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古代の食物なつめやし、なつめやしのお酒

1.なつめやし

 サーサーン朝の税収項目に登場する主要栽培物になつめやしがあります。タバリーの『諸使徒と諸預言者の歴史』通番962頁には、サーサーン朝後期の英主ホス ロー1世(在531-579年)の税制改革に関する記述があり、なつめやしが重要作物として登場しています。ホスロー王が改 革を布告する部分では、以下のように、なつめやしは、オリーブと人頭税とならんで重要品目とされています。

 −「我々はこの調査の多様な数値となっているものを基礎 に、税率を立てることがよいだろうと判断した。なつめやし、オリーブ、人の数である。我々は税は1年以上にわたる分割払いで、3度の分割払いで支払われる ように定めた」−

 ホスローは裁判官と賢い相談役の何人かを選び、土地と人口を調査し、税額を査定するように指示します。そうして、王の役人 達は、以下のように税額を決定します。

 −「最終的にその作物の土地税の基礎値に同意した。これらの作物は人と獣の生 命を維持し、これらは、麦、大麦、稲、葡萄、シャクジソウ、クローバー、なつめやし、オリーブである。彼らはシャクジソウとクロー バーと一緒に生えている土地の全てのジャリーブ(土地区画単位)毎に7ディルハムを、全ての4本 のペルシャのなつめやしに1ディルハム、全ての6本の品質の劣るなつめやしに同じ数字を、全ての6本のオリーブの木に同じ数字を、土地の税率として固定し た。彼らは独立した木として生えていない、囲まれて群生しているなつめやしのみに税を課した」−

 このホスロー王の税制改革は、作物の不作豊作に限らず税額を固定したもので、不作でも一定の税収を確保するという、国家に とって都合の良い制度を民衆に押し付けた、とする見解があります。その一方で、ある程度の技術力に達した社会では、不作や飢 饉の為に食料を貯蔵する技術と制度が発達している筈で、そうした文明度の基盤の上に、環境に左右される度合いの低い持続的な 制度を打ち立てたと考えることもできます。ホスロー王の制定したこの固定制度は、イスラーム期のアッバース朝まで引き継がれ ます。アッバース朝時代には、この制度はmiāaḥa(ミサーハ)と呼ばれたそうです。しかし、この制度はアッバース朝第三 代カリフ・マフディー(在775-785年)の時代に収量比徴収制度であるmuqāsama(ムカーサマ)制に変更されま す。この動きについて、学者によっては、定額制の方が地主の起業家精神を刺激し生産性向上に結びつき、逆に収穫比制度のもと では、地主の裁量による増収のうまみがなくなり、地主が生産増に励むことがなくなってしまい、結果的に国の衰退に結びつい た、とみる人もいるようです。税額固定の場合は、国の査定対象地以外の土地の開墾や、査定対象地ではあっても、生産性向上に より、固定額以上の生産は、すべて地主(経営者)の収入となることから、地主(経営者)の起業家精神や利益獲得欲を大いに刺 激し、アッバース朝国家全体の生産高が向上し、国力がアップしていた、とするわけです。

 話がそれてきてしまいましたが、このように、サーサーン朝の史料に主要課税食物として登場するなつめやしの有用性が、これ までイメージできずに来たのですが、最近、紀元1世紀のギリシア人著作家ストラボンの『ギリシア・ローマ世界地誌』邦訳下巻 p465(バビロニアの章)に、以下の記述を見つけました。

 −「そのほか(大麦以外)の食料はやし樹から手に入れる。すなわち、パン、酒、酢、蜜、菓子が取れる。また、この樹からは あらゆる種類の編み物を作る。かじ屋は実の種を木炭代わりに利用し、また、実を水に浸して牛や羊に食べさせるとよく肥える。 話によると、ペルシアの歌のなかに、やし樹について360とおりの利用法をかぞえあげている歌がある」−

 また、スシス地方(現イランのフーゼスタン地方)の記述では、建築材料として用いられていたとの記載があります(下巻 445頁)。 まず、スシス地方がどの程度暑いのかについての記述が以下のようになされます。

