ニコポリス アド イストルム



 当時の名称は「イストロス川沿いのニコポリス」である。この場合のイストロスとはドナウ川のこと。わざわざイストルム と形容しているのは、ニコポリスという町がトラキアにもうひとつあるからである(ニコポリス アド ネストス)。 紀元102年頃(だったと思う)ト ラヤヌスによって建設された。トラヤヌスの第一回ダキア遠征時、当初、現在のトランシルヴァニアに攻め込んだトラヤヌス軍に 対して、ダキア軍は、ドナウ川下降のドブルジャ地方の補助部隊を急襲した。急遽、トラヤヌス軍は、セクサジンタ・プリスタ (現ルセ)からドナウ南岸に上陸し、現タルノボ近郊でダキア軍を撃破した後、本ニコポリスは要塞としてつくられた。


 写真6にある様に発掘は現在もイギリスの大学(大学名も確認したら記載するメモがどこかにいってしまった)によって続 けられている。
 遺跡はまざ全体の北西部分の4分の1角が発掘されているだけである。城壁は残っていない。写真2は遺跡の 入り口であり、町を東西に横切っていたメイン通りである。通りの下には下水機構が残っている。この通りを行きつくと町の 中心にいたり、南北のメインストリートがある(写真3)。この十字路の北西部100m四方が発掘されている。 皇帝が滞 在したらしく、皇帝様の迎賓館のものがあるとのことである。神殿あとやオデオン跡などが残っている。写真1は遺跡周辺の 風景である。非常になだらかな丘陵地帯が続いており、バルカン山脈北部にもっともよくある景観である。しかしここは大地 であり、川は大地を削り深い峡谷を作り、そこに第2王国時代の山城が点在しているのである(タルノボチェ ルベンローベッチュなどを参照)。

近隣の史跡・遺跡

・ベリコ・タルノボ ブルガリア第2王国の首都










ブ ルガリアの地図はここを参照してください。
ソフィアからルセ行きにのり約4時間、ゴルナ・オリャホビッツァで下車。バスもあるが乗り換えねばならず、結構大変なのでタ クシーがおすすめ。そう遠くはない。
駅から約9キロ地点の丘陵地帯のただ中に遺跡はある。帰りは最寄の村からバスがあるが、村まで約2キロ。村からゴルナへの直 通バスがないかもしれない。その場合は運転手にお願いして乗り換えバス停でおろしてもらう。
 

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