オスマン朝歴史映画「マムルーク(奴隷軍人)」(18世紀末グルジア・エジプト)

  今回はグルジア映画です。グルジアで奴隷狩りに会い、オスマン朝治下のエジプトでマムルーク 軍人として出世してゆくグルジア人の悲劇を描いた作品。1958年旧ソ連(グルジア共和国)。


  18世紀後半。平和なグルジア山間部の村。左画像遠目に雪を戴くエルブルス山脈が見えています。少年クビーチャとゴーチャは大の仲良し。野原を転げまわっ て遊ぶ貧しいが幸せな日々。

  ある日、羊を追っていたゴーチャ少年は何者かにさらわれてしまう。村人達が畑を耕しながら歌うグルジアン・コーラスが美しい。農 作業しているところに、ト ルコ人商人がやってくる。村人は木陰で商人をもてなす。こうして純朴な村人の信用を得た商人は、川で遊んでいるクビーチャに声を かけて馬に乗せ、そのまま 誘拐するのだった。

 クビーチャをさらわれたことに気づいた母親が嘆き声をあげ、続いて母親たちも嘆き出す。その声が畑を耕す男達に聞こ え、村では教会の鐘を打ち鳴らし、集まってきた男たちは銃を取り馬で捜索に出る。奴隷商人は逃げ延びる。しかし、クビーチャは逃 げ出し、グルジア人地主と 思われるグルジア人の屋敷に匿われるのだった。これがそのグルジア人地主の屋敷。

  この家には、クビーチャと同年齢のセイラという少女がいて、二人は仲良しになる。左下画像は、少女が、グルジア文字の刺繍入りの ハンカチをクビーチャに見 せるところ。右下は森で遊んでいる二人。クビーチャはこの屋敷の主人にグルジア語を習うのだった(出身村では文字を学習する必要 が無かったようで、ここで 初めて学んだようである)。

 しばしの滞在後、クビーチャ少年は地主の主人に送られて出身村に戻ることになるが、クビーチャが地主の家に匿われていることに 気づいていたトルコ人奴隷商人は、途中で地主を狙撃し、クビーチャを手に入れるのだった。

 グルジアを離れる奴隷船から、遠ざかるコーカサス山脈が見える。船に乗せられたグルジア人少女達は皆涙にくれ、青年、少年たち も辛そうに眺める。


 イスタンブールが見えてくる。




  イスタンブルの奴隷市。そこでは少年奴隷の商品価値を確認する為、少年たちは、レスリングするよう、奴隷商人に強制させる。ク ビーチャ少年は何人か破る が、次の相手はなんとグルジアで別れ別れになっていたゴーチャ少年だった。しかし再会したのもつかの間、二人は離れ離れにされ、 クビーチャ少年は再び奴隷 船に乗せられ、今度はカイロに運ばれるのだった。これがカイロの遠望。

 左画面の右は現在も残る多分アル・アズハル大学(左のミナレットは多分アル・ガウリーのミナレット)。右画面はスルタンの代官 の宮殿から見たカイロ市街。無数のミナレットが街中に立ち並び、遠くにナイル川が見えている。

  (オスマン朝)スルタンの代官アリ・ベイに面通しさせられたクビーチャが、グルジアの出身だというと、一瞬アリ・ベイの顔が曇 る。恐らく彼もグルジア出身 の奴隷軍人なのだと推測される場面である。クビーチャは、今後はマフムードと名乗るよう、ベイに命じられる。右画面はカイロの宮 殿のアリ・ベイの広間。中 央椅子に腰掛けているのがアリ・ベイ。

 マフムード少年は、コーランを学び(左画面)、銃や剣など日々軍人としての訓練を積み、数年後には逞しい奴隷軍人に成長する。 右が成長したマフムードが、エジプト高官が見守る奴隷軍人たちの競技会で、颯爽と馬を走らせている場面。



彼は奴隷の女性達の人気者となっていた。下左は、競技会場の端に立つ、奴隷女性達がいる小屋。右がその女性たち。窓から競技会を 見て、「マフムードって素 敵ねえ」などと盛り上がっている。この女性の中に、セイラもいたのだった。「マフムードってグルジア人だそうよ」という女性奴隷 の一人の話に、それまで関 心のなさそうだったセイラは、思わず窓辺によってマフムードの姿を探す。そして彼がクビーチャだと気づくのだった。





