2010年ベトナム製作。多分、ハノイ(タンロン)建都1000年記念事業の一環で製作され
たと思われる、ベトナム史上の英雄阮文恵(1753-1792
年)の活躍を描く。ベトナムの歴史映画は初めてなので、画面ショット取得の勘所が今ひとつつかめず、30枚も取ってしまいまし
た。基本的には、その国の映
画やドラマに馴染んでくると、冒頭数分も見れば、どのような感じの作品なのか、例えばソード・サンダルものとか、ファンタジー風
とか、ナショナリズム高揚
映画、芸術系、リアルっぽい史劇などの作風、或いは予算度合い、技術力、演出傾向、失敗映像か、故意の演出か、など、なんとなく
わかるようになり、画面
ショットの取りどころもなんとなくつかめるのですが、比較対象となる作品は一作だけ(2010年製作のドラマ「李公蘊」)しか無
く、ヴェトナム史の風俗遺
物も殆ど見たことが無いので、判断しがいものがありました。しかし、視聴後、若干調べたところ、以下のことがわかりました。 ・これは娯楽時代活劇・民族意識高揚映画であり、演出的にも技術的にも中途半端さが目立つ作品という解釈でよさそう ・中国(香港・台湾含む)武侠モノや韓国娯楽時代劇っぽいウソっぽい鎧兜や衣装は遺物が残っていて、実は正しい模様 ・「タンロンの歌姫」という同じ2010年製作の、本作よりも10年程下った時代を扱った歴史映画があり、こちらはかなりリアル 史劇っぽい作品の模様(こちらに予告編映像があります。是非見てみたい作品です) 史実に興味を持つ、という意味では、私にとっては有意義な作品でしたが、この手の映画を何度も見たいとは思わないなあ、とも思 いました。 背景を少し説明しますと、18世紀中頃、支配王朝黎朝の統治は形骸化し、北部は鄭氏、南部は阮氏(阮文恵とは別の氏族。たまたま 苗字が一緒。区別する為 に、出身地域名称西山を関して西山阮氏と呼ぶとのこと)の実質統治下にありました。阮文恵は、兄弟と失政等により過酷な支配を行 う南部阮氏に反乱を起こ し、南部阮氏政権を滅亡させ、続いて北部に入り、黎朝の実権を握る。話はここからはじまります。 冒頭、阮文恵軍が、フエ(順化)と思われるベトナム国中部の拠点都市を攻撃・陥落させる場面から開始(1786年)。指揮を取 る阮文恵のアップに「西山と愛国」のタイトルが出る。次の場面で「光中皇帝」という阮文恵の称号も副題として表示される。 この戦闘場面は、エキストラも多く、それなりに迫力もあるのですが、どうしてこのようなカットをここで持ってきてしまったのか、 という残念な箇所もありま す。例えばこれ。宮殿を大砲で砲撃しているのですが、CGが映像的に浮いてしまっているのです。静止画だと少しわかりにくいかも 知れませんが、動画で見る と、まるでアニメーション合成のように、レイヤーが異なって見えます。舞台となった宮殿は、史跡なのかも知れませんし、セットで あっても、予算がかかって いるので、爆薬を使うことはできなかったのかも知れませんが、PCの画面で見てもありありと違和感があるので、これを劇場の大画 面で見ると、違和感が際立 ちそうです。 これは、阮文恵か、阮軍の武将だったか忘れましたが、鄭氏軍の頭を足場に走り抜ける演出。 まるっきり中国・香港・台湾の武侠劇の演出です。クライマックスの「ドンダの戦い」の場面は、もっと普通の(あくまでアクション 映画の範囲内でだけど)殺 陣となっているだけに、冒頭の武侠劇演出は無い方がよかった。史劇を目指すのか、武侠劇を目指すのか、演出の一貫性が欠けてし まったように思えます。 さて、阮は南部出身ですから、軍隊には象部隊もいます。これはなかなかよく撮れていました。19世紀阮朝の写真に象部隊の写真 (こちらのサイトの中段)が残っているので、史実だとわかります。 阮文恵は、都タンロン(現ハノイ)に召喚され、黎朝の国王である、黎顕宗(レ・ヒエン・トン)と面会し、元帥に任ぜられます。 これはその時のタンロン宮殿の高官。中国というよりも韓国や古代日本の冠衣に似ている感じがします。 宮廷。両側に高官が並び、奥に玉座があります。下で大王に平伏している高官の仕草も中国そっくり。衛士も清朝政府の衛士に似た 感じ(この高官や衛士の装束も、こちらのサイトの中段に19世紀阮朝の写真が残っているので、史実のようです)。 大王黎顕宗(在1740-1787年)。宮廷に出向き皇帝に挨拶し、歓迎される阮。