Google Mapで見る古代ホラズムの遺跡


   
  ユネスコ作成のドキュメント「古 代ホラズムの遺跡紹介と解説」に掲載されている16遺跡をGoogle Mapで探してみました。古代ホラズムの遺跡は、紀元前7世紀まで石器時代のもので、前6世紀から急に城砦が出現することから、アケメネス朝の支配が及ん だと推測され ているとのことです。

※この記事をほぼ完成させた直後、ホラズム研究者の大変詳細なサイト「The Qaraqalpaqs/The Karakalpaks」を見つけました。それぞれの遺跡について、リンクを貼っています)。サイト「The  Karakalpaks」には 他に、古代については、Yakke ParsanPil qala & KathTeshik qalaQalmaq qalaZamakhshahDevkesken qala、中世ホラズム・ シャー朝 史跡についてはSultan BoboUrgenchNajm Kubraに関して独立した記事が立っていて合計23遺跡、更に、Other Qalasとして一つの記事に一括して24箇所の古代遺跡のGoogle Mapの写真と図面が掲載されていて、合計47箇所掲載されていて非常に便利です。出典を忘れてしまいましたが、ホラズム遺跡は1000程あり、近年のア ム川灌漑による大規模環境変動で既に500程に減少しているとのことです。  


(1)ウズベキスタン共和国カラカルパクスタン自治共和国東部遺跡

 以下の地図の中央左下がウルゲンチ。左上から右下に流れている川がアム川。赤い点 は、Google Mapで確認できた遺跡の場所。青点は確認できなかった遺跡。古代ホラズム遺跡はアム川右岸に集中していることがわかる。幾つかの遺跡は砂漠との境目にあ り、境界線の砦だったことが推定されている。以下左から順番にGoogle Mapの地図・経緯度・解説を記載します。青 と赤の点をクリックすると、それぞれの項目に飛びます。




1.Dzhanpyk- kala(Janpıq qala)
座標42.02691,60.326196
Scale100m
The Karakalpaksの記事はこちら)



2.Kazakl'i-yatkan
座標41.82893,60.717208
Scale200m
ユネスコ資料に図面あり
存続期間 前2世紀から後1-2世紀。人物壁画が残されている(The Karakalpaksの記事に壁画写真あり)

 中央上部の正方形(約250m四方)が最初に形成され、その後東南方面に拡張 し、一 辺約500m四方の正方形の城砦となる。

3.Kz'il-kara(Qızıl qala)
座標41.930235,60.784076
Scale50m
図面あり
後1-4世紀に建設され、12-3世紀に放棄された(The Karakalpaksの記事はこちら



4.古 代ホ ラズム王国首都トプラク・カラ遺跡
座標41.928368,60.822372(41°55'40"N   60°49'18"E)
上記Kz'il-karaの東1.3km地点
Scale 200m
平面図と復元図がユネスコ資料に掲載されている。2-3世紀に建設され、6世紀以降まで存続(The Karakalpaksの記事はこちら)。

 


5.Tash Kirman Tepe
座標41.821866,60.811574
Scale100m
図面あり
前6世紀以降。宗教施設と見られている。



6.Gul'dursun-kala Bolshaya
座標41.692871,60.980794
Scale 100m
図面なし
起源は古代だが、現在残る城壁は12-3世紀のもの(The Karakalpaksの記事はこちら)。



7.名称不明
座標41.921175,61.018093
Scale50m
たまたまGoogle Mapで見つけたユネスコ資料に記載の無いもの。



8.アヤズ・カラ1、 2
座標42.012491,61.028087
Scale200m、図面あり
 右上城砦がアヤズ・カラ1.東西150m。前4世紀に建設され後1世紀 迄存 続。避難所として中世初期まで利用された。中央の丘の上の楕円(7-8世紀建設の要塞)とその西方へ伸びる回廊 の先にある宮殿跡(4世紀に建設)がアヤズ・カラ2.宮殿ではアフリーグ朝(Afrighid)の Bravik 王の貨幣が出土し、2度の火災で崩壊したが、6-7世紀に再度居住された跡があるとのこと(The Karakalpaksの記事はこちら)。



