セルジューク朝ドラマ「オマル・ハイヤーム」(1)第1話から6話


  2002年。シリア・レバノン製作。一話45分全23回。中世イスラーム圏の大学者オマル・ ハイヤーム(1048-1131年)の生涯。

  今回扱う第一話から第六話は、セルジューク朝のニーシャプール入城(1040年)からビザンツ帝国との決戦が行われた1071年 頃までの軍事的拡大期・発 展期のセルジューク朝と、アッバース朝カリフの宮廷が主な舞台。アッバース朝カリフ・カーイムを演じているのは、「クライシュの 鷹」でバドルを演じた役者 さんに見える。
セルジューク朝の大宰相ニザーム・アル・ムルクを演じているのは、恐らく「クライシュの鷹」でウマイヤ朝ヒシャームを演じた役者 さん。エフェクトがかった映像。間接光、逆光の多用と独特な雰囲気のある作品に仕上がっています。

  オマル誕生が、セルジューク軍のニーシャプール(現東北イラン)の町への入城のまさにその日となっており、セルジューク朝の興亡 と大きく絡みながらドラマ は進むわけですが、如何せん、オマル自身が八面六臂の活躍をするわけでは無いので、周りの人(宰相ニザーム・アル・ムルクとか山 の老人サッバーハとか)の 方が目立つ展開となっています。ご興味のある方は「More」をクリックしてください。

 ところで、18世紀初頭のカザフ族とジュンガルの抗争を描いた「ダイダロス−希望の大地」というdvdが発売されていたので視聴してみました。題 名は内容とまったく関係無く、リアル史劇です。感想はamazonに記載しておきましたので、ご興味のある方はご参照ください。 それにしても2月に出た「オルド 黄金の国の魔術師」といい、どうしてこんなに内容と違う邦題をつけるのだ ろう。本作のターゲットはロード・オブ・ザ・リングのような中世ファンタジーや神話好きではなく、「乙嫁語り」の層だと思うんだ けど。

第一話。

 現在の東イランに位置するニシャプールの町は、1040年にセルジューク・トルコに無血陥落した。ドラマはセルジューク・トル コ軍に包囲され騒然としているところから始まる。ニシャプールはドラマではニサーブールとアラビア発音で発音されている。時のセ ルジューク君主はトゥグリル・ベク(在1038-63年)で、彼はシュルータン・アミール、又はス ルターンと呼ばれている。右側の人物がトゥグリル・ベク。

 ニーサーブールの城壁を包囲するセルジューク軍。

 布告士が太鼓を叩いて町中にニサーブール政庁は降伏することにしたと触れ回る。下記は町の有力者達が白旗を掲げて降伏に出てき て、正門前で馬に乗るトゥグリル・ベクと会談する場面。中央左乗馬の人物がトゥグリル・ベク。右側の白旗を掲げた人がニサーブー ル市の代表者達。

  セルジューク軍が突入し、街中を略奪してまわる。下記左は逃げ惑う人々。右は町の様子を心細げに二階の窓から見下ろす市民。この 窓にはガラスが無く、外扉 は木枠が不揃いで、リアルな感じである。この略奪の最中に、オマル誕生は誕生する(実際のオマル誕生は1048年だが、ドラマで はあえて陥落の日にもって きたものと思われる)。

 町の広場で、ウラマーと思われる代表者が演台から市民に詳細を説明している(下左)。下右はその広場。この噴水のある広場は市 場もかねていて、ニサーブールの中心として全編にわたりしばしば登場する。

 下左は市民の人々。下右はセルジューク一般兵士。

 続いてトゥグリル・ベクが演台にあがり演説する。トゥグリル・ベクはじめセルジューク軍の雰囲気は、アケメネス朝ペルシアとい う雰囲気。占領されたイラン都市ニサーブールの人々の方がアラブ的に見える(実際当時のニサーブールはアラブ化が進んでいたらし い)。

 イスファハーン、シラーズ、サマルカンド、ブハール(ブハラ)とトゥグリル・ベクの口から出てくる。これらの都市がトゥグリ ル・ベクの支配下に入ったと宣言しているものと思われる。

