2010 created
2020/Sep/17 updated
ナ ルセスのパイクリ碑文



    
 私はマズダ教徒である荘厳もつ、イランと非イランの諸王の王、マ ズダの子、神に起源を持つナルセフである。荘厳なるイランと非イランの諸王の王シャープール、神の子孫。荘厳なる諸王の王アルダ シールの子孫である。

この記念碑は・・・・ナルセフ。こうした理由により、我々についての記念碑をこの場所に建てた。知られるべき である・・・・・

 

 

1. ワラフラーン2世の死から、パイクリでのナルセフと高官達の会合まで、私はアルメニアの王だった。

そして、我々は、ワラフラーン、諸王の王、ワラフラーンの息子の逝去までアルメニアに住んでいた。

そして、ワフナーム、Tatrusの息子は、彼自身の虚偽とアーリマンと悪魔達の支援を通して、ワラフラー ン、サカの王の頭上にディアデム(王冠)を置いた。そして、彼は、その件について私には伝えてこなかった。彼は王子達にさえも伝 えて来 なかった。

そして、後に、 王子達と身分の高い人々、貴族、ペルシア人達、およびパルティア人達はそれを知らされた。

 

「私、ワフナーム、Tatrusの子がサカ王であるワラフランの頭上にディアデムを置いた。そして私は高位の 地位に彼を置いた。

「私ができること、すなわち王子達、身分の高い人々、および貴族達を殺して彼らの所有物を Garamaeansに与えることである」

 

「そして、私自身の家族とGaramaeansから、私は私自身の財産を作るつもりだ。そして私がしっかりと 私自身の財産としてそれを確立した時、サカ王の敵を滅ぼすつもりである。そして、私自身が、全領土で・・・」

 

 そして、ペルシア人とパルティア人達、他のもの達 、アソーレスターン(Asōrestān)*1の境界を監視する場所に、彼らは相談する場所を作った。・・・サカの王は・・・彼がペルシア人とその土地の 諸事を治めることができ、

 

ワフナームの協議会は王の言葉に関知することなく、協議会は・・・・・をもたらした。

彼らは・・・・サカとアルメニアの王の領土を保持する人々の一族で、もっとも偉大で最高の地位(にいた)。

そして彼らが・・・について今後信頼している領土の支配のために・・・

「そして・・・であるかもしれない・・・・私たちが現在それをするつもりである、つまり領土の支配を考えると き、そしてイラン国が平和で信頼できる。

 

*1 アソーレスターンとは、アッシリアのこと。この頃は、現イラクのティグリス・ユーフラテス河流域を示し ていた。一般には「メソポタミア」とか「バビロニア」と呼ばれている地域が当時はアッシリアと呼ばれていた。

そして、その後、ハグバッドのシャープール、王子ナルセフ ササンの子、そしてパーバグ the Bidaxš、ハザールバッドのアルダシール、将軍とRaxš、スーレーン家のアルダシール、オフルマズド ワラーズ、Warhāndād 、Undīgān公、残りの諸王子と高貴なるもの達、執事と貴族、ペルシア人とパルティア人、彼らは最高の貴顕であり、わたし の所有に帰するもっとも高貴なる臣下であり、神が授けた忠告に適したものであり、私にもたらされた伝言者である。

 

 

私が丁重に彼らに許可したとき、諸王子とハルグベッドと貴顕達と貴族たちからの伝言者は私のもとに来て、かく 言った。

 

「諸王の王がアルメニアから丁重にイラン国に移りますように。そして、栄光と、領土と彼自身に投下された、 先祖が神から受けた名誉が、神と人々に対する悪の行為からそれらを背後においやりますように。そして、最後まで彼がイラン国を保 持しますように。

そして、わたしは手紙を見たとき、オフルマズドと全ての神と、アナーヒード-彼女はアルメニアからイラン国へ 我々がもたらした-の名の元に。

境界の人々と山の人々とその他の場所の人々は、以前イラン国へ・・・・・をしようとした前に・・・

 

そして、次に私の土地と場所がその知らせを聞いた、そしてそれらを知り、私は・・・・イラン国の領土の支 配・・・・

そして、どこにも彼らがイラン国と私の残りの土地と場所に危害を加える準備をしていなかったが、協議と忠告に 従った。

 

そして、もし、ハグルベッドが(以前)一度神と自分の忠告を聞いたのであれば、我々はアソーレスタンの境 界を監視する場所と、その他の場所を信じるべきだろうか。

そして、悪事をなすことを誰にも許してはならない。フーゼスタンの境界へ、男達と馬とともに、 Undigān公とWarhāndādを派遣しなければならない。そして彼は、彼にそれを命じなくてはならない。アソーレスターンからフーゼスターンまで の道路と浅瀬は、あなたは安全に・・・・・・

