イラン・インド歴史映画「ナーディル・シャー」(1739年)

  イラン史上の傑物ナーディル・シャー。1968年インド製作。そう、インドなのです。すっか りイラン映画だと思い込んでいました。以前、イランの映画サ イトでポスターを見た覚えがあったこともありますし、そもそもイランの英雄なのだから、まさか侵略されたインドで映画になってい るとは思ってもいませんで した。見始めて、どうもヒンドゥー語っぽく、最初はイラン映画のヒンドゥー語版かと思ったのですが、そのうちインド側の宮廷ばか りが描かれ、全然ナーディ ル・シャーが出てこないのでこれはへんだ、と思ってIMDbを確認したところ、製作インドとなっていました。一体どういう事情で こんな作品が製作されたの でしょうか。前半殆どナーディル・シャーが登場しないので、「ナーディル・シャー侵攻時代を背景としたインド側の宮廷劇なのか も」とさえ思える程、インド 歴史映画だったのですが、後半からようやくナーディル・シャーも主役級な登場ぶりとなりました。それにしても、すっかりインド歴 史映画となっていて、頻繁 に「イラン」という言葉が登場しなければ、インド国内の藩王国の抗争モノかと思ってしまう程のナーディル・シャーの溶けこみぶ り。史上の彼は、侵略・略奪 者であるのにも関わらず、悪役では無いのです。インドでのナーディル・シャーの認識はこんなものなのか、それとも製作の背景には 当時の友好推進の意図が あったのか、製作事情に興味を抱かざるを得ない作品でした。

 さて、こちらがそのナーディル・シャー(在1736-47年)。ちょっと悪役っぽい顔つき。

  今回は一部、筋が追い切れないところがありました。まあもう一度見ればわかる部分も増えるものと思うのですが、私にとっては2度 も見る程の作品ではないの で、推測ですが、多分、インド側は特定の宮廷ではなく、架空のインド統王という設定が正しいように思えるので、その推定であらす じをご紹介したいと思いま す。

 例えばインド側の宰相のひとりは、「ニザーム・アル・ムルク」と呼ばれているのですが、これが固有名詞か役職名なのかが分から ない のでした。そういう名前の宰相が藩王国かムガル宮廷かどこかにいたのかも知れませんが、役職名だとすると、史上の特定の人物では 無い可能性もあり、調査し ても時間の無駄かも知れません(ひょっとしたら、ハイデラバード藩王国の初代藩王のニザーム・アル・ムルクの ことかも。一応年代は合います。彼がナーディル・シャーと戦ったかどうかまでは調べていませんが。。。)。地名はイラン、カンダ ハール、パンジャーブ、ヒ ンドゥスターニーしか登場しないし、インド国王はパーディシャーまたはアーリジャとしか呼ばれておらず、「ムガル」という言葉は 確認できた限りでは一度も 登場していないので、登場しているインド王が、ムガル皇帝なのか、藩王国の君主なのかさえも、実の所はわからずじまいだったので した(アーリジャが個人名 かも知れませんが、ナーディルもアーリジャと呼ばれている場面があるので、恐らくラージャ系統の尊称だと思われます)。架空のイ ンド統一王である可能性も あります。というわけで大筋は把握できていると思うのですが、一部の主要登場人物の位置づけがよくわからない点が残ってしまい若 干心残りに終わったが残念 です。

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  筋は前半と後半(各々50分程度)に分かれています。前半は、ナーディル・シャーがインドに攻め入り、狼狽するインド宮廷は、い ろいろ混乱がありながら も、筆頭宰相ニザーム・アル・ムルクが軍を率いて出撃、ナーディル軍と激突し、大敗。ニザームが捕虜となり、ナーディル・シャー に忠誠を誓うのだった。後 半は、ナーディルが宰相としてインドを支配し、ナーディルの部下のイラン人将軍アリー・アクバルがナーディル暗殺の陰謀を企み、 同時にインドの都(デリー かどうかさえ定かでない)の市民が反イラン反乱を起こす。ナーディルはアリー・アクバルの暗殺は逃れるが、市民軍に襲われ最後は インドを脱出する。という 話。

 まず冒頭、イラン軍がインドに攻め入る場面は、イメージ映像。指揮をし、最後に高笑いするナーディル・シャーの背景に、突進す る軍馬や大砲が映るというもの。

 軍の天幕のナーディル・シャー(左)と将軍アリー・アクバル。前半のアリーは従順な右腕。ナーディルが手にしているのは斧。

 ナーディル・シャーは、ナーセロッディーン・ローシャナフタール・モハンマド・シャーとか、シャヘンシャーヘンとか、ナーセ ロッディーン・シャー・イラーニーとか色々な呼び方をされている。