 上はニサーブールに構えたトゥグリル・ベクの宮廷。どうにもアケメネスかサーサーン朝をイメージさせる。宮廷の篝火は拝火壇の ように見えてしまう。トゥグリル、部下(親族)のイブラヒーム・イナルと口論になり、剣を抜く。


第二話

 イブラヒームあとを頼んだぞ、見たいな感じでトゥグリルがニサーブールを出発する。オマル6歳くらいになっている。

 オマルは学校でコーランの独唱の学習。先生に褒められ、褒美をもらったりしている。

 アッバース朝のカリフ・カーイム登場(左下画像)。右下はカリフ宮廷。右画像の右の赤装束は、ハムダーン朝を 継いでモースルの支配者となったウカイル家のバラカだと思われが、カリフからラーヒム・バラカと呼ばれており、ブワイフ家のアブ ドゥル・マリク・アッ=ラ ヒーム(大アミール在1048-55年)と、ウカイル家のバラカをあわせたような、このドラマでのオリジナル・キャラクターかも 知れない。以下この記事で は、彼をブワイフ家のラーヒムとして扱う。バラカ・ラーヒムの口からファーティマ朝君主ムスタンスィムや、ウカイル家のクライ シュやトルコ人武将バサシー リー、トゥグリルベクなど、イラク地方を取り巻く各勢力についての会話がなされる。政情を視聴者に解説する場面。バサシーリーの 名前は、カリフの宮廷でも トゥフリル・ベクの陣営でも頻繁に名前が出るが、バサシーリー(最後のリーにアクセントがある)は、郊外の陣営にいて、カリフか らの手紙を受け取ったりし ているので、どこか別の場所に出撃していて、カリフの指示を受けているのかも知れない。
 

 右がバサシーリー。左はカリフからバサシーリーの元に派遣された使者。バサシーリーと対等に会話していたので、重要人物かと思 い、画面ショットを取っておいたが、その後あまり登場しなかった。
 

 セルジューク軍によるバグダッド攻略戦。この攻略戦にイブラヒームが参加している。モースルの語も何度か出てくる。

 バサシーリーがバグダット救援に来ない為、カリフは遂にトゥグリル・ベクをバグダットに迎え入れることにするのだった。

  バグダードのカリフ宮廷に伺候したトゥグリル。下賜品をもらい、マシュリク(東方)とマグリブ(西方)のスルターンに任命され る。左画像の左がブワイフ家 のマリク・アッ=ラヒーム、右側の黒装束がカリフ・カーイム、中央画像がトゥグリル・ベク、右画像が、玉座に座るカリフ。

 左がカリフ。右はカリフの前に跪くトゥグリル・ベク。天窓から挿し射る光線が印象的。

 ニサーブール市内のバザール。本屋登場。青年二人(オマルとその友)が本屋に入り、彩色写本を10ディナールで購入。

 生誕した家と異なり、随分質素な部屋で学習するオマル。右上は写本。夜回りが、町の街路を見回りながら、政情を布告して回る。 それを窓から眺めるオマル。窓は、枠とカーテンだけで、窓ガラスは無い。


 トゥグリル・ベクはモースル(現北イラクの都市。ウカイル朝の都)を攻撃しているが、そこに、義兄弟イブラヒームが反乱を起こしたとの知らせが来る。驚いて北イラク平定の方針を変更 し、イブラヒーム討伐に向かう。会話に"ハナフィー派"という単語が登場している。アッバース朝側では”スルターン・セルジュー キー”の語が登場している。下はブワイフ家のマリク・アッ=ラヒーム。



第三話

 カリフの宮廷。カリフ・カーイムは、トゥグリルへの不満を漏らしているようである。そこにトゥグリルから手紙が届く。何度か使 者がやりとりされるが、トゥグリルはイブラヒーム討伐を優先させたようである。

 オマルの訪問している本屋は寺子屋でもあった。店主はウラマーと呼ばれている。右はその、本屋内で開かれている寺子屋の様子。 右側に立つ人物がオマル。その左、座っている老人が先生。左画像は、本屋のある屋内市場(バザール)の通り。