 −「スシス地方は肥沃の地だったが大気が燃えたち焼けつくように暑さで、スサ市周辺がとりわけひどかった、と上記の著者は 述べている。
 とにかく、真昼時の太陽が暑い盛りには、とけげや蛇が市中の通りを渡り切らないうちに道の中ほどで焼け死んでしまう。こん なことは、たとえもっと南の地方であろうとおよそペルシス地方のこのほかのどこでも起こらない。浴槽に冷たい水を張ったのを 戸外に持ち出すとたちまち湯になり、大麦を日向へまくとかまどの上の炒り麦のように跳ね上がる」−

 こうした気候の中で、やし樹が建材に利用されている件が記載されます。

 −「従って、屋根の上に土を2ペキュス(0.9m)もの厚みに置き、その重みのため止むをえず家屋を幅狭く細長い形に作 る。この造りにするのは、長い垂木材はないもののそれでも暑気止めのため家を大きくしたいからである。また、やし樹の垂木は 一種独特な変化を生じる。すなはち、この樹は堅いので年月を経ても下方へたわむことがなく、自分の重みで上面の方へ反って屋 根をますます支えるようになる」−

 実は、やしにはいろいろな品種があって、ストラボンの記載するやし樹がなつめやしかどうかは、邦訳の文面からは判断し難い のものがあります。しかし、パンや蜜や酢・酒から建材まで広く使われたということには、興味が更に深まり、少し詳しく知ろう と、なつめやしの本を読んで見ました。タイトルはそのものずばり『なつめやし(アラブのなりわい生態系 2)』です。

 この書籍は、生態系研究ということで、植物としての詳細から、古代メソポタミアやエジプト、中世イスラームなどでのなつめ やしの利用から、現代のアルジェリアの農村やUAEなどでのなつめやし産業に至るまで、広範囲に様々な角度からなつめやしを 考察していて、非常に有用な書籍です。なつめやしにご興味を持った方にはお奨めです!

 今回、なつめやしに関する食品を味わってみようと、イラン産なつめやしのドライフルーツ、なつめやしの焼酎、なつめやしの シロップなどを購入してみました。その感想は次回記載することにして、今回は、上記書籍『なつめやし』では掲載されていない なつめやしの画像や映像を集めてみました。この書籍の唯一の不足点は、カラー写真が表紙にしかないという点でしょうか。

 高さは20m程



  熟す前の青い果実のなつめやし(映像はこちら 約6分)。



 こちらは熟した果実。ひと房10kgとのこと



 こちらは、果実の収穫風景。手作業での収穫(映像はこちら 約3分)10月初旬に収穫されるそうです。



 木の側面を登っていって、なたのようなもので房のついた枝ごと切り落としていきます。



 こちらは巨大な専用と思われるクレーンを用いて、木を揺すって、張ったネットに落とすという手法(映像はこちら 約7分
 左が、クレーンの上に据えられたベンチに立って、果実に白いネットを張っているところ。中央の画像では、ずらりと並んだ 木々に白いネットがつけられている様子がわかります。右は、巨大クレーンがなつめやしの木を揺らしているところ。ネットから なつめやしの実を取り出して籠に詰めるのは手作業です。



 こちらの映像(約四分)は、更に機械化されていて、
 黒いネットを実に被せて(左上)、房を切り取りネット毎回収(右上)、それをコンベア付きのトラックの荷台に落として(左 下)、網の中をコンベアにぶちまけます(右下)



 コンベアの出口のところで作業員が籠を持って待ち構えていて回収




 少し調べただけでも、様々な収穫方法の映像を見ることができ、非常に参考になりました。なつめやしが少し身近になった気が します。


(2) なつめやしのお酒・なつめやしの デザート


紀元1世紀のギリシア人著作家ストラボンの『ギリシア・ローマ世界地誌』邦訳下巻p465に、バビロニア地方の食 材として、

「そのほか(大麦以外)の食料はやし樹から手に入れる。すなわち、パン、酒、酢、蜜、菓子が取れる」 

という記載があります。なつめやしが様々な食材に加工して食料とされていたことに興味を持ち、取り合えず通販で入手 可能なドライフルーツのなつめやし、なつめやしの焼酎、なつめやしのシロップを購入してみました。

