ホスロー2世(1)



 そして王座は、ホスロー・アバルヴィーズが継いだ。(彼は)ホルミズドの息子であり、ホルミズドはホスロー・アヌーシィーラ ワーンの息子であり、勇者に結びつく王朝の、驚異的な諸王の一人であり、もっとも鋭い判断力に恵まれた王達の一人であり、もっと も遠方を見ることができる視野をもった王の一人だった。語られていることによれば、彼の戦闘や武勇、成功、勝利、富や財宝の蓄 積、時代や運命が彼の味方となって支援したことなどは、彼以上に賞賛されたどんな王でさえ、決して達したことが無い段階に至った、とされている。そこで、彼は、アバルヴィーズと呼ばれ、その意味は、アラ ビア語 で、「勝利者」という意味である。

 語られていることによれば、彼が父のホルミズドが意図していることを恐れるようになった、 バフラーム・チュービーンの陰謀の為にアバルヴィーズが彼自身の為に王座を狙う計画をしているとホズミズドが思うようになってき た時、アバルヴィーズはひそかにアゼルバイジャンに逃れた。続いて、彼はそこでその理由を明らかにした。彼がその地域に達した 時、スハーフパッド(軍司令官)と、その他の人々の一団がそこで彼を取り囲み、彼を援助するとの 約束と盟約を与えたのだが、彼は、それに対しては、(積極的には)話を進めなかった。バフラーム・チュービーンと戦うために送られた
アーディーン・ジュスナスが殺された時、アーディーン・ジュスナスに従う軍隊は散り散りになり、最終的にアル・マダーインへ向かった。チュービーンは彼らを追いか け、ホルミズドの地位は非常に不安定になった。アーディーン・ジュスナスの姉妹彼女はアバルヴィーズの 若い世話係だった−は彼に、アー ディーン・ジュスナスに起こったことの結果として、ホルミズドの弱まった地位についての情報を書き送り、国家の貴顕たち が、ホルミズドを廃位することで解決を図っていることを伝えた。彼女は、彼に念を押していった。もしチュービーンが、彼が到着す る前にアル・マダーインに着いてしまったら、 チュービーンはそこを占拠するだろう、と。手紙がアバルヴィーズの元に到着した時、彼は彼がアルメニアとアゼルバイジャンで集めることができる全ての軍隊 を集結させ、彼らとともに、アル・マダーインに侵攻した。指導者である人々と貴 族が彼のもとに再び集まり、彼の到着で喜びに満ちた。彼は王冠を抱き、 王座に座ることを想定していた。彼は言った、「(全てのものを凌いで)敬虔さを選ぶことが我等の宗教の一部であり、よい仕事をすることが、我等の重要な見解の一つである。我等の祖父であるカワードの息子のホスローは、貴方にとっての父親に似ていて、我々父親の ホルミズドは、貴方のために 公正な判断をした。だから、服従と、従順な振舞いが、あなたの元で確保されるようにしてください」

 3日目に、アバルヴィーズは彼の父の元に出向いて、彼の前に平伏して言った、 「神が長寿を与えますように!恐れながら王よ、あなたは、あなたの背信者である 臣下達(文字的には「偽善者」)があなたにしたことについては、私は無実であるということを知っている。私は、あなたが私を殺すつもりである、という恐れから逃れる為にアゼルバイジャンに行き、 隠れたのです」。ホルミズドは、弁明するなら、その証拠を示すようにと言い、「おお、親愛なる息子よ。汝に二つ、依頼したいこと がある。だから、これらを実行するために、私を支援するように。最初の一つは、汝は、私を廃位させ、盲目にさせることに参加した 連中 に、私に代わって復讐をするべきである。そして汝は彼らに慈悲を示してはならぬ。二つ目は、汝は、
毎日私と一緒に居る為の、しっかとした判断力 を持つ3名の人物を任命し、彼らに私の前に来るように指示するべきである」アバルヴィーズは、低姿勢で、従うそぶりを示して言っ た。「恐れながら王よ、神が長寿を与えませんことを!反乱者バフラームは非常に近くから我々を脅しています。彼の側には、勇気が ある者や勇者がいます。彼らが貴方に対してした事を実行した人々に対して、我々は現時点では、我々の手広 げる力がありません。しかし、もし神が、私を背信者達上まわるようにしてくれたなら、貴方の指示したように、貴方の意志の代理として、行動 いたします」