   ニサーブールの本屋の娘はオマルが好きなようで、オマルが注文した本を開いて眺めていて、頁をつかんだまま本を落とした拍子 に、つかんでいた頁が破れて しまう。そこにやってきた店主の父は娘を厳しくしかる。そこにオマルと友人がやってきて、破れた本を値切って買って帰るのだっ た。

 夜が明けるまで本に読みふけるオマル。その部屋と机の上の筆記用具。

 夜が明けると、オマルは洗顔に近所の川にゆくが、そこに来ていた本屋の娘はオマルの気を引く為にわざと壷を流してオマルにとら せるのだった。娘は首飾りをオマルに贈る。この頃オマルは、まだ母親と暮らしているようだ。

 反乱を起こしたイブラヒームを捕らえて凱旋行進をしながら帰路に着くトゥグリル・ベク。

 その頃、ブワイフ朝に仕えていたトルコ人武将バサーシリーは、トゥグリルのバグダッド入城時に、モースルを都とするウカイル朝の君主クライシュ(在1052-1061年)とともに、軍隊を率いて モースルを脱出していた。左がバサーシリー。右がクライシュ。

  二人は相談の上、トゥグリル不在のバグダッドを攻めることに決める。この頃バサシーリーとクライシュはファーティマ朝と通じてい た。当時のファーティマ朝 は最盛期を迎えており、イラクにも影響を及ぼし始めていた。バサシーリーとクライシュ達の動向がアッバース家の高官アブル・カー スィムの元に届く。

  バグダッド城が市街戦となっている。1058年のアル・バサーシリーによるバグダッド再占領の場面。追い詰められたカリフ・カー イムもついに剣を抜く。夜 間、市街戦が展開する。遂にカリフは宮殿の裏から脱出する。翌朝バサーシリーの兵は馬に乗ったままカリフの宮殿を蹂躙するのだっ た。

  アッバース朝の高官アブル・カースィムは連行され、拷問される。アッバース家カリフ・カーイムは駱駝でバグダッドを脱出。ところ が、バグダッドを陥落させ たバサシーリーとクライシュは仲違いしてしまい、クライシュはひそかにカリフ・カーイムを陣営に迎え入れる。どうやら、クライ シュは、バグダッド占領はバ サーシリーが勝手にやったことにしてしまうつもりらしい(学説では、カーイムがクライシュの庇護を受けた時にファーティマ朝に権 利を譲る文書を書かされた とされ、この時期、ファーティマ朝がイラクを一時的に支配したという見方も成り立つようである)。カースィムは半裸のままバサー シリーの軍営に連行され、 杭に縛り付けられ日干し刑されるのだった。

 トゥグリル・ベクの陣営の様子。


 オマルは、書店の先生(イマーム・ムワッファク)に、サマルカンドかどこかの大都市で勉強するように進められたようである。母 にその話を伝えに戻る。


第四話

 息子の希望を聞いた母は、寂しげながらも息子に金の腕輪を渡す。旅費か形見分けだろうか。友人のアリーが隊商とともにどこかに 旅立つ。バグダッドだろうか?オマルの母死去。オマル・ハイヤーム・サーブールは、どこかの学院に紹介状を持って赴く。

 戦うバサシーリー軍とトゥグリル軍の戦闘。バサシーリーは敗北して捕まり、トゥグリル・ベクの勝利に終わった。カリフは野営地 を転々としていたが、トゥグリルのおかげでバグダッドに戻り復位(1060年)する。

 オマルは、サマルカンドの学院に着く。そこの教師に、(ニサーブールでの師(本屋の店主でもある)イマーム・ムワッファクの紹 介状を見せて、入学を認められる(下左がその学院の様子)。右は数学のノート。


 その頃、サマルカンドでは、西カラ・ハン国の祝宴が行われていた。ひとつの椅子に二人腰掛けているのがいまいち よくわからないが、右側が君主のようだ。西カラハン国イブラーヒーム1世(在1052-68年)かも知れない。

