慶州


 上は新羅第17代奈勿王(在356-402)の墓。慶州市街の遺跡公園の中にある。上中は第24代真興王(在 540-576)の墓。写真の右か左のどちらかがそう。サイズは高さ数メートル、直径15m程度の円墳。慶州市街から西に1 キロ程の山の麓にある(有料)。この古墳の北数百m地点に金?信将軍(フォントが無い。臾という字に厂を付けた字)の古墳も ある。

 写真上右は真興王古墳の更に南にある29代武烈王(在654-661)の墓(いづれも有料)。日本の王の古墳と比べ るといづれも小ぶりであっさりしている。
 

 左と左下は751年創建の仏教寺の仏国寺。改修が繰り返され現在の建物はもっと後世のもの。 写真左下の部分は建設当時の部分だとか。
 寺は1,2件の建物があるわけでは無く、日本の寺の総本山の様に、多くの建物から成る複合施設で規模は大きく観光地化して いる。

 

 
 新羅王国の都慶州は盆地にあり、ロケーション的にも時代的にも日本の奈良と似た位置付けにある。
 他に味鄒王の墓もある。

 仏国寺は慶州市街から東へ5キロ。バスが頻発している。市街の南には当時の王宮「半月城」跡があるが、遺構はないら しく、ただの丘がある。

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