そして、サカの王とワフナームはアソーレスターンに危害を加える・・・・かも知れない。そしてアソーレスター ンから・・・・をする・・・・でもいづれでも無い。

 

 

しかしながら、あなたたち、または彼はフーゼスターン地区から聞いた、それは私に言った、つまり、私がアルメ ニアの諸王の王へ・・・・したことを知っているようだ、と。もし、サカの王とワフナームが・・・あなたが彼らを避けたということ を知ったとき、彼らは・・・・しないだろう。

そして、もし彼らが、指示された戦いに加わらないと誓うなら、・・・・アソーレスターンで丁重に決着をつける ことができるだろう。あなたは彼らを導かなくてはならない、つまり、捕虜としてこさせる・・・・

そして、同様に、軍隊にいるものは誰であれ・・・・・・彼らは諸王の王ナルセフに臣従をもたらし、サカの王 の軍から離れ、こちらに来る。

 

私がアソーレスターンに到着した時、この場所に記念碑が作られた。ハルグベッドのシャープールと王子ペーロー ズ、王子ナルセフ、サーサーンの息子、そしてパーバグ the Bidaxšとハザールバッドのアルダシール、アルダシール スーレーン、オフルマズド ワラーズ、そしてUndigān公ワラハンダ、オフルマズドの モー ウベッド キルデール、ナルセフ・カーレーン、・・・最初の・・・、将軍 Raxš 、アルダシール・Tahmšabūhr、・・・。財務長官、そして厨房長Žōygird、同様に諸王子と貴顕、貴族と執事達、サトラップたち、会計士達、 小売商人達、残りのペルシア人とパルティア人達、彼らがアソーレスターンとフーゼスターンとGaramaea とSyārzūrにいた。皆一緒に彼らはXāyān ī Nīkatrāに来て私に会った。そしてここで彼らはこの記念碑を作っ た場所である私の前に来た。

 

 

2. ワラフラーンとワフナームが、ワラフラーンの包囲とワフナームのその他の者の懲罰までになしたる行為

 

そしてワラフラーン、サカの王とワフナーム、Tartusの息子と悪者達とこれらのものは、ワフナームの熱心 な支持者であり、援助者であり、彼らは、私がアルメニアを去ってイラン国へ向かい、イラン国の軍隊を動かしたことを聞くと、彼ら はフーゼスタンからアルメニアへとやってきた。メーシャーン(Mēšān)の王 Ādurfarrōbay、彼の妖術使いによって、ワフナームは・・・・・支援。そして彼は、メシャーンの王に伝達を送り、かく言った。

 

「メシャンの王はこちらに来るべし。もし他のものがサカ王の奉仕者であるなら、メーシャーンの王も・・・・こ れ・・・私はメーシャーンの王にディアデムを・・・のように授けるだろう。アルメニアの王から離れて・・・・・ アソーレスター ン のハグルバッドと諸王子と貴顕と貴族とその他の者たちに関しては。

 

そしてメシャーン王Ādurfarrōbay,、どのような悪い嘘をつかれたのか?彼はかく言った、ワフナー ムが反乱者だった。そして、彼はメシャーンを横断し、彼が、サカ王ワラフラーンとワフナームを支援するために、さしむけたと馬と 男達とともにティグリスをこちら側へ渡った。そして彼は主権を(とろうとした)。そしてそこにサカ王とともに留まった。そして、 ハザールバッドのアルダシールも、支援するための馬と男とともに王を呼んだ(諸王の王ナルセフに呼ば れた)、

 

(メーシャーン)の王とワフナームと彼らを崇拝し、サカの王に敬意を表するものとともにいる者たちと・・・。 そして何度か彼らは約束と誓いをかく誓った。

「我々も(諸王の王(ワラフラーン)の男達であり、諸王の王とともに、我々はわれらの名声を増すような機会を 持つだろう。そして、我々はなしとげ、つまり彼らは我々が到達したことを我らに関して聞くことができるように・・・・」

 

そしてAdurfarrōbayは馬と男達とともに彼らを率いて私の・・・から彼らは地獄の時へと・・・・ 行った。・・・Ngwdyの前で騎士を置いた、より悪い者がいた・・

そして 圧迫と・・・拷問が続きいた。そして略奪したものを・・・・・急がせることも、後方の通路のいづれも 無かった。

そして、メーシャーンの王とワフナームはアソーレスターンの境界に達してはおらず、軍隊が・・・・歩 兵・・・・のとき、サカ王と一緒の軍隊はそこから出発し、Undīgān公のもとに来た。Undīgān公は私の王廷へ彼らを 送った。私が・・・に到着した時、私はサカ王に手紙を送って言った、