  下左は宴会で、二人の踊り子が従者が担ぐ輿の上に立ち、踊っている。従者は輿を担いで中央の長テーブルの周りを回っている。右 は、王族と思われる子供達。 ひょっとしたら、この子女の結婚式なのかも知れない。兵士が入ってきて君主(とりあえず西カラハン朝のイブラーヒームとする) に、バサシーリーの敗北を伝 える。

 サマルカンドの街路。町巡りの太鼓を叩いて、触れて回る布告師(下左)。バサシーリーが敗北したことを振れて回る。下右は、町 の街路。このような形で各地に短期間で中央の政情が伝えられるのだった。

 サマルカンド総督府。右はサマルカンド総督。バサシーリーやモースルのウカイル家のクライシュを家臣扱いなので、最初はファー ティマ朝君主ムスタンスィル(在1036-1094年)かと思っていた。

 総督府に罪人姿のバサシーリーが入ってくる。どうやら亡命してきたらしい。サマルカンド総督府では協議が行われるが、結局バサ シリーはトゥグリル・ベクの軍営に送られ、そこから更にバグダッドに移送されるのだった。

  オマルの友人(アリー)が旅からニサーブールに戻るとオマル家は空だった。オマルの部屋の机の上に残された書置きを読むアリー。 続いて書店の店主から、オ マルの母の墓の場所を聞き出し、墓を詣でるアリー(嘆きぶりからすると、今までオマルの母親だと思っていた女性は、アリーの母 で、オマルにとっては養い親 だったのかも知れない)。

 サマルカンドの学院。シェリフ(先生)は、オマルの書いた幾何学の論文を読み、オマルの解説を受けて初めて内 容を理解して衝撃を受ける。興奮してバグダッドとか口走る。オマルの才能を認識し、バグダッドへいって研究すべきだ、と言ってい るのかも知れない(下左が 先生、右がオマル)。



第五話

  読んだ手紙を投げ捨てて激怒しているアッバース朝カリフ・カーイム。以降の展開からすると、トゥグリル・ベクから、カーイムの娘 の輿入れの打診だったよう である。次の場面では、以下のような宗教指導者(?)が出てくる。誰だか不明(マンスールと呼ばれているようなので、とりあえず マンスールとしてお く))。周囲に座っているのは女性が多く、家族会議のようである。

  中央に座っている人物は、次の場面で、ブワイフ家のラーヒムとタメ口をきいていて、更に続いてカリフ・カーイムとも会話している ので、かなりの地位の人物 のようである。マンスールが去った後、カーイムはラーヒムと論議するが、意に沿わない現実を確認させられただけで、大きく気落ち して宮廷内をふらふらと歩 き娘の赴く。推測するに、娘をトゥグリルに差し出す件での重臣会議で、折れざるを得なくなったということだと思われる。カーイム の娘はトゥグリル・ベクの 元に輿入れする。

 オマルが学んでいる学院に友人のアリーが訪問してくる。中庭に泉があり、樹木も多い。

  庭を散歩しながら、友人はアルプ・アルスラーンとかトゥグリルベクという言葉を出しているので、昨今の政治情勢を語っていると思 われる。多分トゥグリルが 死去し、アルプ・アルスラーンがスルターン位を継承したことを話しているのだと思われるが、そのまま二人は旅に出て、アルプ・ア ルスラーンのビザンツ遠征 に参加することになる。この辺りの経緯はわからなかったが、アリーがオマルを誘ったということだと思われる。旅の途中で知り合っ たのか、もとからの友人な のか、途中で一人増え、三人組で旅をしている。

 進軍するローマ軍(ビザンツ軍。司令官は皇帝ロマヌス四世)が映る。オマルとアリーともう一人の友人三人は、セルジューク軍側 で従軍している。1071年現トルコ東部ヴァン湖でビザンツとセルジューク軍の間で行われたマンジケルト(マラズギルト)の戦いである。

 決戦に出るセルジューク軍。中央右側の人物がアルプ・アルスラーン(在1063-1072年)。アルプの馬の衣装にも注目。 「アッラー、アクバル!!」の勝鬨の声とともに進軍する。

