ホスロー2世(2)



【1】通版1008-1009ページ

 彼は、イクリマーは彼の言い伝えをこう言っている、と伝えている。曰く、ペルシア人がビザンティン人に勝利した時、ファルカー ン*3はひとたび座り、飲んで、そして彼の従者達に言った、「私は夢を見た。まるでホスローの王座に私自身がいるかのような」こ れがホスローの耳に入り、 彼は、シャフルバラーズに書簡を送った、「この私の 手紙が汝のもとに届いたら、ファルカーンの首を私に送るように」シャフルバラーズは返書を書いた、しかしながら「王 よ、あなたは、ファルカーンのように、敵に大きな損害を与え、彼らの間で恐れられている者は、他に誰も見出すことはできないで しょう。だから、そんなことはしないように」 ホスローは彼に答えた、「ペルシアの人々の間では、彼と置き代えることができるよ うな人はいる。だから早く彼の首を送るように」シャフルバラーズは彼に意見を表明し、それはホスローを怒らせ、彼はそれ以上の返 答をせずに、ペルシアの人々への郵便と情報*2に送り、宣言した。「私は、あ なた方の上に立つシャフルバラーズを解任し、彼に代わって、ファルカーンを任命するものとする」 そして彼は小さな書類を携えた 通信使を送り、ファルカーンが王家の権威を望み、彼の兄弟が彼に従うなら、彼にこれを与えるものとする、と命じた。シャフルバ ラーズがこの手紙を読んだ時、彼は言った、「聞き届けた。従おう!」彼は王座を下りた。ファルカーンは(彼の屋敷で)腰かけ、そ の書類を引き渡した。そしてファルカーンは言っ た、「私の前へシャフルバラーズを連れてくるように」 そして彼の首を切り取るために前へ出させた。シャフルバラーズは、しかし抗議して、「そんなに急がず、私に最後の遺言を書かせてください」 そしてファルカーンはこれに同意した。シャ フルバラーズは、収納庫を持ってこさせ、(そこから取り出した)3枚の書類を彼に与え、彼に言った、「貴方のため嘆願するこれらの書類を、ホスローに送ります。今あなたは、一枚の口実で、私を殺そう としている」ここで、 ファルカーンは、王権を彼の兄弟に与えたのだった。

 シャフルバラーズは、ビザンティンの王カイサルに書き送った、「私は貴方との間だけで決めたい要望がある。それは、使者が運ん だり、文書でやりとりできるようなものでない。私のもとへ来て会ってくれたまえ。しかし、連れてくる兵士は50名だけにして欲し い。私も50名のペルシア人兵士を連れてゆく」 カイサルは、しかし、5万人のビザンティン軍とともにやってきて、彼の行く手の 街道沿いに間諜を放ち始めた。
彼の間諜が、シャフル バラーズは50人の兵士だけとともに来ているとの報告を携えて、彼の元に戻るまで、シャフルバラーズが、彼について 何かを たくらんでいるかも知れない、と恐れたためである。彼ら二人の前に、一枚の絨毯が広げられ、彼らは、彼らの為に張った錦の天幕で 落ち合った。彼ら二人とも、傍らに一本のナイフを持っていた。彼らは交渉の為に通訳を招き、シャフルバラーズが言った、「あなた の町々を計略と 武勇で荒廃させたのは、私の兄弟と私自身である。しかし、今ホスローは、我々を妬み、私の兄弟を殺すように私に望んでいる。私がこれを拒否すると、彼は、 私の兄弟に私を殺すよう命じた。だから、我々両方とも、彼の側に立つのをやめ、あなたの側で彼に対して戦う用意がある」 カイサ ルは答えて、「あなたは正しい選択をした」 そして、二人のうち一人が、彼の秘書にサインさせ、言った、「二人の人の間に秘密が ある。もし二人を越えた場合は、それは周知の事実となる」 もう一方が言っ た、「なる程、その通りだ」 よって、彼ら二人は、通訳を打ち倒し、彼らのナイフで、彼を殺してしまった。神がホスローの死を齎 し、その知らせはフダイビーヤの日に、神の預 言者*1のもとに達した。それは、彼と彼の従者達を喜ばせた。

 私はヒシャーム・ビン・ムハマッドに遡る情報を受け取った。彼曰く、ホスロー・アバルヴィーズの支配の20年に、神が(彼の預 言者として)ムハマッドを送った。後者は、メッカに13年いて、ホスローの支配の33年目にメディナへと移住した。

 *1 ムハンマド(ムハマッド)のこと。
 *2 郵便制度を指す。アケメネス朝以来の国家のための郵便制度が あったと考えられている。
 *3 シャフル バラーズの兄弟

