書評

 
夢枕獏「シナン」 中央公論社
  ☆☆☆☆

   
 夢枕獏の16世紀の実在の建築家の生涯を描いた「シナ ン」を読みまし た。この人、日本語版のWikipediaにも記載がないのですが、 1488~1579/1588年まで生き、40年間くらいオスマン朝の主席建築家であり、生涯に400以上の建築物を残し た、とされる当代きっての著名人 の一人だったようです。シナンという、そういう人がいることは知っていましたが、夢枕獏が描いた、ということで、かなり特殊 な作品なのかなぁ、と思って読 んだら、実に正攻法な描き方でちょっと驚きました。シナンの生涯の特徴は、以下の点にまとめられるのではないかと思います。

-長命
-モスクの建設は50歳を過ぎてから。生涯80とも97とも言われるモスクを設計
-イスタンブールのスレイマニエ・ジャーミー、エディルネのセリミエ・ジャーミーを設計
-元々キリスト教徒で、デウシルメで徴発され、オスマン政府に参加

夢枕獏の小説では、ハギア・ソフィアを超えるドームを建設することを終生の目標としていた、として描かれています。そのハギ ア・ソフィアのドームは直径 31メートル。ローマのパンテオンや、サン・ピエトロ大聖堂がそれぞれ43m、42mなので、近代以前の建築物でハギア・ソ フィアのドームが最大だったわ けではないのですが、壁ではなく、柱で支えられた建築物としては、ハギア・ソフィアが最大だったようで、シナンはそれを超え ることに拘ったようです。シナ ン建設の大ドームは、それぞれ、

-スレイマニエ・ジャーミー(1557年竣工) 26m
-セリミエ・ジャーミー(1575年竣工) 32m

となっています。

小説の方は、また色々注文を出すと辛口となってしまうのですが、感動したのは、ラストシーンと作者によるあとがきの部分で す。NHKの取材旅行でたまたま 目にした、エディルネのセリミエ・ジャーミーの感動が、作者をして、これまで手がけたことのない歴史小説、しかも馴染みの殆 どないイスラムの歴史小説を書 かせた、という部分。「感動の産物」という点に、何よりも本書の価値が見受けられます。まぁ、小説としては、人物が描けてい ない、とか、シナンの意識も抽 象的・観念的な描写が多く、ものすごく読みやすいのですが、一方で深みが足りない、とはいえますが、世界史ファンでもない限 り、日本人にあまり馴染みのな いスレイマーンの時代を色々知るには、丁度良いポータル小説になっているとおもいます。人物、各地域情勢、オスマン朝の制度 や、宮廷など、楽しく読み進め ながら知識を身に付けることができると思います。全体としては歴史物語な描かれかたですが、ラストシーンは「小説的」な描き 方となっていて、一番印象に 残った場面でした。他の方も記載されていますが、陰の主人公はハギア・ソフィアです。主人公がその、ハギア・ソフィアを超え ることができると確信したと き、主人公はハギア・ソフィアから解放され、自分の人生を取り戻したようにも感じます。ラストシーンではシナンがはじめて、 「人間」として登場している気 がしました。

読み終わったあと、確か、ブルガリアのソフィアにあるジャーミーもシナン作だったけ、と資料を見返してみたら、その通りでし た(シナンか、または他の者の 可能性もある、との記載でしたが)。
3/Dec/2006

ナー スィレ・フスラウの「旅行記」の翻訳HP
  北海道大学ペルシア語研究会 ☆☆☆☆☆

   