 写真中央がこちらのイラン産なつめやし。右上がこちらのなつめやし焼酎。左上がこちらのなつめやしシロップ



 なつめやし焼酎は、鹿児島で作られた”再現製品”。綴じ込みのカードには以下の説明があります。

「世界の蒸留酒の原点と呼ばれるアルコール、それから幻の酒アラックである。古代エジプトで錬金術の発展とともに進 歩してきた蒸留技術は、13世紀の初頭にアラックという銘酒を生み出した。ナツメヤシを原料としたこの蒸留酒は地中 海沿岸で広く愛飲されたのが、アラビア人たちの禁酒の風習とともにと衰微した。この幻のアラックを復元すべく、我 々はシルクロードをたどり中近東で、ようやく一本のナツメヤシの木にたどりついた。苦心の末、このナツメヤシを日本 に輸入、水と酵母を選び、更に蒸留に創意を加えて完成したのが、この"隼人の涙"です。まさに"隼人の涙"は世界の 蒸留酒の原点ともいうべき焼酎です」

 イスラーム時代に入っても、直ぐに全面禁酒となったわけではなく、地域によってはかなり後年まで酒が飲まれていた 場所もあり、現在のイランでも輸出用にワインが生産されていたりするので、中近東伝統製法で製造されたなつめやし酒 を飲んでみたかったのですが、欧米のアマゾンには見つからなかったこともあり、取り合えず国産酒で満足です。味的に は芋焼酎と同じような感じですが、なつめやしの風味がある、と思えば、そんな感じもします。毎晩お猪口でちびちび やって楽しんでいます。

 なつめやしシロップも、普通の蜂蜜とあまり変わらないような味ですが、なつめやし焼酎同様、これもなつめやし風味 がある、と思えばそんな感じです。

 さて、ドライフルーツのなつめやしですが、そのままで食べた場合は、少し硬い感じです。味は黒砂糖菓子の黒棒とか かりんとうに似ているかも。歯ざわりは全然違いますが。黒砂糖をそのまま齧っている、という感覚がしないこともない 感じ。糖味が凝縮されているので、幾つも食べれるものでは無いように思えますが、保存食として利用されたのが実感で きます。今年夏、実家に帰った折に、炎天下の下で庭の草むしりをしたのですが、作業中の糖分補給にぴったりでした。 暑い中近東で好まれたのもわかる気がします。

 ドライなつめやしを齧りながら、なつめやし焼酎をちびちびやるのもいいのですが、朝食や食事のデザートとして食べ れるように少し工夫してみました。乾燥なつめやしを市販のプレーン・ヨーグルトに漬け込んでみました。2日くらい経 つと、硬さが解れ、更に糖分がヨーグルトに染み出て、プレーン・ヨーグルトが、蜂蜜と練り合わせたようなクリーム状 になります。下の写真の、少し茶味がかった部分がそれ。ヨーグルト漬けに、なつめやしシロップをかけて見ました。硬 いドライなつめやしが、スプーンで切り分け割れるほどやわらかくなり、実に凝縮していた甘みがヨーグルト全体に拡散 して食べやすくなりました。このところ毎朝食べるのがやめられなくなっています。更に4,5日たつと、ヨーグルトに 完全溶け込んでしまい、シロップをかけなくても、かけた状態とほぼ同じ味になりました。




 最近、『最古の料理』という、紀元前1500年頃の粘土板に記載された料理の レシピの翻訳と解説をした書籍を読みました。パルティア・サーサーン朝時代の料理について記載した同時代史料は現在 のところ発見されていませんが、パルティア・サーサーン時代以前の時代の料理書の記載と現在のイラク・イラン料理を 比較したり、ギリシア・ローマ文献にわずかに残る記載と比較することで、パルティア・サーサーン朝時代の料理が少し は推測できるのではないかと考えています。遥かパルティア・サーサーン朝の料理に思いを馳せつつ、なつめやし酒を啜 る。幸せです。

※ なつめやし各種
こちらのサイトに以 下の12種類についての解説があります。
ディグレット種、マジョール種、ハース種、スタメラン種、ピアロム種、生デーツ黒色、サーヤ種 、アジョワ種、スッカリー種、生デーツ黄色、スイラッジ種、ホドリー種


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