中国歴史ドラマ「鄭和下西洋」

   「鄭和下西洋」は 今年春放映されたCCTVの最新歴史ドラマです。鄭和の遠征は、私の好きな東西交流ネタということで、以前からドラマ化しないか なーと思っていたので、早 速見てみました。とはいえ、全部で59回(1回42分程)もあり、全部見ると41時間もかかることになります。そこで、適当には しょって見ることにしたの ですが、見てないと筋のわからなくなる話のポイントや見所を抑えるだけでも結構な時間となってしまっています。今週は、仕事終 わって家に戻ってから、毎日 3,4時間見ていたのですが、結局今日になってもまだ見終わらない状況。残すところ43回から48回の6話なのですが、今週これ まで24時間程これに費や していることになります。長い内容なので、3回くらいにわけて紹介することにしました(全回の紹介は、中国語のこちらにサイトで紹介されています)。

(1)永楽帝の場面

  ドラマは、洪武帝の雲南侵攻で、鄭和(当初の名は馬和)が檻の車に乗せられて、他の子供たちと一緒に南京に護送される場面から始 まり、鄭和の死(の近く) まで、ほぼ生涯を描ききった大河ドラマとなっています。しかし、一応少年時代の鄭和も描かれているようですが、20話くらいまで の主役は燕王(後の永楽 帝)。途中飛ばしてみていることもあり、ひょっとしたらもっと登場しているのかもしれませんが、燕王の南京侵攻前くらいまでは、 うっかりしていると鄭和が 出てこない回もあるのではないか、と思えるくらい主人公は燕王。これまであまり永楽時代を描いた作品はなさそうなので(私は永楽 大典の編纂者を描いた「大明奇才」くらいしか知りません)、本作で永楽帝を正面から描くことになってし まったのかも知れません。こちらの方のブログで『鄭和与永楽』の方が内容に合っているのでは、と指摘されて いますが、まさにそんな感じのドラマでした。少なくとも、題名を知らずに20回くらいまで見れば、誰もが永楽帝のドラマだと思う に違いありません。

さ て、その永楽帝を演じるのはまたも唐国強。俳優をあまり覚えない私でも、「江山風雨情」のホンタイジの演技が強烈だったことと、 「雍正王朝」や「貞観長 歌」などでこれまでも中国史上の主だった皇帝を演じてきた皇帝役者ということで、明朝最盛期の永楽帝の風格が出ている貫禄十分な 演技でしたが、また彼かー というマンネリも少し感じる配役でした。

  とはいえ、役は見事に嵌って、ドラマ「永楽帝」のパートはなかなかの迫力。燕王のモンゴル討伐からはじまり、第7話で朱元章死去 (一度もドラマに登場しな かった)。その後建文帝に誅殺されることを恐れ、病気や気の触れた風を装ったりし(金魚か何かの水槽にもぐる場面はすごかっ た)、第10話で蜂起。南京に 向かって進撃するのですが、前線で、一兵士と同じレベルで戦っていたことは史実かどうかは、私は知らないのですが、敵の兵卒の頭 を鷲掴みにして、窓にたた きつけ、血しぶきが窓にべったりつく(あれ?当時ガラス窓あったのだっけ?)場面など、関羽か張飛という武人ぶり。上の写真は、 1人で敵軍に突撃してゆく 燕王(どうやらこれに近い状況に陥ったことが史書にもあるようです。もっとも、史書自体の脚色は当然あると思います)

 攻城戦もなかなか の迫力。后と守備兵が守る町を方位する皇帝軍を、背後から大砲で砲撃し、挟み撃ちにしている場面。当時ここまで完成された大砲が あったのかどうか少し疑問 ですが、大砲の原型みたいな兵器は北宋の統一戦争で既に出現していたようなので、この攻城戦も大げさにしても、嘘ではなさそう。