【2】通番1040-1046ページ

 話は、ホルミズドと彼の息子のホスロー、及び彼の後継者達の時代のイエメンを統治したアル・マルーザーンについての言及に戻 る。

 ヒシャーム・ビン・ムハマッドに遡る言い伝えが、私に伝えられている。ヒシャーム曰く、ホスローの息子ホルミズドは、イエメン から来たW.y.nを
にして、その後任にアル・マルーザーンを任じ た。後者は、そこで子供を生むほど長くイエメンに残り、年頃になるまで育てた。しかし、その後、アル・マサーニと呼ばれるイエメンの山岳地帯の一つの人々 が、彼に対して反乱し、土地税を彼に支払うことを拒んだ。アル・マサーニは長い山脈で、横切るのが難しく、他の山脈とつながって いて、山脈の間には、非常に狭い平原があるばかりだった。その上、誰もがそれに登るなどと、彼が思っているとは思わなかった。ア ル・マルーザ−ンはアル・マサーニへと向かい、そこに着いた時、一人の男が単独で守ることのできる1本の細い道以外、山へ登る道 は無いということがわかったのだった。

 アル・マルーザーンは、そこに達する他の道が無いということがわかると、マサーニの砦の人々に面した山へ登り始め、そこと、彼 がいる山、そこはその下に広がっている空虚な空間以外何もないところだったが、その山の間の、もっとも細い隙間を探したのだっ た。彼は、砦にいたる道は、そこしかない、ということがわかったのだった。よって、彼は、彼の軍隊に2列隊形になるよう指示し、 全員に、彼に向かって大声を一斉に上げるさせたのだった。彼は、馬に拍車を掛け、馬は全力で駆け、そこに目掛けて飛び掛り、その 裂け目をジャンプし、驚く無かれ、彼は要塞の天辺に着地したのだった。ヒムヤル人達が彼と、彼がなしたことを見た時、「この男 は.y.mだ!―.y.mとは、ヒムヤル人の「悪魔」を意味する―と叫んだ。そして彼は、彼らを一緒に集め、ペルシア語で彼らに 話しかけ、手錠でお互いにその場に縛り付けるように命じた。彼は、要塞から彼ら全部を連れ出し、彼らのうちの一人を殺し、残りを 奴隷とした。彼は、ホルミズドの子、ホスローに彼がなしたことを書き送った。王は、彼の成果に驚き、「お前の命ずる誰でもよいの で、お前の代行とし、私 の元へ戻って来い!」と書き送ったのだった。

 彼は言った。「今、アル・マルーザーンは2人の子を持っていて、そのうちの一人は、クラークシャーといい、アラビア人に愛情を 抱いていて、そこで詩を吟じています。もう一人は騎兵で、ペルシア語を話し、ディハカーンの習俗で生活しています。アル・マルー ザーンは、彼の息子、
ク ラークシャー―彼は、彼の息子のうち、もっとも彼を慕っていた―を彼のイエメンの後任し て任じ、彼は、旅路につき、アラブの地の領域にいた時に死んだ。彼は、サルコファガス*1に安置され、最後にホスローのもとまで運ばれた。ホスローは、サルコファ ガスを、彼の宝物庫に置くように命じ、そこに彫らせた。「この サルコファガに、横たえりし、かくかくは、これこれをした」と、2つの山で、彼がなしたことを書かせしめたのだった。 クラークシャーがアラブ流を採用したということと、彼が完全にアラブの教育を受けているとの知らせが、ホスローの元に届いた。そ こで彼は、彼を解任し、知事バードゥハー ンを任命した。彼は、イエメンに派遣された最後の知事となった。

 ホスローは、彼が獲得した馬達や設備、日用品、全ての種類の宝石や財産が莫大なこともあって、それをひけらかすようになった。 彼は敵の非常に多くの地を征服した。全ての出来事は皆、彼を助けることとなった。彼の企において、彼は、良き幸運に恵まれてい た。しかしながら、彼はうぬぼれと傲慢に満ちていて、ひどく強欲で、人々の富や財産人々への妬み、嫉みが多かった。彼は、地方の 人々から、信頼できる男を任命した。彼はイラクのナバテア人の一人で、ヴェーウ・アルダシール(原典テキストでは、バフラシー ル)にある、カンダクと呼ばれる村から来たスマーイの息子、ファルークザード と呼ばれていた。彼は、納税遅延を集めるために任命されたのだった。彼は、あらゆる種類の苦痛に満ちた害悪を人々に課し、彼らを 虐待し、彼らに圧制を行い、地税の納税遅延を取り立てるとの口実に、不法に財産を没収したのだった。彼は、人々に不満を抱かせ、 生活手段を困窮に追い込んだ。ホスローと彼の支配は、住民にとって憎しみの的となった。