  マフムードは、競技会で一等賞となったため、その世の宮殿の宴会に招かれる。左画像が青年となったマフムード(クビーチャ)。 すっかりアラブ風(ターバン の下はつるっぱげ)。宮殿の広間ではベリーダンスや、仮装した道化の踊りが催される。下右は、獣の仮装をし踊り子。右手広間は、 クビーチャ少年が連れてこ られた時面会した代官の玉座。

 更に同じ広間。左画像では、広間のドームが見えている。オスマン朝建築様式であることがわかる。右画像は、同じ広間から窓側を 見たところ。部屋の中央に噴水があり、その向こうに踊り子たち、更に窓の外バルコニーがあり、市街の多数のミナレットが見えてい る。

 しかし、マフムードにはこのような宴会は退屈なだけだった。場を持て余したマフムードは、一人広間を後にし、ナイル川のほとり まで散歩するのだった。これは、宮殿内の階段。内装が参考になるかも。

  ナイル川まで出てみると、琴に乗せたグルジア民謡が聞こえてくる。歌声に誘われて窓辺の下まで来たマフムードは、僕はマフムード だと名乗り、君はグルジア 人では?と窓に向かって尋ねる。その女性はセイラだった。マフムードがクビーチャだと知っていたセイラは、グルジア文字の刺繍の あるハンカチを窓から投げ る。ハンカチの刺繍を見たマフムードは、その女性がセイラだと知るのだった。

 二人はカイロの郊外で後日密会することを約束する。ある日、マフムードは用事を作って宮殿を出、セイラは、マフムードが手配し た女官の案内で宮殿を出るが、セイラは不審に思った宦官の一人に後をつけられてしまう。下はカイロ市街の様子。

  二人は逃亡を相談をする。

  ある日の早朝、ナイル川の船から火の合図があり、自室の窓火を振って応えるセイラ。マフムードは宮殿の壁に柱をかけてセイラを抱 えて降りる。しかし以前セ イラをつけていた宦官が見ている。そしてセイラがナイル川の船に乗ったところで、宦官とマフムードが格闘になり、そこに代官達も やって来る。沖に出ていた セイラは狙撃され、死んでしまうのだった。マフムードは捕らえられ、長い間牢獄に監禁されるのだった。

 牢獄を出たマフムードは久々に目 にする太陽に目がくらむ。エジプト代官はアスラン・ベイに代わっている。アスラン・ベイは、要塞に集まったマムルーク軍の前で演 説し、マムルーク軍は戦争 に出て外敵を打ち破るのだった。この場面は代官の演説と戦闘イメージが交互に映るイメージ映像。何度かの戦闘を経て、マフムード が同僚達の信頼を得て、出 世してゆく様子が描かれる。最後は、代官から剣を受け取り、同僚のマムルーク達から歓呼されたマフムードは、ベイの称号を得るの だった(この遺跡はエジプ トの遺跡なのか、グルジアの遺跡なのか、そのうち調べてみたいと思います)。

 そして1798年。ナポレオンのエジプト侵攻。特徴ある帽子を被り、地図を眺めているだけでナポレオンに見えてしまうところは さすがはナポレオン。左下は、ピラミッドを指差し、「4000年の歴史が。。。。」の演説をしているところ。

 一斉砲撃の後、整然と進軍してくるナポレオン軍に、騎兵中心のエジプト軍の旗色は悪い。マフムードは、あるフランス騎兵との戦 いになり、その兵士の胸を突き刺す。落馬する瞬間、その兵士は、グルジア語で「お母さん」と呻く。

  マフムードは馬を降り、男を抱き上げ、「なぜそのようなことを」と問い掛け、顔をよく見たマフムードは、「君はゴーチャじゃない のか?僕はクビーチャだ よ」と呼びかけるが男は息を引き取る。その青年がゴーチャだったかどうか、明確な台詞は無い。しかし「なんてことだ」と呟くマフ ムードはゴーチャだと確信 したようだ。幼い頃の平和なグルジアでの日々が走馬灯のようにマフムードの脳裏によぎる。そしてマフムードは、「何をしているん だ。マフムード、戦え!」 と近づいてきたマムルーク兵達に切りかかってゆく。数名のマムルーク兵を倒したところで銃撃される。マフムードは、そのフランス 兵の遺体の上に崩折れるの だった。

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