  ナースィレ・ホスロー(1003年頃~1089年頃「ナーシィレ・フ スラウ」は中世ペルシア語発音だと思われる。「ナーセル・ホスロー」の方が一般的) は、ガズニー朝~セルジューク朝時代のバルフ出身の人で、40を超えてから、ファーティマ朝下のカイロや、エルサレム、メッ カなどを7年に渡って旅した旅 行者です。中央公論社の新版世界の歴史8巻の「イス ラーム世界の興隆」 に、当時のカイロの描写のところで、ちょっと出てきていて、「ふーん。そんな人いたんだ」という程度の認識だったのですが、 たまたまホームページ上の翻訳 を見つけたので読んでみました。普通の書籍にしたら、150ページ程、ゆうに1冊の書籍になるくらいの、全訳です。中身はだ いたい5部の分かれています。

1.メルブで官吏をしていたホスローの、エルサレムに至る往路の工程(カスピ海沿岸を通って、アルメニアを通過し、シリア北 部を通って、地中海東岸を南下 するルートです)
2.エルサレムと近郊の描写
3.カイロの描写と、ヌビアから紅海を経由してメッカに至る旅程の描写
4.メッカの描写
5.メッカから、アラビア半島を横断して、バーレーン付近にいたり、そこから北上して、チグリス・ユーフラテス河口のバスラ に至り、そこで東に向かって ファールスを通過し、イスファハーン経由で帰国するまでの帰路。

町や建築物の描写が非常に詳細で、写真の見れないカーバ神殿の内部の詳細な描写など、非常に貴重な情報が多いのですが、尺度 の単位(「ガズ」「アラシュ」 など*1)がわからないため、いまひとつのめりこめない感じでしたが、当時のカイロに14階建ての一般住居があったことや、 ペルシア人の間では、紀元632年 頃を起点とする「ヤズダギルド暦」(文中ではアジャムの暦という言い方もされていた)が使われているなど、様々な発見のある 基調な史料となっています。

17/Oct/2006

* 「史朋」35号2003年2月号掲載の訳注にて単位を確認。

ガ ズ(gaz)= 95 cm 説と68cm説があるとのこと。

ア ラシュ(arash)=64cm説があるとのこと。

イ スバア=腕尺の1/24、2.078cm説と2.252cm説があるとのこと。1ラトル(ratl)=300ディルハム(公 定レート)。

1 ミールは1/3ファルサング。バルクーク(ブワイフ朝のアブドゥッダウラは100kg、イル汗国のガザン汗は83.3kgと 定めた。




アジアの帝王たち    中公 文庫 植 村 清二 (著)
☆☆☆☆☆

   
  これまで誰もレビューを書いてなかったなんて、ちょっと信じられません。ここに登場する各人は、それぞれ史上に大きな足跡を残し ながら、伝記的記載となる と、世界の歴史全集の中の記述に埋もれてしまう人が多いのではないでしょうか。
この書籍の特徴は4点あると思います。
1.各帝王誕生の時代背景として、時代の区切りとなる前時代について説き起こしているので、その時代の歴史について、簡単に理解 することができる
2.世界史全集では省かれがちな、前半生についても、きちんと記載されている。例えば唐太宗が戦陣で、項羽ばりに先頭に立って 戦った騎士時代の話など
3.当時の国際関係の意識を図る記載が多々見られること。例えばアショカ王では、王がセレウコス朝や、プトレマイオス朝、マケド ニアなどへの派遣した使節 に言及し、当時の国際意識を垣間見ることができます。始皇帝の項では、シナの語源について中央アジア説、南方説などを検討してい ます。

9人のうち5人が中国皇帝であるけれども、それゆえ、東洋史というと、中国史に注目が集まり勝ちな中で、インド史上の2大帝王、 中央アジア史上、イラン史 上最大の支配者にも注目を与える機会を提供しているという点で、文庫本としては、非常に非凡な書籍だと思います。内容は非常に充 実していて、作者は、書き たいことを殺ぎ落とすことに労力を使ったのではないか、とさえ思える程熱意と充実を感じます。
欲を言えば、古代イランの帝王ダレイオス、ホスロー1世、インドのサムドラグプタ王なども入れて欲しかったところです。できれば 続編を出して欲しかったと 思います。
22/May/2006


 
 
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