ヤズダギルド1世



 
  そして彼のあと王権を継いだのはヤズダギルドだった。彼は”罪の人”の渾名を持ち、バフラーム(4世)ケルマンシャーと呼ばれた−の息子だった。バフラーム4世はまたシャープール(2世) ドュ− アル・アクターフの息子だった。ペルシャ人の系図についての知識のある学者の何人かは(一方で)この罪の人ヤズダギルド はケルマンシャーであるバフラームの兄弟で彼の息子ではなかった、といっている。そして彼らは彼はヤズダギルドであり、シャー プール(2世)ドュ− アル・アクターフの息子だとしている。彼の誰の子に属しているのかということとその主張はヒシャームブンムハマンド(イブン・アル・カ ルビー)である。

 言及されていることによれば、彼は粗雑で厳格な性格で 多くの欠点を持っていた。これらのうち、もっとも酷く、最も深刻なのは彼が持ち前の鋭い知 性を持たず、よい教育もなく、彼が適当な場所で獲得した知識の範囲も狭く、有害なことを広く探求し、人々 をだますことに彼が持っている力の全て、鋭さ、策略、トリックを これら全てを彼の鋭い心ととも一緒に合わせて使うことに あった。彼の心は悪魔的な行いへの性癖があり、彼のこれらの能力を従事する喜びとする意思を持っていた。 彼は人々の知識と 文化的達成をつまらないこととしてあざ笑い、冷笑を浴びせ、人々の前に彼独自の達成を見せるのだった。それら全てに加えて、 彼は悪いモラルの、堕落する傾向のある病的な気質であり、彼の悪い気質と暴力的な性格を指摘することは、小さな堕落を彼にも のずごい罪であると考えさせ、ささいな逸脱を極悪であるかのように考えさせた。

 結果として 彼が彼と持つかも知れない身近な関係は何 で有れ、ものすごくささいな点で彼に罪を犯した人の為に誰も合えて仲裁しなかった。彼は彼の人生の全体を通じて人々を疑って いた。どんなことであっても誰も信用しなかった。彼はよい奉仕をした誰にも決して褒賞を与えなかった。しかしもし彼が人に莫 大な利益を授与する場合は、彼は非常な熱心であるように行った。もしだれかが大胆にも彼に既に他の人物が話をしてしまった話 題を彼に話しかけたりすると 彼は彼に言うのだった 「君に利益を与えた人物は私に話してくれている。どうやって彼は君に与 えたのだね? またはどうやって君は既に彼から受け取ったのだね?」 多様な国々の統治者から彼のもとに来た使者の代理人だ けがこれらのことと及び同じ話題を彼に話すことができた。彼の家臣達は彼の悪意と暴君の苦難、彼の悪魔的な欠点の全体的効果 から彼ら自身の保身を行うだけだった。彼らの貴族的性格と、そして彼の時代の権力の前の支配者達のよき慣習とを 持ちつづけ ることによって。

 彼らはともに団結し、彼の非難すべき振るまいとの悪意の恐れの前でお互いを助け合った。彼が彼に関する誤りの罪を誰かに罰すべきだということ、或いは、彼に対する罪を犯した者を罰すべき だということが彼のポリシーの一部だった。300年間ものあいだに犯罪者によって決して一緒に集められたことのないほどの  ばかばかしい罪状の集積というきついペナルティで罰せられたのだった。予想 していた懲罰ではなく、その同じ理由によっては人はかつて打たれたことが ない回数を打たれた。その懲罰はより不愉快なものとなった。彼は、彼の側近 の一人が彼へのこれらの依存の一つへと特に熱意を示すという報告を受けたとき、或いは 彼が彼 ら−又は彼らと社会的地位の等しいもののうちの一人でもよいがを勇気付 け、保護するかした時はいつでも、彼は彼の奉仕らその者を送りだした。

 ヤズダギルドが権力に達したとき、彼は彼の大臣として ナルセスを任命した。彼の時代では驚異的に賢い男であるナルセスは完璧な作法と教育を身につけ、全ての指揮において最高で彼 の時代の男の中で群を抜いた容貌をしていた。彼らは彼をミフルナルセス またはミフルナ ルシフと呼んでいて、彼はアル・ハザールバンダフ*1と いう渾名も持っていた。家臣達は彼の政策と彼の能力がヤズダギルドの悪い性格のいくらかを取り除き、ナルセスが彼によい効果 を持つことを期待した。しかしヤズダギルドが彼の王座を固く打ちたてた時、貴族と国の有力者達にとって彼の侮辱が激しく成長 し、弱者に激しく退屈し、多大な血を流させ、彼の時代に家臣達が決して経験したことが無いような 暴君的な振るまいで権力を 振るった。貴顕達と貴族達がヤズダギルドが暴君の道へと突き進んでいると理解したとき、彼らは集まって、彼らが悩んでいるこ とからヤズダギルドによる圧制について神に不平をもらした。彼らは彼らの主人に謙虚に嘆願し、ヤズダギルドからの早期の解放を彼らに贈ることを神に嘆願した。

 彼らはヤズダギルドがゴルガーンにいたと主張してい る。ある日彼は彼の方に向かってくる馬を宮殿から外に見た。馬はよい外見をしていて、そのフォームは完全で以前馬で見られた ことの無いものだった。 それは彼の門のところで止まった。人々はそれに驚いた。何故なら、その獣は異常な気質だったからで ある。ヤズダギルドはそれについて言われた、そして彼はそれに乗って手綱を着けるように命じた。彼の馬丁と厩舎の親方はこれをやろうとしたが失敗した。ヤズダギルドは馬が彼らでは手におえないと通 知された。そこで彼が馬がいる場所に出向いて行って彼自身の手で手綱を置こうとし、鞍の下地をその後ろに投げ、その上に鞍を 投げた。鞍は馬の腹のストラップを保護し、首廻りに端綱を置いた。馬は一インチも動くことはなかった。後に彼は尻がいを固定 するためにその尻に乗り、馬が彼の背後でいなないて、一息に彼が死ぬ程心臓を打った。それからはその馬は二度と現れなかっ た。 馬はものすごい速さで駆け、誰もそれを捕まえることは出来ず、誰もその振るまいの理由を確信することは出来なかった。 臣下達はこのように自由になり、叫んで言った 「これは神の仕業だ。神の我々に対する明白な慈悲なのだ」

 何人かはヤズダギルドは22年5ヶ月と17日統治した といい、別の者は21年と5ヶ月と18日だったとしている。
 

*1千人の奴隷を持ち、指揮する、の意

  - 「アルタバリーの歴史」第5巻 「パーパクの子アルダ シール後の王権の所有者達」の章p70からp74(通番848頁から850頁「ヤズダギルド1世」の節)より -
 

ヤズダ ギルド1世一般史編

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