こ のキンキラキンも王冠はかなりウソっぽく見えたのですが、19世紀阮朝の王冠(こちらのサイトの中段)写真を見ると、本映画程では無いにしても、かなりキンキラ キンなので、可能性の範囲内ではありそうです。 左の高官が北部の衣冠で、右の二人が南部の衣冠のようです。右奥が阮文恵。 阮氏拠点の南部の衣冠の特徴はこんな感じ。左2つと右端が阮文恵。右から二番目がこの後登場する王女にちょっかいを出した阮文 恵の部下。丸い輪っかの鉢巻のような帽子が大きな特徴でしょうか。 大王黎顕宗には美しい歳頃の王欣という娘がいました。両側は女官。 病床で寝込む父帝を見舞う心優しい娘。大王の居室はこんな感じ。 さて、祭りの夜に、阮文恵の部下が、姫にからんだところを、阮文恵がやってきて部下をたしなめ姫を助けます。姫はお礼に宮殿の書 院に阮を招待します。姫は ゴンジョウ(公主)と呼ばれていて、発音は中国語に似てます。皇帝もHuang Di、大王はダーワンと聞こえ、調べてみたらđại vương。結構中国語と似た発音の単語があり、やはり元漢字圏だったのだなあ、と思えます。 翌日、姫の書院を訪問する阮。姫は紙に詩を書き阮が読むが、早速いいムードなのが安直すぎると思うものの、まあ日本の60年代 くらいのドラマだと思えばいいのかも。 そしていきなり舞台は渓流での散歩となり、二人手をつなぎ、はっと見つめ合う。「タミさんは、野菊のような人だ」とは言わな かったけど。そしてキス。多少映像がぼやけたけど、一応今のベトナム映画ではここまではいいようです。 そして次の場面は早くも結婚式。速すぎな展開に少しついていけません。宮殿の建築様式は、屋根の庇の跳ね具合が中国南部や台 湾、沖縄の宮殿建築に似た感じ。 姫は阮文恵の拠点である順化(フエ)に赴く。そしてある夜、忍者が夫妻の寝室を襲撃してくるのだった。日本刀ではいけれど、動 き・装束はまさにニンジャ。 これもハノイの宮殿の模様。下は、フエの宮殿。なんとなく、建築様式が違う感じもするがなんとも言えない。下は、父親の黎顕宗 訃報の知らせを使者から姫が受ける場面。 阮兄弟(阮文岳、阮文恵、阮文侶)の三人が会合を持つ。左が 兄阮文岳(と思われる)。ビルマ風な王冠。中央は阮文恵。右は黎顕宗死去を受けて即位した孫の黎愍宗の王冠。 ちなみに阮文恵の部下の近衛長官の兜もこんな感じ。デザイン的には阮文恵軍の装備のデザインは大体似ていますが、なんとなく、 中国隋唐ドラマの兜に似ています。下は阮文岳のビルマっぽい装備。 この、中国隋唐ドラマ風兜は、中国ドラマの影響かもと思って調べたところ、遺物が残っていることが判明(こちらのサイトの鳳翊帽 (15-17世紀)など)。 阮文岳と阮文恵は方針を巡って対立し、やがて阮文岳は女官と戯れ政務を怠り、退廃的な生活を送るようになる。一方、タンロン (ハノイ)の宮廷では、黎昭統が政務を取るが母親が玉座の横に立ち執政するのだった。 三兄弟の末の弟阮文侶と阮文恵は、配下の兵士達の軍事訓練を行う。中国拳法の訓練に励む兵士達。 ある夜、阮文恵の宮廷で火事が起こり、混乱に乗じて再度ニンジャ達が襲撃して来る。近衛長官がニンジャの一人を捕らえるが、姫は 逃がしてやる。どうやら、 阮文岳が黒幕だったようで、その後、文岳は近衛隊長によって暗殺されるのだった(この部分、史実と異なるので、もしかしたら文岳 だと考えていた人物は別の 人物かも知れない)。1788年阮文恵は皇帝を称し、「光中皇帝」と号した。 さて、タンロン(現ハノイ)に清朝の使節と軍がやってくる。 アンナンという台詞が出ていたから、黎愍宗(在1787-89年)は「安南国王」に封じられたものと思われます。 使節歓迎の宴会が執り行われる。清朝使節中国語。ここだけベトナム語の字幕が出た。清朝使節達の傍若無人な振る舞いが描かれる が、カメラを揺らし、横に座 らせた女官にキスしたりするだけで、いまいち物足りない演出だけど、まだベトナムではこれ以上の風紀の乱れた映像は流せないので しょうね。 象軍の訓練様子が登場。サーカスの訓練みたいで面白い。阮兄弟は引き続き兵士の軍事教練を続ける。兵士には女性も混じってい る。そしてついに挙兵(北伐)の時が来る。「タンロンに攻めこむぞー!!」と兵士達の前で宣言し、歓呼を受ける阮文恵。 文恵夫人は、詩を詠んで夫を送り出す。有名な詩なのだろうか、この部分は字幕が出てきた。ひょっとしたら漢詩なのかも知れな い。