  このドラマでちょっと印象に残ったのが、こんな場面。南京入城後、あとからやってきた后妃と3年ぶりくらいで再会した最初の晩の 夫婦の食事。宴会などは開 かず、3品程のおかずとご飯を二人で食べているところ。「今日町の通りで難民を見ました。お国の為の戦いの筈だったのにどうし て?」と問う皇后に悩ましい 表情を浮かべる永楽帝。

 下は、孫とお馬さんごっこする永楽帝。


  ドラマ後半は、宮廷の場面が多くなり、中でも、政務をとるホールで群臣と政策を討論する場面が非常に多くなることから、このドラ マの「永楽帝のパート」の 扉絵というべき場面は、下記の玉座に正装して座るキンキラキンの永楽帝。ちょっと違和感がありましたが、これまで中国歴史ドラマ を見ていると、結構最新の 研究成果や、史書の記述をそれなりに忠実(或いは少しオーバーに)に反映している点にでくわすことが多く、この輝ける玉座と装束 も、史書かなにかに根拠が あるのかも知れません。



(2)鄭和とその艦隊場面

 最初の画像は、本作品の扉絵とも言える、艦隊を背にした鄭和。史書に記載のある鄭和 は、「大柄で、声のよく通る偉 丈夫」と、関羽のようなイメージですが、本作の鄭和はどちらかというとひ弱そうな好青年。武道にも長けているものの、技 能を磨くタイプといった風情(戦闘 では強さを発揮していました)。

下記は瀏河港での艦隊の出港式。このショットは、第7回目のものだったかと思うのですが、第一回目もだいたい同じような 出航式典でした。

航海の回と放映回数の関係は下記の通り(2/3程はしょって見ているので、第3回目は見落としたのかも。訪問先も見落と しがあるかも。。。)

第一回 19集から32集 訪問先は满剌加(マラッカ)、古里(カリカット)、鲁艾島(架空の島らしい)、渤泥(ボルネ オ)、万安島(架空の島らしい)など。 航海でお約束の嵐の場面あり。
第二回と第三回は省略(見落としではないと思うのだけど。。)。
第四回 36集から41集 錫蘭(スリランカ)、マラッカ、忽鲁谟斯(ホルムズ)、莫干島(架空の島らしい)
第五回 45集から49集 木骨都束(モガディシュ(アフリカ東岸)、ホルムズなど。ゾウやキリンを献上。
第六回 52集から54集 莫干島など
第七回 58集から59集 ????


上は、鄭和の乗る旗艦。鄭和の船(宝船と呼ぶらしい)のサイズは諸説あり、40mくらいから120m説まである模様。本 番組では120m説を採用。先端の「目」が可愛い(ちょっと不気味だけど)。

本 作品は、鄭和の艦隊と遠征を正面から描いた決定版となるように思えます。というのは、艦隊の風景などは、安っぽい作品だ と、同じショットの使い回しで済ま せたりすることも多いかと思うのですが、本作は、回毎に結構新しいショットが入っていて、あまり使いまわしと思える場面 は少なかったように思えます。艦隊 の描写も、遠景、近景、前方、横から、斜め後方など、多様な確度からのショットを使い分け、更に、CGだけではなく、実 物も利用していたようで、上の ショットの手前の船は実物模型を利用しているのではないかと思えます(とはいえ最近のCGは非常に高性能なので、ひょっ としたらこれもCGかも知れません が。。。)


 こちらは、どこかの島に着き、沖で待機する艦隊。なかなか壮観です。2万人以上の兵隊を率いていたわけですから、文明 度が(少なくとも中国よりも)プリミ ティブな国々にとってはさぞかし脅威だったことでしょう。その威容はこれでもか、という程良く描き切られていたものと思 います。更に、次回紹介しますが、 訪問先の国々での数々の事件や、各国使節・国王などが艦隊に同乗し、明に朝貢に来る場面も丹念に描かれています。遠征場 面を、「こうして鄭和は出向して 行った。そして2年が過ぎ、戻ってきた」などとナレーションで誤魔化すような演出もやればできそうですし、遠征先につい ても、全部中国国内に用意したいか にも屋内セットで、セットの場面に限定したエピソードだけで構成することもありそうです。本作はどうなるのだろうか、と 思っていたら、意外にもできうる限 り正面から描いた作品でした(描ききった、とまで書けないのが残念ですが。。。。)。もの足りないところもあるとはい え、ここまで艦隊と訪問地を描いてし まうと、この先、これを越える作品を作るのは、予算的にもストーリ的にも難しいのではないかと思います。