 バフラームは、ホスローの動向と、人々が、どのように彼を王位につけたか、についての知らせを得た。彼は、彼の軍隊とともに、 マダーインへと急いた。アバルヴィーズは彼に対して、間諜を放った。バフラーム が近づいてきたとき、アバルヴィーズは、彼と平和的に交渉することが最善だと考えた。よって、彼は兵器を携え、ビンドゥーヤやビ スタームや、貴顕達のグループなど、彼が信じる者達と、彼の隊の1000名に最善の隊列を組ませ、武装するように指示した。アバ ルヴィーズは、彼らや、彼の頭上に賞賛を浴びせる民衆や、彼を取り囲むビンドゥーヤやビスターム、その他のを率いる全ての人々とともに、
彼の砦を発って、ナフラワーン河の岸辺に達した。バフラームが、アバヴィーズの軍勢の全体的な広がりを見たとき、彼が特にかわいがっているまだらの馬に乗 り、武具も着けずに、トルコ人の王の家系に連なる3人の男と、イーザド・ジュスナスを連れて出発した。最後の3名は、アバル ヴィーズを囚人として 彼らの手中にすることを、彼らの生命に架けて、バフラームに誓っていた。バフラームはこのために、莫大な富を彼らに与えていた。

 バフラームが
、彼らの 最高の軍旗であるはためくカーワの旗*3に伴われた、ホスローのすばらしい 姿、神々しい装備、彼が冠っている王 冠を見、そして、ビンドゥーヤ、ビスターム、そして貴顕の残りと、彼らの優れた武器、その壮麗さ、彼らの装備を見た、彼はこれら全てに意気阻喪してしまった。そして従者達に、「淫売女の息子は、若さに あふれ、たくましく成長し、若者から経験ある大人に成長し、豊かなあごひげと、立派な口ひげを持つようになり、頑健になったこと が見えないのか?」 一方彼は、これらの言葉を話しながら、ナフラ ワーン河の岸辺に立ち、ホスローは、彼に対して立つこれらの人の一人に向かっていった、「どれがバフラームだ?」クルディと呼ばれるバフラームの兄弟の一 人彼は決してホスロー の側についたことに迷いがあったわけではなかったが−が彼の仲間を残してきていたこともあり、言った、「寿命長久にましませ、まだらの馬に乗った男で す!」 ホスローは、次の言葉とともに、話し始めた。「バフラーム殿、貴方は、我々の王国の支援者の一人であり、われらの臣下の柱である。貴方は、我々によく尽く して来てくれた。我等は、貴方をペルシアの国全体のスハーフパッド(総司令官)の地位に任命するための、貴方にとってよい吉兆と なる日を選ぼうとしていたのだ」 バフラームは、しかし答えて、「しかし私は、貴方を磔にする為の日を、貴方の為に選んでしまっ たのだ!」ホスローは、顔色を変えはしなかったものの、恐れに満たされた。バフラームはアバルヴィーズに言った、「クルド人のテ ントで生まれた姦婦の息子よ!」そして、それに似た他の言葉も口にし、ホスローが彼に提案したことは何一つ受け入れなかった。バ フラームの先祖であるアリシュに話が及び、アバルヴィーズは、アバルヴィー ズの祖先であるマヌーシフルへのアリシュの忠勤を持ち出してバフラームを非難した。お互いにそれぞれが、暴力的 な敵対心を示して、二人 はもの別れに終わった。

