「西南アジア研究」2005年通巻62号に掲載されている 春田晴郎氏『古代ホラズムの「家」と「しもべ」』(p50-65頁)と
いう論説を読みました。現ウズベキスタン共和国の西部自治共和国カラカルパクスタンにある古代ホラズム王国の都の遺跡トプラク・
カラから発見された皮や木
に書かれたホラズム語(中期イラン語東方方言に分類される)文書の紹介と研究状況の紹介、文書内容の簡単な検討が行なわれていま
す。古代ホラズム王国は、
アラル海南岸地方のアム川下流域で紀元前から繁栄した王国で、史料があまり残っていないことから、通史はおろか統一王朝の有無さ
えよくわかっていないよう
なのですが、現在トプラク・カラと称される遺跡が形成された2世紀頃から6世紀頃は、パルティアやサーサーン朝の影響下にあった
とはいえ、トプラク・カラ
を中心とする比較的統一的な権力があったものと推定されているようです。 論説は、トプラク・カラから発見された58点の文書のうち、木 に記された文書25点のうちの15点がホラズム人の名簿とされる行政文書と考えられ、その内容から、当時の世帯構成や社会組織を 検討したものです。木版文 書は概ね30cm(断片の場合10cm程度のものもある) x 10cm程度で、6点の文書にホラズム紀元188-252年の年号が記載されていて、西暦3世紀頃と比定され、一枚あたり一世帯の人名が、例えば以下のよ うに記載されていているとのこと(文書の写真が「埋もれたシルクロード」(岩波文庫)p195に掲載されています)。 (表) (1)ハラクの家 (2)ハラク (3)ヴェーワルサル 来 (4)ペーク 来(この用語は名簿への新規登録と解釈されていると のこと) < < (区切り記号) (5)しもべ (6)マーマク (7)ラズマーガタク (8)カーカーナチャク (9)アーパルトグリータク (10)ウプニ シュタク (11)アルタフワターウ (12)ワネーナク (13)タルマタク (裏) (14)タータク (15)カーシュバルザク < < (区切り記号) (16)妻のしもべ (17)カルトヤワーナク (18)マルチパク 諸学者がそれぞれに解釈をしているものの、核家族を中心とする大人数の世帯であること、世帯に占める「しもべ」(従者か奴隷かま では不明)の人数が非常に 多い点(全体が残っている文書では、17名中13名、21名中17名、17名中15名、15名中12名、4名中3名)、女性の名 前は一切記載されていない 点(妻のしもべは男性)などが指摘できるそうです。この世帯がトプラク・カラの住民なのか、郊外の農牧地の居住者なのか、と春田 氏の論説は検討を続けるの ですが、現時点では明確なことは判明していないそうです。名簿の目的や、どういう世帯が名簿の対象なのかもわかっていないような のですが、あまり身分が高 いと思われない階層の人名と世帯構成が具体的にわかるという点に強く興味を惹かれました。サーサーン朝の一般人の人名や世帯構成 が具体的にわかる史料や、 それを検討した論文や書籍を見たことが無いので、本論説のような内容のものを、サーサーン朝についても読んでみたいと思った次第 です。 本論説を読んで、トプラク・カラの遺跡をGoogle Mapで探してみたとろ、ユネスコが作成した、古代ホラズムの遺跡を紹介した資料を見つけました(こちらの「古代ホラズム」)。合計15の遺跡が掲載されており、うち13箇所について Google Mapで遺構を確認できました。Google Mapで確認した遺構の画像と簡単な解説をこちら(古代ホラズムの遺跡一覧) を作成したところ、完成したあたりで、英国人研究者の古代・中世ホラズ ム遺跡サイト The Karakalpaksを 見つけました。Google Mapの画像や座標含めて、47の遺跡について詳細な写真や遺物・平面図や復元図等が大量に掲載されています。せっかく作った私の記事は意味が無くなって しまったので、地図上の遺跡の位置をクリックして遺跡の場所に飛べるようにしてみました。 Google Mapで綺麗に遺跡の輪郭が見えることにも驚きましたが、The Karakalpaksの写真を見ると、15-20mくらいの地上部分がかなり原型を留めて残っていることに驚かされました。特に気に入ったのは以下の3 つ。 □Kızıl kala 16mの高さの2階建ての城砦がほぼ原型を留めて残っています。 □Gyaur qala 城砦の内部構造がわかる復元イラストや内装の再現図 □Kazakl'i-yatkan 当時の人物像の彩色壁画 それにしても、ホラズム史がわかる史料が少ない割りには、パルティア・サーサーン時代に相当する時代の遺構が結構残っているの には驚きました。パルティアやサーサーン朝についても、街路や一般の住居がわかる遺構が出てきて欲しいものです。 ところで、トプラク・カラの遺跡復元図を見ていて、バム遺跡について思ったことがあります。2003年に地震で崩壊したサファ ヴィー朝時代の都市遺跡であ るバム遺跡には、15世紀以降イランや中央アジアの公共建築物に見られる青タイルが残っていないようなのですが、往時を復元した 絵図を見たことがありませ ん。ちょっと検索したところでは、見つかりません。往時も現在のような砂色一色だったのでしょうか。興味があります。 最近古代イランの 地方状況について興味があり、地域史・地域性や遺跡などについて少しずつ調べています。このホラズムの件もそのひとつですが、丁 度旅行サイト「空の旅」を つくられている方がこの夏にイランのファールス州東部のサーサーン朝遺跡を中心とする史跡巡りをされてきて、現在旅行記がサイト に連載されています。ネッ トや書籍に情報の無い遺跡が毎回紹介されており、ファールス州東部の遺跡について多少情報は得ていたものの、予想以上の規模と豊 富さに圧倒されているとこ ろです(サイト「空の旅」→イランの旅→2013)。 古代ホラズムについて比較的詳しい記載のある日本語書籍 □ヴァディム・マッソン「埋もれたシルクロード」(岩波文庫,1970年) 遺跡と遺物中心にホラズムに関 して34頁記載があります。 □青木健「アーリア人」(講談社選書メチエ、2009年) 古代から中世にかけての ホラズム通史が約20頁記載されています。 |