2015/May/07 created

各種地図におけるアケメネス朝・パルティア・サーサーン朝の地 方名比較表

 なぜこんな表が必要なのか?

 それは、各地図で、微妙に地名や、その示す場所が異なっているからなのです。古代イランの地図は、ひとつとして同じものはなく、必ずど こかに地名や、その地名が指し示す場所が異なっていたりするのです。どれが一番正確なのか、を知る為に比較してみた次第です。

 例えば、現イラク南部は一般にバビロニアと呼ばれていますが、ササン朝時代は、アッシリアと呼ばれていました。しかし多くのササン朝地 図では、「バビロニア」の表記のものが多そうです。また別の例では、「メソポタミア」というと、一般にはイラク南部のバビロニアに相当す る地域を連想するものと思いますが、古代イランの地図では、南イラクを示すものはなく、メソポタミアは北イラクを示しています。これは、 ギリシア人が認識する「メソポタミア」が北イラクを示しているからです。一方、この呼び方は、ギリシア人側の呼び方であって、イラン側の 用語では、この地域は「アッシリア」や、「アディアバネ」と認識されていました。このように、ポピュラーな地名である「メソポタミア」 「アッシリア」にしてから、場所の特定と、「誰がそう呼んだのか」についてかなり間際らしい状況にあります。

 こうした間際らしさの原因のひとつは、アケメネス朝やパルティア、ササン朝の地名が、ヘロドトスの『歴史』や、アッリアノス『アレクサ ンドロス東征記』、プロレマイオス『地理学』、アンミアヌス・マルケリヌス『歴史』など、ギリシア語やラテン語史料に登場する地名を、基 本的に用いて地図が作成されていることにあります。

 現地史料のほとんどないパルティアについては、ギリシア語史料に頼るしかないにしても、アケメネス朝とササン朝については、ベストゥー ン碑文や、ナクシェロスタム碑文など、ペルシャ語側の地名史料が残されています。そこで、各種地図と碑文の地名の対応表を作成して、より 確からしい地図はどれか、地図ごとに地名が異なっている場合、どれが確からしいのか、を比較検討してみるために、表記の地名比較一覧表を 作成してみた次第です。

 これでまた、古代イラン世界の世界認識に、一歩近づけた気がしています。


現在の名称
アケメネス朝の地図
パルティアの地図
サーサーン朝の地図

アケメネス朝
ベヒストゥーン碑文・ナクシェ。ロ スタム碑文・スーサー碑文・ペルセポリス碑文*13
ヘロドトス「歴史」 足 利惇氏「ペルシア帝国」の地図 Historical Atlas
of IRAN

パ ルティアの駅程地 図)・ストラボン地理書・プトレマイオス地理学 ブ リタニカのパルティア地図 Historical Atlas
of IRAN
サーサーン朝シャー プー ル1世
ナ クシェ・ロスタム碑文 (3 世紀)
サーサーン朝
ア ンミアヌス・マルケリヌス「歴史」(4世紀*1
ブ リタニカのササン朝地図 足 利惇氏「ペルシア帝 国」の地図 Historical Atlas
of IRAN
ファールス州(イラン) ペルシア ペルシア パルスア パルサ
ペルシア ペルシス バズランギ/ゴパナン
ペルシス ペルシア ペルシス ペルシス
エスファハーン州(イラン)

パル ティ エネ*2 パライタケネ *14
パライタケネ


スシ ア ナ*3

フーゼスタン州(イラン) ウーウジャ(エラム) スサ スシアナ フヴァジャ
スゥシアナ エリマイス/スシアナ エリマイス
スシアナ スシアナ エリマイス スシアナ
クウェート国付近




メッセネ(カラケネ) カラケネ
メーサーン(メセネ)
マイシャン
ミシャン
イラク南部 バービル(バビロニア) アッシリア バビロニア
バビロニア バビロニア
アッシリア/アソーレスターン*17 アッシリア アスリスターン バビロニア
イラク北部 アスラー(アッシリア) アッシリア メソポタミア
アッシュリア メソポタミア アディアバネ/メソポタミア
アディアバネ 以前アッシリアと呼ばれた アディアバネ/ア ラビスターン*4 メソポタミア アディアベン

