サマルカンド



紹介

 

 アケメネス朝ペルシャ キュロス2世が今の西トルキスタン征服をした時、マラカンダという都市が登場している。 これがサマルカンドであるとされている。当時の遺構はアフラシアブの丘として残っている。この1500以上続いた旧 サマルカンドはモンゴル帝国の侵攻により破壊された。その後復旧されたサマルカンドを首都と定め、サマルカンドの盛 時を現出したのがティムールである。

 チムールやその大臣の霊廟、一族の霊廟、愛妃の霊廟、チムールの孫、ウルグ=ベクが建設した天文台、神学校などがほ ぼ現存している。写真左上はチムール廟の入り口の門。門の向こうに見えるのは大臣の霊廟らしい。写真上がチムール霊廟。 右上は霊廟の裏側。あまり整備はしていないらしい。霊廟の奥50mほどのところにはアクサライ廟といわれるチムールの息 子の霊廟がある。左はチムール霊廟内部。

 写真左は神学校(メドレセ)が集まっているレギスタン広場。ここがチムール時代の建造物の中心地。下左は メドレセの一つの中庭。下中央と右はメドレセのドームの内装。

 

 
 

 



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