タラコ
ローマ時代の搭から見下ろした風景。
円形闘技場跡
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第1次ポエニ戦役後、エブロ川を境に北がローマ、南がカルタゴ領という取り決めが為されたが、タラコはローマ側の中心
都市だった。
(エブロ河とは、イベリアの語源となった川)。イタリカと並んでスキピオが前206年にイベリア半島でカルタゴ勢力を破った
後、ローマ人の退役軍人の為に
建設された都市のうちの一つである。
タラコは海岸沿いにガリアへ向かうアウグスタ街道沿いにあり、地中海に面している港湾都市だった。後にタラコネンシ ス州の州都となっ た。もちろんタラコネンシスの語源はこの町タッラコから発している。ローマの町として建設されたのは紀元前218年のこ とであるが、それ以前から町らしき ものはあったらしい。前150‐125年に城壁が大幅に改修され12Mの高さの城壁となった。これはヌマンティアの攻防 戦が行われた期間であり、町の防衛 を固めたものと考えられる。キリストを処刑したユダヤ総督ポンティオ=ピラトが生まれたのがこの町という言い伝えがあ る。259年ウァレリアヌス帝による キリスト教徒迫害時には司教フルクトゥオーススと助祭のアウグリウス、エウロギウスが円形闘技場で処刑された。闘技場は 5世紀に閉鎖された。 タラゴナには以下のように多数の規模の大きい遺跡が残されている。 1)城門(Pollol広場、Forum広場に各1つ) |
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写真右は 当時の復元模型。写真右上のフォルムの長官公邸の中が博物館になっていて、その公邸の上の階に この模型があ る。中央下段は戦車競技場の観客席に跡と思われる。写真右下は公邸の屋上から搭と城壁を見下ろしたところ。 | タラゴナは人口11万人の地方中都市。バレンシア‐バルセロナ間では大都市で交通のターミナルでもあるのでバスの本数
は多い。バル
セロナ‐バレンシア間のバスはほぼ1時間に1本の割合で、深夜まであるので移動は心配ない。
タラゴナはバルセロナまで130km程度でバスで1時間半。バレンシアまで270km程度でバスで4時間。 |
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(スペイ
ンの地図はこ
ちらを参照してください) スペイ ン政府観光局の ローマ遺跡案内 |
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