 バフラームには、クルディーヤと呼ばれる姉妹がいた。彼女は、彼が結婚したうちで、もっとも出来た女性の一人であり、もっとも 能力のある女性の一人だった。彼女は、バフラームがホスローに向けてした酷い言葉と、ホスローを彼に従わせようとしたことについ て、そんなことは出来ないだろうと非難した。ホスローとバフラームの間で、交戦に入った。夜間の戦いの翌朝、人々に出撃を命じた と言われている。3人のトルコ人は、彼を見つけて、彼に向かってきたが、ホス ローは彼自身の手で彼らを殺した。彼は彼の軍隊に戦わせたが、彼らの士気が落ちてきていることが分かったので、どこか他の君主の もとへ行くことに決め、彼を支援する軍隊を探した。彼は父ホルミズドの元に行き、彼の助言を 聞いた*5。ホルミズドは、アバルヴィーズにとって最善の方法は、ビザンティン人の王国へ彼の道をとることだと考えていた。彼は 女性達を安全な場所に連れて行き、小さい体格の男達とともに出発した。その中には、ビンドゥーヤ、ビスター ム、バフラームの兄弟であるクルディも含まれていた。彼らがアル・マダーインを去った時、アバルヴィーズの支援者の殆どが、バフラームがホルミズドを復位 させ、アバルヴィーズからの権限委譲がされて、彼らに死がもたらされるようになるようにと返信してくるように、ビサンティン人の 王に書き送ったりすることを恐れた。彼らは、このことをアバルヴィーズに言い、ホルミズドを殺す許可を求めた。しかし彼は返事を しなかった。そうして、ビンドゥーヤ、ビスタームと、彼らの従者が何名かホルミズドの元に行き、彼を絞め殺してから、ホスローの 元に戻った。彼らは言った、「貴方はいまや最高に可能性をもつ星の元に進んだのです」

 彼らは、馬を急き立てて、ユーフラテスに達し、それを渡ってクルシーダーンと呼ばれる男の案内に従って、砂漠を通過する路をと り、耕作された土地の端にある修道院に到着した。彼らは、その中庭で陣営を張っ た。シヤーウシュの息子のバフラームと呼ばれる男により指揮されたバフラームの騎兵隊が不意に彼 の元にやってきた。ひとたび彼らが、これに気付くと、ビンドゥーヤは、うたた寝をしているホスローを起こし、彼に言った、 「(脱出の為に)いくつかの計略を用いてください。敵があなたの上にいます」 ホスローは答えて、「脱出など何の意味もない」 そこでビンドゥーヤは彼の為に、彼自身の生命を犠牲にするつもりであると言い、武器と装 備を持って、従者とともに修道院から逃れるように彼に伝えた。シヤーウシュの息子のバフラームが到着した時、ビンドゥー ヤはアバルヴィーズの武器と装備をつけ、修道院の屋上から、バフラームの前に姿をさらし、バフラームに、彼がアバルヴィーズだと思い見込むように仕向けた のだった。平和裏に、彼の手に彼の身柄を確保するために、彼は翌朝まで一時休戦することを認めてもらえないかと尋ねた。そうして バフラームは彼を一人残し、後で、計略が発覚したのだった。シヤーウシュの息子バフラームは、ビンドゥーヤをバフラ−ムの元へ連 れて行き、バフラームの 保護下に置き、監獄にビンドゥーヤを送ったのだった。

 バフラーム(チュービーン)は、アル・マダーインの王宮に入り、王座に腰掛けた。国家の貴顕と著名な指導者達が彼の周りに集まり、バフラームは彼らに向かって、アバルヴィーズを非難し、暴 力的に罵った。幾つかの口論と諍いのやりとりが、彼と著名な指導者達の間でなさ れた。彼ら全員が、彼を嫌っていた。とにかく、バフラームは彼自身を王座に据え、戴冠し、人々は恐れから、彼に従ったのだった。 シヤーウシュの息子バフラームは、チュービーンを暗殺することについて、ビンドゥーヤに同意したと言われている。しかし、チュー ビーンはそれを知ると、シヤーウシュの息子バフラームを処刑した。しかし、ビンドゥーヤは脱出してアゼルバイジャンへと達したの だった。


