、そこに刻まれた碑文を見つける。そこには、スリランカが一人の英 雄王により統一される、との、デーヴァーナンピヤッティッサ王の予言が刻まれていた。この予言を阻止するために、 エーラーラ王は、王妃や部下を連れて、船員のふりをしてスリランカに渡る。以下がその船団。CGです。大げさなほど 立派ではありません。下右は、スリランカのティッサ王の都アヌラーダプラの王宮の正門。一方エーラーラの宰相バッタ ラは、刻文を削除させる。



 エーラーラは、2人のスパイをティッサ王の王宮の衛兵として潜入させ、王子の暗 殺を謀るが、大臣ナンディミットラに見破られていて失敗する。スパイの一人は自害した(もう一人は恐らく殺されたも のと思われる)。エーラーラが島を征服している場面はないが、いつの間にか征服したことになっている。マハーガン ガー川にまで進出したエーラーラの軍隊が、いかだに乗って川を渡って逃げようとする住民を、弓矢で襲撃して全員虐殺 する事件が発生する。ドゥッタガーマニー王子は激怒するた、父王は平和主義者で軍を起こさない。王子は父に宝石箱を 送る。ティッサ王が箱を開けてみると女ものの首飾りが入っていた。女性のごとし、と息子に馬鹿にされたティッサ王は 激怒する。王子は置手紙を残して出奔してしまう。
 以下左は、王宮の建物。瓦屋根がある。これも考古学的に確かなのでしょうか。出土遺物や現存する古代の浮彫りによ れば、古代インドにも瓦はあったようですが、少し遺物と形が違い、古代地中海や古代中国の瓦に似ているように見えま す。下右は、出奔した王子が身分を隠して住み着いた村の家。




 ドゥッタガーマニー王子は、この村で普通の農民として、名前を変えて生活する。 村娘のカーティと結婚する。一度大臣ナンディミットラが王子を迎えにきて、王子は王宮に戻るが、母后には無視され る。屈辱をあじわった王子は再び村にもどり生活を続ける。

 一方、エーラーラー王の宮殿では、王女が楽器を演奏している。エーラーラ王は白髪になっている。娘は、まだあった こともないドゥッタガーマニーを想いながら歌ったことがわかり、父王は広間を去ってしまう。

 7年後(前173年頃か)。ドゥッタガーマニー王子は、結婚し、子供も生まれ、すっかり村人としての生活に馴染ん でいる。しかし、ついにティッサ国王が死去し、高官達が隊列をなして村に来て王子に即位を依頼するのだった。夫の出 自を知らなかった妻のカティーは動揺する。下左が、王子に国王の剣をささげて即位を嘆願する大臣ナンディミットラ。 周囲は家臣を村民が取り巻いている。右下は即位した王と妻のカティー。カティーは心底どうでも良さそうな顔をしてい る。



 王子が即位した頃、王位に野心をいだく弟王は、エーラーラ王の支援をもとに軍隊 を率いて攻めてくる。戦場でにらみ合う両軍の間に仏教の僧侶たちが割って入ってきて一度はことなきを得るが、その後 再度対陣し、今度は開戦となる。しかし戦闘場面がないうちに弟は敗北したことになっていて、王弟は、仏僧の助けを借 りて、仏僧が埋葬する遺体の柩に隠れて脱出する(この部分、ドゥッタガーマニーと戦った人物が王弟なのか、別の人物 なのか判然としません。もしかしたら、私の勘違いかも知れません。同一人物と見るには、あまりに表情が違いすぎるか らです。弟は、才気煥発な兄と異なり、気弱な性格でしたが、この戦争場面で登場する人物は、才気煥発な人物でした。 しかし戦後王宮に戻ってきた弟王は、もとの気弱な性格と表情に戻っていました)。

 下は、ティッサ王の家臣の大臣や将軍(彼らはスリランカの史書では十 勇士といわれた)が軍装しているところ。一般兵士もだいたいこんな感じでした。



 王座を安泰としたドゥッタガーマニーは、エーラーラの王国に本格的に侵攻する。 下右は、エーラーラの会議室。中央奥がエーラーラ。両側は大臣と諸将。中央のテーブルの上にはスリランカの地図(ジ オラマ)があり、エーラーラの領土の拠点に旗が立っている。下左は、その旗が次々となくなっていく様子(下左の左の 地図→右の地図、のように、段階的に旗が少なくなってゆき、エーラーラの領土が失われていく様子が描かれる)。




 遂にドゥッタガーマニー軍がエーラーラの王宮を包囲する。夜間の攻城戦。城門を 破ろうとした象の上に燃える油を落として撃退するが、象が扉を破って進入成功するが、それでも攻め落とせない。最終 的には、象に乗ったドゥッタガーマニーとエーラーラが一騎打ちする(下右画像)。エーラーラが投げた槍をドゥッタ ガーマニーがかわし、その後ドゥッタガーマニーが放った槍がエーラーラの胸を貫く。象からころげ落ちたエーラーラ は、ドゥッタガーマニー王の腕の中で息絶えるのだった。


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