 こちらがロマノス四世(在1068-71年)。

 崖の上に潜んで待ち構えるセルジューク軍。谷底を通りがかったローマ軍に、岩を布で包んで火をつけた弾丸を雨あられと浴びせか けるのだった。



第六話

 夜、野営中のセルジューク軍にビザンツ軍が夜襲をかける。この戦闘でオマルの友人アリーは射られて戦死してしまう。

 翌日平原でローマ軍とセルジューク軍は激突する。左がローマ軍。右がセルジューク軍。
 

 最初に歩兵が激突。頃合を見計らって両軍騎兵が激突する。


 破れたロマヌスは、夜雨の中、アルプ・アルスラーンの帷幕に連行されてくる。アルプの前で跪くロマヌス(インペラトール・ロナ ヌスと呼ばれている)。

 同夜雨の中、アリーの墓を作るオマルと友人の二人。

  ニシャプールに戻ったオマルは、書店にイマーム・モアファック(イマーム・ムワッファク)を訪ねるが、別の人物が書店を経営して おり、そこは雑貨屋となっ ていた。娘との思い出のある川へ行き、そこでムワッツファク一家の行方を尋ねる。消息を知っている娘がいたので教えてもらう。死 去したのか、移住したのか さえわからないが、オマルは以前娘にもらった首飾りを、一度胸にあててから川にそっと落とす場面が出てくるので、娘は死去した か、事情があって結婚したか どちらかなのだろうと思われる。

 一瞬老人となったオマルが、母親の墓の横で浮浪者のようななりで過去を回想する場面が出てくる。そのモ ノローグによると、「そうして私はサマルカンドへ出た」と言っているようである(よってこのドラマは、晩年のオマルが過去を回想 しているという構成となっ ていることになる。オマルの人生と、世界史上のイベントを絡ませようと、唐突にオマルがマンジケルトの戦いに参加したり、突然回 想場面が出てきたり、少々 演出に難のあるドラマだと思われる)


  サマルカンドに出たオマルは、この時から役者が変わり、壮年役となる。髭を蓄えて貫禄が出ているオマル。

  サマルカンドに着いたオマルは、町の中でいじめられている乞食を弁護し、町衆の袋叩きにあう。官憲に逮捕され、サマルカンド総督 (アブタヘル(イブラハ ム)という名称かも知れない)の元に連行される。総督はオマルのことを知っていた。恐らく数年前の滞在時に面識ができていた人物 だと思われる。アブタヘル はルバイヤートいう言葉を口にし、書籍をオマルの胸に押し付ける。君の才能でルバイヤートを書けと催促しているようにも見える。 クスタンティミーヤ(コン スタンティノープル)、バグダッド、ブハラ、アル・カーヒラ(カイロ)、サマルカンドと、アブタヘルの演説に出てくる。サマルカ ンドはコンスタンティノー プルやカイロ、バグダッドに劣らない第一級の町だ、とでも言っているのだろうか。

 サマルカンド総督に付き添われて、当時サマルカンドの 宮廷で支配者の西カラ・ハン朝の一族に紹介されるオマル。「イマーム・オマル・ハイヤーム」と紹介される。右画像は西カラ・ハン 朝のナースィル・ハーン( 在1068–1080年)。サマルカンド総督は、第四話では、バサシーリーやモースルのウカイル家のクライシュより偉そうだったのに、この回では、西カ ラ・ハン君主に平伏しているという位置づけがわかりにくい人物だが、彼は恐らくサマルカンドの現地支配者で、セルジューク朝やカ ラハン朝などの大勢力の間 でうまく立ち回ざるを得ない現地支配者層という立ち位置なのではないかと思われる。

 左はナースィル・ハーン(中央と右の二人は第六話には出てこないが、第七話以降で登場しているカラ・ハン朝の君主。中央はアフ マド一世(在1081-89年)。右端は、西カラハンとして即位する前のマスウード1世(1095-1097年)だと思われる。

 サマルカンドの宮廷概観(ロケに使われたこの宮殿は、レバノンのベイルート東南48kmに残る19世紀の建築物ベイト・エッディーン宮殿)

第七話に続く

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