 アバルヴィーズはアンティオキアに着くまで一路旅を続け、そこから、ビザンティン人の王であるマウリキウスへ向けて、ホスローに委ねることができる家来を送り、軍事的支援が可能かどうかと書き送っ た。マウリキウスはこれに同意し、そのために、マウリキウスの娘が婚姻の為にアバル ヴィーズに与えられることになり、彼女は、彼の元に送られた。その上、彼は兄弟であるティヤードゥース(テオドルス)を、サルジース(セルギウス)と呼ば れる男に率いられた6万の戦士の軍団とともに彼の元に送った。サルジースは、全軍の諸事を担当していて、もう一人の男は、千人に 匹敵する力を持っていた*2。彼は、アバルヴィーズが、 彼を丁重に扱うべきで、ビザンテティンの王達から、彼の祖先が獲得した貢納品を要求するのをやめるべきである、ということを条件 として挙げた。ビザンティ ン軍がアバルヴィーズのもとに到着した時、彼は喜びに満たされ、到着後、5日間の休息を与えた。そして、彼は彼らを謁見し、彼ら の為の役人達を任命した。 軍隊は、その数の中に、ティヤードゥース、サルジースや、1000人に匹敵する勇士を含んでいた。彼は、彼らとともにアゼルバイ ジャンに達するまで進軍し、ダナクと呼ばれる平原でキャンプをはった。ビンドゥーヤとムーシールと呼ばれる地域のスハーフパッド から来た男と、4000 名の戦士が彼とそこで落ち合い、ファールス、イスバハーン、ホラサーンなどから来た人々が、アバルヴィーズの元にはせ参じた。

 バフラームは、アヴァルヴィーズが、アル・ダナクの平原に移動したとの報告を得て、アル・マダーインへと出発した。彼らの間 で、数度の激突が行われ、ビザンティンの勇者が殺された。アバルヴィーズは、バフラームの軍と遭遇すると、彼の兵士のうち14人 を、軍の本体から連れ出した。そこには、バフラームの兄弟であるクルディー、ビンドゥーヤ、ビスターム、サブール、アフリヤーン の息子アバード、ファルークザードの息子ファルーク・ ホルミズドが含まれていて、激しい白兵戦となった。アバルヴィーズが狭い谷で罠にかかり、バフラームが彼を追いかけたが、バフラームが、アバルヴィーズが 彼の手に落ちたと思ったとき、理解のできない何かが(なにか、超常的な力が)山々の頂へとアバルヴィーズを連れて行った、と
ゾロアスター教徒は主張している。占星術師達は、アバルヴィーズが48 年間支配したと伝えている。アバルヴィーズは、一度の戦いで、バフラームと決着をつけるべく出撃した。彼はバフラームの手から槍 をもぎ取り、その槍が砕けるまで、彼の頭を連打した。バフラームはこのため、意気が落ちてしまい、恐ろしさが広まり、アバル ヴィーズに抵抗する希望がなくなってしまったことがわかった。そうして、彼はホラサーンへ、更にそこからトルコ人のもとへと逃れ た。

 アバルヴィーズは、その一 方、ビザンティン軍の間に2000万(ディルハム)をばら撒いて、マウリキウスの元に、彼らを送り返してから、マダーインへと向 かった。アバルヴィーズは、キリスト教徒に、教会を建設する許可を与る手紙を書き、ゾロアスター教を例外として、彼らの信仰を採 用することを、望む者には誰にでも与えると書いた、と言われている。この点については、ホスローは、アヌーシィールワーンが、ビ ザンティン支配者から取り立てた貢納に関して、カイサルと平和協定を結び、ビザンティンが支配する土地にいるゾロアスター教徒で ある同国人が、親切に扱われるべきである点と、その土地の君主が、彼らの為に、その土地に、火の寺院を作るべきである点を履行さ せたという事実について引用した。カイサルは、その点について、(ペルシア人の土地に住む)キリスト教徒に関して、同じことを履 行させた。