「あなたの父のその座はあなたが不適当な力ずくでなやりかたで座って引き継いだものだ。あなたは私の宮廷へ来 るべきだ」

「私のもとに臣従するか、従うか、アソーレスターンへと心楽しく戻るか、私の宮廷へ来るか、 Warahrām-šābuhrへと行くか・・・・するべきだ」

サカの王が私の手紙を見たとき、彼は大きなディアデムを彼の頭から外し、それを王座から放り投げ、名誉も(捨 て去った)。

そして、ワフナームは神の支援と栄光と支配権が私に移ったのを見て、彼はかくのごとく知った。

 

「私がそこで実行した魔術は今後(私にとって)神と諸王の王によるよりも救済(以外の)何者でもない。そして 諸王の王ナルセフにあたえた欺きと不吉な振る舞いについても」

 

そして わたしは・・・・その欺き・・・どのようにワフナームがAbzūdxwarrahのナルセフと、 Bayšābuhr のナルセスが誓った・・・から逃げたのか

サカの王とワフナムが以前一緒にいた軍隊は・・・・の前方へ・・・  そしてワフナームを縛って連れて行き、 かれを傷ついたロバに乗せ、わたしの宮廷へ連れて来るように。

Bayšābuhrは縛られたワフナームを傷ついたロバの上に縛り、彼を私の宮廷へと Warahrāmšābuhr市へと連れてきた。

そして 彼、サカの王はワフナームが連れてこられたことを知った時、彼は・・・・座った・・・・

そして私は命じて、「最初に、誰が私と神対して反抗したのか、二つ目は、誰がイラン国とその全体の領土に対し て反抗したのか、私は、最初に彼を罰するつもりである

そして・・・・私自身の・・・・私に対して反乱を起こした者達を最初に殺し、我々は・・・・を殺した。

 

 

 

 3.ナルセフと高官達の間の継承についてナルセフと高官の伝達は成功し、ナルセフの王座は承 認された。

そして、…私は協議会をイラン国と、私が通知を送った土地所有者、ハルグベッド、諸王子、貴顕達、貴族達や、 執事とその他の者、彼らはもっとも偉大で最高の地位にいるものら、をイラン国に招集した。そして、以下のことを言った、

 

「この神の支援のもとにあるイラン国はおおいなる苦しみと患いに耐えた。私は、貴公達はわたしをイランと非イ ラン国のもっとも偉大な君主であり支配者にした。

そして、もし一度、彼自身の正当性によって神の支援を得た王が全領土を主張するなら -それは、諸王の王、他 に王はなく、より偉大な王はないアルダシール、及びシャープール、諸王の王アルダシール陛下を除いたわたしの家族以来の事実によ る - 彼らは・・・同じくらい遠くで・・・しただろう。

 

そして、「彼らが一度シャープールを王として、・・・守護者にし、彼らが守護者に名誉を与えるなら、その後彼 らは・・・もした。

イラン国の・・・のために、彼らは集まって、以下の説明と判断を下した。

 

「私は、・・・から王シャープールを・・・・、しかしイラン国では、王シャープールより正しいもの、神か、よ りよき ものに仕えるより公的なものは誰であれ知ることになり、今後もこのイラン国を、より安全、健全に、王シャープールよりもよく支配 し保持することができるだろう。彼に話をさせよ!

 

何故なら我々は、彼が、我らのイラン国と神が準備した全領土の君主であることを望み、彼が神の奉仕を行い、平 和で安心できるイラン国を保持することができ、そこを統治することができる。そして、諸王の王シャープールよりも慈悲深く、より よく公正なものは誰もいなかった。諸王の王アルダシール以来、全領土は平和で安心でき、満足していた。

 

「私は、領土で陛下が耐えた苦痛と患い、全領土で神のための祈りが王座の設立となるかもしれないことを望む。 そして領土はより平和と安心な場所に留まるだろう。

 

そして、「もし、イラン国においてそれを知っていて、そこが誰もが公正でよりよく私自身よりも神を崇拝し、よ り慈悲深いなら、イラン国を平和で安心できる場所として保持し、ペルシア人と・・・・・の諸事を統治し、・・・敵に・・・と答え る だろう。今そのように彼に言わしめよ。つまり、彼が全領土と多様な地域の主であり、、その領土を保持し統治することができる。

 

