ヤズダギルド2世



 
  バフラーム・グールの息子ヤズダギルドが王権をいだ。王 冠が彼の手に置かれた時、国の有力者と貴族たちは彼の面前に来て、彼の頭を賞賛し、王権の継承を祝った。彼は皆に喜びの言葉を与 え、彼の父に言及して、どう彼が臣下に対して振舞ったか、どれほど長期に、不満を聞き、苦痛を受け取ってきたかを語った。もし彼 らが、彼の父から経験してきたことを彼から経験しなかったとしたら、彼らは彼を非難すべきであり、彼は父の輔弼であったボー ラーイの息子ミフルナルセスを大臣に任じた。彼は最高の所作で振る舞い、最善の 方法で指揮し、彼の敵を苦しめ、彼の臣下と軍団に慈悲を与えた。
 
 ヤズダギルドは二人の息子がおり、一人はホルミズドと呼ば れ、シージスターン*1の統治者であり、いま一人はペーローズと呼ばれていた。 ヤズダギルドの死後、ホルミズドが王権を奪い、ペーローズは逃亡してエフタルの地へ至った。彼は国王に彼と彼の兄の間で何が起 こったのかを話し、ホルミズドより彼の方が王座に適していると主張た。ホルミズドと戦い、彼の王国の 統治権を得るための軍隊を要求した。しかしエフタルの王は彼の要望を却下した。ホルミズドが実際に暴虐で、王 としてふさわしくないという情報が伝えられるまで。彼は言った「神は不正を喜ばぬ。不適格な王の支配の元では人はどんな交易や企 業活動の成功でも財産をつくることはできず、ただ不正と暴虐な知恵だけがそれらをもたらすことができる。

 ペーローズがタルカン*2になったあと、彼はペーロー ズに軍隊を与えた。ペーローズは軍隊とともに進軍し、彼の兄ホルミズドと戦闘となり、彼を殺し、彼の軍隊を切り刻み、王国の 支配権を握った。ローマ人は彼の父に支払ってきた貢納をバフラームの息子、ヤズダギルドへは 遅滞するようになった。だからペーローズはミフル・ナルセスを送り、かつてバフラームがその(正確な貢納 の)目的で送ったようにナルセスは彼の主人の意志を堅持した。何人かの著作家によれば彼の支配は18年と4ヶ月であり、他の著述家 によれば17年だった。
 

*1 現アフガニスタンのヘルマンド川流域地方
*2 テュルク系部族の高位の役職

  - 「アルタバリーの歴史」第5巻 「パーパクの子アルダ シール後の王権の所有者達」の章p106からp109(通番871頁から872頁「ヤズダギルド2世」の節)より - 

ヤ ズダギルド2世一般史編

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