上は、正面から見たレアショット。魚の目が不気味。下は鄭和旗艦の羅針盤。

 円盤の部分が水のプールに浮いている構造となっています。ある場面で、苦悶に打ちひしがれる鄭和が、羅針盤に手をか け、円盤が水に沈む場面が出ていました。羅針盤の構造を初めて具体的に把握することができた場面。

  さて、本作のストーリ運びには若干無理な箇所が多いようにも思えました。例えば、それまで全然海に興味がなさそうだった 鄭和が、官僚(特に永楽大典の編纂 者の一人解缙)と帝の論争(19集)に、突然「私が行きます」と割って入ってそのまま決まってしまったり(前奏となるエ ピソードを見逃した可能性もありま すが)、東南アジアからインド、ホルムズ、アフリカ諸国どこへ行っても、通訳なしで現地人と会話が通じたり(最初はアラ ビア語が公用語だと思っていたので すが、永楽帝に謁見した諸国大使が全員通訳なしで流暢に会話していたので、アラビア語公用語説も無し)。遠征中に何度か 南京の宮廷とやりとりをしていたり (二年にわたる航海なので1回くらいは交信があっても良さそうですが、そもそもモンスーンを利用した航海なので、基本的 には1年に1回しか往復できない 筈)。靖難の変で軍功を上げたとはいえ、数千の兵を率いる将軍位には見えなかったので、2万五千を超える大軍の将に突然 抜擢され、しかも航海のことなんか 何も知らなかったはずなのに、いつのまにか色々指示を出していたりした点も若干違和感がありました。また、通常こうし た、陛下の覚えだけで将になった人物 には、もっと反発があるようにも思えるのですが、兵士の統率という点でも殆ど問題無し。まぁ、実際に人心収攬に長けた有 能なリーダーだったのかも知れませ ん。そうでなければ七回も長期の遠征の隊長が務まる筈も無いわけですから。

 色々挙げましたが、最大の違和感は、鄭和にムスリムっぽい点 がまったく見られなかった点。ムスリムなら、メッカ訪問に拘っても良いように思えるのですが、途中から彼が執着したのは 西洋(欧州)・泰西(オキシデン ト)。これも、なんで、いつからこんな風になってしまったのか。。。。やはりはしょらないで丹念に見るべき作品なのか も。

 最後の無理目 エピソードは下記、永楽帝の息子の漢王が拳銃(いわゆる短筒)をぶっ放している場面。大砲があったのはまぁよしとしても (艦隊も大砲が搭載されていて、 17世紀カリブの海戦かというぐらいに連射したりしていました)、短筒は、いくらなんでも早過ぎなのではないでしょう か。とはいえ、新事実を旺盛に取り入 れるCCTVドラマですから、ひょっとして銃についてもなんらかの新説・新発見に因んだものなのかもしれません。



(3)訪問先の国々

  36話から第4回目の航海に出発し、39話目で忽鲁谟斯(現在のイラン、 ホルムズ島)に到達します。38話の最後のあたりで、ホルムズ王国の国王(番組 中では「酋長」と字幕が出ていた)が登場しています。下は、海岸に鄭和を出迎えたホルムズ国王。王冠といい、目 のパッチリ具合といい、童話や御伽噺に出て くる王様のイメージそのもの。いい味出てます。

下は艦隊の窓から見たホルムズの夜景。こういう、なくてもよさそうなショットを差し挟む芸の細かさに、製作者達 の、映像に奥行きを与えようとする工夫と努力を感じます。好きですね。こういうこだわり。

