サファヴィー朝歴史ドラマ「シェイク・バハーイー」

  サファヴイー朝のアッバース帝時代のイスファハーンで活躍し、アッバース帝の相談役なども勤 めた詩人で学者の「シェイク・バハーイー(Sheikh Bahai)」の少年時代と老年の一時期を 描いています。シェイクは、まだ日本語表記に統一が無いようで、シェイフ、シャイフとも記載されているようです。バハーイーは、 ドラマの発音では、「バーハェイ」と聞こえますし、「バハイ」の訳語も一般的なようです。
  さて毎回長さが異なっていて、短い回で40分、長い回で50分となっていて全18回。第11回の途中までが少年時代となっていま す。レバノンの山中の村に 住んでいて、オスマン勢力の度重なる搾取、不条理な殺傷に耐え切れず、移住し、イスファハーンへとたどり着くまでが描かれていま す。

 右上はその村の様子。左は結婚式の様子。左側の花嫁は、冒頭のオルマン勢の襲撃(税強制徴収)で目の前で母親を殺され、結婚し て幸せを掴んだと思ったら、また襲撃に合い、またも目の前で新郎を失い、ショックで屋根から落ちて体が少し不自由になってしまっ た不幸な女性。

  左はオスマン勢。軍隊なのか、武装役人なのかは不明ですが。。。このオスマン勢は、どういわけだか移住していった村のキャラバン をしつこく追いかけ、毎回 追いついては襲撃を仕掛け去ってゆくいう、台詞がわからないので、ちょっと不可解な行動をとっていました。全滅させるのであれ ば、一度で根絶やしにしてし まえばいいのですが。。。そして最後の襲撃かと思われる場面では、アラブ(?)と思われる部族に出会って、そこに逃げ込んだ村人 を引き渡すの渡さないのと 言い争っているところでオスマン側が、思わずアラブ勢の一人を射殺してしまったところから、全面乱闘。憎たらしい(と感情移入し てしまうくらい理不尽さに 満ちていた)オスマン勢は全滅(とはいえ、オスマンのリーダーは、中央から来たオルハン・パシャに無理難題を押し付けられている ような描写があったので、 100%悪漢というわけでもなさそうでしたが。。。)


左は村人がたどり着いた時のイスファハーン。右はその城壁付近。

 左はイスファハーンの城門。右は王の広場。現在は駐車場や芝生となっている場所が、剥き出しの地面となっているようで、実際ど うだったかはともかく、できた当初の雰囲気が良く出てるような場面でした。
 
  この場面以降、後半生(というか老年)時代になります。ところで、シェイク・バハーイーは、1547年生まれの1621年死去で すが、1532年生まれ、 1610年死去説もあるようです。こんなに近世の人明確にならないとは少し不思議です。それにしても、台詞がわからないドラマで も、結構楽しめるもので す。考えてみれば、旅行と同じということなのかも。

 イスファハーンでの後半(11回から18回)は、あまり動きの無いドラマとなっていて、台詞がわからないので筋が追えていない のでした。。。。
 シャー・アッバースがイスファハーンに遷都したのは1598年とのことなので、後半は1598年以降、シェイク52歳 (1532年生誕説だと66歳)以降のお話となります。

  さて後半のもっとも興味のあるところは、イラン史上屈指の名君とされるアッバース1世の映像。大変興味深かったのですが、残って いる肖像画に近い外見の俳 優さんが演じているようで、だいたいイメージ通り。背があまり高くないという点も、資料に記載されている通り(臣下の間にいると あまり目立たなくなってし まっていました。。。。)。 左下写真のターバンでは、額の上の大きな宝石が写っていますが、他の場面で違う宝石がつけられてい ることがあり、似たように 見えるターバンも、TPOによって変えていた可能性がありそうで、芸が細かい感じ。右側は玉座に座るアッバース。いつも気難し い、という感じではなかった ものの、少なくとも享楽的だったり、あまり余裕のある王者には見えませんでした。責任にどっぷりつかっているように見えるところ が、中間管理職である地方 太守という感じですが、これは、当時のイランが、超大国では無くなっていて、東のアクバル帝治下のムガル帝国と、西の、絶頂期に あるオスマン帝国の間に挟 まれ、東西両方から圧迫されていた中堅国家であったことから、イラン再興の責任を一身に背負ったプレッシャーが、意図した演出か どうかはともかく、はかな くも顕れているようにも思えました。
 ところで、大帝は、ターバンをとると、坊主頭でした。ひげの形と坊主というところが、イラン人というより も、コサックに見えてしまいました。しかも宮殿のセレモニーで、コサックダンスそのもののように見えるダンスが披露されている場 面があり、やはりサファ ヴィー朝を構成するトュルクメンもコサックも、トルコ系文化圏という点で共通したところがあるのかも、との印象を少し持ちまし た。

