2005年3月頃に記載した、「「ブズルグミフルの回想」の探求」という記事があります。ブズルグミフルとは、サーサーン朝の英主、ホスロー1(在531-579)時代の宰相とされている人物で、「シャーナーメ」にも登場し、インドからのチェスの到来物語など、あまたのエピソードを残している人物です。
本人が、自己の考えを語った「ブズルグミフルの回想」という中世パフレヴィー語で書かれたテキストも残っており、実在の人物である可能性が高いとされてい ます。「回想」は、イスラーム期になってから書かれた可能性た高いものの、サーサーン朝時代に書かれた文書が元にあった可能性もあり、サーサーン人の肉声 が伝わってくるとも考えられる資料として有用な資料だと言えます。
サーサーン朝は、同時代史料が非常に乏しい時代であり(サーサーン朝だけでは なく、パルティア時代も同じく史料に非常に乏しい)、更に、同時代のサーサーン朝の人物の考えや肉声が伝わってくる史料は更に乏しく、「回想」は貴重な史 料となっています。この回想の抄訳は、伊藤義教氏「古代ペルシア」に掲載されています。
ところが、前島信次氏の河出書房新社「世界の歴 史8 イスラム世界」 p44にて、ブズルグミフルの自伝が残っている、との記載を目にしました。多分2004年の末から2005年の3月頃の間のことだと思います。前島氏の当 該著作には、出典が記載されておらず、2005年3月当時に少し時間をかけて調査をしたところでは、どうにも見つかりませんでした。丁度4月にワシントン 出張があったので、数少ない中世パフレヴィー語史料の翻訳著作である、1933年にインドのボンベイで出版された、J.C.Taraporeという学者の 書籍がないかどうか、米国でも最大級の図書館のひとつである米国議員図書館にでかけて、J.C.Taraporeの著作があるかどうか調べに行こうか、と 思ったり(結局実行はしなかったけど)、伊藤氏の抄訳した「ブズルグミフルの回想」の抄訳対象部分以外に「自伝」に相当する部分が掲載されているのではな いかと、こちらの中世パフレヴィー語研究サイトに掲載されている、中性パフレヴィー語の原文と、参考辞書をもとに、概要がわかる程度まで翻訳してみたりしたのですが、どうにも、前島氏記載の内容は見つかりません。
「自伝」について、サーサーン人の肉声が伝わってくる史料として、強い関心を持ち続けてきたのですが、昨年年末、たまたま、「シンドバードの書の起源」を読み直していたら、「カリーラとディムナ」の序章に、ブズルグミフルが自己の伝記を記載した部分がある、との記載を目にし、更に年末に購入した山中由里子著「アレクサンドロス変相」と いう、サーサーン期からアッバース朝滅亡までのイスラーム期の著作に現れるアレクサンドロス像を追った書籍に、「カリーラとディムナ」について詳しく記載 されているのを目にし、「カリーラとディムナ」を早速買いに出たのですが、古本屋でも新刊書店でも見つからなかった為、Amazonで中古を購入しまし た。
早速読んでみると、「ブズルグミフルの伝記」とは、イスラーム期の著述家、書記である、イブン・アル・ムカッファアが翻訳した「カ リーラとディムナ」の序章にある、枠物語、つまり「物語の一部」であることが判明しました。巻末の解説を読みますと、「カリーラとディムナ」は、ホスロー 1世時代に、インドから将来されて中世ペルシア語に翻訳されたものと考えられていますが、その中世ペルシア語版をアラビア語に翻訳したのが、イブン・ア ル・ムカッファアとのこと。また、ムカッファアとは別に、パフレヴィー語からシリア語に翻訳された版も、現在に伝わっていているそうです。そこで、ここに ひとつの問題があるようです。というのは、問題の「ブズルグミフルの自伝」に相当する部分は、シリア語版には無く、ムカッファア版にのみ存在しているから です。これは、ムカッファアが独自に自己の思想と見解を反映させる為に、序章として追加した可能性があるそうなのです。
更に、もうひと つ問題があり、「カリーラとディムナ」序章では、語り手のボゾルジミフルとインドへ派遣された医師バルザワイヒ(ブルゾーエ)は別人として語られているこ とです(宰相ボゾルジミフルが、医師バルザワイヒの伝記を語る、という体裁をなしている)。この点については、ブルゾーエ(またはバズゾーイ)とブズルグ ミフルは同一人物であるとの研究もあるので、同一人物である可能性もあるわけですが、真相はわかりません。また、そもそも、「序章」が、中世ペルシア語版 での「著者の言」なのか、「物語の一部」なのかも、判然としない部分が残ります。
しかし、いづれにしても、中世ペルシア語で書かれた、 伊藤義教氏「古代ペルシア」にだいたいの翻訳が掲載されている「ブズルグミフルの回想」と、前島氏の言及している「ブルズグミフルの自伝」は別物であると いうことがわかり、しかも、「ブズルグミフルの自伝」の翻訳も、「カリーラとディムナ」に収めらていて、邦訳で読むことができました。しかも、前島氏の引 用を読んだときは、1ぺージ程度の短いものなのだろう、と勝ってに思い込んでいたのですが、結構な長さの「自伝」となっています。真偽のほどはどうあれ、 サーサーン人の肉声が反映しているのかも知れない文章を読むことができ、満足しています。
2005年初頭に前島氏の文章と出会ってから 約五年、漸く「ブズルグミフルの回想」の探求が終了することになりました。昨年末の、アラビアンナイトにおけるサーサーン朝の情報と並んで、これまで追求 してきた情報を得ることができ、昨年の中国駐在終了と並んで、「古代世界の午後」の探索も、ひとつの区切りとなりそうです。2010年は、これからの10 年を考える年になるのではないかと、との予感が少し感じられる気配がある年の初めとなりました。