そういえば、ベトナムでいつ頃まで漢詩文化が残り、いつから民族語文学が主流になったのか、知らないのでした。調べることは 多いものです。 北伐に出る阮軍を送り出す地元女性たちの帽子。右端の女性は、左画像右端の女性の後ろ姿。これを見ても鉢巻的な構造の帽子だと わかります。 付近の住民が様々な支援物資(食料、牛など)を差し入れする。 皇后が琴を弾いて戦勝を祈る場面。ベトナムにも琴ってあったのか。映像は色々な情報を示唆してくれます。 最後の20分は清朝&黎朝 VS 阮軍の戦い。1789年、タンロン郊外の清軍の砦、「ドンダ砦」の夜間攻撃場面は迫力がありま した。この部分では、砦が 木造であることもあるのだろうけど、火矢が飛び交い、火だるまとなるスタント兵士が登場するなど、かなり力の入った映像。これ は、ドンダ砦内に射られた火 矢が一斉に木柵を越えてくる場面。 象は夜間攻撃できたのかどうか知りませんが、象軍も攻撃に参加。殺陣も結構しっかりしていて、中国武侠ものではなく、格闘技を交 えた激しい打ち合いでし た。冒頭場面でもこの感じでやればよかったのに。清側の司令官はもなかなか強く、夜間砦は焼け落ちるものの、戦闘は翌日まで続 く。黎朝大王と母や側近は身 一つで都を脱出し清朝へと落ち延びてゆく。クライマックスの戦闘場面は良かったと思いますが、一部、やはりCGが浮き上がってい る部分はありました。例え ば下左では、砦に突撃する青い服の兵士の体を、火が透けて見えてしまっています。右画像は、静止画で見るとあまり違和感はありま せんが、動画では、噴煙が アニメのように浮き上がっていました。 翌日も激しい白兵戦が続く。阮文恵本営には、「光中」と漢字で書かれた軍旗が翻る。 清の武将の一人と激しい戦いとなった阮文恵は、最後、敵将の頭にザクっと刺すのだった(後頭部に突き抜けている)。これには ちょっと驚きました。中国の武侠ものではここまで生々しくは描かないので、これはベトナム人の感覚なのでしょうか。 清軍を追い払い、阮軍が勝利し、勝利の伝令が各地に届けられたところで終わる。最後は、共産主義プロパガンダ映画っぽく、ここで 初めて登場した最南部の民 族に囲まれて戦勝を祝われる阮文恵の映像や、現在の阮文恵の銅像多数と、それをありがたく拝み、観光する民衆達が映って終わるの だった。 これはクメール系民族でしょうか。突然最後に取ってつけたように登場していました。 右から二番目は女性像なので、もしかしたら、阮文恵夫人王欣さんなのかも。他3体は、阮文恵。 〜Hết 〜 受験の時のイメージでは、西山党の乱は、タイの侵攻を防いだというイメージでしたが、清朝を破ったとは知りませんでした。しか も「西山党の乱」と覚えてしまったので、内乱というイメージ定着してしまっていたのでした。 見終わってから思ったのですが、大砲は登場したものの、銃は登場しませんでした。今回描かれた戦闘では史実でも銃は使われな かったのでしょうか。色々な点で、史実性を調べてみたいと思った作品でした。 タンロン(ハノイ)建都1000周年では、李朝の李公蘊を描いた2010年放映の42話(打ち切りっぽい)のドラマもあります が、放映当時最初の数話を視 聴したところでは、殆ど本作と似たような(本作を数倍悪化させたような)、中国武侠ものっぽい演出でした。このドラマは、制作が 難航し、制作費が調達でき ずに中国資本が入ったそうなので、出来の悪い(ベトナム人の俳優さん達が、なれない武侠殺陣を頑張っているので、この表現は失礼 なのはわかっているのです が)中国武侠モノ、という感じになっていて、歴史ドラマとしては何も参考になりそうにも無いと、いまもってまったく視聴する気が 無いのですが、案外当面の ところ、ベトナム歴史ドラマ・映画は、基本的にこんな感じだったりするのかも(と思っていたら、視聴後、映画「タンロンの歌姫」 のことを知りました)。 本作は、私にとって初めてのベトナム史映画ということもあり、大いに参考になり楽しめました。ベトナム史を描いた他の時代の作品 も見てみたいのですが、と はいえ、どの時代を描いても、同じような作品にしか見えないとなると、あまり見る気にはならないかも知れません。個人的には、映画「タンロンの歌姫」風の映像のベトナム史の各時代を扱った作品を見てみたいと 思いました。 -関連サイト -光中博物館 -阮三兄弟の博物館 -ヴェトナム国立歴史博物館 IMDbの映画紹介はこちら。 ベトナム歴史映画一 覧表はこちら。 |