  左下の写真は、何かのセレモニーの時の軍装のアッバース帝。なんだか19世紀後半のドイツ皇帝に見えてしまいます。実際こんな感 じだったのでしょうか。本 当のところはどうだったのでしょうね。興味があります。 右下写真は、王座の広間。玉座の前に立つアッバース帝。赤紫がかったカ ラフルな文様の壁に囲ま れ、常にシャンデリアが灯され、昼間か夜かわからない薄暗さが特徴。そういえば、イスファハーンの王の広場の写真も、外側から見 た写真は良く見るのです が、内側はどうなっているのでしょうか。こんな感じの部屋や壁が、いまも残されているのでしょうか。今度調べてみたいと思いま す。

 下の写真は、宮殿の廊下。ミニアチュールに描かれるような美女か美少年が描かれた王宮の壁。こんな感じで、結構あちこちに人物 画が描かれていました。

そ れにしても、王宮の場面は、セレモニーの場面で庭が少しでてきた以外は、ほぼ王の広間とその周辺の廊下だけ。大帝の家族は全然登 場せず(セレモニーの時観 衆でチラリと登場していた女性群がそうだったのかも知れないけど)、女性が殆ど登場しなかったことも、後半ドラマが若干単調な印 象となった一因かも。

  さて、ドラマでは、イスパニア王フェリペ(3世と思われる)の使者を迎えていました。恐らく対オスマン同盟ということなのでしょ う。結構長々と会話してい たので、それなりの内容があったのかも知れませんが、映像的には、対オスマン戦略と関係しそうな場面は特になし。隊商が盗賊に襲 われ、シェイク・バハー イーが、襲撃自体が内通者による陰謀だったことを暴き、陰謀者達を一網打尽にする(と思われる)話が後半の大きな流れだったよう に思えます(ひょっとした らイスパニアやオスマンが絡んでいたのかも知れませんが、でもそれだったら、イスパニア使者が詰問されるような場面があってもよ さそうなので、結局独立し たエピソードと考えてよさそう)。

 他に印象に残ったことは、一面泥壁のイスファハーンの街並みと街路。調べてみると、現在のイスファ ハーンも、市街地のほとんどはそんな感じらしいのですが、少なくとも概観については、「世界の半分」を特徴づけていたのは王の広 場だけなのかも。ただし、 窓ガラスは普通の民家にも普及していました。

 さまざまな種類のデザイン・色彩のターバンも印象に残ったもののひとつです。三者三様の 色・デザインですが、こんな感じで、比較的特長的なターバンをしている人が多く見られました(シェイク・バハーイーは一般的な白 いターバンでした が。。。)。 右側は、サファヴィー朝の市内憲兵隊(のような部隊)。前回掲載のオスマン朝の兵隊の装備と見比べてみると、それ なりに特徴がありそうで す。


   ところで、シェイク・バハーイーは、イスラーム学、神秘主義、数学、天文学、文学など様々な学問に通じた当代随一の知識人であ り、更に詩人だったそうで す。イランはもともと、神秘主義の土地柄であり、シーア派を受け入れる土壌があったと考えられるものの、シーア派が根付いたのは サファヴィー朝になってか らで、それも、政府が西方から学者を招いて、各地の学校で教育を行ったからとのこと。ということは、シェイク・バハーイーは、イ ランのシーア派浸透にも大 きく貢献している人物ということで、彼が講義を行っている場面が何度か描かれていましたが、これは、イランシーア派の確立する過 程という、重要な場面が描 かれていたのかも。

 というわけで、台詞がわからないのでセットと衣装の話くらいしかできませんでしたが、サファヴィー朝の映像が見れた というだけでも満足です。変に誇張している感じも無く、意外性はありませんでしたが、16世紀後半から17世紀初頭のサファ ヴィー朝の地方やイスファハー ンなどが描かれ、当時の世界にトリップできました。本作は、「Sheikh Bahai」で検索すると、いくつかのサイトが検索されるようです。

イスラーム歴史映画一覧表
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