義帝陵

 

 大門

紹介

義帝祠

 戦国時代の楚の懐王(在前329-299年)の孫とされ、反秦戦争の盟主として借り出され、秦滅亡後は、義帝とされ、最後は項羽に殺された人物の墓。郴 城にて殺され、憐れんだ郴人が城邑の西南のあたりの山に葬ったとされる。劉邦は王陵、周勃、樊哙の三人を郴城に派遣し、喪を行わせ、ここに項羽討伐の名分 を得、“大逆不道,君を殺した不臣”の名の下に楚漢戦争に突入した。漢代以来義帝陵は保存され、何度も修復されている。現陵内に「義帝新碑」がある。高さ 2.65m、幅1.18m、厚さ21cm。北面に北宋嘉祐四年 (1059年)の刻文があり、「義帝新碑」の四字がある。南面には元の至正五年(1345年)の《重修義帝庙記》とう文字が刻まれている。陵の右に義帝祠 があり、元至正年間に陵の前に移築された。

 

清乾隆十二年に改修され、祠内に義帝像の絵が描かれた。民国7年(1918年),陵は郴湘軍総司令譚延闿の盗掘にあった。こちらに、義帝陵のサイトがあり、非常に詳細な説明と写真があります。左上写真は、大門。右上写真は義帝祠。寺の手前の亭は、義帝亭。その右方向が、左写真となります。

 訪問当日は、早朝過ぎて開いていなかったので、隣のマンションの階段に登って陵を撮影。左写真真ん中部分にみえている白いものが墓碑。その背後の盛り上がりが陵墓(右写真)。だいぶ雑木が生えていて、こちらの写真とは随分違った印象です。更にはこんな写真も見つけてしまいました。同じ場所なのでしょうか。。。

 

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