ダ レイ オス、カニシュカ、ペーローズ共通の伝承



   ヘロドトスの「歴史」巻3の153章に、バビロンの叛乱鎮圧に向かったダレイオス軍のバビロン攻略についての記述がある。バビロンを 包囲してから1年7ヶ 月も経っても陥落させることができず、手を焼いているダレイオスのもとに、ゾビュロスが次のような提案を持ってきた。

われとわが身を傷つけて脱走者のご とく見せ かけ、バビロン側に投ずるのが唯一の手段であると考えるに至った。そこでゾビュロスは一身のことは少しも顧みず、わが身を再び元 どおりにならぬほど無残に 傷つけたのである。すなわち自分の鼻と耳を切りおとし、髪を醜くそった上、われとわが身に鞭を加えてダレイオスの許を訪れたので ある。(中略)
ゾビュロスがダレイオスの元を訪れて曰 く、
まず私はこの姿で脱走者のごとく見 せかけ、 敵城内に入り込み、私が殿からこのような目に逢わされた、と彼らに申しましょう。そうすれば私は必ず彼らにそのとおりであると信 じ込ませ、手へイを手に入 れことができると存じます。殿に置かれましては、私が敵城内に入り込みました日から数えて十日めに、とのが失っても惜しくないと 思われる部隊のうちから1 千を、世にいうセミラミスの門の前に配置していただきたい。それにつづいてはその十日めから数えて七日目に、兵2千を世に言うニ ノス(ニネヴェ)の門に配 していただきたいと存じます。またこの七日めから二十日をおいた後、更に兵4千を世に言うカルダイアの門前にお進め願います。

などと言い含め、ゾビュロスは、バリロ ンに脱走し、 「ダレイオスに受けた仕打ち、恨み晴らさずおけようか」と言い含め、更に何度かペルシャ軍を撃退し、バビロン人の信頼を勝ち得ること に成功し、ついには城 壁防衛の司令官となることに成功する。しかし、それはゾビュロスの計略に過ぎず、ダレイオスが打ち合わせどおりに、最後の突撃を行う と、ゾビュロスは、そ れにあわせて、2つの城門を開き、ペルシャ軍を城内に導入したのである。(以上 「ヘロドトス歴史」松平千秋訳 岩波文庫 P384-389からの引用」)

 このように臣下がわが身を傷つけ、敵に投降し、敵の信用を勝ち得て、敵を破滅に導く謀略で、自軍に貢献する話は、アラブの歴史家ア ル・ビールーニーの書 のカニシカ王の記述や、タバリーの歴史のペーローズ王の記述にも登場している。

アル・ビールーニーの記述は、当該部分の邦訳が、「カニシカ王と菩薩たち(定方晟著)」 p31に出ています。2頁ほどの短い内容です

 カニシカ王の 記述では、インドのカナウジ王の国に攻め入ったとき、カナウジ王の臣下が王に向かって

さあ、私の鼻と唇をそぎ落として、 私をかた わにしてください。そうしたら、〔敵〕を欺く方法も見つかりましょう
といい、大臣は国境へと向かった。敵軍 が彼を見 つけ、カニシカ王のもとへ連れて行った。大臣は

私は[私の]王に、あなたに逆らう ことをやめる ように説得しました。あなたに服従するように一生懸命説得したのです。ところが彼は私に疑いを抱き、私をかたわにするように命じ たのです。その後かれは自 分からある場所に居を移動しました。その場所は幹線道路をとおっていけば非常に長い旅をしてやっと着けるところですが、もし相当 数の日数の水をもっていく ことができれば、途中の砂漠を横切って簡単に到達することができるとこです。
とこのようにカニシカ王を欺いたのである。 さて、王 は大臣の案内に従って軍を率いて、果てしない砂漠へと侵入した。何日たっても砂漠ばかり。ついに王は、大臣に質して言った、どうすべきか と。これに答えて 曰く、

私が私の主君を救おうとし、主君の敵を破滅させようとしたとて、私はいかなる非難も受けないでしょう。この砂漠から抜け出す最短の道 は、あなたがここまで 辿ってきたその道です。さあ、私をどのようにでもお好きなようになさいませ。もう誰にもこの砂漠から来て出ることはできないのです。

このように、身体を傷つけて、敵に投降 し、信用を勝 ち得て、敵を破滅に導く点は、まったく共通している。
では、タバリーの話はどのような展開となるのであろうか。ササン朝のペーローズ王がエフタル王アクシュンワルに向かって侵攻した時の ことである(当該部分の章の全訳はこちら)。


アクシュン ワルの家来の一人は彼の為に彼の人生を捧げて彼に言った、 「私の両 手と足を切って、私をペーローズのもとに送りなさい。しかし、私の子供と家族の面倒はみてください」 彼はこれによって  ペーローズを罠にはめるつもり だった、といわれている。アクシュンワールはこれを行い、彼をペーローズのもとに送り届けた。 ペーローズが彼のもとに現れ たとき、ペーローズは男の言う ことに緊張をといて、何が起こったのだと尋ねた。その男は これはアクシュンワールにされたのだ、何故なら 彼はアクシュン ワールにペルシャ軍にはかなわ ないだろうと言った為だ、と答えた。ペーローズは慈悲と共感を覚え、彼とともについてくるように命じた。
まず、このように自らの身体を傷つけて、 敵に投降 し、信用を得る点は、ダレイオスとカニシュカとまったく同一のパターンである。続いて、敵を欺く点であるが、

  男はペーローズに言った、これは助言なのだが、彼は彼と彼の従者に近道を示すことが出きる、それはまだ全誰も使ったことのな く、エフタルの王のもとへと至る道である、と。 ペーローズはこの罠には まり、彼と彼の軍隊は不具者のいうルートにそって進行した。 彼らは一つの砂漠から次ぎの砂漠へともがきつつ進み続け、彼ら が渇きを訴えると必ず その男 は彼らは水の近くにいる、殆ど砂漠を横切っている、と言うのだった。 最終的に 男が彼らをある場所に連れて行ったのだが、 その場所は彼らが知っている場 所であり、彼らは前進も後退も出来なかった。 ペーローズの家来は言った、「我々はこの男に関してあなたに警告しました。  恐れながら陛下、しかしあなた は警告をとらなかった。今 我々は敵に遭遇するまで進軍するしかありません。例え環境がどうあれ」 だから彼らは前進を続 け、渇きが彼らの大半を殺し、 ペーローズは生き残ったものとともに敵に向かった。
ここでは、砂漠に連れ出す部分まで、カニ シュカの伝 承とまったく同一である。異なっているのはここから先で、カニシュカの場合は軍を率いて戻るのだが、ペーローズの場合は、そのまま窮乏し た状態で、エフタ ルに進軍し、散々に破られる点である。また、主役が、敗れる方なのか、敵側なのか、という点も異なっている。ダレオイスの場合は、ダレイ オスが敵に対して 用いた策謀であるが、カニシュカとペーローズの場合は、敵のインド、エフタル側が用いた策謀となっている点が異なっている。この点は興味 深いといえよう。

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