9.アヤズ・カラ3
座標42.005204,61.030469
Scale100m
図面あり。
 アヤズ;カラ2の南600mにある。東北隅の居住区が前5-4世紀に建 設さ れ、城壁は後1-2世紀に建設したと見られている。城壁は東西約250m





10.Mal'ii K'irk-k'iz-kala(小K'irk-k'iz-kala/小Qırq Qız qala)
座標42.01815,61.100952
Scale50m
図面あり
 前4-3世紀から後3-4世紀。対遊牧民の防御用砦だと見なされてい る。円 形と扇型の城壁が組み合わさった珍しい平面プラン(The Karakalpaksの記事はこちら)。


11.コイクリ ガ ン・カラ(Qoy Qırılg'an qala)
座標41.755294,61.116992
Scale 左画像100,右画像20m
図面と復元図あり
 前4世紀-後4世紀。当初天文台として建設され、後に陶器製作所と な り、更に後、文化センターとなったと考えられている(The Karakalpaksの記事はこちら)。

発掘時の写真や遺物写真はこ ちらのサイトに詳細なものがあります


12.Angka qala
座標41.758852,61.151265
Scale100m
これはユネスコ記事には無いもの(The Karakalpaksに記事はこちら



13.Bol'shoi K'irk-k'iz-kala(大K'irk-k'iz-kala/大Qırq Qız qala)
座標42.007895,61.157203
Scale100m
図面なし
存続期間 前4世紀から後7,8世紀(The Karakalpaksの記事はこちら




14.Dzhanbas-Kala(Janbas qala)
座標41.858662,61.303861
Scale100m
図面あり
前4世紀から後1世紀にかけて利用された(The Karakalpaksの記事はこちら)。



15.Kurgashin- kala(Qurgashin qala)
座標42.034409,61.321564
Scale 200m
図面なし(The Karakalpaksの記事はこちら

Google Mapの解像度が荒い部分に位置している為、不鮮明です。



(2)ウズベキスタン共和国カラカルパクスタン自治共和国中央部の遺跡

 左から、Mizdakh-khan遺跡、Gyaur-Kala遺跡、 Chil'pik 遺跡。赤の点をクリックすると、それぞれの項目に飛びます。


1.Mizdakh-khan
座標42.39299,59.377171
Scale100m、図面なし
前4世紀に建設されクシャン時代に火災で破壊され、新しい町が作られ た。 周辺 の墓地から5-8世紀の間居住されたと考えられる。9-11世紀に再建され、13世紀モンゴルの侵入で一時的に 放棄され、14世紀に復興した(The Karakalpaksの記事はこちら)。



2.Gyaur-Kala Sultan-uizsaghskaya
座標42.079432,60.27709
Scale 100m
図面あり
The Karakalpaksの記事はこちら


3.Chil'pik(Shılpıq)
座標42.264066,60.07026
Scale 20m
The Karakalpaksの記事はこちら

 

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 このユネスコの資料は、世界最大の旅行ガイド「ロンリープラネット」から承諾を得て地図を流用している のですが、記載内容そのものが、「ロンリー・プラネット」の記載を持ってきたような、旅行ガイドとしてそのまま使え るような内容となっている点も特徴の一つと言えそうです。各遺跡の紹介の末尾に、場所は砂地・砂漠なので高性能の車 でないと行けない、とか、遺跡に近づく為の具体的な経路(城壁沿いに回り込む、とか)が記載されています)。「砂漠 の遊牧民の攻撃を防ぐ為の防衛線の砦群」などと具体的に地形も記載され、Google Mapで参照すると、その通りの地形となっていて、古代ホラズムが発展した地理的状況も頭に入ってくる内容となっているように思えました。アム川が何故河 口付近で急激に北に向かってアラル海が形勢されていたのか、これまで地勢があまりイメージできなかったのですが、ア ラル海河口左岸はア スティアート台地と呼ばれる約150mの台地となっていることなど、遺跡だけではなく、地形含めて大い に参考になりました。



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