ニコポリス



紹介 

この町はヘラクリウス(610-41)によって創建されオスマン軍によって荒廃するまで中世を通じて栄えたとのこと。
そうしてオスマン軍新軍時は、1393年首都タルノボ陥落後はシシュマンの居城として対トルコ戦が遂行された場所とのことで ある。
 ニコポリスの町はオスム川がドナウ川と合流する河口にあり、50m程度標高の大地が川岸までせり出していて、現在のニコ ポール村は河口付近にわずかに平地が開けているところに断崖に押し出されるように位置している。
 写真左はオスム川河口右岸(東側)の断崖の上から撮影したもの。対岸のルーマニアにいかにも環境に悪そうな工場があるのが わかる。
 ニコポールの住民が迷惑をしているでしょうが、ブルガリアのルセが垂れ流す大気汚染もルーマニア側にとって深刻だそうで泥 仕合らしい。
 この位置から眼を西に向けると写真右上となる。この写真の左側に、オスム側対岸の(左岸)の断崖が一部見える。ここに はシシュマンの城があったところで、そのに上って撮影したものが写真右下。いつもは灰色によどんだドナウ川がまさに「美しき 青」くたゆたっていて驚き。しかも雲が水面に映っているのだからますます驚き。

 この様にドナウ川沿いぎりぎりまで断崖がせり出している様な地形はブルガリアのなかでは珍しいと思われる。ここにニ コポールの固有の価値があると思っている。
 さてこのシシュマン城は土台の残骸しかのこっていなく、唯一の例外が写真下にある内城の門です。この門へいたるアプ ローチは防衛的見地から、日本の江戸時代の城のようにくねくねとしている。

 写真右は断崖の下にあった教会です。形式からすると第2王国時代の遺跡だと思われる。他に15世紀のユダ ヤ人の哲学学校跡があるが、これは跡地に記念碑があるだけ。

近隣の史跡・遺跡

・ドナウ川沿いに西へ50キロ程の地点にローマ時代の都市ウルピナ・エス クスの遺跡があります。直通バスは無いのでプレーベン経由でゆくことになります。


ブ ルガリアの地図はここを参照してください。
ニコポリスの現代名はニコポールです。プレーベンからバスで1時間半ほど。ホテルはあっても閉まっていそうなのでプレーベン を拠点にして行くことになるでしょう。
プレーベンはこの地方の中心都市でバスは放射状にここから出ています。
プレーベンへはソフィアから鉄道で3時間。人口15万人近くのブルガリアの中では比較的大きな都市です。