インド歴史映画「Shudra: The Rising(シュードラの蜂起)(2012年インド製 作)」


  古代文明を扱った作品では、エジプト以外の地域では、神話以外の内容を描いた映画はあまり見 たことがありません。反対にエジプト映画で神話を扱った作品は記憶にありません。その意味で、本作貴重な作品であるように思えま す。

 古代エジプトでは、古王国時代を扱った映画「ピラ ミッド」、中王国時代を扱った映画「砂漠の剣(The Pharaohs Woman)」、新王国を描いた映画「エジプ ト人」、映画「ネフェルティティ 〜ナイルの女王」、第二十王朝時代を描いた映画「ファラ オ」、 若干神話に近いところはあるものの、実在の人物ラムセス二世と、実在とされるモーセを描いた「十 戒」など紀元前二千年紀以前を 扱った多数の作品があります。これに対して、古代メソポタミアについては、神話や伝説を扱った作品を除けば、私が知っている最古 の時代を 扱った映画は、前6世紀の新バビロニア王国が登場する「エレミア」と「イ ントレランス」です。古代中国について私の知っている最古の時代 を扱った作品は、前770年の西周滅亡を扱ったドラマ「東 周列国伝」(の第一話、幽王と褒姒の話)。古代ギリシアの場合は、前5 世紀を扱った映画「マラトンの戦い」や映画「ヒポクラテスと民主主義」、古代ローマの場合は、前7世紀を扱った映画「オ ラーツィとクリアーツィ」 あたりがもっとも古い時代を扱った歴史作品なのではないかと思います。意外に紀元前二千年紀以前を扱った歴史映画は少なく、今回 ご紹介するインド映画は珍しい 作品なのではないかと思います。

 と、映画を見ながらこの記事を書いていたのですが、最後まで見たところ、今回ご紹介する「Shudra: The Rising」は正確には特定の時代や事件を描いた歴史映画ではないことがわかりました。インドの歴史的側面を抽象的な時代として 描いた作品であるといえそうです。


 題名にはインドのカースト制度の奴隷階級とされるシュードラという用語が入っていますし、映画で扱われる悲惨な民衆はシュード ラ階級とされていますが、本作の意図はシュードラだけではなく、寧ろカースト制度にすら入らない、現在のインドでも差別の続くア ウトカースト(ダリット(不可触民))の話だと思われます。理由は後述します。

 本作に関する英語版のWikiの記事に インダス文明のハラッパー時代を描いている、とあったので、それを信じて見たのですが、セットや衣装、小道具は、古代から近世の 間のいつでもいい内容です。アーリア人の到来とカースト発生については、冒頭のナレーションで説明されているだけで、バラモン階 級とクシャトリア階級の圧制に支配される過酷な シュードラ階級の村の様子が冒頭から描かれます。最初のうちは、とにもかくにもインダス文明を描いた珍しい映画だと思って村や王 宮などの画面ショットを 取ってしまいましたが、最後まで見て、映像的には、インドの歴史についてヒントになるセットは無く、古代でも近世でもいいよう な、抽象的な作品だとわかったため、以下のラストの1枚以外の画面ショットは破棄しまし た。英語版Wikiにある、ハラッパー時代の出典のリンク先を確認したところ、ハラッパー時代との記載は見つけられませんでした。 ハラッパー時代というのはWikiに記載した人の勇み足である可能性もありそうです。

 また、本作はマラーティ語 で製作されているようで、英語以外のWikiの記事はマラーティ語となっています。ネットのどこかにマラーティ語の翻訳機がある ものと思いますが、 Google 翻訳には無かったので、取りあえず英語版Wikiの情報と、映画を視聴した上での紹介を記載したいと思います。

 冒頭、 シュードラの村を見回りに来た王が、村の女性を見初め、強引に夜伽をさせます。女性を村から徴発するとき、女性の恋人の男性を王 の家来が虐待したため、翌 日女性が村に戻ってきた時に、男性は亡くなってしまいます。中盤では、バラモン司祭が、5歳くらいの子供を生贄の儀式に殺害する 場面が描かれます。これが きっかけとなり、村人は森で王の息子を殺害するのですが、激怒した王は、家来とともに村を焼き討ちにし、一人の男と幼児を除い て、老若男女から子供・赤子 まで虐殺される、という話です。

 娯楽の要素は一切ありません。1960年代のマルクス主義的、反封建主義のイデオロギー映画という感じ もしますし、次回ご紹介する「Paalai」では映像的な工夫が随所に見られましたが、本作は映像的には平凡です。とはいえ、屍 累々の村で、生き残った男 が赤子を前に、絶望的に両手を上げて天を仰ぐラストシーンは、静かで美しい音楽が悲惨さを際立たせ、強く胸に突き刺さりました。


 ありがちな展開だと思って途中で退屈して居眠りしてしまった方でも、このラストは印象に残るのではないでしょうか。

 本作は、冒頭で、”アンベードカル博士に捧ぐ”と英語で表示されます。アンベードカルは、 ガンジー、ネルーと並ぶインド建国の父とされる政治家です。彼は、低カーストと不可触民への差別と戦い、カースト制度の枠に入ら ないという理由で晩年、50万人の不可 触民とともに仏教に改宗した人権運動家です。この点を踏まえますと、映画の中ではシュードラとされている人々は、現在の不可 触民の方を寧ろ象徴している作品であるように思えました。

 本作の英語題名「Shudra: The Rising」が、1857年の反英国叛乱であるセポイの叛乱を描いた「マンガル・パンデイの蜂起(The Rising: Ballad of Mangal Pandey)」 の題名に似ていることから、マンガル・パンディのような作品なのかも、との先入観で見始めてしまったのですが、全然違いました。「マンガル・パンデイの蜂 起」 は、寡婦殉死制度(サティー)や英国支配の欺瞞、現地インド人商人の同胞インド人に対する搾取など、様々な問題を描きながらも、 英国人とインド人の友情も 描き、娯楽活劇の要素もある作品ですが、本作「シュードラの蜂起」は、娯楽要素は一切ありません。筋が進むに連れてひたすら暗澹 とする展開です。歌と踊り の無いインド映画を見るのは、記憶によれば、「青春の終着点」(1985年製作)以来かも。と思っていたら、「Shudra:The Rising」のエンドロールで歌と踊りが登場しまし た。やはりインド映画は、ど こかに歌と踊りを入れなくてはならないのでしょうね(「青春の終着点」を見たのは30年近く前なので、歌と踊りがまったくなかったのか どうかは記憶が曖昧です。しかし、地元政治家や地主、警察の不正と圧制など、見ていて憂鬱になる後味は、本作と「青春の終着点」 は共通しています)。

  本作は映画としての出来がどうこう言う作品ではありません。撮影 技術や脚本、演技という点では特に非凡なものはあまり感じられせんでしたが、最後まで見ればそ んなことはどうでも良くなってしまう、カーストと不可触民という題材そのものが重要な作品です。過去の差別の実態を将来に残す為の作品なのか、或いは今で もこのような問題が公然とでは無いにしてもインドのどこ かで行われているのか、客観的な史実なのか、そこは私にはわかりませんが、少なくとも”このような歴史認識を持ち、それを2012年の現在でも映画にして 伝えたいと考えている人々がインドに存在する”ということが強烈に印象づけられる作品だと思う次第です。

 本作は、ミニ・シアター等で日本で公開されてもおかしくない作品だと思います。

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