トルコ東南部・イラク北東部・イラン北西部


カルドウクシュ*15
大アルメニア アトロパテネ コルドウエネ/オスロエネ
アトゥルパータカーン
アトロパテネ
マティアン
コルデスターン、ハマダーン、ケルマンシャー、ロリスター ン州 周辺(イラン) マーダ(メディア) メディア メディア マーダ
メディア メディア メディア
メディア メディア メディア
ファッラダスプ
アゼルバイジャン
アゼルバイジャン

アルバニア

アラン
アルバニア
アラン
トルコ共和国東部・アルメニア アルミナ(アルメニア) アルメニア アルメニア アルメニア
アルメニア アルメニア 大アルメニア/小アルメニア
アルメニア
アルメニア アルメニア カルドゥン*15
アゼルバイジャン(カスピ海西岸部)



アルバニア
アトロパテネ バラーサガーン
バラーサガーン
アトゥルパータカーン
アブハジア(グルジア)

コルキス コルキス
コルキス

マケロニア(Segan)*5
マケロニア

グルジア中央部(グルジア)


イベレス
イベリア
ヴァルザナ・ゲオルギア


イベリア

コーカサス山脈



カウカシア コーカサス
カープ(コーカサス(カフカース)のカーフ)
コーカサス

ダゲスタン共和国(ロシア連邦)


アルバニアンズ
アルバニア
アルバミ
アルバニアの 門(アランの門)


ハザール
ギーラーン州(イラン)


カドゥシアンズ/アマデス/タプリアン
メディア
カドゥシス/アマルデス/タプリアンス
パレシャフバール
パティ シュク ワガール ギラン ギラン
ゴレスターン州(イラン)

ヒルカニア ヴァフラカナ
ヒュルカニア ヒルカニア ヒュルカニア グルガン ヒルカニア ヒルカニア タバリスタン ゴルガン
ヤズド州北部(イラン)

パルティ ア*2
*14






ケルマン州(イラン) カルマニア/アサガルタ (サ ガルティア) サガルティア サガルティア サガルティア
カルマニア カルマニア ケルマニア
カルマニア 大カルマニア カルマニア ケルマン ケルマン
ファッラー・ニームルーズ・ヘルマンド州(アフガニスタ ン) ズランカ(ドランギアナ)
(シースタン)
サカスターナ ドランギアナ パレタケネ サカスター ン ドランギア ナ サカスタン (シースタン) シスタン
ファラー州(アフガニスタン) ズランカ(ドランギアナ)


アナウア/ドランギアナ アナウオ ン*6 アナウエン
サカスター ン ドランギア ナ ドランギアナ (シースタン) シスタン
バローチスターン州(パキスタン)


ドランギアナ*16
ゲドロシア
ドランギアナ
ツグラーン(トゥーラーン) ゲドロシア トゥーラーン ゲドロシア マクラン
シースターン・バルーチェスターン州(イラン) マ カ*12
カルマニア カルマニア
ゲドロシア オウティオイ
ゲドロシア
マクラーン ゲドロシア モクラーン ゲドロシア ゲドロシア
カンダハール州(アフガニスタン)



アラコシア
アラコシア
バルダーン アラコシア パ ラターン アラコシア アラコシア
シンド州(パキスタン) ヒンドゥ インド



インド・パルティアン王国
ヒンド
インディア
トゥーラーン
ペシャワール(ハキスタン)



パロパニサダ
クシャン
バシュカブール
ペシャワール クシャン*7 クシャン
ヌーリスターン州(アフガニスタン) サダグ(サタ ギュディア)/ガンダーラ
ガンダーラ ガンダーラ
パロパニサダ
バクトリア

Paropanisadae*10 ガンダーラ

ヘラート州(アフガニスタン) ハライワ(アレイア) アレイオイ
ハライヴァ
アリア(アレイア) アリア アスタウエネ
ヘラート アリア アリア
ホラサン
ラサヴィー・ホラサーン州(イラン)

パルサヴァ パルタヴァ
パルティア
パルタヴァ
アバルシャヒル マルギアナ アバルシャヒル ホラサン ホラサン
トゥルクメニスタン東部 パルサワ(パルティア) パルティア マルギアナ マルゴウ
マルギアナ マルギアナ パルタヴ・ネサエ
メルブ マルギアナ マルギアナ
トハレスタン
トゥルクメニスタン中央部
ソグドイ ソグディアナ
マルギアナ

パルタヴァ(パルティア) パルティア パルティア

ウズベキスタン東部 スグダ マッサゲタイ マサガタイ ソグディアナ
バクトリアナ ソグディアナ 月氏 ソグディアナ ソグディアン ソグディアナ ソグド ファルガナ
ウズベキスタン中部
コラスミオイ クヮレスム マッサゲタ
スキュティア
ソグディアナ




