タルノボ
皇帝の都
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ブルガリア第2王国時代の首都(というより王城)は現在のベリコタルノボ市である。当時の王城の遺跡と周囲にいくつか
の教会が残る。
タルノボは極端に蛇行しているヤントラ川沿いにある。このあたりの地形は太古大地であった土地がヤントラ川に削り取られ川 の両側は断崖あるいはすり鉢状の斜面となっている。 蛇行ぶりの一例は写真6をみていただければわかると思う。これは市の中 心部にある、三方を川に削られてしまって殆ど島となっている土地である。この「半島」のスケールを1キロ四方に拡大し、標高 も200mほどの丘(ツァラベツァの丘)を備えたものがタルノ ボ城である。 ブルガリアを東西に横切るバルカン山脈から北はおおむね太古に形成された大地であり、そこを川が削り取りなが ら峡谷が形成されている土地が多い。タルノボ城のような3方を蛇行する川に挟まれた城は少なからず存在し、チェルベン、 ローッチュに残る第2王国時代の城も同様である。 |
NO2 |
当時はツァーリグラッド(皇帝の都)というとコンスタンチノープルのことを示したらしいが、第2王国時代イヴァン=ア
レクサンダー時代にはタルノボもツァーリグラッドとよばれたらしい。ブルガリア人にとってはブルガリアは「王国」ではなく、
ビザンツ帝国とならぶ「帝国」であったのだ。
・写真右1はタルノボ城の正面ゲートから眺めたところ。ゲートはヤントラ川上にかかる橋へと続いていて、
このヤントラ川に囲まれた三角地帯は一周を城壁に囲まれている。写真1の左に伸びる城壁がそれ。写真右
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このボードワンの塔から急な斜面の下、河のほとりにわずかばかりの土地があり、ここいらが当時の城下町で
あったらしい。当時の教会(写真7:聖イワン教会だったと思うが調べて確認する予定)、聖40人教会 (写真が見つからない。発見次第載せる予定)などが幾つか残っている。 ・王城の北も同様の三角州となっておりこちらには第1王国時代の遺構があるとのことであったがフェンスがロックされて いてはいれなかった。 ・写真6の「半島」奥の建物が美術館。手前のモニュメントはアセン王家のオベリスクと王家の一族の騎馬像。
・写真5は早朝もやにつつまれたタルノボ城。 ・写真8はタルノボ市街の夕夜景。中央奥に方向にまっすぐ進むと写真1の場所に出る。 毎年夏場夜はタルノボ城がオレンジの光でライトアップされ非常に印象的。また観客の数がそろうと
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・写真9は冬のタルノボ。写真6と写真8の方向を撮影。
・プレオブラジェンスキー僧院 タルノボ5キロ北くら
いの地点にある僧院。ここから見たタルノボ城は中世に
・キリファレボ僧院 タルノボ南キリファレボ市にあ る僧院。起源は12世紀らしいが現存の僧院は近世のあたらしいもの。尼僧が一所懸命壁画などについて説明してくた。 ・博物館では古代ローマ時代の出土物も見ることが出来ます。 ・ローマ都市ニコポリス・アド・イストルム遺跡
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ブ
ルガリアの地図はここを参照してください。
タルノボ市は人口5万人程度。ベリコ・タルノボ大学を中心とする文化都市。ソフィアからバスで4時間。 鉄道だとソフィアから直通はなく、ゴルナ・オリャホビッツァで下車してバスの乗り換える。鉄道でも行けなくもないが本数が少 ない。バスは駅前には停車しないので、駅を出て南にメイン通りをバス停まで500mくらい歩く。バスに乗って30分でタルノ ボ市街へ入る。 観光地なのでホテルは沢山あるが、ちょっと観光地ずれしていて悪質な客引きもいるので注意。 |
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