  ヒシャーム・ビン・ムハッマッドに遡る言い伝えが私に伝えられている。彼はこのように言っている。ホスロー・アバルヴィーズは、 他の君主よりも多大な財産を蓄積した。彼の騎士たちは、遠く、コンスタンティノープルやイフリキーヤ*2まで達した。彼は冬をアル・マダーインで過ごし、夏は、ハマダーンとアル・マダー インの間にある地域で過ごした。彼は、1万2000人の女性と、少女奴隷、999頭の象、5万5千の、乗り物として利用できる、 よく調教された馬や、そうでない馬、ラバを含む野獣を持っていた。彼は、宝石や乗り物などに関して、人類でもっとも強欲だった。 ヒシャーム以外の 史料は、彼は宮殿に、彼が性的関係を持った3000人の女性の女性と、召使として、作曲や歌謡などの為に雇われた無数の奴隷の少女がいた、としている。 3000人の男の召使、8500頭の、彼が旅行に利用することができた乗り物として利用できる野獣、彼の荷物を運ぶ為の、760 頭の象と1万2000 のラバも、彼の手に持っていた。彼は火の寺院の建設についての命令を与え、ゾロアスター教の式典を朗誦するためのヘールバッドを1万2000名任命した。

 彼の統治の18年目に、ホスローは、彼の支配地域から集められる土地税と関連する税、その他収入の総額を数え上げるように命じ た。1年間で集められた土地税とその他の収入から集められた銀貨の合計値は(重さで)4億2千万ミスカールと報告された。7ミス カールは(重さの点で、10ドラクマと同じなので)、6億ドラクマ(の銀貨)に相当する。彼は、これら全てをクテシフォンの町 と、彼がバハールフルド・ホスローと呼んだ町に建設した宝物庫に、
彼が所有するその他の金の総額とともに格 納するよう命じた。その他の金には、ヤズダギルドの息子ペーローズ、ペーローズの息子カワードの銀貨を含み、それは12000 の財布に相当し、それぞれの財布は、銀貨で4000ミスカール*3の重量を持 つことになり、全体を合計では、4千800ミスカール、7対10の比率に従えば、68,571,428+1ドラクマの8/3と1 /2ドラクマ*4となる。 加えて、多様な種類の宝石、衣服などがあり、神だけが、この全貌を把握できた。

 ホスローは、人々を軽々しく扱い、礼儀面で、君主が採用するべき英明さと公正さを欠いた、侮蔑をもって人々に接した。彼の横柄 な高慢さと神の尊重不足は、彼が、個人的な宮廷護衛として、ザーダーン・ファルークと呼ばれる者を任じたことに現れている。その 男は、彼の捕虜として捕獲した人は、かれとなく殺し、その総計を数え上げる と、3万6千人にも登った。しかしながら、ザーダーン・ファルークは、彼らを殺すのに、ホスローに彼が報告した幾つかの理由を証 拠だてることで、ホスローからの彼らについての命令の実行が遅れる以外、なんの手順も踏まなかった。ホスローは、多くの理由で、 彼の王国の臣下の憎しみを買っていた。第1には、彼らの軽視と国家の貴顕への卑下。第2は、蛮族であるスマーイの息子ファルー カーンザードに、彼らを上回る権力を与えたこと。第3に、虐殺された全ての囚人に対する彼の命令。第4に、ヘラクリウスとビザン ツの手で敗北して引き上げてきた軍隊に死を与えた彼の意志。結局、国家の貴顕達は、アバルヴィールの息子、シールーヤ(原文シー リーン)と彼の兄弟、彼らを教育する王が任じた教師のいるアクル・バー ビル*5へ出かけていっ た。王は、宮殿を去らないよう、彼ら(王子達)を妨げる騎兵の護衛も任命していた。彼らは今、シールーヤを連れて、ヴィーウ・ア ルダシール(原文バフラ シール)の町へ、夜までに入った。彼らは、そこの監獄にいた全ての囚人を解放し、ホスローが死を与えようとしていた逃亡者も加わっていた捕虜を自由にし た。彼ら全員が、叫んだ、「カワード(シールーヤのこと)、最高の支配者!」 次の朝、ホスローの宮殿前の広場に向かった。宮殿 の護衛兵は、一目散に逃げ出し、おおいなる恐怖に、誰も共の者を連れず、バーグ・アル・ヒンドゥワーンと呼ばれる宮殿に隣接する 庭園の一つへとホスロー自身も逃亡した。しかし彼は、探した後、その日が、アーダル月のアーダル日だということを理解し、そして 彼は政府の宮殿で囚われたのだった。シールーヤは 宮殿に入り、中心人物を彼のまわりに集め、彼を王として宣言した。彼はホスローに、その指揮を非難する使者を送った。

