フェリドゥーン伝説



 
 イランは詩人の国という。古代イラン人は殆ど歴史書や記録は残さなかったが詩は残した。今でも詩はイラン人の日常生活に生きていて、誰でも詩の一つや二つは口にするという。日常会話にも詩の知識を背景とした比喩や引用が頻繁に出てくるのだそうだ。10世紀 東イランの郷士 フィルダウシーがまとめた「シャーナーメ」は もっとも国民に親しまれている詩の一つであるのだそうだ。 これは驚異的なことである。 日本で言えば 琵琶法師の語る平家物語が 今もって人々の日常生活の端々で口にされるということになるのだろう。 現代日本社会では考えられないことだが、 イランではまだ伝統が生きているのだろう。 それも近代化の中で今後失われて行くものかも知れないが。。。

 その「シャーナーメ」とは 「王達の書」という意味らしい。日本では「王書」の名前で定着している。イランがアラブ人に征服されたのが7世紀。それから300年以上たって ペルシャ語に多くのアラブ語の語彙が入ってきたものの、フィルダウシーは 新しく入ってきたアラブ語の語彙を用いずに、殆ど古来のペルシャ語だけで この本を書いたのだそうだ。 これは現代で言えば 江戸時代の単語を用いて記述するようなものである。 果たして今の我々に 「社会」とか「文明」とか「イメージ」とか「ストレス」という言葉を用いずに 文章を記述することが出来るだろうか?
 もっとも当時と今では時代の変化のスピードや 新しく登場する製品など 単語の増加は 比較にならないものがあるが。。。。

 欧米における「イリアス」「オデッセイ」に相当する「王書」は 天地開闢から ササン朝の滅亡に至るイランの歴史を語った大叙事詩である。 内容的には「古事記」に相当するような書物と言える。 古事記のように 神々の時代、 英雄の時代、 歴史時代 の順で 展開する。 フェリドゥーンとは 「王書」の神代期に登場する イラン解放の英雄なのである。

 それではフェリドゥーンは一体何からイランを解放したのか。 悪の王ザッハークの支配からイランを解放したのである。 ザッハ-クとは やはり神代期に登場する 名君ジャムシードを 奸智を用いて倒し 1000年もの間イランに暗黒の支配をもたらした王なのである。 冷酷残忍な王は悪の象徴であり(両肩から蛇が生えているところからして いかにもそれらしい)、イラン国民に圧制を強いる闇の力の象徴である。 
 この話はフィルダウシーの創作ではない。従来イラン人の間で語り広まっていた伝説と ササン朝が残した歴史書の内容を フィルダウシーの才能で芸術作品に纏め上げたものなのである。この点ホメーロスの「イーリアス」や「オデッセイ」に似ている。 フィルダウシーの時代、フェリドゥーン伝説は既に完成していた。 そこで このような問が浮かぶことになる。

 この伝説は まったくのフィクションなのだろうか? なにか史実を反映したものなのだろうか?


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