こ れら訪問先の映像は、おそらく中国国内で撮影したものと思うのですが、ホルムズの海岸が、偶然か、見誤りかわか りませんが、干潟に見える場面がありまし た。ホルムズ島の対岸にある、イランのバンダル・アッバースの海岸が、丁度そんな感じであり、ひょっとしてこの 部分とか、かなり現地情報を調査して作りこ んでいるのかも、とも少し思えてしまいました。まぁたんなる偶然ショットなのだろうけど。
 
 次は、アフリカ東岸木骨都束(モガディ シュ)に上陸するところ。海南島か、あるいはもっと南の島で撮影したのか、アフリカの雰囲気が良く出ていました (少し調べてみたところ、海関連の部分は、 海南島の瓊海(琼海)、文昌で撮影されたとのこと)。因みにアフリカ東岸に到達したのは、鄭和の分遣隊であっ て、鄭和自身ではないようなのですが、番組で は、艦隊本体が木骨都束に向かっていました。確かこの回あたりで、「新航路を開拓し、インド洋を横切って、直接 アフリカへ到達する」というような発言を し、航路開拓に目覚め始めたようで、最終回に至って極まるエスカレートは、この段階あたりから始まっていたのか も知れません。

 続いて、ホルムズで、奴隷商人から購入した(救った)黒人の少年を、父親の酋長のところに送りとどけたとこ ろ。普通に通訳なしで会話していました。しかし、中国人は、鄭和も兵士も常に同じ格好。南海を旅してるのだから 暑い筈だけどいつも涼しげ。汗かかないのかしら。

 49話で5回目の航海から帰国し、50話で各国珍獣を皇帝に献上。絵として残る有名なキリン献上場面が忠実に 再現されていました。製作者達としては、どうしてもやりたかった場面なんだろうなぁ。気持ち、良くわかります。

ちなみに、キリンの次は、ゾウが献上されていました。

  各国の施設や王達も、それぞれの装束で皇帝に謁見。流暢な中国語でご挨拶(ひょっとしたら皇帝はペルシア語とか 話せたのかも知れませんが。。。)。しか し、表敬訪問で連れてこられたはいいけど、帰国便がそうそうでるわけでもなし、この後亡命さながらの生活を南京 で余技なくされ、中には帰国を願いながら病 死してしまう使者の悩ましい日々など、朝貢貿易のはた迷惑な側面も丹念に描かれていました。

 下記は、丁度この頃に、陸路でチムールの子、シャー・ルクから送られてきた外交使節、Shadi Kawaja(沙的・火者)。

 どこかで見た名だと思って本棚を見たら、先月たまたま本屋で見つけて購入してきた、元明代の、西方から中国へ の旅行記、「海屯行記・鄂多立克東遊録・沙哈魯遺使中国記」(海屯行纪;鄂多立克东游录;沙哈鲁遣使中国记 何高济訳) 掲載中の、「沙哈魯遺使中国記」の使節(沙哈魯はシャー・ルク)と判明。(因みに、「海屯行記」は、13世纪小 アルメニア国王海屯(ヘトゥム)が蒙古に出 した使節の旅行記。「鄂多立克東遊録」は、同じく13世纪イタリアの僧鄂多立克(オドリコ/オドリック)が口述 した旅行記)。
 
 他に も、いつの間にかベニスの商人がホルムズで乗船し、南京で永楽帝と会食したり、第一回目の出向式典では、日本人 の使節、天龍寺僧堅中圭密がやってきたり、 様々な国の使節が南京宮廷に集まる場面は、元代の華やかさが継続しているかのような印象でした。ところで、この 日本人使節は、ヒトラーっぽいちょび髭を生 やしたいかにも狡猾という、ステレオタイプなタイプ。まぁ実際にこのような人いるけど。で、その圭密が、中国に 上陸したのは、南京陥落前の5月13日で、 「陛下に差し出している国書はニセモノ。日本国書の正本は、建文帝に献上済」との官僚の指摘に、「国書は2つ用 意してきたのだ。どっちが勝つかわからな かったのでな」と反論。官僚が、「うぬぅ。巧言令色!」と思わず口にしてくれたお陰でひとつ覚えました。巧言令 色って、まるきり同じ意味なんですね。当た り前か。