 ヒシャーム・ビン・ムハマッドに遡るとされる言い伝えが私に伝えられている。彼は言う、「ホスロー・アバルヴィーズは18人の 息子を持ち、その長兄が
シャ ヒルヤールで、彼はシー リーンが息子として養子にした。占星術師はホスローに言った、「貴方の息子の一人が、彼自身息子を持ち、彼の手の中で、王座は崩 壊し、彼の王国は滅ぼされるだろう。この息子を見分ける印は、彼の体のある部分の瑕疵である」 これが理由となって、ホスローは、全ての女性から、シャヒルヤールを遠ざけ続けたため、シャ ヒルヤールは、長年女性を知ることが無いままだっ た。最終的に、シャヒルヤールは、これについてシーリーンに文句を言い、女性への彼の欲望について、彼が不満を持っているとの伝言を送り、彼女から、シャヒルヤールに女性を与えさせたのだった。もし彼が女性を持たなければ、彼は、彼自 身を殺していたかも知れない。彼女は、彼に使者を送り返して曰く、「私は、貴方の前に、あなたが触れ合うのに見合わないような、 そうした結果を招かないような女性以外の女性をつけるようなことはできない」 彼は答えて、「彼女が女性でありさえすれば、彼女 が誰であろうと構いません」 よって、シーリーンは、吸角療法をするために処女を通常雇っていて、その一人を送ったのだった。主張されているところによれば、この処女 は、ペルシア貴族の一人の娘だったのだが、なんかやの理由で、シーリーンの怒 りを買い、吸角療法者(吸角法*6)の地位に落とされたのだった。シーリーンがこの処女をシャヒルヤールの前に紹介した時、彼はすかさず彼女を抱き上げ、そうして彼女はヤズダ ギルドを身篭ったのだった。シーリーンは、彼女に指令を与え、彼女は、子供を生むまで慎重に秘密にしておいた。子供の誕生の事実 が、5年間保持された。

 この時、シーリーンは、ホスローが若い子供に対して、優しさを持つようになってきたことに気付いた。そこで彼女は彼に言った、 「王よ、面倒なことになるかも知れないけれども、あなた自身の子供達の一人の子供を見ることは、貴方の心を喜ばせることになるの ではないでしょうか」 彼は答えた、「(そうだ)、 私は(何が起ころうとも)構わない」 彼女はヤズダギルドの為に、香水をかけ、よい衣服で着飾させて、ホスローの前に連れて行って、言った、「これはヤズ ダギルドです。シャヒルヤールの息子です!」 ホスローは彼を呼び寄せ、彼の胸に抱き上げ、口 づけし、彼を思いやるしぐさを見せ、彼に大きく愛情を見せ、 そのときから、彼は、ヤズダギルドを近くに置き続けた。ある日、少年が彼の前で遊んでいると、彼は、以前言われたことを思い出した。よって、彼は少年を呼 び寄せ、衣服を脱がせ、前から後ろまでを調べ、
明らかな瑕疵を、彼の尻の片方に見つけた(または、瑕疵が明確に現れていた)。彼は、今怒り悲嘆に満たされ、彼を地面にたたきつけようと少年を引きずっていった。しかし、シー リーンが、彼にしがみついて、 神の名において、ホスローが子供を殺さないよう、嘆願し、ホスローに言った、「もし、これが国を滅ぼすことになる何かであるならば、それを変えることはで きません」 彼は答えて、「この少年は、私が(占星術師から)集めた悪い運命を齎す要因なのだ。だから始末するのだ。私は二度と 彼を見ることさえ望まない!」  シーリーンは、少年に、シジスターンに行くよう命じ、他のものたちが言うには、反対に、サワー ド*7のクマーニヤーと 呼ばれる村に、護衛とともにいた、としている。

 ペルシア人は、ホスローに対して反乱を起こし、彼を殺し、ビザンティンの女性(アル・ルーミーヤ)であるマルヤムの子であるシールーヤ、 ホスローの息子を支援した。彼が権力を持った期間は、38年だった。彼の支配が32年と5ヶ月と15日が経過した時、預言者が、 メッカからメディナへと 移住した。


 

*1 大理石の一種。古代ギリシャで棺桶に使われた。
*2  通常チュニジア付近とされるが、ここでは、「北アフリカ」くらいの意味。その示すところは、610年代、ペルシア軍が占領し たエジプトのことだと思われ る。
*3  4000ミスカールは、5720ドラクマ相当。
*4 正確には、68,571,428.5714286 となる。 
*5 バビロン
*6 
吸角療法 古 代には動物の角、現在ではガラ スなどの器具を用いる治療法。ガラスのコップなどを皮膚に密着させ、中を真空にし、そこに集まってきた皮膚下の体液を見て診 断したり、血液を吸い上げ、血 行方法を良くする方法。皮膚に傷をつけ、体液や血液を抽出する方法もある。
*7 メソポタミア下流域 「黒い土地」の意味

  -「アルタバリーの歴史」第5巻「キ スラー・アヌーシールワーンの支配の 残りと最後のササン朝」の章から-

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