ウズベキスタン西部 ウワーラズ

フワラズミッシュ
ヒュルカニア ダハエ コラスミア


フワーレズム ダヒスタン フワラズム
タシュケント スグダ サカイ

ソグディアナ

チャーチの山々 Scythia beyond Mount
Emodes,


エフタル
タジキスタン スグダ サカイ

サカイ

クシャンシャフル サカエ クシャンシャフル エフタル
アフガニスタン北部 バークトリア バクトリア
バクトリシュ
バクトリアナ 月氏 バクトリア

バクトリア バクトリア
バミヤン
中国新疆省のカシュガル



スキュティア

カシュ*11 Serica*8 カシュガル

オマーン マ カ*12





オマーン
マズ ン*9

アラビア アッラバーヤ(アラビア) ミュコイ

アラビア

アラビア
アラビア
















*1 アンミアヌス・マルケリヌス の地理認識のベー スはプ トレイマイオスの地理書第六巻と のこと(
Sasanian Pars: Historical Geography and Administrative Organization (Sasanika) 」p10

*2 パルティエネの出典不明。パルティアとは別記されている。パル ティアは現イランのヤズド州北部に 配置され ているが、ヘロドトス ではパルティア人はコラスミオイ(ウズベキスタン西部 のフワーレズム)、ソグド人と共に 登場している為、足利地図は誤りではないかと思われ る。ブ リタニカ百科事典のアケメネス朝地図でもパルティアはヤズド州北部に記載され、パルティアの故地は ダハエと記載されている。

*3 単純に地図上の文字の配置の上で(他に余白が無いとい う理由で) イスファハーンの近辺に文字が置かれたものと思われる。

*4 ブリタニカの地図に記載のある"Arabistān"は、 Wikipedia のArabistanの2013年7月8日以前のバージョンでは、サーサーン朝時代の項目が存在し、その出典は、 「Cambridge History of Iran Vol2(2)」p761-762とされている。当該部分を参照すると、表記は"Arbāystān" となっていて、アラビスタンとは微妙に表記が異なっている。この地域にパルティア時代からアラビア人が居住していた らしく、p762に は、シリア北 東部のユーフラテス川支流Khābūr川(ハ ブール川)を通じてアラビアやインドか らの輸入品が集 まってきたとの記載がある 為、ア ラビアと関係があるのかも知れないが、結 局のところ語源は不明である。Cambridge History of Iran Vol2(2)p761には、"Arbāystān" は上 メソポタミア地方からシリア北東部のユーフラテス川支流Khābūr 川(ハ ブール川)を横切って下アルメニア地方にまたがる地域にある、とされ、続いて363年にヨヴィアヌス帝の軍がこの地域を 退却時に 放棄したとあるので、出典はアンミアヌス・マルケリヌスかも知れない。マルケリヌスの著作についてはそのうち 調査予定。伊 藤義教「古代ペルシア-碑文と文学」の巻末の地図にはアラビーヤがハブール川付近とされており、本文中のダレイオス1世 のナク シェ・ロスタム碑文(p95)では"アラ バーヤ(アラビア)"と記載されている。

*5 Seganとバラサガーンの語 源は関連性があると思われる。 また、現在のグルジアの自国名サカルトヴェロとも関係があ るのではないかと一瞬思いましたが、サカルトヴェロ の語源はカルトリ族にあるので、Seganとは関係 無さそうです。

*6 Anaounは「パルティアの駅程」に登場している。

*7 足利惇氏の地図には" クシャン"はペシャワール近辺となっている。これは5世 紀のキダーラ朝時代のクシャン朝の位置を示していると思われる。ブリタニア地図ではク シャンシャフルが記載されている現タジキスタン付近には、足利本地図では、エフタルが記載されていて、これも5世紀 の状況が記載されているものと思われる。