 アバルヴィーズが彼に対して、ホルミズドと呼ばれる男をよこして彼に対して陰謀を企てるまで
王 によって高い名誉を与えられ、バフラームはトルコ人の中に残った。彼は、ホルミズドにトルコ人たちに高価な宝石やその他のものを送らせ、 ホルミズドは王の妻であるカートゥーンの信頼を得るために彼の方法を少しづつ進めることができた。彼女がバフラームの死を秘密裏 に齎す諜報員と連携するようになるまで、これらの宝石や他のもので、彼女を取り込むことを続けたのだった。カーカーン (河汗)は彼の死を深く悲しみ、バフラームの妻であり姉妹であるクルディーヤに使者を送り、彼の責任であるがゆえにバフラームに起った運命を告げ、彼が彼 の兄であるN.traを彼女に娶わせることができるかどうか、を尋ねたのだった。(バフラームの死に、彼が責任を感じている、と いう)この理由によって、カートゥーンを離縁した。クルディーヤは、カーカーンに柔軟な回答を与えたが、N.traの件は拒否し たのだった。彼女は、彼女の兄弟達である戦士達と一緒にいて、彼らとともに、トルコの地から、ペルシアの王国の国境へと出発した のだった。トルコ人N.traは12000人の兵士とともに彼女の後を追ったが、彼女は、自身の手で彼を殺したのだった。彼女は そのまま進み、安全と安全を守る指揮の許可をアバルヴィーズから得られるようにして、(彼女を)守ることのできる兄弟であるクルディーに手紙を書き送った。彼女はアバ ルヴィーズのもとに到着 し、彼と結婚した*4。ホスローは、彼女に敬意を払い、バフラームを(以前)非難したことにもあり、彼女に感謝したのだった。アバルヴィーズ は、彼自身に感謝し、マウリークにも親愛を示した。

 ホスローが14年間統治した時、ビザンティン人は、マウリークを廃して彼を殺し、彼の一族をも皆殺しとした。彼の息子の一人は ホスローのもとへと逃亡し、彼らは、彼らの王として、フーカー(フォカス)という名前の男を王座に担いだ。ホスローが、ビザン ティン人がマウリークとの同盟を破棄し、彼を殺したとの知らせを聞いた時、彼は暴力的な興奮に陥り、嫌悪を抱いて怒りに包まれ た。彼は、彼の元に避難してきたマウリークの息子に保護を与え、彼に王冠を与え、ビザンティン人の王として彼を担いだ。そうし て、3人の指揮官に率いられた強力な軍隊とともに、彼を送り返した。最初の一人は、ルミヤーザーンと呼ばれる男で、ホスローが、 彼をシリアに送り、彼はパレスチナまで侵攻し、征服した。彼は、イェルサレムの市へと至り、そこの僧侶や、多くの聖職者や、残り のキリスト教徒に対して、イエスの十字架を持ち去った。それは、金の金庫に納められ、その上に野菜の庭園が作られて埋められてい た。彼は、彼にその場所を示すまで、彼らに苦痛を強いた。彼はそれを彼自身の手で掘り当て、ホスロー支配の24年目に、ホスロー へ送りつけた。2人目の司令官は、シャーヒーンと呼ば れ、西方のファードゥースバーンだった。彼はエジプトとアレキサンドリアとヌビアの地を占領するまで侵攻し、ホスロー支配の28年目に、アレキサンドリア の市の鍵をホスローに送りつけた。3人目の司令官は、ファルハーン(ファルカーン)と呼ばれ、彼はシャフルバラーズ(と同じ)地 位を持っていた*6。彼は
市 近くの海峡(ボスフォラス)の岸辺で停止するまでコンスタンティノープルの遠征を率い、そこで軍営を張った。ホスローは、ビザンティン人のマウリークに対す る暴力についての彼の怒りの表明と、彼の為の復讐であるとして、彼らのビザンティン人の地を荒廃させるよう、シャフルバラーズに 命じた。しかし、ビザンティン人の誰も、彼らの支配者として、マウリークの息子を認めなかったし、従わないよう提案していた。し かしながら、彼らは、彼 の害悪や神への不誠実、ビザンティン人への酷い振る舞いが現れてきた時、彼らを統治する支配者として、王座へつけた王であるフーカーを殺した。彼らは、王位へヒラクル(ヘラクリウス)と呼ばれる 男をつけた。

