628年イエメンを舞台とした映画です。サーサーン朝の役人が登場しています。サーサーン朝
を正面から描いたわけではないというものの、サーサーン人が
明確に描かれています。「ザ・メッセージ」に少しだけ登場するホスロー2世(しかも野蛮人のように描かれていて悲惨)などと異な
り、主要登場人物として
ちゃんとした役回りを持っている点で、私の知る限り、サーサーン朝映画としても分類できる初の作品なのではないかと思います(と
はいえ、サーサーン映画で ある前にイスラム映画であるわけですが)。 628年のイエメン改宗に大きくかかわったVeysel Karani(Uwais al-Qarni、Oways b. Anis al-Qarni, Oveys Gharani and Owais-e-Karani、Oveis) (-657年) という聖人の、改宗の年である628年と657年の死の場面を描いています。もとは、6回シリーズ160分程のテレビドラマで、2時間程度の方は、映画版 であるようです。映画版の方は、628年から突然死の場面へ飛んでしまい、唐突な展開となっていますが、英語版字幕がついている のは映画版の方です。 628年、ムハンマドがホスロー2世パルヴィーズに改宗を迫った手紙に対する、3名のホスローの返信の使者がイエメンに到着した ところから始まります(上 写真)。この使者は、イエメン知事Bazanと、その管理下にあるイエメン王Harethに返信の内容を伝えに立ち寄った後、ム ハマンドに返信を届けに 行った3人の使者のうち2人は戻らなかった。ムハンマドに会った途端啓示が降りたかのように突然改宗したのだ。ムハンマドの返信 を携えてBazanと Hareshの元の戻ったのは1人。その返信には、「Jamadi Al'aval月の 10日の日木曜日に、ホスロー・パルヴィースはシーローエに殺された」とあった。その時に居合わせたVeyselに、Bazanは告げる。 「それが真実なら、お前たちの信仰が正しいと認めよう」。 そして後日、王宮からホスローがJamadi Al'aval月の 10日の日木曜日に息子に殺された、との使いが来る。咽びながらホスローの死を告げる使者。恐れおののくイエメン王(手前。向かいはBazan)。 恐れを跳ね除けようとするかのようにBazanは吐き捨てる。 「これまでにも、たくさんのイラン人の王達が殺されて来たのだ!」 個 人的には、この場面こそが、本作品中、もっともサーサーン的なものが描かれた場面であるように思えました。イエメンというサー サーン朝の最周辺地帯のひと つでの、サーサーン朝の影というか、距離感がよく出ていたように思えました。辺境地帯であまりにも中央が出過ぎてもおかしいし、 瑣末に扱い過ぎるとそれも 変。スターウォーズの第一作Epsode4での帝国の登場ぶり、という感じでしょうか。 下、はイエメン王城。 最後にイエメン王の広間。玉座に座るのは、もちろんお飾りのイエメン王。右手前が知事。部屋の上部にシャンデリアのようなものが あるのが目に付いて、思わずスナップを撮ってしまいました。 英語字幕版は、Owais E Karani R.aで検索すると、あちこちのサイトにアップされている模様です。テレビ版は、こちらのサイトからDLできます(ユーザー登録が必要です)。 なお、Veysel Karaniの別のドラマもあるようです。前半1時間を見てみたのですが、サーサーン朝は出てこない感じ。こちらのGoogle Videoにあります。 いつか、サーサーン朝を正面から描いた作品を見れる日が来るのでしょうか。。。。 なお、イラン映画らしき、十字軍ものも発見しました(題名にカーヴェの旗、と書いてるのですが、サーサーン朝は関係ない感じ)。 こちらも近々見てみる予定です。 |