*8 Sericaの場所は不明。字義通りにとると帝政ローマ時代のセリカは中国の事。マ ルケリヌスの歴史(23巻-6章-14節)に は「Carmania, Hyrcania, Margiana, the Bactrians, the Sogdians, the Sacae, Scythia beyond Mount Emodes, Serica, Aria, the Paropanisadae, Drangiana, Arachosia, and Gedrosia」とカルマニアから北へ向 かい、時計回りにスキティアまで北上し、アリア (ヘラート)->ドランギアナ(アフガニスタン南西部)->アラコシア(カンダハー ル)->ゲドロシア(パキスタン南西部)へと一周している。一方シャープール1世の 碑文には現中国新疆省のカシュガルが版図に含まれているが、これはクシャン朝の領土がカシュガルに及んでいた為、サー サーン朝の領域に含むと考えられたものと思われる。クシャン朝はタリム盆地のホータンを領域に含み、カニシカ1世王はホータン出身であるとの説もあ る。セリカは絹の産地であるホータンを示すという説もあることから、マルケリヌスの記したセリカは、 ホータンを含むカシュガル近辺を示しているのかも知れない。カシュガルとホータンの間の距離は約400km。

*9 マズン(Maka,Mazun)の出典は、 ヘロドトスの「歴史」(松平千秋訳 岩波 文庫p348)に「ミュコイ」、ベヒストゥーン碑文に「マカ」の表記があるが、Mazunの表記の出典は「バー バークの子アルダクシールの行伝」らしい。
Sasanian Pars: Historical Geography and Administrative Organization (Sasanika) 」のp53に、Ērāhisānという地名の解説があり、Ērāhsānの出典は「バーバクの 子アルダクシールの行伝」と解説がります。その項目の中に、Ērāhsānの太守の軍隊はアラブとオマーン (Tāzīgān ud Mazūnīgān)人々から構成されている、と記載があります。"Tāzīgān ud Mazūnīgān"の 出典が「バーバクの子アルダク シールの行伝」と記載があるわ けでは無いのが残念ですが、Mazun の出典の(少なく とも一つは)「行伝」の可能性 がありそうです。

*10 "Tabula Nona Asiae continentur, Aria, Paropanisadae, Drangiana, Arachosia, & Gedrosia"という近世西欧で作成されたらしき地図が あるようです。これによると現在のアフガニスタン北東部周辺に位置しています。Paropanisadaeという地名はアレクサンドロスが家臣に与えた地 名の一つとしても登場してい るようなので、「アレクサンドロス東征記」などをそのうち調査する予定。

*11 ウズベキスタン東南部のケシュ(現シャ フリサ ブ ス)かも知れない。

*12 マカはペルシア湾一帯を示したらしく、 ペルシア湾南岸から、ホルムズ海 峡を越えた対岸の地方(サーサーン朝時代マカ由来のマクラーンと呼ばれるようになる)も含めた地域として認識されていた模様。 

*13 アケメネス朝の碑文の地名の出典は、伊 藤義教「古代ペルシア-碑文と文学」(岩波書店、1979年・スーサ碑文(p81)、ナク シェ・ロスタム碑文(p95)、ペルセポリス碑文(p76)、ベヒストゥーン碑文(p22-23)から。また、
アケメネス朝の地名に関するヘ ロドトスの記述、ダレイオス碑文、クセルクセス碑文の属州一覧表はサ イト・リヴィウスのこちらにあります。
 
*14 ヤズドとイスファハンは「プトレマイオス地理学」・ 「ストラボン地理書」のいづれにも登場 していな い。

*15 クルドだと思われる。

*16  『プリニウス博物誌(1986年版第1巻』(p267/6-94節)で言及されているドランガエ族、ザランガエ族、ゲドルシ族のこの三者は、ザラン ジュが語源なのではなかろうか。


*17 「アソーレスターン」は、ナルセス王のパイクリ碑文に登場している 地名

※その他


ササン朝とローマの国境付近を扱った地図がこちらのサイトにあります。この地図では、サーサーン朝の州名として、バビロニアが「ア ソーレスターン」、北部のモースル付近がアルバーイスターン、イラク北東部スレイマニヤ県がNōdarada-shīragān ud Garamīgと記されていて、当時のイラン側地名で記されている非常にマニアックで貴重な地図です。

 もうひとつ、ササン朝治下のメソポタミア(現イラク)の地名を、恐らく当時のパフラヴィー語名称だけで著した地図が、エンサイクロペ ディア・イラニカのIRAQ i. IN THE LATE SASANID AND EARLY ISLAMIC ERASの項目のこちらにあります。この地図には、現モースル地方がNOD ARDAXŠIRAGĀN(北アルダクシールの意味でしょうか)と記されていて、恐らく上記の地図Nōdarada-shīragānと同じ単語だと想わ れます。現イラク北東部スレイマニヤ県は、GARMAGANと記されていて、これは上記地図のGaramīgに相当する単語だと思われま す。


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