そして、彼、ハルグベッドと土地所有者、王子達、貴顕、貴族、およびペルシア人、パルティア人は相談し、以下 の回答を私の元に持ってきた。

「私たち地主所有者、諸王子、貴顕達、および貴族、ペルシア人とパルティア人が満足しているか、 陛下がその件について我々に課題を伝えた」

 

「もし先祖以来の陛下が、・・・・を持っている・・・・・陛下からもたらされたまさに以下の通達とし て・・・・・・」

 

「もし、より公正で、陛下よりさらに良くて、敬虔なものがいるのならば、、彼が支配権をもつことも考えられる だろう。

 

 

そして、「土地所有者と諸王子と貴顕達と貴族、ペルシア人、パルティア人が区別され、神の実行者はより高く達 し、イラン国はより健全で守られ続けるだろう。

そして、「・・・・、神に関して最も正しい役職を、神への尊敬とともに実行する者は、・・・・徳が高い」

しかし、神が(かつて)栄光と支配権をササンの一族に与えて以来、諸王の王アルダシール陛下 -あなたの祖父 にあたる方、神の名にかけて全領土を作った方・・・

 

「--、その時以来 他の誰もあなたと同じでなくなった。神があなたの幸運と知恵とあなたが保持している自身の勇気よることを好み、イラン国から抑圧を引き離す者はあなた以外 誰もいなかったのだから」

 

そして、あなたは自身の王座を継いで、あなたの父と先祖の名誉を受け、つまりイラン国のことを(受け継ぎ)公 正でより高きものとした。

そして、土地所有者と諸王子と貴顕貴族と執事とペルシア人とパルティア人に、私は以下の通知を送った、

 

「先祖 …… 領土… …、まず第一に、神の言葉と第二に、イラン国と全体の領土の言葉

 

「(彼が治める)領土の君主は・・・・ペルシア人の諸事を治め、敵に応えることができる。

 

そして、ハルグベッドと、地主所有者と諸王子、貴顕達と貴族、ペルシア人とパルティア人達からも、伝達と回答 が私にもたらされた。そこに言うには、

 

「もし私たちが、領土とイラン国において、全諸王子たちと土地所有所のどちらも、陛下よりも、支配権により 適している者であると知っているとしたら、あなたは王でいられるでしょうか? 

 

「しかし、私たちは、それがそうでないことを知っている。 陛下が最も偉大であって、最も良く、支配権はあなたに適している。それは陛下にとって、最もふさわしい」

 

「陛下にとって適している。神が与えた王座をあなたが継ぐべきではないか。そして改革 (renovation)の時まで領土を治め、保持し、あなた自身の栄光と領土を幸福にすべきである。

 

そして、私は先祖と神と神の名にかけて支援を受け、私の父と先祖の王座を継いた。

 

そして、クシャンの王と・・・Aspnay、フワーリズムの王、D/Zāmadīgp[utr?、Kwšdの バッド、Pgrymbk ・・・ Sēd(?) the Šyk、・・ of Harēw, そして Pāk Mehmānと Birwān Spandwardān、そして Pāradānの王、Rāzgurd王、Pndplnk王、,マクラーンの王、トゥーラーンの王、・・・の王、グルガーンの王、[Balāsa]gānの 王, Mskyt’nの王、、そしてイベリアの王、Sigānの王, Tirdād王(ティリダード王)、 ラフミッドのAmru王(ラフム王)、 AbgarsのAmru王・・・・

 

そして、 ダヘスターンのNāhubed、 Razmāgōy Šambīdagān、そして Dumbāwandのサトラップ、そして・・・Sāxwalの君主āgōy 、Mūgānの君主 Porāsman, 、  Zōrādの君主Bād公、Borsipの君主Mihrxwāst, そして・・・の君主 Zanāygān、そして Kwl(カブール?)・・・、・・・、 そして Moškの君主ワラフラーン、アンティオキアの君主ナルセフ、Lāšomの君主、 Čš,の君主Wld.y、そして・・・の君主、そして Lākの君主 Xradžoy 、 Aštbwn’nの王Mālux、そして残りの地の所有者達と、私の忠告と相談によって住まう者たち。

 

そして、私は新たに全体の領土を要求した。 彼は私の宮廷に来るか、使者と送り物と手紙と人質(誓約としての)、忠誠を私の宮廷に送ってよこした。彼は名声と他のものを得るだろう。

 

私は彼と彼の領土と地区の繁栄を許した。そして、望んでいる者は私の臣従と奉仕のもとにやって来た。

 

 

引用は以下の英訳から

The Sassanian Inscription of Paikuli by Helmut Humbach and Prods O. Skjærvø


※2020/Sep/17 引用元のリンクを修正

BACK