 ヒラクルが
、ペルシア 人の軍隊が、そこを荒廃させ、ビザンティン人の兵士を殺し、女性や子供を捕虜にして連行し、ビザンティン人の財産を略奪して、彼 らの領土の殆どに暴力を齎していることで、ビザンティン人の地が陥っている危機的状況を認識した時、彼は、神の前で涙を流し、神へ謙虚に嘆願し、彼と 彼の王国の人々を、ペルシア人の軍隊から守るよう願った。彼は夢の中で、短身の男が聳え立つ王座にいて、すばらしい武器(ペルシ ア人の王が持つような)を持ち、彼の側から遠いところで備えているのを見た。もう一人の男が彼の前にやってきて、その王座から彼 を追い出し、そしてヒラクルに言った、「私はお前の手に彼を齎した」 ヒラクルが目覚めた時、彼は、彼の夢について誰にも話さな かった。次の夜、ヒラクルは、前の夢で高い王座に座っていた男を夢に見た。彼らのうちの2人が、手に鎖を持って、彼の前にやって きた。彼は、王座の上の男の首の周りに鎖を投げ、それとともに、彼の力で、男を取り押さえたて、ヒラクルに言った。「ここで、私 はそれをした。私は貴方の為に、完全にホスローを捕獲した。だから今、彼に向かって進軍しなさい。勝利が貴方のものになるよう に。貴方は彼以上の力を与えられるだろう。貴方は、貴方の作戦で、望みをかなえるだろう」これらの夢が彼が続いて彼にやってきた とき、彼は、ついには、ビザンティン人の有力者と、判断力のある人々にこれらのことを詳しく話した。彼らは、彼に、彼がホスロー よりも力を持つだろう、といい、彼に対して遠征を率いるように彼に助言した。

 ヒラクルは、作戦を準備し、彼の息子の一人を、コンスタンティノープルの市の彼の代理に任命した。彼はシャフルバラーズとは異 なったルートを取り、アルメニアに深く入り込むまで進軍し、1年後にニシビスで軍営した。シャーヒーン、西のファードゥースバー ンは、ヒラクルがニシビスに達したとき、ホスローの宮廷にいた。なぜなら、ホスローが彼に激怒し、彼を辺境司令官から解任したか らだった。シャフルバラーズは、しかし、彼が征服した場所を保持していた。ホスローの彼ヘの指令は、そこに残り、そこに留まるこ とだったからである。ホスローは、ヒラクルが彼の軍隊とともにニシビスを包囲したとの知らせを受け取り、ヒラクルと戦うために、 彼の司令官の一人、ラーザードを、1万2千人の戦死とともニーニワー(ニネヴェ)に駐軍するように指示した。ニーニワーは、ア ル・マウシル(モスル)の町の近くにあり、ティグリス河の岸辺にあって、ビザンティン人がこの河を渡ることを防ぐ位置にあった。 ホスローは、ヒラクルについての知らせが届いた時、ダスカラト・アル・マリク*1で生活していた。