 その頃のインド宮廷。王様(左)はシタールを弾き語り、宮廷では歌舞が演じられている(右)。インドお得意のミュージカル場 面。平和そのもの。


  インド王国の宰相ニザーム・アル・ムルク。三人いる宰相の中で、彼がもっとも危機感を持ち、イラン軍迎撃を訴えるが、効果無 い様子。


  ナーディル・シャーからの親書を王は池に投げ捨てる。その報告を使者から聞いて激怒するナーディル。更なるインド王への手紙を使 者に託すが、インドの都に 到着した使者は騎兵に驚いて手紙を落としてしまう。宮廷の庭に舞い込んだ手紙を、踊り子アッタルが見つけるが、そこを宰相に見つ かり、ナーディル・シャー と内通しているものと判断され、国王裁定を受け、投獄されてしまう。

 一方詩人と王女(バヌーと呼ばれている)は恋仲にあったが、詩人と 王女が語らっているところに宰相軍が入ってきて詩人は捉えられ牢獄に入れられるのだった。そして処刑の命令が来る。王女は黒 ヴェールをまとい歌う。詩人は 処刑台に向かうが途中で指令が来て助かる。それを聞いた王女は牢獄を訪ねるのだった(この”詩人”が何者なのか、最後までよくわ かりませんでした。”詩 人”というのも私がつけたイメージ名)。
 
 宰相軍とイラン軍激突。この部分も、指揮をとるナーディルと、軍馬・砲撃のイメージ映像。

 ナーディル軍勝利。宰相ニーザム・アル・ムルクはナーディル・シャーの前にかしずくのだった。左がナーディル。右がニザーム。

 シタールを弾く王のもとにニザームが戻ってくる。こうしてインド王国はナーディル・シャーを宰相として迎えることになるのだっ た。

 後半。

 詩人とその召使はどういうわけか脱出している。王女の手紙をもった侍女が隠れ家の詩人のもとにくる。詩人はナーディルに手紙を 書く。手紙を書いている詩人。この手の作品で時代考証も何も無いと思うのですが、こういう筆記用具を使っていました。

  軍営で手紙を読むナーディル。その頃、後宮の女性を調べていたナーディル・シャーの部下アリー・アクバルは、踊り子アッタルを見 つけ、ナーディルの元に連 れてこられたアッタルは、ナーディルに気に入られ、遂にはナーディルはアッタルに指輪をはめ、アッタルはナーディルに抱きつくの だった(結婚した模様。そ の後、二人は一緒に暮らしている)。

 インド王宮の一室でアッタルと暮らし、宮廷では以下のように、国王然として執政するナーディル・シャー。団扇に煽られ、すっか りインド国王風。

 ある日、宮廷のナーディルの元に、銃声が聞こえる、町では市民の反乱が起こっていた。イラン人治安部隊と流血沙汰になる都。
 

 ナーディルが市街を見にゆくと、イラン兵の遺体が多数横たわっていた。更に反乱軍が町に入城する。反乱鎮圧の為市民を虐殺する イラン兵。ところが、ナーディルはイラン兵に虐殺をやめるよう止めるのだった。

  しかし、その後も宰相ニザームが毒殺され、更にある夜、ナーディル。・シャーの天幕が襲撃される。宮殿で暮らしていたり、天幕に 住んでいたり、よくわから い。詩人が告発され、ナーディル・シャーが裁判を取り仕切る。、詩人はアリー・アクバルが主犯だと主張するが、でっちあげの証人 が登場し、詩人は暗殺未遂 犯として有罪となってしまう。証人をでっちあげたのは、アリー・アクバルのインド人妻だった。夫婦して陰謀を企んでいたのだっ た。

 王女とアッタルはナーディルに嘆願するが、ナーディルは取り合わない。ナーディルはアッタルを思わず突き飛ばし、アッタルは負 傷してしまう。

 王女は処刑場に向かうが、間に合わず、詩人は処刑されてしまうのだった。

  その夜、反乱軍がイランの陣営を襲撃。負傷したアッタルは這ってナーディルのテントに向う。眠っているシャーは反乱が起こってい るのになかなか起きない。 ようやく目覚めたところが撃たれそうになるが、そこにアッタルがテントをナイフで破り、ランプの紐にナイフを投げ、照明が消えた 所でナーディルはテントを 脱出する。そのまま騎馬の行進場面にナレーションが入って終わり(多分、イラン軍は退却している描写だと思われる)。

 画面ショットがあまってしまった。これは、インド王宮でのナーディル。

 こちらは天幕でのナーディル。左手にいるのはインド人妻アッタル。

 これがイラン軍の天幕。インドの都の郊外に多数天幕を張り、イラン軍はインド占領後も、テント暮らしをしていた様子が描かれて います。ナーディル・シャーの部族アフシャール部族は遊牧民だったから、この部分は恐らく史実なのかも。



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