 ところで、ささいなことなのですが、幾つか気になった点が。
まず、ホルムズ到着時、海岸でホルムズ国王とその延臣と出会う場面。

 「我々は、中国から来たのです」
 「何?中国?あの、マルコポーロが書いてる東方の大国か?」
 「そうです」

  マルコポーロとその本が、ホルムズでも中国でも既知の、しかも大分有名そうに語られていました。マルコの死後 100年。。。広まっていたのかなぁ。。 まぁ、マルコの書籍が、もともとペルシア・アラビア・イスラム商人たちのネットワークの観光ガイドをネタ本にし ている、旅行記の体裁をとった観光ガイドと の説もあるし、世間一般ではともかく、記述されている旅行ルートでは、最新版の観光ガイドとして広まっていた可 能性もあるかも知れない。まぁいいか。

 もうひとつは、ベネチア商人が、「海のシルクロード」と口走っていた点。シルクロードそのものが19世紀の造 語の筈。まぁでもいいか(段々なんでも良くなる)。

 さて、鄭和は、各国使節を前に、この航海の目的は3つある。1。友好、2.貿易3.海賊退治。
と 言っていて、航路開拓や探検、などとは言っていなかったのですが、段々航路開拓に目覚め始めたようで(飛ばし見 しているので、はっきりどこからとはいえま せんが)、7回目の航海で突然「西大洋(大西洋)」「泰西(オキシデント=西洋)」に行かなくてはならない、大 明の栄光の為、中華民族の、人類文明進歩の 為、と口走るように。

 最後の10分は衝撃的でした。もう眠い〜 早く終わらないかなーと思いつつ見ていたのですが、眠気が吹っ飛び まし た。なんか、第一話の冒頭とラストがあっていないような気もしますが、きっと製作者も、第一話の内容など忘れ て、もう、中華文明の人類への貢献意識の元、 突き進んでしまったのに違いありません。



 ラストの場面では、甲板に雪が積もっています。冬の喜望峰を越えた場面とのこと。喜望峰を抜けて航海したの は、西欧よりも早かった、との主張があるようです。

 鄭和と永楽帝をほぼほぼ描ききった作品となりましたが、欲を言えば、朱元璋や、ティムールも登場してくれると もっと良かったかも。一応ティムール80万が 中国攻めに出発した情報が入ってきて、明朝宮廷が色めく場面は出てくるものの、ティムールとその軍隊は描かれな いまま。あと永楽帝時代の大きなイベントで あったベトナム侵攻は、まったく触れられていなかったように思えます(見ていないところにあったのかも知れませ んが)。ただまぁ唐国強より貫禄ある俳優は そうそういないだろうし、ティムールと朱元璋を登場させると、ドラマのバランスが崩れてしまうかも知れないの で、結局難しいようにも思えますが。。。

 衝撃ラストはともかく、見終わって一番印象に残っている台詞があります。第一回航海で、鄭和軍に討伐されてし まう、南海に覇を唱えていた海賊、陳祖義の、南京連行後の処刑時の言葉。

 「早く生まれ過ぎたことが恨めしい。鄭和の航海事業に参画できなかたことが恨めしい」

  海禁という政策の為、必然的に海賊となってしまってでも交易をやりたかった商人の思いがうまく表現された場面で した。鄭和の航海にかける思いはなんだった のか。陳祖義の立ち位置は重みがあり、言葉が残ったのと比べると、ラストの鄭和の台詞はいまいち重みに欠ける印 象が残りました。まぁ、でも面白かったで す。これを書きながらラスト20分を再度見直してしまいました。
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