 ラーザードはホスローの指令を実現する為、彼が指示した場所で軍営した。ヒラクルは、しかし、違う場所でティグリスを渡河し、 ペルシア人の軍隊がいる地域へと進軍してきた。ラーザードはヒラクルに間諜を 放った。彼らは戻って、ヒラクルが9,000名の戦士を持っていると言った。ラーザードは今、 彼が扱える軍隊では、一連の軍隊に対して持ちこたえるには不十分であると、確信した。彼は数度、ホスローに書き送った、ヒラクルは巨大な力で圧迫を加えて おり、よって、彼と彼の軍隊は、彼らに対して対抗できないような装備であると。これら全てに対して、ホスローは、応答し続けた。 もし、彼があまりにこれらのビザンティン人に対抗するには弱るぎるといっても、彼が、彼の軍隊を、その最後の一兵まで戦わせ、彼 に奉仕させるために血を流させるならば、弱すぎることは無いだろう、と。ラー ザードが、ホスローに対する彼の手紙について、同じ返事を引き続き受け取った時、 彼は軍隊に準備させ、ビザンティン人に攻撃をしかけた。ビザンティン人は、ラーザードと6000人の彼の兵士を殺し、残りは退却 路をとらされ、慌てて逃走した。ビザンティン人が、ラーザードを殺したという知らせと、 ヒラクルによる獲得された勝利の知らせがホスローの元に届いた。この崩壊は、ホ スローの精神を打ちのめし、彼はダスカラット・アル・マリクを去って、アル・マダーインに向かい、その中で彼自身武装した。なぜ なら、彼は戦いでヒラクルに対抗するには、あまりにも弱かったからである。ヒラクルはアル・マダーイン近くまで進軍した。しか し、ヒラクルについての新しい報告が、続々とホスローのもとに達し続け、彼はヒラクルと戦う準備をしていたのだが、ヒラクルは、 軍を返してビザンティン人の地へと戻っていった。

 ホスローは、敗れた3人の司令官に、彼らの軍隊のそれぞれの情報を、戦闘で弱さを示したか、または、彼らの背後にあって、身動 きが取れない状態だったのかを、彼に送ってよこすように命じた。彼らは、罪の度合いに応じてこれらの人々を処罰するはずだった。 この手紙を通じて、彼は、彼に対する反乱と、彼から彼ら自身のみを安全に守る手立てを探すことへ
と追い立ててしまうことになった。彼はシャフルバラーズに書き送って、 できる限り速く彼の元に来て、ビザンティン軍が、彼の州で何をしたかを報告するように命じた。

 神の言葉 -「Alif,Lam,Mim. ローマ人は、その国により近い部分では敗北したが、それらの敗北のあと、彼らは、数年以内に勝利を収めるだろう。その事件は神に属し、その前も、その後 も、その日も、信じるものは、神の援助を喜び、彼は彼が喜びとする者を喜び、彼はいと強き、いと情け深い者である。神の約束!神 は、彼の約束において不十分であるということは無い。しかし人々の多くは、それを知らないのである」 - は、
私がこれらの話を詳細に語ったような、ペルシアの王アバルヴィーズとビザンテイィンの王ヒラクルと、彼らに間 に起こった事件に現れているといえよう。


*1 ダストギルドのアラビア名。
*2 アル・ディーナワ リーによると、 10人のハザールマルダーンから来た男は、1000人に匹敵する、という記載があり、この部分も、そういう強者が含まれていた、という意味に解釈する説が ある。
*3 鍛冶屋カーヴェの旗。ペルシアの伝説で、暴君ゾハークに叛旗を翻した鍛冶屋。この伝説は、ササン朝時代に成立したとさ れる。
*4 このあたりの話は、裏付ける他の史料もなく、N.traという名前もトルコ人名で該当するものがないため、まったくの伝説と 考えられている。
*5 ホルミズドの章では、この戦いの場面以降、ほぼ同じ文章となっているが、若干の相違がある。ホルミズドの章では、ホスローが ホルミズドの助言を受けるのは、アル・マダーインとなっている。このことか ら、
ナフラワーン河 とは、クテシフォン 近郊のナフル運河で あると推測される
*6 この部分は「Farruhan,who had the rank of Shahrbaraz.」となっていて、シャフルバラーズと同じ地位を持っていた、以外訳しようが無いが、通番1007ペー ジに、ファルハーンとシャフルバラーズは兄弟である記述が出てくる。また二人がこの方面の指揮官を共同か、交替で務めていた としか考えられないような記述も出てくる。

  -「アルタバリーの歴史」第5巻「キスラー・アヌーシールワーンの支配の残りと最後のササン朝」の章p305か らp324(通番995頁から1005頁「ホスロー2世」の節)より -
 

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